第28歯 君が知らないところで、君は誰かの特別になっている
廊下ではスタッフ達が忙しなく走り回っているのだろう。控室の薄い壁の向こうで、ドタバタと騒がしい音がしている。
人気恋愛小説「愛駆ける君に」の豪華トークショーが始まるまで、もう1時間を切っていた。
(…似てる)
鏡に映り込んだサラは褐色の肌を白く塗り、下ろした長髪は毛先が外向きに跳ねている。サラがもう少し華奢だったなら、誰も自分が男性であることを見抜けないかもしれない。
その姿は幼い頃、こっそり見に行った舞台で女形を務めていた父にそっくりだった。
「あなたをお慕い申しておりま…」
記憶に残る父を真似て、台詞をひとつ口にしてみる。
「す」
サラは伏せた目をそっと開き、ゆっくりと顔をあげた。
「な…は…?」
「あ…違っ…」
サラの目と咲蘭の目が鏡越しにぱちんとあう。咲蘭がカアアッと耳まで赤くするので、サラは必死の形相でふるふると首を横に振り、サッと顔を伏せてしまった。
(ななな、なに!?今の。急に…えっ?)
大太鼓を乱れ打つように、心臓がバクバクする。サラの仕草からどうやら咲蘭に向けた言葉ではないようだが、突然のことに咲蘭は気が気でない。
台詞も台詞だけに色々と問い詰めたかったが、サラは抱え込んだ膝に顔を埋めてしまった。
(あ、逃げた。うーん…気になるけど、機嫌損ねて帰られても嫌だよね)
興味もないのに無理に連れてこられて、彼は朝からいつにも増して取っ付きにくい。
(本当に興味がないんだね…あーあ、ショック)
咲蘭はなははと苦笑いを浮かべて、紅をさす手元に集中した。
(クラスメイトに認知されていなかったなんて…まだまだ頑張らないとだね、私)
(さっさと帰りたい)
咲蘭とサラはそれぞれに憂鬱を抱えて、同時にガクッと肩を落とした。
互いが互いをチラッと見やる。咲蘭のほうは気恥ずかしそうに目を逸らしたが、サラのほうはどこ吹く風だった。
(なんで俺、ここにいるんだろう)
サラは甚だ疑問だったが、その原因は恐らく頼まれたら断れない己の性分にある。
頼んでおいたチケットを受け取ったら、咲蘭とは隔てを置くつもりだったのだが…
「舞台裏の入場許可を得たから、観にきて欲しい」なんて言われて、断るに断れなかったのだ。
流されることを選んだのは自分自身なのだから、あまり文句はいいたくないが…この格好にはさすがに居心地が悪いと言わざるを得ない。
(スキャンダルが怖い、か。なにもここまでしなくたって…事実無根の噂なんか、否定して放っておけばいい)
スキャンダルが炎上すれば、モデル・女優の咲蘭にとって大きな痛手となる。下手すれば命取りになりかねない。
しかし、彼女とサラは友達どころか知人以下である。なんなら、そんなに話題になるのが嫌なら端から関わらなければいいとすら思っているくらいだ。
(そんなに恐れているなら、どうして俺に関わろうとする…興味本位か?お節介か?)
彼女は「いっしょに勉強できる友達」を探し求めていたようだが、体調不良で講義を休みがちなサラは不向きではなかろうか。
もし、サラの特徴的な容姿をおもしろがっているのならば失礼であるし、クラスで孤立するサラを気にかけているのならその押し売りの厚意はありがた迷惑でしかない。
(理解に苦しむ)
咲蘭の取り扱いにサラが頭を悩ませていると、遠慮がちにノックの音がした。
「失礼しますっ!」
「どうぞ」
咲蘭が背中で返事をすると、若い男性スタッフがひとりキョロキョロと落ちつきない様子で入ってきた。
「あ、あの!咲蘭さん、おはようございます!」
「おはようございます」
咲蘭は椅子ごとくるっと振り向いて笑顔を返したが、サラに向けるそれとは打って変わって表情があまりにも堅苦しい。
それでもスタッフの彼は咲蘭をキラキラした目で見つめて、「わあ!本物だ!」と小さな歓声をあげた。
「僕、ずっと咲蘭さんのファンで…あの!今日はよろしくお願いします!」
「ああ…うん、ありがとうございます」
咲蘭のなんとも歯切れの悪い返事に、先程まで活気に満ちていた彼の勢いは失速し始めた。
「ええっと…あの、咲蘭さん。水嶋さんはどちらに置きましょうか?」
スタッフの彼がスッと横に避けて、サラは目を丸くした。
そこにいたのは体のあちこちに管を繋いで、ティルト・リクライニング車椅子に座ったまま動かないひとりの青年だった。
「チケット通りにお願いします」
「チケット通り…ですか」
「はい。必ずそこに。いちばんよく見える席なんです」
「はあ」
スタッフの彼が不思議そうな顔をするので、咲蘭は声をわずかに苛立たせた。
「あの。お忙しいと思いますので、私が連れて行きます」
「いえ!態々そんな…僕の仕事ですので」
スタッフと咲蘭の押し問答はしばらく続いたが、最後には咲蘭が笑顔で押し切り、戸惑うスタッフを追い返してしまった。
(また物扱い。動けなくたって、喋れなくたって、ちーくんは確かにそこで生きているのに)
咲蘭は歯痒くて悔しくて、溢れ出そうになる涙を奥歯を噛み締めてぐっとこらえた。
水嶋は今も車椅子の上でわずかに胸を上下させている。呼吸をしている。生きている。
(あーあ、やっちゃった)
咲蘭はスタッフの心ない対応にも、冷静さを欠いた自分の態度にもガッカリした。
(いけない、いけない!笑顔よ、笑顔!)
咲蘭がしょぼくれ顔を笑顔に変えてパッと前を向くと、サラがきょとんとした顔で彼女をじっと見つめていた。
「ごめん。びっくりさせたかな?」
「少し」
サラの正直な言葉に、咲蘭は「なはは」と眉を下げて笑った。弱々しくどこか疲れを感じさせる笑顔になにかを察して、サラは彼女が話したくなるのを静かに待った。
「彼ね、私の幼馴染なの。水嶋青梗斎って…とっても陽気な奴でね!能天気で優しくて、いつも私を励ましてくれて…それで、えっと…」
サラの変わらぬ視線が怖くなって、咲蘭の声が段々と小さくなっていく。
(なはは、引いちゃったかな…)
目覚める見込みのない水嶋をファンの誰もが羨む特等席に座らせて、サラもあのスタッフのように困惑しているかもしれない。
(私、やっぱりおかしいのかな)
事件からもう2年が経つ。水嶋の容態が安定してからはこうしてショーに同行しているのだが、咲蘭がどれだけ会場を賑わせても彼が目を覚ますことは一度たりともなかった。
(いちばんのファンだって言ったくせに…いつまで寝てるんだか)
咲蘭は車椅子のそばにしゃがむと、水嶋のだらりと力のない手をぎゅっと両手で握った。
「ちーくん、おはよう。今日はね、ちーくんに紹介したい人がいるの。お友だちの…」
咲蘭がゆっくりとサラを振り向く。振り向いたはいいがまっすぐな赤目に気後れしてしまい、彼女は言葉を詰まらせてそのまま固まってしまった。
(友達なんて言ったら怒るかな?チケットを受け取ったってことは、友達でいいってことだよね?でも、半ば強引だったし…)
サラはスッと立ち上がるとそこで頭を悩ませている咲蘭を素通りして、水嶋の隣にそっと腰をおろした。
「俺はサラ。ジョニー魔法学校2年普通科の、ただの生徒。それと…彼女の友達をしている」
サラが自己紹介を始めるなんて考えもしなかったから、咲蘭はポカンと開いた口が塞がらない。
サラは顎に手をやり考える仕草をしていたが、他に何も浮かばなかったようでそのまま沈黙してしまった。
「それだけ?」
ガクッと拍子抜けした咲蘭の手から、水嶋の手がスルッと滑り落ちる。
サラは水嶋の手をそっとすくいあげて、コクリと頷いた。彼は自己紹介こそしたが、相変わらず他人を寄せつけない仏頂面のままだ。
(仲良くしたいのか、したくないのか…ただ単に素直じゃないだけなのかしら?もしかして、ツンデレってやつ?)
咲蘭はその矛盾した行動がおかしくなって、ぷっと吹き出すとなははと声にして笑った。
「気持ちは嬉しいけど…君、表情が怖いんだってば!てか、友達をしてるって何?」
咲蘭に独特な言い回しを指摘されると、サラは難しい顔になって不思議そうに首を傾げた。
「自己紹介をするなら笑顔でね。人は鏡なんだよ?仲良くしたいなら、自分から笑わないと」
「…仲良くしたいわけじゃない」
「はいはい、わかったわかった」
サラが否定しながらも、取ってつけたように笑ってみせる。その不器用な笑顔がおかしくて、咲蘭は子供の言い訳を聞き流すように曖昧に返事をすると目に涙を溜めて笑い転げた。
「もー!君が笑わせるから、涙でメイクが崩れちゃうよ」
「ごめん」
「ああ、謝らないで。責めているわけじゃないから。こんなに笑ったのいつ以来だろう?むしろ、ありがとうだよ」
「ありがとう?」
「うん、ありがとう。今日のトークショー、とびっきり綺麗な私をみんなに届けられそうだから。笑顔はね、メイクよりも魔法よりも人を綺麗にするんだよ」
咲蘭に屈託のない笑顔を向けられて、サラは嬉しそうに目を細めると彼女につられてふっと微笑んだ。
「本当だ。とてもきれい」
「なふっ?!」
サラの不意打ちのひと言に、咲蘭のハートがズキュンと打ち抜かれる。
「やだっ!もうそんな…綺麗だなんて、そんなこと…あるけど」
咲蘭は顔を真っ赤にして慌てふためくと、左手を頬に添え、右手でバシバシとサラの肩を叩いた。
対するサラは敵の感知能力こそ抜きん出ているが、乙女心の感知能力はこれっぽっちも持ちあわせていないようだ。
彼はひとり浮かれる咲蘭をほったらかしにして、車椅子のグリップを握った。
「水嶋さんは俺が連れて行く。君はショーに集中して」
「それは助かるけど…そのまま帰らないでよ?」
「その手があった」
「その手はないんだってば」
サラがスッキリした顔をしてポンと手を打ったので、咲蘭は彼が本当に帰ってしまうのではないかと心配になる。
「大丈夫」
「本当に?」
咲蘭にしつこく疑いの目を向けられて、サラは困ったふうに小さく笑った。
「大丈夫。必ず行く」
「なっ?ふっ?はっ?」
突然サラに抱きしめられて、耳元で響いた声に咲蘭の頭は真っ白になった。
真っ赤になって取り乱す咲蘭を他所に、サラは車椅子のブレーキを外すと何食わぬ顔で会場に足を向ける。
「初対面とふたりきり…少し気まずいかな」
サラは気を遣っているのか、水嶋に向けてぽつりぽつりと辿々しい独り言を呟いている。その声は、いつもの彼と何ら変わりなく物静かだ。
(それだけ?!抱きしめておいて、それだけなの?!なんて思わせぶりかつマイペース…)
「あ。よかったら、歌おうか」
声にならない声をあげていた咲蘭がはたと正気に戻る。
(歌!)
サラが大きく息を吸い、咲蘭がゴクリと息を呑む。
彼女の期待を大きく裏切って、聞こえてきたのは半端な高さの間抜けた裏声だった。咲蘭は拍子抜けして、ズルッとずっこけてしまった。
「なんで裏声?!」
「まだいたの?」
パッと振り向いたサラはまさか聞かれているとは思っていなかったようで、彼には珍しく目を見開いて驚いている。
「いかなきゃだけど!君が気になって離れられないの!急に抱きしめてくるし」
「お約束の、ぎゅ」
サラが真面目な顔で言う。
「君は指切りみたいな感覚で他人を抱きしめるんだね?!急に歌い出だしたかと思えば、裏声だし」
「この格好に地声は不自然で目立つ」
サラがキリッと表情を引き締めて、大真面目に言う。
「裏声こそ目立つよ?!てか、そこは気にするところじゃない」
咲蘭の突っ込みは背中で聞き流して、サラは間抜けな歌声を廊下に響かせながら、水嶋と共に廊下の向こうに消えてしまった。
「まさか、こんな珍妙な生き物だったとは…」
咲蘭がサラを意識し出したのは、水嶋の見舞いのためにティース都立病院を訪れたときだ。
水嶋の身の回りの世話をしていると、ふいに響きのある歌声が聞こえてきて、咲蘭は思わず子供や病院スタッフで賑わう談話室を覗いた。
その輪の中で子供たちの手を取り、堂々とした歌声を披露していたのがサラだ。
サラがその歌声を披露することは滅多にないらしく、咲蘭はそれまでずっと気がつかなかったが、どうやら彼は定期的に小児病棟を訪れてパフォーマンスを披露しているらしかった。
(…ちーくん?)
咲蘭が談話室から戻ると、水嶋の瞼がほんのわずかにピクリと動いたのだ。
それからというもの。サラがクラスメイトだと知った咲蘭は、これまで仕事にかまけておざなりにしていた講義に可能な限り出席し、彼に話しかける機会をずっと伺っていたのである。
しかし、クラスでの彼はパフォーマンスを披露している時とはまるで別人で、他人を寄せつけようとしない。人嫌いには見えないのだが、まるで他人と親密になることを恐れるように距離を置こうとしていた。
その姿が他人に怯える自分に似ていて、咲蘭はますます彼を放っておけなくなったのである。
(私にはあんな風に話しかけてくれないよね)
サラが歌っていた歌を口ずさんで、咲蘭は苦虫を噛み潰した。
「なはは…ひっど」
暗い森を彷徨うように、あるいは翼の折れた鳥のように、ふらふらと彷徨う調子は我ながら見事な音痴っぷりだった。
ここまで読んでくださった方々、足を運んでくださった方々、本当にありがとうございます!
サラがガリヴァーノンと温かいスキンシップを取っていたのは、4歳くらいまでなので…サラのスキンシップは4歳で止まっています。
彼の頭では男女関わらず、「元気がないとき、不安なとき→ハグ」となっているので…彼はハグ魔ですね。
咲蘭は大人びたお姉さんキャラのはずだったのですが…どうもサラには素がでちゃうみたいです(´⊙ω⊙`)
水嶋青梗斎…ふざけた名前ですが、まあ彼の親がベジタブランド出身なんでしょう。
厳しい寒さがやってくるそうです。
読者のみなさん、身体を温めてくれぐれもご自愛ください。




