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とある星物語  作者: 黒星
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第2歯 自分の常識は誰かの非常識

 蛍は夢を見ていた。自分がまだ「姫」と呼ばれていた頃の記憶だ。

 朽ち果てた何かに覆われた茶褐色の大地で、蛍とその一族は生きていた。

「この場所は、かつて火を吹く疫病神が焼き尽くした土地である」

「他国の廃棄物が風に運ばれやってきて、積もり積もって出来たのがこの大地だ」

「巨大兵器を覆い隠すべく、世界の神が作った大きな墓に他ならない」

 人々は荒漠たるこの地をあれやこれやと語り継ぐ。ひとつだけ確かなのは、ここが異質な空間として 旅人や客人を寄せ付けない場所であり続けたこと。

 そして、良くも悪くも「我々は特別(異質)である」という意識のもと、ひとつの王族に統治される国家として存続してきた歴史であった。

 夢の中で蛍は白い石造りの王宮を延々と走っていた。誰かに追われるように、誰かを探すように。

「お兄様!愛華お兄様!」

 いっちゃだめ、その角を曲がってはだめ、と頭のどこかで声がする。

 神殿のように厳かな柱がずらりと並ぶ渡り廊下で、蛍は足を滑らして転んだ。衝撃はあるのに、痛みがない。起き上がろうとするが、身体は鉛のように重たく動かない。蛍はありったけの声で叫んだ。

「涼風お兄様、どこ!?」


 バチンッ!!!


 夢の記憶は途切れて、視界がゆっくり明るくなっていくと共に現実に戻りゆくことを感じる。

 蛍がそっと目を開けると、ベッドに寝ている彼女を間に挟んで、イルカがサラの顔面に掌底を打ち込んでいた。蛍の足元で浦島がサラを指差し、「だはははっ!」と大笑いしている。

「おやおや、すみません」

 イルカが腕を退けるとサラの顔にくっきりと赤い手形がついており、浦島はますますおかしくなって呼吸をヒーヒーさせる。

 サラはじっと黙っているが、半眼になった彼の目はイルカを責めているようだ。イルカはあははと困り顔を浮かべて、真っ黒い何かを手に掴んだ。

 太いミミズのような体に大きくつぶらな目玉がついたそれは、ぐにゃぐにゃと形を変えて、イルカの手から逃れようとしている。

「もとはと言えば、サラ君が無茶をするからだろう?まったく、他人の負の感情を食べるなんて自殺行為だ。医者がいくら努力をしたって、君が君自身を大切にしなければどうしようもないんだよ。これに懲りたら、黒魔法なんぞ使わないことだ」

 白衣の青年がうんざりした表情を浮かべて、部屋の奥から現れる。彼は襟を正すと眼鏡越しにサラを睨んだ。細い目がさらに細くなって、心なしかサラの三つ編みがしゅんとしょげた気がした。

「とはいえ、チェンさん。負の感情…腹の虫はここまで大きく育っていたのですから。サラが黒魔法を使わなければ、彼女はいずれ憑物(つきもの)になっていましたよ」

 イルカは手の中でもがいている真っ黒な生き物を小瓶に放り込んで、キュッと蓋をきつく閉めた。腹の虫は小瓶の中で激しく跳ね回り、今にも飛び出しそうだ。

「自己犠牲では助けたことにならんよ。もっとも彼のはそのような美談にできるものでなく、ただの自暴自棄だろうがね」

 イルカが苦笑いを浮かべると、サラはしれっと目を背けてベッドの縁に顎を乗せた。

「まあ、そういうことだ。君。起きているのなら、まずサラ君に礼を言ったらどうかね?」

「一国の姫を君呼ばわりっすか」

「関係ないね。王族だろうがホームレスだろうが、僕にとっては同じ患者だ」

 浦島が表情を渋くすると、チェンはふんっと鼻を鳴らした。

「なぜ、それを…」

 蛍は耳を疑った。聞き間違いでなければ彼らは今、蛍を姫と、王族と呼んでいた。

 全員の視線を一身に受けて、蛍はごくりと息を飲んだ。イルカは優しく微笑んで、サラは無表情のまま、チェンは静かな目をして、浦島はニッと人懐っこく笑い…それぞれがそれぞれの眼差しを持って、蛍の言葉をじっと待っている。蛍は口をパクパクと動かすのだが、膨大な情報が頭を駆け巡って、言葉を紡げないでいる。その様子はまるで陸に打ち上げられた魚のようだ。

「礼が欲しくてしたんじゃない。無理に話さなくていい」

 サラは静寂にぽつりと言葉を落として、スッと目を伏せた。

「そうですね。こうなることを知りながら、サラが、勝手に、したことですから」

 イルカがにっこり微笑んで語気を強くすると、サラはうっと身体を強張らせた。彼の三つ編みがピンッと立ち上がって、気まずそうな赤目がイルカの様子をチラッと覗っている。

(イルカ君が怒ってる)

(イルカさん、激おこっすね。珍しい)

 チェンは物珍しげに、浦島はあんぐり口を開けてイルカを見つめた。蛍も吊られてイルカに目を向けるが、彼は変わらずに穏やかな微笑みを浮かべている。

「サラ。もしかして、まだ具合が悪いですか?」

「大丈夫」

 イルカが背中をさすってやると、サラは迷惑そうにその手を払いのけた。

 チェンはやれやれとため息を吐いて、イルカから小瓶を受け取るとコンコンと指先で叩いた。緑の炎がパッと燃え上がり、蛍が「きゃっ!」と悲鳴をあげる。小瓶の中の腹の虫は瓶ごと跡形もなく消えてしまった。

「魔法?!あなた達は魔法使いなの?」

「いかにも」

 チェンがカルテに何かを書き込みながら、顔も上げずにコクリと頷く。蛍はガバッと体を起こして、サッと表情を強張らせた。

「助けてもらったようだけど、礼は言わないわよ。魔法使いは悪魔の末裔でしょう?一体、なにを企んでいるのかしら…これ以上話すつもりはないわ」

「魔法使いが悪魔の末裔?いつの時代の話っすか」

浦島が呆れ返って呟くと、イルカはシッと口元に人差し指を立てた。

「ガルディはその歴史から、反魔法が根強く残る国です。加えて、ガルディ国内で諸外国と交流があるのは王族でも限られた人間だけですから…一国の姫君とはいえ、彼女がそう信じ込んでいるのも無理はないでしょう」

「なら無知を知るいい機会だ。君はこれを見ても同じことを言えるかね?」

 サラのシャツの裾をパッと捲し上げて、チェンが蛍を振り向く。蛍はおろおろと目のやり場を探したが、すぐに目を釘付けにした。

 サラの引き締まった身体には、ミミズが這い回ったような痛々しいあざがある。サラはチェンをひと睨みすると、シャツの裾を乱暴に引き下げた。

「サラ、やっぱり」

「大丈夫」

 サラはイルカの目から逃げるように、ベッドに突っ伏してしまった。

「わおんっ…なんすか、これ」

 浦島はサラのシャツをそっと捲って、興味深そうにあざをツンツン突いた。その瞬間、ビリッと激痛が走り、サラが蛇を前にした猫のように飛び上がる。彼は反射的に浦島の手首を掴むと、あらぬ方向に捻りあげた。

「いでででで!折れる折れる!ごめんっす!もうしない、もうしないっすから!」

 サラはパッと手を離すと、のそのそとベッドの端に腕を組んで顎を乗せた。浦島は叱られた仔犬のように目を潤ませて、赤くなった手首を労わるようにそっと撫でている。

「わおん…」

「浦島くん。このあざは打撲痕のようなものだ。体内で腹の虫が暴れ回った痕で、火傷のような痛みを伴う…1週間は引かんだろう。無茶して彼女を助けた代償だ」

「どうにかなりませんか?」

 イルカは顔に不安を滲ませたが、サラはどこ吹く風である。チェンはサラの頭を鷲掴みにするとガシガシと乱暴に撫でて、大きく息を吐いた。

「黒魔法なんぞ使うからだ。積り積もった他人の負を一時的にとは言え肩代わりしたんだぞ?食べた腹の虫を吐き出したところで、すぐに戻らんよ」

「ふーん。黒魔法って、使うとあざができるんすか?」

「使用する黒魔法によって症状は異なる。すぐに処置したから、これくらいで済んだが…中には命を落とすようなものもある。どんな理由があろうと、黒魔法には手を出さないことだ。この手の話なら、イルカ君に訊きたまえ。彼のほうが詳しいだろう」

「イルカせんせーい」

 浦島が手を挙げてパッと振り向くと、イルカは苦笑いを浮かべた。

「サラが使ったのは、腹の虫…つまり、他人の感情を奪い取る黒魔法です。今回は彼女に募った怒りや悲しみ、憂鬱などの負の感情を奪い、彼女が負の感情の塊である憑物に化けることを防ぎました。今回はよい使い方をすることで彼女を助けましたが…この魔法は、他人の幸福を奪うこともできるんです」

「魔法も黒魔法も使い手次第ってことっすね」

「はい。ただ、通常の魔法は心を力に変えますが、黒魔法は魂を削って自分に呪いをかけます。通常の魔法では得られないような効果…極端な例だと死人を蘇らせるようなこともできますが、黒魔法には代償が伴うため禁忌とされているんです」

「禁忌ねえ。そんな危険な魔法、どこで覚えたんすか」

 サラはムスッとしたまま、背中で浦島を拒絶している。浦島は頭の後ろに手を組むとハッと息を吐き捨てて、沈黙するサラの背に冷ややかな視線を送った。

「まあ、見当はつくっすけど」

「まあまあ、浦島くん。大目に見てやってください。サラはまだやり方を知らないだけで、僕らと同じく彼女を助けたかったんです。サラも安易に黒魔法を使わないでください。誰かを助けて、サラが苦しむのでは本末転倒です。先生とのお約束」

 サラは黙ったまま、手だけを小さく挙げた。その手の小指に小指を絡めて、イルカは勝手に指切りをしている。

「イルカさんはそいつに甘すぎるっす。本当に腹の虫を食べただけっすか?そんなに信用して、何かあったら」

「僕がサラを殺します」

 イルカは物騒な言葉を口にして、穏やかに微笑んだ。予想だにしなかった言葉に浦島はぎくりと固まり、蛍はギョッとしてサラに目を向ける。

「サラなら大丈夫。もう少し時間をください」

 イルカの笑顔には曇りがない。サラはわずかに顔をあげて、試すようにイルカを見上げた。

「さて。誤解は解けそうかね?悪魔の末裔がこんなになってまで、見ず知らずの人間を助けるかい?僕らは君に危害を加えるつもりはないよ」

 チェンに鋭い目を向けられて、蛍はごくりと唾を飲んだ。細かいことはわからないが、憎むべき魔法使いは身を挺して自分を助けてくれたらしい。

 どうやらガルディにおける魔法は、世界のそれと大きな差があるようだった。

(目で見たものが、耳で聞いたことが信じられない…理解が追いつかないわ)

 彼らに敵意はなさそうだが、自分はこのまま彼らを信用していいのだろうか。

 蛍はしばらく躊躇っていたが、パッと顔をあげると確かめるようにひとりひとりの顔を順に見た。彼らは蛍を見守るように、穏やかな目で見つめ返してくる。

(知ることが怖い。知りたくない。でも、私は知らなきゃいけない)

 蛍はぎゅっと拳を握り、固く結んでいた口をゆっくり開いた。しかし、なにから訊いたらいいのだろう。どこまで話せばいいのだろう。

「大丈夫ですよ」

 イルカがにっこり微笑んで、蛍の手にそっと手を重ねる。彼の温かさが伝わって、蛍の心はじんわりとほぐれた。

「あなた達に悪意がないことはわかったわ。だだ、あなた達は私の知っている魔法使いと随分違っていて…あなた達がなにを言っているのか、私にはわからない。何をどこまで信じていいのか、わからないの。とても…混乱しているわ」

「あなたの想像する魔法使いとはなんですか?」

 イルカの問いかけに「悪魔の力を…」と言いかけて、蛍はパッと口を手で押さえた。

「ええっと…魔法を使う者…かしら」

 当然と思っていたことを改めて訊かれ、蛍は困惑しながら答えた。正解なのか不正解なのか、蛍の回答にイルカは満足げに頷いている。

「そうですね。以前は『魔法を使えるのは魔法使いだけ』と考えられていましたから。しかし近年、大魔法使いジョニーと魔法倫理学者マナティによって、誰しも魔法を使える可能性があると証明されました。まだわからないことも多く、魔法を使えない人々は一定数いますが…今やパンピという言葉には、あえて魔法を使わない人々も含まれています。そして、僕らのいう魔法使いとは、特に魔法のスペシャリストを指すようになりました」

「誰しも?私も魔法を使えるってこと?」

「はい。使えます…というより、きっと日常的に使っていますよ」

「嘘よ!私、魔法なんか使ったことない」

「まあまあ。身近なものだと例えば…」

 イルカは考える素振りをすると、ハッと何かを閃いてポンッと手を打った。イルカにニコッと微笑みかけられて、蛍が思わず微笑み返す。

「誰かが笑えば、誰かが笑う。これも立派な魔法です」

「これが…魔法?これじゃ、ただの挨拶じゃない」

「ええ、そうですよ。当然のことのようですが…その当然が実は魔法で、魔法はありふれた出来事なんです。魔法は心ですから」

「そんな。魔法って、もっと恐ろしいものじゃ…」

もっと神秘的な奇跡のような、それでいて恐ろしく、強大な力のはず。蛍がチラッとサラを見やると、イルカは困ったふうに苦笑いを浮かべた。

「あれは黒魔法です。魔法には大きく2種類ありますが、黒魔法は『剥奪』の魔法で禁忌とされています。通常、使われるのは『付加』の魔法ですから…」

「魔法ってのは、もっとパッとして!キラッとして!ふわふわして、ぽかぽかしてるんす!」

「浦島君。遮っておいて、何ひとつ伝わっておらんよ」

 浦島がドヤ顔でガッツポーズをきめると、チェンは呆れ顔をして彼の後頭部をカルテの角で小突いた。

「黒魔法は君のいう通り、恐ろしい力だ。しかし、一般的に魔法とは君が想像するようなものではなく、もっと前向きな力を意味する」

「奪う…与える…?えっと…悪い魔法と善い魔法があって、私が思い浮かべているのは悪い魔法のほうだけど…実際に使われているのは善い魔法…ってことかしら」

「厳密には少し違いますが…そういうことです」

「うーん…わかったような、わからないような。前向きな力と言われても…」

 蛍が難しい顔をして唸っていると、サラがムクッと起きあがり、気だるそうにふうっと息を吐いた。彼がパンッと合わせた両手を開くと、揚げまんじゅうが現れる。

「魔法」

「揚げまんじゅう?どこから…」

 蛍はしばらく言葉を失っていたが、ハッと我に返るとイルカを振り向いた。イルカはゆっくり頷いて、蛍のきょとんとした顔に優しく微笑み返した。

「これが魔法です」

「サラ君のは、魔法か手品かわからん」

 チェンが目を細めて、サラの手元を注視する。サラは小さく笑うと、揚げまんじゅうをそっと握り、パチンと指を鳴らした。

「手品」

 サラがゆっくり手を開くと、そこにあったはずの揚げまんじゅうが消えている。ポケットに重さを感じて蛍が手を突っ込むと、そこにはなかったはずの揚げまんじゅうが入っていた。

「え?ええ?」

 一体何が起きているのだろう。次は何が起こるのだろう。蛍はいつの間にかきらきらと目を輝かせ、次々と起こる奇跡に胸を踊らせていた。

「あげる」

 サラは三つ編みを小さく揺らしてベッドに寄りかかると、顔からスッと表情を消した。

「ほへえー!手品ってことは、タネがあるってことっすよね?どれどれ…」

 浦島は揚げまんじゅうとサラを交互に見てキラッと目を輝かせると、サラの周りをぴょこぴょこと動き回り身体検査を始めた。

「おやおや」

 鬱陶しく覗き込んでくる浦島に、サラの眉根が段々と寄ってくる。パチパチっと静電気が流れるような音がして、イルカが「サラ、いけない」と釘を指した。

 不満げな顔をするサラの隣で、浦島がにししとイタズラっぽい笑いを浮かべている。

(出会ったばかりの私でもわかる。このふたり、とっても仲が悪い)

 歪みあうふたりに、蛍がヒクヒクと笑顔を引き攣らせる。イルカは困り顔でひと息吐いて、くるっと蛍に向き直った。

「残念ながら、魔法にはガルディで認識されているような恐ろしいものもたくさんあります。ガルディに言い伝えられている魔法は、恐らく黒魔法の最たるものでしょう。ですが、それだけじゃない。みんなが幸せになるような魔法もたくさんあるんです。魔法は心ですから…過去、現在、未来に生きる人々の数だけあるんですよ」

「そんな…」

 ずっと信じてきたものがガラガラと崩れ落ちて、蛍は谷底に落ちていくような気がした。

「理解が追いつかない…頭が痛いわ」

「おやおや…少し魔法から離れましょう。そういえば、自己紹介がまだでしたね。僕はイルカと申します。ここ、ジョニー魔法学校で魔法倫理学を教えています」

「ジョニー魔法学校…?」

「偉大なる大魔法使いジョニーによって設立された、魔法学校の超名門っす!」

 浦島がどーんっと胸を張って、ビシッと立てた親指を自分に向ける。蛍は室内をぐるりと見回したが、白で統一された無機質な部屋は学校というより病院のようだ。

「ここは魔法学校の医務室だよ。僕はチェン、医者だ。昨夜、うちの生徒といっしょに倒れていた君を彼らが拾ってきてね」

 チェンがこれ見よがしに大きなため息を吐くと、浦島がいたずらっ子の顔でにししと笑った。

「そう、そうだわ。私、チンピラに絡まれていたところを男の子に助けられて…ふたりで走って、逃げて…そしたら、彼が酸欠で倒れて…それで…」

 蛍が記憶を辿りながらぽつりぽつりと言葉を紡ぐと、一同は目を丸くした。

「ほう…姫魅(きみ)くんが君を助けた?」

「意外ですね。彼は目立つことを相当嫌うようですが」

「わおっ!男らしいとこ、あるじゃないっすか!」

「あの、彼は…姫魅さんは無事なの?」

 蛍がきょろきょろと首を振って、医務室を見回す。浦島は蛍の頭にぽんっと手を置いて、清々しい顔でニカッと笑った。

「無事っすよ!」

「よかった…」

「彼も君を心配していたようだが、ネル…鬼の形相をした保護者に引きずられて、泣く泣く帰っていったよ」

「鬼の…?泣く泣く?」

 チェンの言葉に蛍の不安が再燃する。昨夜の光景を思い出してか、浦島は目に涙を溜めて大笑いし、イルカは口元に手をやってクスクス笑っている。

「また会えるかしら」

 昨日は助けてもらっておきながら、彼にひどいことをしてしまった。もしまた会えたなら、感謝と謝罪を伝えなければ。

「姫魅くんは魔法学校の1年生ですから、きっとまた会えますよ」

 イルカがにっこり微笑むと、蛍はホッと胸を撫で下ろした。

「しかし君たち…なぜ病院に連れて行かなかった?せっかく動画鑑賞しながら寝落ちしようと思っていたのに…」

「病院なんかに連れていったら、彼女は警察の保護下に置かれるっすよ。最悪、蛍ちゃんの居場所がスピッツに知られちゃうじゃないっすか。それより、真夜中の学校で何してるんすか、チェンさん。早く帰らないとジジイにどやされるっすよ」

「断る。ここは僕の孤城だ。何をしようが僕の自由だね」

「あーあ。そんなんだから奥さんが…わおっ」

 チェンのメガネがギラッと鋭く光って、身の危険を感じた浦島はサッとイルカの背中に隠れた。

「さっきから、私の名前…なんで?」

「君はすっかり有名人だよ。長兄が謀反を起こし、次兄は生死もわからない。国を追われた悲劇の姫君と」

「そうですか…」

 蛍は弱々しく笑って、顔に影を落とした。サラは蛍の手を取って受け皿にすると、彼女の目の前に差し出した両手をぎゅっと握ってそっと開いた。

 手のひらにパラパラとあめ玉が落ちて、蛍は驚きながら子供のように目を輝かせる。蛍の表情が明るくなると、サラもふっと表情を和らげた。

「え?え?どっち?魔法っすか?手品っすか?」

「彼女が笑えば、どっちでもいい」

サラがでしょ?と言うように首を傾げて、「だあ!なんかムカつく!」と浦島が地団駄を踏んでいる。

「まあまあ、浦島くん。蛍ちゃん、こちらはサラ。魔法学校の2年生です」

 サラがぺこりとお辞儀をすると、蛍も吊られて頭を下げた。微笑みをたたえるイルカと仏頂面のサラを見比べて、蛍は「ん?」と首を傾げた。

「サラさんが生徒で、イルカさんが先生?」

 イルカの雰囲気はチェンや浦島より遥かに年上だが、彼の容姿はサラと同い年か少し年上に見える。イルカが若見えするのか、それとも若くして教師になったのか。

「ふたりは年が近いように見えるけど…」

「あはは。サラは16歳ですよ」

「イルカくん。サラくんじゃない、君だよ」

「おやおや。それはそれは…」

「イルカは極秘事項(ピー)歳」

 サラが水面に小石を投げるようにぽつりと呟く。彼が落とした言葉は大きな岩のようにドンッと衝撃を与え、蛍は愕然とした。

「っ!?嘘…」

 若見えどころではない。もはやそこだけ時空が歪んでいるのではないかとさえ思えた。

「浦島くんの自己紹介がまだでしたね。トリをお願いします」

 真打を任されて、浦島が得意げにふふんと鼻を鳴らす。

「自分はジョニーさん率いる平和維持軍、銀戌隊(ぎんいたい)隊長!浦島桃太郎(うらしまももたろう)っす!」

「平和維持…軍?銀戌…?」

「ジョニーさんが星の平和維持を目的に創設した、どこの国にも属さない軍っす。とある国を拠点としていて、12の隊がそれぞれの方角を守ってるんすよ」

「正しくは創設中だがね。隊長不在のため、機能していない隊がいくつかある。それに、警察との連携は始まったばかりだ。活動許可が降りていない国もまだまだある」

 チェンが冷静に補足すると、浦島はぷうっと膨れっ面になった。イルカが「まあまあ」と浦島をなだめる。

「とある国はティースとインプラント、そして色の名がついた12の都からなるでしょう?各隊の名称には12の方角を表す獅子と担当する都の色が含まれているんです」

「銀戌隊は西北西にある銀の都を守護してるっす!で、自分は隊長の浦島桃太郎!」

「チェンさんは魔法学校の専属医師ですが、白兎隊(はくとたい)の隊長も兼任しているんです」

「イルカさんは教師を勤めながら、水虎隊(すいこたい)の隊長を兼任しているんすよ。二足の草鞋なんて、よく務まるっすね。自分は隊長だけでいっぱいいっぱいっす」

 浦島は両手をあげて降参している。蛍はあんぐり口を開けて、ぽかんと呆けてしまった。

「どこの国にも属さない…平和維持…軍?そんなものが…」

「うっす!」

「そんなものがあったなら、なんで助けてくれなかったの!?この数年はなんだったの?!なんで…どうしてお兄様を止めてくれないの?!」

「蛍ちゃん、落ちついてください」

「ジョニーさんはガルディの情勢を知るなり、水面下で動いているようだが…さっきも言ったとおり、平和維持軍は創設中だ。まだ機能していない隊があり、遠方のガルディに回せるほどの人手がない。活動許可が降りていない国も多く、国外派遣には時間がかかる。そもそも外交のないガルディでは情報源となるものが少なすぎる。今、わかっているのは王族の長兄が謀反を起こし、次兄と君が行方不明で、国境が封鎖されているということだけなんだよ」

「そんな…魔法使いは悪魔じゃないんでしょう?星の平和を守るために作られた軍なんでしょう?助けて…助けてよ!今、こうしている間にもお兄様が!」

 蛍がすがるようにイルカに手を伸ばす。そのかぼそい手をサラが反射的に掴み上げる。

「誰も何もしない。自分を救えるのは自分だけだ」

 蛍を見下げる瞳はあの日、目にした鮮血のように残酷で冷たい。蛍はビクッとたじろいで、震える身体を抱え込んだ。

「サラッ!」

 イルカの声にハッとして、サラは蛍からパッと手を離した。

「大丈夫、大丈夫ですよ」

 恐怖に、不安に、孤独に震える蛍の身体をイルカがぎゅっと抱きしめる。彼の温かい手が蛍の額に触れると、蛍は眠るようにスッと意識を失った。

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