第21 歯 隣の芝は青く見える
牛よりもずっと大きなカラスが濡れ羽色の翼を羽ばたかせて、冷たい夜風を切るように飛んでいた。
「もーっ!鬱陶しい!あんた、前髪切りなさいよ」
先程から視界にチラついている黒い前髪をかきあげて、蛍はかき消されまいと鳥の囀りのような声を張り上げた。
「他人の髪型に文句言わないでよ」
「もみあげも長すぎて、さっきから口に入ってくるのよ!あんた、ごはん食べるとき、髪の毛食べてない?」
「食べてないってば!」
蛍…の姿をした姫魅が高い声で叫ぶと、ふたりを乗せたカラスは怒ったようにカアッ!とひと声鳴いた。
風に煽られたカラスが大きく揺れたので、姫魅…の姿をした蛍は振り落とされまいとその羽にしがみついた。
(不思議…羽の先まで温かい…)
このカラスは姫魅の心だという。心を具現化させたものを九十九と呼ぶらしく、1年生程度の実力では到底扱えない高等魔法なのだそうだ。
(そういえば、イルカさんも…)
イルカもまた大きな白虎をタマと呼び、連れていた。
九十九は桜の開花に準えて、その等級を表すという。イルカの九十九は言葉を流暢に話していたが、それは九十九の中でも最上位、五分咲きにしかできない芸当だそうだ。
五分咲きの九十九は平和維持軍の隊長でも、ほんのひと握りしか持たないというのだから、イルカの実力は相当のものなのだろう。
「僕はおでこが出ていて、落ち着かないよ」
姫魅は左に流した長い前髪を押さえて、ずっと居心地悪そうにしている。
ふたりは魔法の特訓を終えインプラントに戻ると、維千と別れるなり早速、姫魅の魔法でお互いに化けた…のだが。当然ながら心まで似せることはできず、ずっとこの調子で互いの容姿に不満をぶつけ合っている。
「壁がないと落ち着かないなんて…これを機にちょっとは外交的になったらどう?根暗くん」
「根暗…くん?!」
姫魅はパッと振り向いて蛍に抗議の目を向けたが、口をもごもご動かすだけで否定することができなかった。
姫魅の内気はネルも心配しているところだ。自分から他人に関わることができず、それでいて1年生に不釣り合いな魔法をサラッと使うものだから、憧れを通り越して嫉妬され変な噂が立ち、姫魅はクラスで孤立していた。
(他人と違うことがそんなにいけない…?)
そんな態度を取られたら、引っ込み思案の姫魅はますます動けない。
自分は至って普通の少年だ。朝は起きられなくてネルにどやされるし、小さなコンプレックスであるやや低い身長に、思春期らしく深刻になっている。魔法だって姫魅の村ではこのくらい使えて当然だった。こんなことを言ってはまた、「バカにしてるの?」と蛍に怒られてしまいそうだが、姫魅にしたらなぜ魔法が使えないのか不思議でならない。
村を一歩出ただけで世界の常識はガラリと変わり、自分に向けられる目は冷ややかになってしまった。
普通という概念はこんなにも脆い。みんなは自分が世界の中心にいて、自分の知る社会が誰もの常識だと思い込んでいる。
だけど違う。きっと普遍的な「普通」など、どこにも存在しないのだ。
(…しょうがないじゃないか。何を信じたらいいのか、わからないんだから)
他人に興味がないわけじゃない。以前は兄とふたりでやんちゃの限りを尽くし、周囲の手を焼かせていたくらいだから、賑やかなのはどちらかといえば好きだった。
4年前の出来事は、素直で明るかった姫魅を根暗な人間不信に変えてしまった。姫魅は誰と話していても、いつかどこかで手のひらを返される気がして、どんな言葉も笑顔もそのまま受け入れることができなくなっていた。
ネルと暮らし始めた当初は、温かい笑顔を向けられる度に嘔吐していたものだ。気持ち悪い…気持ち悪い…気持ち悪い…本音を隠した偽善がねっとりとすり寄ってくる感覚がして、心をこの上なく不快にさせる。
今ではそれも落ち着いたが、やはり殻にこもっているほうが気は楽だった。
(僕だって…みんなとはしゃぎたい。でも、昔の自分には戻れないし…未来の自分も見えてこない。僕は確かにここにいるのに…抜け殻のように空虚で、まるで僕がいないみたいだ)
蛍のように自分を強く持って、他人と関われたならどんなにいいだろう。姫魅はいつも自信に満ちている彼女が羨ましかった。
「そんなんであんた、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。うまくやるって…蛍こそ、大丈夫?」
「心配無用よ!演技には自信があるの」
蛍はフンッと鼻を鳴らして豪語したが、本音は不安でいっぱいだった。
姫魅は魔法基礎学の教師カーネル・サンダースと同居している。蛍は明日の試験終了まで、彼を騙し続けなければならなかった。
姫魅もそれを危惧しているようで、力強い目に不安の色を滲ませている。
(私の顔でそんな気弱な表情するんじゃないわよ)
蛍はせっかく奮い立たせた気持ちを根本から折られるような感覚がして、嫌悪感から眉根を寄せた。
蛍は気弱になるほど、気丈に振る舞う。それは一国の姫として年齢に不相応な期待と課題を強いられてきた彼女が、うまく世を渡るため身につけた術だ。
自信があるわけではない。自信がないならこそ、自信があるように振る舞って自分を騙しているのだ。
だからこうして気弱な自分を見ているのは、自分の本性を突きつけられているでどうしようもなくイライラする。
姫魅のように、自分に素直でいられたらどんなにいいだろう。
「なに?」
「何よ?」
互いが互いに憧れとコンプレックスを抱いて、ふたりはじっと見つめ合ったままやきもきしている。
実は似た者同士だなんて知る由もなく、ふたりを乗せたカラスは住宅街の一角に建つマンション前に舞い降りた。
隣の芝ってなんであんなに青く見えるんでしょうね笑
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。作者が嬉しいのはもちろんのこと、登場人物たちにとって何よりの幸せです。
僕のオリキャラ活動…自己満足でしかないと思って、これまでぼんやり続けてきました。
いっしょに楽しんでくれる人がいないとやっぱりどこかで虚しくなって、限界が来るんですよね…時間と労力を費やして、才能皆無な脳みそを絞っているのに、楽しんでいるのは自分だけって笑
今、僕にはいっしょに楽しんでくれる読者の方々がいます。作者に片足突っ込んでいる読者もいます笑
背中を押されたので、Instagramでの活動もとある星物語を主軸にしたいと思います。
本当に本当にありがとう。
引き続き、のんびり気ままに書いていきます。
拙い文章ですが、おつき合い頂ければ作者、登場人物ともに幸いです。