第35歯 同じことばかり考えていると何も見えなくなる
「わあ!なんて綺麗なの!見て!信じられない。雲がすぐそこにあるわ!」
「蛍!そんなに身を乗り出したら危ないよ」
蛍たちを乗せた汽車は高らかに汽笛をあげて、とある国の遥か上空に七色の線路をかけながらガタゴトと力強く走っていた。
「きゃっ!」
開け放った窓から雲に触れようと手を伸ばした蛍は、汽車がガタッと揺れた拍子に上半身が車外に飛び出してしまった。
「蛍っ!」
姫魅が咄嗟に蛍の腕を掴んだが、華奢な彼では蛍を車内に引き入れることができない。姫魅は色白の顔を真っ赤にして、その場に留まろうと足を踏ん張った。
「お…重い…!」
姫魅の背後からぬっと伸びた褐色の腕が蛍の手首をガシッと掴んで、彼女の上体を軽々と車内に引き戻した。
「大丈夫?」
サラにぎゅっと抱き寄せられて、今度は蛍が顔を真っ赤に染めた。
「はひ…あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
蛍の無事に安堵したのか、サラは宝石のように真っ赤な目を嬉しげに細め、ふっと小さく微笑んだ。
(ギャップなんて反則よ!出会ったときは怖いくらいに無愛想だったのに…)
最近は心を許してくれているのか、サラは微笑むことが多くなったように感じる。彼はよく見れば低身長も気にならない美男であるからして、目で恋する蛍には怖いくらいが丁度よかったのかもしれない。
急にしおらしくなった彼女に、姫魅は悶々として口を尖らせた。
「僕も助けたんだけど…」
姫魅が不満気にボソッとぼやく。蛍は彼の肩に掴み掛かるなり、その華奢な身体をガクガクと激しく揺すった。
「姫魅!あんた。私のこと、重いって言ったわね?!」
「だって、本当に重かったんだよ」
「そりゃ、ケーキの食べ過ぎでちょっとその…ふくよかになったかもしれないけど…レディに失礼じゃないかしら?!」
「他人の肩をこんな乱暴に揺さぶるレディがいる?」
「目の前にいるじゃない」
「ええー…」
ふたりがこんなに騒いでもサラはどこ吹く風で、蛍の向かいの席に座り直すと咲蘭から借りたノートに黙々と読み耽った。
『ピューイ』
それまでイルカの膝上で気持ちよさそうに寝ていたポチが、パッと起き上がるなり車窓から飛び出す。
ポチは手近にあった雲を千切ると、腕いっぱいに抱えて蛍の元に舞い戻った。
『ピィッ!』
「えっと…くれるの?」
『ピューイ!ピューイ!』
「わあ!ありがとう」
蛍がほくほく顔でポチの頭を撫でるので、サラは赤らめた頬をノートで隠し、半眼にした目をポチに向けた。
「ポチ。余計なこと、しないで」
『ピィッ!ピィッ!』
ポチは怒ったのか激しく鳴きながらサラの上を旋回すると、終いには彼の頭にカプッと噛み付いた。サラは慣れているのか、はあっと諦めのため息を吐いてしれっとノートに目線を戻した。
「サラさんが自分の心とケンカしてる…」
「強い自己否定、葛藤の表れでしょう」
向かいに座るイルカの言葉に、姫魅は身を乗り出してふんふんと聞き入っている。
「サラは元来、とても人好き…」
「イルカ。本人を前に心を解説しないで」
サラがスッと目を伏せて迷惑そうに眉をひそめたので、イルカは「おやおや、まあまあ」と困ったふうに微笑んで口をつぐんだ。
「それより。君はいつになったら消えるの?ポチ」
『ピィッ!?』
サラの流し目にスッと睨まれて、ポチはイルカの背にすばやく隠れるとサラに向かってあっかんべえをした。
「…だから、九十九は使いたくない」
「あはは。立派な九十九を持っているのに勿体無い」
通路を挟んでイルカの隣の座席から、ネルがひょいっと顔を覗かせる。サラはネルの言葉を素直に受け入れられないようで、ううっと苦虫を噛み潰した。
「ねえ、姫魅。九十九って、魔法使いなら誰でも持っているの?」
「うん。どんな魔法使いでも持ってると思うよ。なんならパンピでも」
「パンピが九十九を?!」
予想だにしない姫魅の答えに、蛍が素っ頓狂な声をあげる。ネルがふふっと穏やかに笑ったので、蛍は恥ずかしくなってほんのり赤くなった顔をパッと伏せて隠した。
「心から生まれる魔法と違って、九十九は心そのものだ。その形状や能力に違いはあれど、心があれば誰でも持っているものだよ。形にできないだけでね」
「ネルさんも九十九をお持ちなんですか?」
「ああ、俺のは…」
サラの黒龍、イルカの白虎、姫魅の烏を頭に思い浮かべ、蛍は期待に胸膨らませてネルの言葉を待った。
「牛だよ」
「へ?」
姫魅がポツリと呟く。蛍の脳裏で牧草を食む乳牛が「モー」っと呑気に一声鳴いた。
「へ…平和ですね」
蛍の笑顔に期待外れの気持ちが滲み出て、ネルは彼女に苦々しく笑い返すとしかめ面を姫魅に向けた。
「姫魅、その言い方はやめろ。闘牛だ、闘牛」
「どっちも牛だよ」
「ニュアンスが違うだろ。ニュアンスが」
「もう。ネルはすぐに格好つけたがるんだから」
ふたりは互いに呆れ返って、同時にため息を吐いた。ネルは金糸の髪に金眼、姫魅は濡羽色の髪に碧眼。ふたりの顔は似ても似つかなかったが、仕草は兄弟のようにそっくりだった。
微笑ましいふたりの様子に、イルカと蛍は顔を見合わせてクスッと笑った。
「まあまあ、おふたりとも」
サラのノートにふりがなを振ってやりながら、イルカは埒が開かないネルと姫魅の言い合いに終止符を打った。
「蛍ちゃんもきっとすてきな九十九をお持ちですよ」
「私の九十九…!?力強い獅子かしら?それとも美しい天馬?」
蛍がうっとりした顔でまだ見ぬ九十九に思いを馳せていると、浮かない顔をした姫魅が彼女にビシッと釘を刺した。
「蛍。九十九より先に再試験だよ」
「わ、わかってるわよ!ベジタブランドのドン・レタスさんに手紙を渡して、野菜を持ち帰る、でしょ?なんてことないわ!」
蛍はフンッと得意げに鼻を鳴らしたが、姫魅は入学試験のこともあり気が気でない。
蛍は良くも悪くも型にはまらない。それは他人を勇気付け、道を切り開くこともある一方で、追い詰められたときには手段を選ばず、時に堂々と道を踏み誤った。
「ネル。再試験って本当にこれだけ?魔法、関係ないよね?」
維千から預かった手紙を手にして、姫魅は不安を口にした。
再試験は1ヶ月も待った割に拍子抜けする内容だ。その1ヶ月もネルの怪我の回復を待っていただけというから、再試験の課題自体は維千がトイレか風呂かでひょんに思いついたのではないかとすら思えた。
「維千さんはそう言っていたが?」
「その維千さんってのが不安なんだよ。あの人がこんな子供のおつかいみたいな課題を出すなんて…僕はてっきり、極寒の無人島から生還しろとか、おもりをつけた箒で大陸を横断しろとか言われると思っていたから」
「あはは。維千さんなら言いそうだ」
「笑い事じゃないよ、ネル。ネルの最終審査も兼ねてるんでしょ?」
姫魅がため息混じりに言うと、ネルはヒクヒクと顔を引き攣らせた。
つい先日。満身創痍で隊長試験に合格したネルは、蛍と姫魅を連れてベジタブランドに行き、無事インプラントに戻ることができれば正式に隊を任されることとなる。
教職に専念したいネルはこの再試験のどのような結末を想像しても胃痛がして、今すぐインプラントに引き返したい気持ちになった。
「起きてもいないことをいつまでも考えたってしょうがないわよ!今できることに全力でいれば、何が来ようと怖くないわ!」
蛍はドヤ顔でファサッと髪をかきあげたが、すぐに顔を怪訝にして「ん?」と首を傾げた。
「九十九は心そのもの…維千さんは九十九を持っているのかしら?」
九十九が心そのものだと言うのなら、あの非情な青い悪魔がそれを持っているとは到底思えない。
「魔法が使えるから、九十九も当然…」
「維千さんが魔法を?」
蛍の独り言に姫魅は耳を疑った。維千の魔法なんぞ、風の噂にも聞いたことがない。入学試験のときには圧倒的な力で不正を自白させられたが、その時も維千は魔法を使っていなかった。
「ほら、氷の?冷気の?」
「蛍、あれは魔法じゃないよ」
「ええっ?!魔法じゃなかったら何なのよ?」
蛍に聞き返されて、姫魅はうーんと頭を悩ませた。維千が冷気を放っても魔力の流れは感じないから、魔法でないのはきっと間違いないのだが…あれは一体何なのかと問われたら、姫魅にもわからなかった。
「彼は半人半妖ですから、妖術を使えるんですよ」
迷宮に迷い込んだふたりを見かねて、イルカがそっと助け船を出す。
「半人半妖…?妖術…?」
魔法だけで頭がいっぱいなのに、蛍はまた新たな未知を見つけてしまいげんなりした。
「あんまり話すと彼が不貞腐れてしまうので。ふふ、維千さんは九十九を持てるのか…良い質問ですね。次の期末試験に出題しましょうか」
イルカが顎に手をやり真剣な顔をするので、サラは不服の目で粛々と抗議した。
「そもそも、維千さんは魔法を使えるんですか?」
「姫魅。それを維千さんの前で言うなよ?」
「え…?ええ…?」
「絶対に、言うなよ?」
「う、うん…わかった」
冷や汗を流したネルがギラッとメガネを光らせて念を押したので、姫魅はそれ以上の追求を諦めた。
「おっまたっせしたっす!」
ボトルと弁当を抱き抱えた浦島が、車両の扉をガッと足で開けて入ってくる。彼はネルの向かいにドカッと腰をおろすと、ふーっとひと息ついた。
「盛り上がってるっすね!なんの話っすか?」
「九十九は誰でも持てるのか?について、維千さんを例に考えていました」
「へーっ!おもしろいっすね。まっ!北条隊長の部下だった自分は、答えを知ってるんすけど」
「北条隊長?」
「維千さんっす。北条維千。隊長だった時は名字で呼んでたんすよ」
聞き慣れない名前にきょとんとしていた蛍は、浦島の説明を聞いてそれが維千だとやっと理解した。
「で?どっちなんですか?」
「使えるの?使えないの?」
姫魅と蛍が爛々と目を輝かせるので、浦島はフフンッと得意げになって巻き舌のドラムロールで答えを焦らした。
「ダラララララララララ…ジャジャンッ!答えは〜?使え…」
「ちょっと待て!浦島くん。それは…なんだ?」
浦島が抱えたボトルに目を向けて、ネルはサッと顔を強張らせた。そこには「青汁サイダー」なる不穏な文字がはっちゃけた字体で刻まれている。
「えっへん!これがうまいんすよ」
浦島がわくわくした様子で、弁当といっしょにボトルを配る。残念なことに手渡されたボトルの中身は誰1人として例外なく、青汁サイダーだ。
「ありがとうございます。後でレモンといっしょにいただきますね」
「レモンって…お口直しっすか?!イルカさん、自分のこと信じてないっすね?!」
「イルカさんが疑っているのは浦島くんじゃなくて、その得体の知れない飲み物の味だ」
「えー…うまいのに。騙されたと思って、飲んでみてくださいよ?」
浦島のお墨付きを得ても、誰もボトルに手を伸ばそうとしない。ネルに至ってはカバンの奥底に、まるで魔物を封じるかのように念入りに仕舞い込んでいる。
「イルカ、漢字。なんて読む?」
「あおじる、ですよ」
「あお…じる…」
浦島がシュンと肩を落として悲壮感を漂わせるので、見兼ねたサラはプシュッとボトルを開封した。
「物は試し」
サラがスッと立ち上がり、ボトルをグイッと一気に飲み干す。周囲が固唾を飲んで見守る中、サラはピッと親指を立てて…そのまま、フラッと倒れてしまった。
「サラ!?」
「大丈夫…大丈夫…」
イルカに抱えられ力なく答えるサラは、入院中よりも血色が悪い。サラの気遣いは彼の思いとは裏腹に、青汁サイダーが人を選ぶことを証明してしまった。
「そういえば、再試験の監督は浦島くんなんだね。維千さんは?」
「慰鶴くんに気を遣ってるんじゃないっすか?慰鶴くん、今はベジタブランドにいるみたいっすから」
「ああ…」
ネルは何かを思い出して納得すると、苦々しい顔つきになった。
「ふーん…維千さんにも気を遣う相手がいるのね」
維千と気遣い。不釣り合いな言葉の組み合わせが摩訶不思議で、蛍はきょとんとした表情で首を傾げた。
「維千さんはとんでもなく不器用さんなので、いつも誤解されますが…彼は案外、みなさんに気を遣っていますよ」
「維千さんはやり方がおかしいんすよ。ハートはハートで感じるもので、知識で認識するものじゃないっすから」
「そうだな。彼のは行動があってから感情があるというか…嘘から出る誠を狙っているというか…」
浦島とネルの意見が一致して、イルカは眉をハの字にして笑った。
「まあまあ。それはできるから言える事であって、あなたが当然のようにできることをできない人もいるんです。逆もまた然り。維千さんの努力はどうか忘れないでください」
「う…うっす!」
浦島はふわふわの眉をキリッと引き締め、ビシッと敬礼した。どうやら維千は維千なりに苦労しているようだ。
「サラくんはイルカさんの実家に行くんすよね?ついにイルカさんのご両親にご挨拶っすか?」
浦島が(一方的に)仲の良いふたりを揶揄すると、彼だけには触れられたくなかったのか、サラはムスッと口を尖らせた。
「…魔法が使えなくなったから」
「おうん?」
「魔法が…使えなくなったから…!」
「お…だははははっ!!魔法が使えなくなったあ?!カッコ悪ーっ!」
浦島の無遠慮な言葉がサラの胸にグサッと突き刺さる。
「じゃあ、なんすか?今のサラくんはブレーカーが落ちてる状態っすか?」
「…っ!?」
浦島が不穏な表情を浮かべ、サラが戦慄してススッと後ずさる。浦島が両手を掲げてじりじりとにじり寄ると、サラはサッと臨戦態勢になった。
「わあ、おいしそうですね!」
イルカがパカッと間抜けた音を立てて弁当の蓋を開けたのを合図に、浦島とサラは犬猫の追いかけっこさながらに狭い車内をバタバタと駆け回った。
「わっふっふっふっふ…手品のタネ、今日こそ暴かせてもらうっすよ!」
「めっ!おすわり!ふーせっ!」
「あうっ!犬扱いするなっす!こんの…サビ猫!」
「サビ…猫…」
いつものサラなら浦島を一捻りにしているところだが、ガリヴァーノン戦で負った傷が痛むのか、彼は珍しく逃げに徹している。
浦島はそれをいいことに、いつに増してサラをしつこく追い回した。
(あーあ、言わんこっちゃない。このふたりをいっしょにしたらダメだろ…だから、別車両にしようと言ったんだ)
浦島がぶん投げた備えつけのクッションをサラがすかさず投げ返す。ついに物の投げ合いを始めたふたりにネルが頭を抱えていると、飛び交うクッションのひとつがネルの顔面を直撃した。
「いい加減に…」
「往生するっす!」
「しつこい!」
ふたりの投げたクッションに左右から顔を挟み撃ちにされて、ネルはわなわなと震えると伊達メガネをスッと右手で外した。
「…ガキども、覚悟はいいか?」
ついにブチ切れたネルの鋭い眼光に、浦島は「きゃいんっ!」と震え上がるとサラにすがるように飛びついた。
サラは肩までずり落ちた襟元を正そうともせず、手にしていたクッションをポスッと落とすとダーッと滝のような汗を流した。
とても落ち着けない車両内で、イルカだけがほくほく顔で弁当を頬張っている。
「ふふ。この金時豆、幸せの味がします」
(イルカ先生、動じないなあ)
(イルカさん。不屈のマイペースだわ)
姫魅と蛍の視線に気づいて、イルカは弁当から顔をあげると首を傾げてにっこり笑った。
「お弁当、おいしいですよ?」
「ええっと…イルカさん。サラさんが魔法を使えなくなったって、どういうことですか?」
蛍の問いかけに浦島はサラの両頬を引っ張ったまま、サラは浦島のちょんまげを握ったまま、ネルはふたりにゲンコツを落としてピタッと動きを止めた。
「魔法が使えなくなる理由は様々で…身体的要因で思考、行動、知識の三要素に不足が生じると、感情そのものが生まれないことがあります。三要素のどこかに歪みが生じれば、魔力の生成が難しくなります。他にもいくつかの要因が複雑に絡み合って起き得るのですが…サラの場合は怪我の影響よりも心的要因が大きいでしょう。恐らく、心の乱れによって魔力の流れが滞り、魔力を魔法として放出できない状態にあります」
「なんでこんな急に?」
サラは困惑するネルの視線から逃げるように顔を背けて、揺れる赤目をスッと伏せた。
「愛君トークショーの一件で38名が行方不明、5人が重軽傷を負いました。残念なことに、会場を襲撃したのはサラの恩師です」
車両内がしんと静まり返る。速度を落とすことなく走り続ける汽車の、悲鳴のように甲高い汽笛がやたら耳障りだ。
「…ごめん。俺のせいで」
「サラ。それはあなたが背負うことではありません」
サラは俯きがちになって首を横に振ると、ぎゅっと拳を握りしめた。腕に巻かれた包帯にじんわりと血が滲んで広がる。
「サラ…」
イルカの心がぎゅっと苦しくなる。
サラはずっとこうして自分を追い込んできたのだろうか。誰かの苦しみに責任を感じて、背負わなくていいものまで背負って、ずっとひとりでもがいてきたのだろうか。
このあまりにも優しすぎる少年は、この先に待ち受ける未来にどれだけ心を痛めるだろう。
(そうだとしても…ごめん、サラ。どうしても、あなたが必要なんだ)
自分は彼が抱える傷を知りながら、さらなる呪いを背負わせようとしている。
イルカが祈るように伸ばした手をそっと退けて、サラは重々しく口を開いた。
「ガリヴァーノンは…本当は楽しくて、優しくて…俺さえいなければ、あんな風にはならなかった」
「なんすか、それ!?さっきから俺のせい、俺のせいって。本当にサラくんのせいなんすか、それ?全部自分に結びつけて、サラくんは神様にでもなったつもりっすか?!」
浦島はキッと顔を険しくすると、サラの胸ぐらをガッと掴んで声を荒々しくした。
「そのガリ…ん?ガリ…ガリガリ?」
「ガリヴァーノン」
「それっ!大怪我負わされて、まだ庇うつもりっすか?頭いかれてるっす」
「君は彼を知らない」
サラは赤目に怒りを滲ませて、声に凄みを利かせた。その気迫に浦島は一瞬怯んだが、サラの身体中に巻かれた見る目にも痛ましい包帯に顔をしかめるとサラをキッと睨み返した。
「んだーっ!なんで、わからないんすか?自分は冷静に物事を見てみろっつってんすよ!」
「おせっかい」
「おやまあ、おやまあ」
イルカはサラと浦島の間にひょっこり顔を出すと、バチバチバチと散る火花を手で払い、ふたりの口におにぎりを咥えさせた。
「腹が減ってはなんとやら。おにぎり、おいしいですよ」
サラと浦島は「むー!」と声を揃え、険しい顔で互いを指さしたが、イルカは「はいはい。デザートもありますよ」とプリンを掲げて受け流した。
「イルカさんのご実家に行けば、サラくんはまた魔法が使えるようになるんですか?」
サラと浦島がおにぎりをゴクリと飲み込むなり、いがみ合いを再開しようとしたので、ネルは慌てて話を戻した。
「それは…わかりません」
「わかりませんって…」
「魔法を使えなくなった理由は推測できても、どうすればまた使えるようになるのかは手探りです。その便利さに慣れてしまうとつい忘れがちですが…魔法はとても不安定で、未解明の多い力ですから。これだけ魔法が普及しても、魔法使いはパンピの安定した技術に頼らざるを得ないでしょう?僕たち魔法使いは、魔法のことなんて何ひとつわからないんです」
あっけらかんとするイルカに、ネルはポカンと絶句してしまった。
「そんな確証がないことのために、わざわざ長期休暇を?」
「できることがあるかもしれないのに、わからないから何もしないだなんて…そんなことで、僕は後悔したくないんです」
「おせっかい」
サラは右手で頭を抱え、長嘆息を漏らした。
「はいっ!全力でおせっかいさせてください」
イルカは曲げた右腕に小さな力こぶを作ると、気分上々でふふっと笑顔になった。サラはそれが迷惑なのか、全身全霊を持って不快感を露わにしている。
(まるでキャラ弁に意気込みを見せる母親と、それを全力で拒絶する思春期の息子…あるいは学校行事に全力で挑む母親と、羞恥心にやる気を削がれる反抗期の息子だ…)
どちらもネルで経験済みの姫魅は、少し不貞腐れた顔でだんまりを決め込むサラに同情の眼差しを向けた。
(私もイルカさんにおせっかいされたい!)
平和維持軍の隊長でありながら、どちらかといえば細身のイルカがちょこんと作った力こぶに、蛍は恍惚とした表情でときめいている。
「それに。魔法を使えないことは、サラにとって命に関わります。魔力多増症は魔法の使用に関わらず、常に多量の魔力を作り続ける病気です。このまま魔力を魔法として放出できずにいると…」
「うんこが溜まって、腸が破裂するのといっしょ…あがっ!」
パッと閃いた浦島のスッキリした表情に、サラのグーパンチが深く減り込む。浦島はトリプルアクセルを踏んで遥か後方に吹き飛ぶと、「ねーちゃんにも殴られたことないのに…」と言い残し、白目を剥いてドシャッとその場に崩れ落ちた。
虫の息で転がる浦島にサラが蔑んだ目を向ける。その血が凍りついたような赤目は、見る者の背にゾクゾクと悪寒を走らせた。
「サラ、およしなさい。スピッツが出でいますよ」
サラはハッと我に帰ると、痛む脇腹を抱えるようにしてしゃがみ込んだ。
「すごい威力…」
「サラはスイカを手刀で割りますから」
「手刀でスイカを…!?浦島さん、生きてるかな?」
蛍と姫魅が青汁サイダーのボトルの角で浦島を突っついてみる。サラの小さな体から繰り出されたパンチは、今も浦島が立ち上がることを許さない。
「浦島くん、立てるか?」
「うっす」
ネルはまだそこでぐるぐると目を回している浦島の腕を肩に回して、「せーのっ」とゆっくり立たせてやった。
「いってー!あいつ、自分にはすぐキレるんすから」
「あはは。浦島くんはサラくんに少し噛みつきすぎだ」
足元がおぼつかない浦島を座席にそっと座らせて、ネルは胸ポケットにしまっていたメガネをサッとかけ直した。
「サラも。先のことで気が立っているのでしょうが、やり過ぎですよ」
イルカが頬を小さく膨らませたので、サラは彼の頬を右手に挟んでずいっと顔を寄せた。
「イルカ。イルカの実家に行けば、強くはなれるんだよね?」
「おやおや。サラはもう充分強いでしょう?」
イルカは屈託ない微笑みをにっこり浮かべたが、サラは先のガリヴァーノン戦を思い出して唇を噛み締めた。
「ガリヴァーノンは手加減していたのに…俺は彼を殺せなかった。あそこにいたのがもしイルカだったなら、もっと違った結果になっていたはず」
「そんな…死者が出なかったのは、サラさんがいたからだわ!」
「死者が出なかったんじゃない。ガリヴァーノンの気まぐれで生かされたんだ。もっと強くならないと…次はちゃんと殺せるように」
浦島は怒りに顔を紅潮させるとバッとその場に立ち上がり、サラの胸ぐらに掴み掛かろうとした。
「ちゃんとってなんすか?!仮にも恩師っすよね?だから、サラくんは…」
「もうっ!サラのわからず屋!」
浦島よりひと足早く、呆れ顔のイルカが両手でサラの頬を引き伸ばした。
「ひとりで抱えるなっていつも言ってるだろ?!弱さを見せるのも強さだからな?!もっと僕らを頼れ!」
敬語を忘れて腹を立てるイルカに、姫魅と蛍はあんぐりして言葉を忘れている。
「…ごえんらはい」
「よろしい」
サラが謝るとイルカは満足げに頷いて、サラの胸に手のひらを当てた。
「サラに必要なのは力ではありません。休息と…ここを満たすこと。がんばるのは一旦、お休みしましょう。ね?」
「休んでなんかいられな…」
イルカがにっこり微笑んで、サラはうっと口を噤むとしょうがないなと言ったふうに笑った。
そんなふたりの様子にひとり浮かない顔をして、蛍はチラッと姫魅を見た。
(もっと…頼る…)
蛍は彼をずっと振り回しているが、それは頼るというよりかは利用しているようだ。
そこにイルカとサラのような信頼はなく、蛍は姫魅に自身が亡命中の姫であることも伝えられずにいる。
(こんなに振り回されて、どうして何も聞かないの?)
ふいに姫魅と目が合って、蛍は慌てて窓の向こうに目を向けた。汽車がバフッと雲を波立たせ、果てのない雲海に飛び込む。
真っ白な世界が抜けるような青空を覆い隠した。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!٩( 'ω' )و
1歯の長さに統一感がなくて、申し訳ありません…登場人物が多いとやはり長くなりがちですね。
サラが怒ること、あるんですね…作者も驚きました。
どうやらガリヴァーノンと再開したことで、心に余裕がないようです。
次歯からイルカの過去話、そして再試験が始まります。
体調を見ながらの執筆、少しお時間いただくかもしれません。
気長にお付き合いいただければ幸いです。




