第31歯 不安なときこそ、今できることに集中する
トークショーはまだ始まってもいないのに、会場は期待に胸躍らせる人々の熱気で溢れていた。開演間近の舞台裏もその期待に応えようとバタバタしている。
「おっかしいだろ…誰もいねえじゃねーか」
作家・迷迷ひつじこと国家警察官の命斗は、廊下に出て唖然とした。
人っ子一人いない廊下は、ここだけ切り抜けば「今日は休館日なのではないか」と疑えるほど静まり返っている。
「警備もいねーのかよ。どうなってんだ」
推しカプ探しを目的にちょいと現場を抜け出したのだが、当てハズレの状況に命斗はポリポリと癖っ毛の頭を掻いて呆然とするしかなかった。
「んだ?こりゃ…」
控室のドアの縁に赤黒い汚れを見つけて、命斗はその場にしゃがむとじっと目を凝らした。
(おいおい、よせよ。今日の俺は血生臭さとは無縁の恋愛小説家だぜ?)
命斗がうんざりした顔で項垂れると、向こうから見知った顔が駆けてきた。
「あ、めめさーん!」
「よっ、咲ちゃん」
咲蘭は膝に手をついてふうっと呼吸を整えると、命斗を見上げてニッと白い歯を見せた。
命斗と彼女は映画化した『小説の原作者』と『主演女優』の関係なのだが、ふたりはイベントで何度か顔を合わせるうちにあだ名で呼び合う仲になっていた。
(めめさん、口は悪いんだけど…会うとホッとするんだよね。初めて会った気がしない、というか…)
水嶋の事件以来、プライベートでは他人と距離を置くようになった咲蘭も命斗とは親しくしている。彼はまるで旧来の友人であるかのように、咲蘭の気持ちを汲み取ってくれるのだ。
「どうした?もうすぐ開演だろ?」
「友達を探していて…めめさんこそ、どうしてこんなところに?」
「うん?ああ、ネタ探しを…ちょっとな」
「ネタ探し?新作のですか?」
人気小説家のネタ探しと聞いて、咲蘭がパッと目を輝かせる。
命斗は「そっちじゃない」と言いかけて、うぐっと言葉を呑み込んだ。じゃあ、どっち?と聞き返されたら返答に困る。27歳の大人命斗が腐男子であることは、絶対の秘密なのだ。
(ったく、しょーもねー)
悔しくもそれが作家・迷迷ひつじのデビュー条件である。
「愛駆ける君に」は大衆が望む通りに男女で織りなすラブストーリーで出版され、映画化した際も駆け出しの人気モデルだった咲蘭がヒロイン役として採用されたのだが…持ち込み当初はボーイズラブを描いた作品で、命斗自身はこの小説を維千×芦屋で脳内再生していた。
(愛君のイメージを崩したくねえんだろーが…こっちのが本家だっつーの。自由に愛しあって何が悪いんだよ)
内容はそのままに登場人物の性別だけを変えて、それだけでこんなにも評価が違うことに命斗は今もモヤモヤしている。
(他人様の顔色ばかり伺いやがって。大人にはなりたくねーなあ)
不本意だが出版社に口止めされては、さすがに命斗も無視できない。
「…まあ、そんなところ」
子供の命斗ならけしからん妄想と鼻血を止めどなく噴出して熱く語りだすところだが、大人の命斗は咲蘭に何とも歯切れの悪い返事をして苦虫を噛み潰した。
「そんなことより、友達は見つかったのか?」
咲蘭はふるふると首を横に振って、自嘲めいた笑いを浮かべた。
「彼、帰っちゃったのかも。強引に連れて来ちゃったから」
「ふーん…彼、か」
命斗が意地悪っぽい笑いを浮かべて、咲蘭が耳まで真っ赤になる。
「い、いやあ…なはは!た、ただの友達ですよっ?!もう全っ然、相手にされてないですから!人気モデルの面目丸、潰、れ!」
「ふーん…相手にしてほしいのか」
「なっふ?!だから、そぉーゆぅーのじゃないんだってば!!」
たじたじになった咲蘭が次から次へと墓穴を掘るので、命斗は面白くって仕方がない。打てば響く咲蘭の淡い恋心は、妄想が捗らず欲求不満だった命斗のいたずら心に火をつけた。
「あんたみたいにかわいい子、俺なら放っておかないけど」
「なはっ!?」
命斗がふっと企んだ笑顔になって、咲蘭は勘弁してくれと顔で訴えた。
「それで?友達ってのは、どんなだ?」
「ど、どんなって…背が低くて、髪が長くて、赤い目の…」
(背が低くて…髪が長くて…赤い目の…)
咲蘭から得た情報をもとに命斗がその人物を思い浮かべる。そういえば、思い当たる人物がひとり…。
「うおおい、サラくんじゃねーか!?」
「めめさん、お知り合いですか?」
「知り合いも何も…」
スピッツの内部情報を握るサラは貴重な情報源であるからして、命斗が所属する国家警察は喉から手が出るほど彼を欲しているのだが、平和維持軍の上層部にいるイルカが筋金入りの警察嫌いで頑として引き渡しを拒否している。
何よりイルカ×サラは今、最も熱い命斗の推しカプであった。
命斗は両手で頭を抱えるとこの世の終わりを見たかのように、膝からドシャっと崩れ落ちた。
「クッソッ!サラくんの嫁はイルカさんじゃねーのかよっ!俺のラブスクエアが!!…いや、これはむしろペンタゴンの予感?!」
「あの…何の話ですか?」
「悪りぃ、こっちの話だ」
命斗は左手で顔を覆い、右手のひらを咲蘭に向けて突き出すと、何かを振り切るように首を横に振った。
「探すの、手伝ってやる」
「なっふ!?もうすぐ開演ですよ!?もう戻りましょう。放っておいたら、そのうちひょっこり現れますよ」
「いいや、ぜってー見つけ出す!!」
理由はさっぱりわからないが命斗は伸脚運動で体を温め、咲蘭がドン引きするくらいに気合い十二分だ。
「ええっと…お気持ちは嬉しいんですけど。さっきから探しても見つからないどころか、誰も見当たらなくて」
こうして話している間にも誰かとすれ違いそうなものだが、廊下は不気味に静まり返っている。
「…なんだか、嫌な予感がする」
「同感だ」
ふたりが廊下の向こうに目を向けたちょうどその時、1人のじゃじゃ馬娘が水色の髪をなびかせ、そこを駆け抜けた。
「ほた…」と言いかけて、命斗がハッと言葉を詰まらせる。蛍と顔を合わせたのは子供の命斗だから、この姿で彼女に声をかけては不自然だ。
(だあっ!まどろっこしい!)
命斗は苛立ちをため息に変えて頭を掻きむしると、蛍に向かって声を張り上げた。
「ちょっと、あんた!」
「え?」
パッと振り向いた先に咲蘭と命斗を見つけて、蛍は肩で息をしながらうっと半べそになった。
「やっと見つけたぁ…!」
たった2、3分、蛍にとっては長い時間。いくら走り続けても人影なんぞ一向に見当たらず、蛍の心は挫けそうになっていた。
サラには「混乱は避けたい。会場には悟られないように」と言われていたが、背より腹である。
(この人たち、どう見ても警備じゃないけど…って、あれ?どこかで見覚えが…)
女性のほうは驚異的な小顔の上に長い緑髪をお団子にして、スラリと長い手足が彼女の大人びた雰囲気を引き立てている。
男性の方は黒々とした癖っ毛を七三のアップバングにして、ややつり目がちの大きな目がやんちゃな印象を与えた。
(どこかで…)
蛍が組んだ腕の右手を顎に当て、記憶を遡る。会場に入場したときに受付で手渡されたパンフレットを思い出して、蛍はハッと閃いた。
(えっ?!もしかして、咲蘭さんと迷迷ひつじさん?!本物?!)
他国の王族を前にしたって全く動じない蛍が、憧れの著名人を前にしてガチガチに緊張してはデレデレと鼻の下を伸ばし、そわそわと落ち着きがなくなる。
「どうした?」
息の仕方を忘れたかのようにいつまでも口をパクパクさせている蛍に、命斗は痺れを切らせた。
「そ、そうよ!サイン…じゃなくて!憑物!憑物が出たんです!」
蛍は口で必死に訴えながらも、その両手は咲蘭の手をちゃっかりガッシリ握っている。
(この蛍ちゃんは…ただでは起きねーな)
命斗は目を半眼にして、白けた視線を蛍に向けた。いつぞやに出逢った蛍はもう少し慎ましかったのだが…こちらの蛍はどうやらタフならしい。
「憑物は何体だ?どこにいる?」
「1階に大きいのが1体です」
「おいおい、憑物は負の感情の塊だぜ?その根源は欲望だ。欲望は止まるところを知らず、どんどん膨れあがる。憑物は軒並みでかいもんだ」
「そ、そうですか…」
「あったぼーよ。あんた。そんなことも知らずに、この世界は生き抜けねーぜ?」
命斗の言葉にカチンときたが、魔法が繁栄するこの世界で蛍は確かに無知でか弱い。言い返したい言葉は山ほどあったが、蛍は反論を胸に留めた。
(知らなくて当然じゃない。魔法のないガルディに、憑物なんて災厄は存在しなかったんだから)
所詮、常識なんて小さな世界で培ってきた偏見だ。自分の世界を飛び出せば、新しい世界が際限なく常識をひっくり返してくる。
蛍はいっそ『自分の無知を知る自分』こそ博識なのではないかとすら思えたが、そうだとしてもその世界で生きる以上、その世界の常識を知らないでいることはしばしば罪であるかのように責められた。
世知辛い話である。
「そんな…憑物だなんて。会場のみんなが危ない!早く避難を…」
咲蘭が顔を蒼白にしてパッと駆け出すと、命斗は彼女の肩をガシッと掴んで引き止めた。
「ちょい待ち。憑物が出たなんて、言ってみろ。今に会場がパニックになるぜ?避難を促すのは危険だ」
「だけど、このままじゃ…」
困惑する咲蘭をそっと手で制して、命斗は顎に手をやり黙考した。
「おい。憑物は今、どうしてる?」
「友達が足止めを…」と言いかけて、蛍は言葉を濁した。蛍と同年代の人間が足止めしているだなんて、余計に不安を煽るかもしれない。
案の定、咲蘭はサッと表情を曇らせたが、命斗は至って冷静だった。
「そうか。それは助かる」
蛍の友達とは恐らくサラのことだろう。そうでなくとも、平和維持軍の関係者である可能性が高い。
(だとしても、放ってはおけねーな)
ここ、デンチャー文化ホールの客席数は約1500席。それを超える数の命が危険に晒されているのだ。
(ったく…休日出勤はマジ勘弁だぜ)
咲蘭が不安げな表情で見つめ返してくる。蛍が必死の目つきで助けを求めてくる。
命斗はボリボリと頭を掻いていたが、ついに観念して大きなため息を吐いた。
「しゃーねえ。頼りになる知り合いがいっから、あんたらはここで待ってな」
「あっ!ちょっと、めめさん!」
命斗は困惑するふたりの間をタタッと駆け抜け、廊下の角にサッと姿を消してしまった。
「行っちゃた…」
咲蘭と蛍が顔を見合わせ、呆然と立ち尽くす。しばらくそうしていると、廊下の角からビー玉のように真ん丸の目をきらきらさせて、9歳前後の少年がひょっこり顔を出した。
「あっれれ〜?蛍ちゃん?」
思いもよらない人物の登場に、咲蘭と蛍が完全にフリーズする。
少年の不自然な登場に彼の正体が迷迷ひつじであることを確信して、咲蘭は顔を引き攣らせた。
「いやいやいやいや、遊んでいる場合じゃないってば!めめさ…」
「命斗さん!!いらっしゃっていたんですね!」
(ええーっ?!蛍ちゃん?!)
迷迷ひつじの嘘くさい演技を蛍が何の疑いもなく信じたので、咲蘭はますます表情を強張らせた。
「うんっ!大人気小説家の迷迷ひつじくんが僕の親友でね。彼にお願いされて、国家警察のみんなといっしょに警備のお仕事をしにきたんだよ!でもでも、さっき迷迷ひつじくんが走ってきて、憑物が出たーって言うから…」
「迷迷ひつじさんから憑物の出現を伝え聞いて、助けに来てくれたんですね!」
「そうそう、それそれー!」
(蛍ちゃんに要約されてる…めめさん。作家のくせして、説明が下手くそだね)
咲蘭の冷ややかな視線を受けて、命斗はえへへとぎこちない笑いを浮かべた。
「あれ?迷迷ひつじさんは…」
「蛍ちゃん。めめさんなら目の前に…ん?」
命斗にちょいちょいと裾を引っ張られて、背の高い咲蘭がぐっと腰を落とす。命斗はニコッと可愛らしく笑うと、咲蘭の顔をずいっと覗き込んだ。
「咲。てめぇ、ぜってーバラすなよ」
子供らしい天使の微笑みにドスを効かせた27歳の声で忠告されて、咲蘭がサーッとドン引きする。
そんな彼女の様子など気にも留めず、命斗は蛍をくるっと振り向くと愛くるしい笑顔を浮かべた。
「迷迷ひつじくんはね、トイレだよ!」
「トイレ?!こんな時に?」
自分のことは棚に上げて、蛍がボソッと文句を垂れる。
「えへへ。彼は繊細なところがあるからね」
「絶対ないっ!」
命斗の語尾を打ち消すように言葉を重ねて、咲蘭は『繊細な命斗』なる想像し難い人物像を強く否定した。
「めめ…」
咲蘭が危うく口を滑らせそうになって、命斗がギラッと眼鏡を白く光らせる。
咲蘭はもごもごと口ごもって苦笑いを浮かべると、小さく両手を挙げて静かに降参した。
「命斗くん、だっけ。避難せずにどうするつもり?」
「えっとね。咲蘭ちゃんは会場の警備に伝えて。すぐに魔法結界を敷いて、会場をシェルターにするようにって。あとは…誰も会場から出ないように、トークショーをうんと盛り上げて欲しいな!一世風靡する咲蘭ちゃんならお茶の子さいさーい、だよね?」
「言ってくれるじゃない」
咲蘭のおでこがテカッと光る。命斗がニヤリと挑戦的に笑うので、咲蘭はニッとやんちゃに笑い返してやった。
「さーてと。それじゃあ、蛍ちゃん。案内をお願い…わわっと?!」
「こっちよ!命斗さん、早く!」
命斗が頭の後ろに手を組んでクルッと踵を返す。蛍はすぐさま彼の手を取って、一目散に駆け出した。
「待ってなさいよ、憑物!」
「待っていろよ、萌え!」
蛍に半ば引きずられながら、命斗は少し長めの袖でじゅるりとヨダレを拭っている。
「えっと…大丈夫かな」
咲蘭は廊下に点々と残るヨダレを呆然と見つめ、苦々しい顔でふたりを見送った。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
命斗くんが登場するといつも物語が乗っ取られそうになりますね…強烈_(:3」z)_
本編を書くのに脳みそ使いすぎて、後書きを書く力が残っていない…すみません。
次話も粗方書けているのですが、疲れが出てきたのでちょっとひと休み。
次回はサラくんが大ピンチ!あと、命斗くんのちょっとカッコイイシーンあります笑
マイペースな作者とクセ強めの登場人物たちを引き続き、何卒よろしくお願いします。




