第15歯 優先すべき物事はそれぞれに違う
◯前回までのあらすじ
ガルディ王国の姫だった蛍は、長兄の愛華が謀反を起こしたことにより国を追われる身となった。数年に渡り放浪生活を送っていたが、ごろつきに襲われていたところを姫魅に助けられ、平和維持軍に保護されることとなる。
そこで世話係の維千からジョニー魔法学校への入学を進言されるが、蛍は母国が反魔法国家であることから躊躇する。
しかし、憑物と呼ばれる化け物に遭遇したことで自分の弱さを痛感し、魔法を学ぶ決意をするのだった。
維千に急遽呼び出された蛍はラウンジでサラと落ち合い、ジョニー魔法学校に隣接する平和維持軍の本部へと向かった。
隣接していると言っても魔法学校を取り囲む広大な森林を抜けるだけで15分はかかる。
「魔法で行く?」
サラの気遣いは有り難かったが、蛍は崖から身を投げるような光速移動を思い出し、口から内臓が飛び出そうになったので、彼には申し訳ないが丁重にそして断固としてお断りした。
「今日は制服じゃないんですね」
今日のサラは薄手のパーカーに黒のハーレムパンツといった出立ちで、全体がゆるっとしたシルエットをしている。蛍の身長が160㎝なのでサラは170㎝ないくらいだろうか。やや身長は低いのだが、引き締まった体格にそれはよく似合っていた。
「休み」
「休み?魔法学校が、ですか?」
サラがコクッと頷くと、彼の耳元で鍵のモチーフをしたピアスがキラッと揺れた。
(もう少し言葉数を増やしてくれないかしら。できることなら、もっと喋ってほしいわ)
蛍は隣を歩く無口無表情をチラッと横目で見上げた。
何度も助けられて、何度もわがままを聞いてもらって、何度も励まされてきたのだ。どんなに拒絶されようとも、もう他人とは思えない。
(何が好き?何が嫌い?大道芸をしていたって聞いたけど…サラさんはどんな人生を歩んできたのかしら)
憑物との戦闘中にサラが見せた照れ笑いが、怒った顔が、怯えた顔が思い出される。これだけたくさんの表情を隠して他人を避けようとして、彼はどうしたいのだろう。
触れたら壊れてしまいそうで、蛍はぎゅっと口を噤んだ。
「ここ」
サラが突然ぼそっと言うので、蛍は危うく通り過ぎるところだった。
「ここが平和維持軍本部…」
蛍はごくりと息を呑んだ。訪問者を迎える重厚な門は蛍の身長の2倍はあるだろうか。
門の中心にはマンホールのように丸く平べったい顔がはめ込まれており、そいつは退屈そうな顔で気だるそうにひと言「手ぇ」と言った。
「手?」
蛍が聞き返すと門はカッと目を見開いて、歯並びのよい口をガバッと大きく開けた。
「え?な、なによ?」
「貸して」
サラは蛍の右手を左手で取ると、あろうことか自分の右手といっしょに門の口に差し込んでしまった。
「嘘でしょ!?」
ガチンッ!と激しい音がして、門がトラバサミのように即座に口を閉じる。蛍の長髪とサラの三つ編みがふわっと風になびいて、蛍はサッと青ざめた顔をぶんぶんと振り回した。
「手!手ェ!サラさん!手があ!…ってあれ?痛く…ない?」
門はニヤァと下品に笑って、ゆっくりと口を開けた。蛍の手は傷ひとつなくちゃんとそこにある。サラの手は…手首から先がない。
「サラさん手!手がないっ!嘘?!イヤアアアアア!」
「ある!手!ほら!ね?大丈夫!大丈夫だから」
サラはパーカーの袖に隠していた手を慌てて出すと、絶叫する蛍の目の前でひらひら振ってみせた。
蛍がきょとんとした顔で褐色の骨張った手をペタペタ触り、サラの手が確かにそこにあることを念入りに確認する。
「手…あった…よかった、よかったあ」
蛍が涙を拭いながらたどたどしく呟くと、サラはやり過ぎを反省したようで苦々しく笑った。
「緋色のガキ、くっだらねえことしてんじゃねーぞ。認証してやったんだ。さっさと行け」
「ごめん」
門のぶっきらぼうな声がふたりを促すと、重い扉がゴゴゴと大岩を引きずるように開いた。
ぱっと鮮やかな桜並木がふたりを歓迎して、蛍は「わあ」と感嘆の声を漏らした。ずらりと並ぶ桜色の奥に風情のある大きな建物がいくつか見える。
サラは何かを思い出して小さく渋面を作ると、そのひとつに向かって迷わず足を進めた。
「第一会議室」と書かれた扉を開いて、サラは「着た」とだけ呟いた。
その声は会議室にいる誰にも届いていないようだったが、そこに湯呑みの茶をすするイルカの姿を見つけるとサラは構わず部屋に入った。
「失礼します」
「ああ、蛍ちゃん」
維千に微笑みかけられて、蛍がホッと安心したのも束の間。凛とした雰囲気をまとった女性が維千をぐっと押しのけて、彼の端正な顔をひょっとこみたいに歪ませると、蛍のほうにズカズカと歩いてきた。
「おい、維千。おまえにビンタしたってのはこのガキか?」
威厳のある土色の目に射抜かれて、蛍はビクッと震え上がった。
「サン、それは…」
維千がどう説明しようかと困った顔をしている。サンはオオカミが相手を伺うかように、蛍にずいっと鼻先を寄せた。
無法地帯のごろつきも舌を巻くであろう乱雑な言葉遣いに不釣り合いな犬耳が、蛍の早る心音をも聞き逃さない。
ワンレンの髪を外はねにして前髪をセパレートパートにした彼女はまさにクールビューティーといった美人で、研ぎ澄まされた美しさを持っている。
発する言葉の汚らしさを隠すように言葉遣いだけは丁寧な維千が、彼女を呼び捨てにしているところを見ると、サンはキールと同じように維千と特別な関係にあると思えた。
(怒られる…!)
蛍はぎゅっと目をつむり、急に勢いを増した獅子おどしのようにガバッと腰を折って頭を下げた。
「すみませんでした!」
サンの迫力に押し潰されてしまいそうで、蛍は考えるより先に謝った。チラッと目だけで見上げると、サンは怒るどころかニッと不敵な笑みを浮かべている。
蛍がポカンとしているとサンの右手のひらに炎が渦巻き、中から蛍の身長ほどあろう大刀が現れた。
「維千が油断していたとはいえ、1発食らわせたんだ。ただもんじゃないだろ」
「それは、あの…」
しどろもどろになる蛍の顔を左手で挟んでグイッと持ち上げると、サンは右肩に大刀を担いで目を爛爛と輝かせた。
「ガキ、僕と戦え」
「へ?たたたた…ふぁ?」
蛍はどうして良いかわからず、維千に目で助けを求めた。彼はふうっと息を吐いて、困ったふうにぽりぽりと頭を掻いている。
「サーン?」
「維千、待っていろ。これからがおもしろくなるところだ」
「しょうがないなあ」
他人をオモチャにして、叩かんでもいい憎まれ口をモグラ叩きのごとく叩いて叩いて叩きまくる維千が、ふにゃっとした笑顔を浮かべて不気味なくらいに大人しくしている。
そのあり様はまるで飼い主を前にした忠犬のようだが、それでは主従が逆ではないか?と、蛍はサンの犬耳と維千の腑抜けた顔を見比べた。維千は執事だから、犬といえば犬なのか。
「おやおや」
「イルカ。笑っている場合じゃない」
のんびりと茶をすすってにっこり微笑んだイルカの隣で、サラは気が気でない様子だ。
「蛍ちゃん。くれぐれも死なないでくださいね」
「維千さん?!この裏切り者!奢り酒の契約を忘れたかー!」
「ご冗談を。だから、死なないでくださいと言っているではないですか」
「おいおい、死なないようにってなあ…くれぐれも気をつけることじゃねえだろが。止めてやれ、維千」
泣き叫ぶ蛍の華奢な肩に、丸太のような剛腕がズシッとのしかかる。
「メロウさん!」
蛍がきらきらした眼差しを真上に向けると、メロウが顎髭を撫でながら絹ごしどうふのようになった維千に苦虫を噛み潰していた。
(救、世、主!猿帝さまー!)
蛍は溶け出した恐怖に安堵と喜びと…様々な感情をごちゃ混ぜにして、ブワッと涙を溢れさせた。
「止める?無理ですよ。こんな無邪気でかわいい顔をされたら」
「無邪気でかわいい?ただの戦闘狂だろ」
「俺はサンを大切にしたいんです」
「大切にするってのは何でもかんでも許すことじゃねえ。ったく、おめえは…チャコを見習え、チャコを」
「あらあら、維千くんったら」
呆れ果てるメロウの背後から、黒髪の女性が艶めかしくため息をついて現れた。彼女の腰まである長い髪は毛先が蛇のようにうねり、前髪はすべてを受け入れるかのようにふたつに分かれて額を覗かせている。泣きぼくろのついたタレ目に維千を責める様子はなく、彼女はむしろ見守るような温かい目をしていた。
彼女がメロウの太い首に色白の細い腕を絡めると、猿帝と恐れられる強面は頬をわずかに赤らめてたじろいだ。
「楊か。おまえからも言ってやってくれ。サンがいるときの維千は本当にぽんつく…」
維千はメロウに歩み寄るとにっこり笑って、いつもより冷たさを増した手をメロウの背中に思いっきり突っ込んだ。
「んがっ!?つっめてぇーな、おいっ!」
窓から満開の桜が覗ける第一会議室はガラリと冬に様変わりし、ぶるぶると震えるサラの肩にイルカが羽織をかけてやった。
「維千、てめえ…何しやがる!」
「そこにもぽんつくがいたので、目を覚ましてあげました」
「てめえ…維千」
「まあまあ、メロウさん。維千さん、サラが風邪を引いてしまいますから。どうか怒りを鎮めてください」
維千が降参するように両手をひらひらさせると、室内はゆっくりと温度を取り戻した。
「イルカ。俺の心配はしねえのか?」
「おやおや、まあまあ」
イルカが柔らかな微笑みを湛えていると、維千がフッと嘲るように鼻で笑った。
「ゴリラに心配はいらないでしょう?」
「いい加減にしろよ、こんの…雪だるま!そのきったねえ口、今すぐもぎ取ってやる」
イルカが「まあまあ」と間に割って入るのをサラは涼しい顔で眺めている。楊はうふふと口元に手を添えて、「親子みたいねえ」と愛おしそうに目を細めている。
ありきたりな光景なのか、蛍だけが忙しなくそれぞれの顔に目線を行ったり来たりさせていた。
「あらあら。メロウさんにはあたしがいれば充分でなくて?」
楊はメロウの頬にそっと触れるとそこから厚みのある胸までを、しなやかな指先で絡めるようにしてなぞった。
妖艶な笑みに上目遣いに見つめられて、さすがのメロウもたじたじになる。その艶やかな仕草に、なんだか蛍までドキドキしてしまった。
「あの…楊さんって、もしかして…」
蛍が着ている衣服に視線を落として裾を摘むと、楊は手のひらを合わせて無垢な少女のようにパッと表情を明るくした。
「あなたが蛍ちゃん?初めまして、楊貴妃よ」
「楊さん、お会いできて嬉しいです!ずっと服のお礼が言いたくて…本当にありがとうございます」
「うふふ、こちらこそ。すてきに着てくれてあ、り、が、と、う♡とっても似合ってるわあ」
楊はニコッと微笑んで蛍の頬にそっと手を添えると、彼女の小さな唇を親指の腹で舐めとるようになぞった。蛍は恥ずかしくなって、茹であげたタコのようにカアアッと顔を赤くした。
「つまらん」
楊の漂わせるおっとりした雰囲気に場が和むと、サンはうんざりしたため息をついて大刀を炎の渦に消した。
「しかしまあ…隊長会議だというのに、相変わらず集まりが悪いですね。メロウさん、人望ないんじゃないですか」
「俺はおめえじゃねえよ」
メロウは円卓の椅子をガサツに引いてドカッと座ると、背もたれに体重をすべて預けて頭の後ろに手を組んだ。維千は涼しい顔を少しも変える事なく、パネルに浮かび上がる会議資料に目を通している。
「ああそうだ、維千。プニャは一家全滅で出席できねえとよ」
「全滅?スピッツですか?」
維千が顔をサッと曇らせる。サラはガタッと立ち上がり、張り詰めた顔でごくりと息を呑んだ。
「いんや。子供がノロにかかってな。それを親がもらっちまって…今頃、家族でトイレの争奪戦だろうよ」
メロウは苦笑いを浮かべると、靴を履いたままの足をドカッと卓上に乗せた。サラがホッと安心すると、イルカはふふっと笑いをこぼして彼を優しく座らせた。
「そうですか」
「おい、維千。こういうときは相手を心配するもんだ。振りでもいいから心配しとけ」
「それは心配ですね」
維千の社交辞令にもならない淡白な態度から、彼が心底興味を持てないことを察して、メロウは胸のつかえといっしょにすぐさま匙をぶん投げた。豪速で飛んでいった匙が億にひとつでも維千の心に突き刺さらないものだろうか。あるいは落ちた匙がほんの僅かでも彼の心に響いたらいい。
しかし、維千にはそんな期待もできやしない。そもそも心の所在すら怪しいのだから。
「ナギさんは決定に従うだけなので欠席するとのことです」
「おやおや、彼女らしいですね」
「イルカさん、笑い事じゃないですよ。彼女はまだ1度も隊長会議に出席していないんですから」
「問題ないだろう。ナギは与えられた仕事をきちんとこなす」
円卓に浅く腰掛けて、サンは香染色の髪をかきあげた。維千は「んー」と悩ましげに首を傾げていたが、サンと目が合うと吹っ切れたようにニコッと笑った。
「サンが言うなら問題ないかっ!」
「お前の言動に問題大アリだ」
メロウは右手で顔を覆うと椅子の背もたれにミシッと寄りかかり天を仰いだ。
「チェンくんは急患があったみたいねえ。チャコくんは実家の農作業の手伝いがあるそうよ」
「チェンはともかく、どいつもこいつも…維千、ネルはどうした?」
「隊長試験の説明会ですよ」
「おお!やっと受ける気になったか」
「ええ。本望ではないでしょうが…あ、浦島くんも研修があるので欠席するそうです」
「研修?」
「浦島くんが研修って言ったら、正義の味方の研修…ヒーローショーですよ」
「あのアホ犬は…帰ったらとっちめてやる」
メロウは上着の内ポケットから葉巻を1本取り出すと、苦笑いを浮かべる口にサッと咥えた。
「サン、火をくれないか」
「僕と手あわせしてあんたが勝てば、いくらでもやる」
サンがフンッと得意げに鼻を鳴らして、ぎらぎらと目を光らせている。いくらヘビースモーカーのメロウでも、葉巻の火ひとつに命をかける気はないし、そんなにたくさんの火はいらない。
サンの業火に身を焼かれるのを想像して、メロウは顔を渋くすると葉巻を吸うのは諦めた。
「まあまあ。それだけ平和なんでしょう。ねえ、サラ?」
イルカにニッコリ微笑みかけられて、サラは少し迷惑そうだ。
「少ないですが…参加者は揃いましたね。少し早いですが、隊長会議を始めます」
メロウが「おう」と口角を上げる。
サンが「ああ」と腕を組んで壁にもたれかかる。
楊が「ええ」と艶のある唇を引き締める。
イルカが「はい」と微笑んで姿勢を正す。
錚々たる面々に蛍が石化してポツンと立ち尽くしていると、サラがひらひらと手招きして隣の席に座るよう促した。
「本日の議題はふたつ。憑物出没の報告と蛍ちゃんのジョニ校入学についてです。まずは憑物の件から」
維千は20人は座れるであろう大きな円卓の中央に躍り出て、立体に浮かび上がった映像を手のひらで指し示した。
「一昨日。蛍ちゃんが旧寮のラウンジにて、幼年体の憑物に遭遇しました。非常に好戦的…恐らく、強欲あるいは傲慢タイプでしょう。憑物が魔法学校の結界をすり抜けたこと、そして憑物の嘔吐物から、宿主は旧寮の寮母キールと思われます。たまたま居合わせたサラくんが交戦、後に俺も参戦し、チェンさんが封じました。現在は平和維持軍本部の敷地内で保管しています」
「そうか。ご苦労だった…ところで維千。ジョニックスを閉じろ。集中できん」
「どうかなさいましたか?」
「どうかなさいましたか?じゃねえ。資料に添えられたおめえの絵が、さっきから強烈な個性を放っているんだよ。話がさっぱり頭に入らん」
ジョニックスとは円卓の中心に浮かび上がった映像のことだろうか。確かにそこには独特のタッチで精密に描かれた憑物が不気味な存在感を放っている。その隣に描かれた4人の人物は奇妙な目力を持っていて、見つめていると吸い込まれてしまいそうだった。
(上手いような、上手くないような…やっぱり維千さんって、独特のセンスをしてるわ)
なんでも卒なくこなす維千だが、感覚的なことはどうも苦手らしい。
「キーキー吠えないでください。親切心で描いたのに」
「親切は押しつけるもんじゃねえ」
維千本人は絵に対する苦手意識がないようで、彼はムッと不貞腐れると名残惜しそうにジョニックスを消した。
「…続けます。今回の憑物出没について、不自然な点が2点あります。1点目。サラくんの記憶によると、その日の夕方までキールには蛹がついていませんでした。蛹が羽化するほどの負の感情が、たった数時間で育つのは非常に稀なケースです。2点目は、一昨日の憑物が心眼の魔道具を持っていたこと。心眼は特級レベルの魔道具で、日用品じゃない。キールが元から持っていたとは思えないし、幼年体の憑物は知能が未発達ですから、羽化してから入手したとも思えません」
「自然発生ではなく、誰かに羽化させられた…ということでしょうか」
「スピッツか」
イルカが緊張した面持ちで呟いて、メロウが不快感を声にする。維千は静かに頷き返して、そこでただひとり呼吸を乱しているサラに目を向けた。
「サラくん。説明をお願いします」
「俺…は…」
「君のほうが詳しいでしょう?緋色の逆鱗くん」
微笑みを浮かべてサラの言葉をじっと待つ維千に、あの男の姿が重なる。『サラ』と彼の声が耳元で聞こえた気がして、高鳴る心臓が胸を突き破るのではないかと心配になる。速る呼吸が苦しい。
サラは身をこわばらせて、ぎゅっと手に汗を握った。
「維千さん。サラは」
身を乗り出して抗議するイルカをサラが震える手で制する。
「イルカ。俺は大丈夫」
「サラ、おやめなさい。あなたはまだ…」
「大丈夫。だから、ね?」
サラが務めて明るく笑うので、イルカは言いたいことをグッ堪えてその場に座り直した。
「…かき集めた蛹をターゲットに植えつけ、魔道具で欲を掻き立てる。欲のない人間はいない。傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲…欲に反応した蛹が羽化して、ターゲットは強引に憑物にさせられる。これはスピッツの常套手段だ」
「なるほど。そいつぁ、スピッツの仕業で間違いなさそうだ」
「もうそこまで…ゆっくりしていられないわね」
メロウや楊、イルカでさえも厳しい顔つきをしている。維千は氷で作ったポーンの駒を指先でピンッと弾いて、コテンと転かした。彼が冷ややかな目を細めると、駒がパリーンとその場で砕け散る。
蛍は不穏な空気を感じて、そわそわと落ちつきをなくした。
「あの…スピッツって何なんですか…?」
維千が不敵な笑みを浮かべて、ゆっくりと顔をあげた。
「SPITZ…青春系プー、いいんじゃない?とりあえず、全員集合」
「は?」
「だから。青春系プー、いいんじゃない?とりあえず、全員集合!の略です。何度も言わせないでください。恥ずかしい…要は社会不適合者の集まりです」
「裏組織だな」
「欲まみれのいけない子たちね」
「問題児、でしょうか」
「…悲しい人たち」
印象はそれぞれ違っているようだが、詰まるところスピッツとは悪の組織ということだろうか。誰ひとり怒ったり嘲笑したりしないところを見ると、どうやら維千の話は本当らしい。
「悪の組織が…青春、系?維千さん、ふざけないでください!」
「しょうがないでしょう。スピッツがそう名乗っているんですから…ね、サラくん」
サラまで力強く頷くので、蛍は助けを求めるようにイルカを振り向いた。
「そうですね。ひと言で言い表すのは難しいですが、簡単に言えば青春系プーを筆頭に悪事を働く組織です。青春系プーの直下に四季と呼ばれる4人の強者がいて、さらにその下に12人の幹部がいる。そのさらに下となると星中に散らばって、すべてを把握するのは難しい…スピッツはそれほど大規模で厄介な相手なんです」
「そういや、小僧はどうだったんだ?」
メロウが興味津々に問うと、サラはピクッと眉を顰めた。
蛍の心臓が一瞬だけ動きを止める。小僧はどうだった…それはつまり、サラがスピッツの一員だったことを意味していた。
「メロウさん」
イルカが静かに目を伏せて、穏やかな声色を低くする。
「イルカ、そう怖い顔をするな。意地悪で言ったんじゃあない。少し気になっちまったもんでな」
サラはじっと黙り込んでいたが、しばらくすると目を虚にしてぽつりと呟いた。
「心は移ろう季節のごとし…十二の黒い心、十二黒暦の…長月」
「なっ…」
メロウは大きな口をあんぐり開けて言葉を失うと、椅子からガタッとずり落ちた。楊も目を丸くして、サラから目を離せないでいる。
維千が「あちゃー」と手で顔を覆うと、イルカは「おやおや」と苦々しく微笑んだ。
「おいおい、笑えない冗談だぜ。小僧、十二黒暦ぃ?その上、長月たあ…聞いてねえぞ、イルカ!」
「まあまあ」
「メロウさん、訊かなかったでしょう?」
「そういう話は訊かなくとも言っておくもんだろうが!十二黒暦は師走に近いほど手練れになる。そいつを魔力制御装置だけで放し飼いにするのは、檻なしにドラゴンを飼うのと同じだ」
「そう言うと思いましたよ。本当に頭が硬いんだから…メロウさんの脳みそは干からびたバケットですか?」
「…この悪ガキども」
メロウの重低音に怒りが滲んで、まったく関係のない蛍まで震え上がってしまったが、維千に悪びれる様子はなく、いつもと変わらずヘラヘラ笑っている。
サラが目をしゅんとさせると、サンがダンッ!と卓上に片足を乗せて凄みを効かせた。
「ゴールデンじじい。今更、どうでもいいだろう?こいつを受け入れることはもう決まったことだ」
「サンは強けりゃ誰でもいいんでしょ」
維千は会議資料を放り投げて、おもしろくなさそうに言った。
「維千、嫉妬か?」
「そんなんじゃないー」
サンがニヤッと意地悪く笑うと、維千は口を尖らせて子供のように拗ねた顔をした。
「…ごめん」
そこで言葉を失っている蛍に、サラは今にも壊れてしまいそうな儚い笑顔を向けた。
「なんで謝るんですか?」
「ごめん…」
「…あなたを許せない人がいるかもしれない。だけど、それは私じゃない。人は清らかさだけで生きていけないわ。過去を幾重にも重ねて、今の鮮やかさが出るのよ。私は今のサラさんが好き。今を造り上げたのは、あなたが歩んできた過去のすべてでしょう?私はたったひとつの汚れで、あなたを憎むことはできない!」
サラは不意打ちを食らったように茫然自失して立ち尽くしている。彼の目からポロポロと涙がこぼれて、イルカがそっと拭ってやった。
「罪を憎んで人を憎まず、か。こりゃ、てぇしたお嬢さんだ!」
メロウはガハハと豪快に笑うとその大きな手で蛍に拍手を送り、部屋の空気を震わせた。楊は「まあ!」と手のひらをあわせて、嬉しそうにニコッと微笑んだ。
「やるじゃねえか、水色頭!」
「水色…頭…」
サンは蛍と肩を組むと、顔をくしゃくしゃにしてニカッと笑った。蛍がビクッと縮み上がってカチコチに固まっているので、維千はおもしろおかしくて腹を抱えてケラケラ笑っている。
「もう合格でいいでしょ?入学おめでとうございます」
パチパチと拍手をして強引に仕事を減らそうとする維千に、メロウがガツンとゲンコツを落とした。
「いっ?!何をするんですか」
「おめえは笑ってないで、さっさと話を進めろ」
「なにも殴ることないでしょう?まったくもう…ゴリラはすぐに手が出るんだから。もっとご自身の腕力を自覚したほうがいいですよ」
「っるせえ、ゴリラじゃねえよ。ったく…維千、憑物の件は一旦保留だ。スピッツが絡むなら、俺たちだけで話すことじゃない」
「それでは蛍ちゃんの入学試験について、お話しましょうか」
維千は涙目でたんこぶをさすりながら、蛍にニッコリ笑いかけた。
隊長会議の帰り道。ジョニー魔法学校の資料と基礎魔法学の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれた紙袋をサラの両手に持たせて、蛍は次第に闇を深めていく空をぼんやりと見上げていた。広がる黒が濃くなればなるほど、星々は一層明るく輝いている。
(罪を憎んで人を憎まず…)
それはサラがしてきたことを知らないから言える綺麗事ではないか。清らかであろうとする者の戯言ではないのか。
自分の言葉が嘘になるんじゃないかと急に不安が襲ってくる。私は彼のすべてを知ったとき、今日の言葉を胸に留めることができるだろうか。
「サラさん」
サラは答えない。空気が重い。
(もし、愛華お兄さまにまた会えたなら…)
自分は愛華にも同じように言えるだろうか。彼を許すことができるだろうか。
あれだけ会いたかった兄なのに、急に会うのが怖くなる。
「…今日はありがとう」
ふいにサラが呟いて、蛍はパッと顔をあげた。
「サラさん、あの」
「だけど、俺に関わらないで。迷惑だ」
サラの冷たい目に突き放されて、蛍の胸がギュッと苦しくなる。
「サラ…さん?」
それ以降、血のような赤目が蛍を映すことはなかった。
あらすじ書いたけど、解説が欲しくなるようなあらすじ…あらすじとは一体?
読者の方々、本当にありがとうございます。
作者が嬉しいのはもちろんのこと、登場人物たちにとって何よりの幸せです。
ついにサラくんの過去に触れましたね。
とある星に完璧なひとはいません。みんな何かしら抱えている。
それでいいんだよ。誰にも理解してもらえないような苦しさも、一生懸命を馬鹿にされたって、先が見えない不遇を抱えていても…それでも必ず未来の自分に繋がると信じて欲しい。
未来を作るのは過去だ、過去を作るのは未来を信じる自分だ…なんて。
引き続き、のんびり気ままに書いていきます。
あっけらかんとした作者と謎多きキャラ達ですが、おつき合い頂ければ幸いです。