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とある星物語  作者: 黒星
14/59

第14歯 幸せなひとは幸せを見落とさないだけ

蛍は胸まで迫るねっとりと重たい思念の沼を掻きわけて、具体的にはわからないが自分が拠り所とするものを必死に探していた。

速る足がフッと踏み場を見失い、蛍の身体がぐらっと傾く。真っ黒な手が次々と伸びてきて、彼女の体を闇に引き摺り込もうとした。

「嫌よ!私は憑物なんかにならない!」

蛍はガバッと飛び起きて、ドキドキと脈打つ心臓を両手で抑えた。

「夢…そっか、私」

昨夜の出来事が思い出されて、蛍は震える体を抱え込んだ。そっと触れた頬に、憑物から飛び出した針がシュッと掠めていく感覚が鮮明に残っている。

あの化け物がキールだった事実に胃がぐつぐつと煮立って、酸っぱいものが粘膜をムカムカと焼いた。

あの後、寮に戻った蛍は1人でいることが怖くなり、サラに無理を言っていっしょに寝てもらったのだった。

彼は蛍に気を遣ってか、どちらかの部屋に向かうでなく、談話室のソファにタオルケットをかけて寝転んだ。蛍もそれに倣ったが、おかげで寝覚めの足腰は凍らせたチョコレートのようにバッキバキである。

しかし余程疲れていたのか、熟睡はできた気がした。

「サラさんは…部屋に戻ったのかしら?」

向かいのソファに寝ていたはずのサラはどこにも見当たらない。魔法学校の始業まで、まだまだ時間はあるのだが。

「おみやげ、まだ渡してないのに」

蛍は昨夜からずっと置き去りにれていた本と紙袋を手にして自嘲した。

サラに出逢ってからというもの、自分は彼の優しさに際限ない子供のように甘え続けている。維千のように契約を結んだ訳でもないのだが、彼はまるで断ることを知らないようで頼めば淡々と請負った。

彼の親切をいいように利用しているようで、なんだが申し訳なくなる。

「いつかちゃんとお礼しなきゃ」

蛍が寝ぼけた足取りで談話室を出ると、ラウンジにできた人集りがパッと一斉に振り向いた。

(な、なに?)

尊奉と軽蔑の眼差しを一身に注目を浴びて、蛍はうっと怯んだ。ざわめきに耳を凝らすと、どうやら昨夜の一件を目撃していた生徒がいて、蛍が維千を平手打ちした噂が尾鰭は鰭をつけて広まっているらしい。

「宇宙で唯一、維千を振った女」だの「維千に1発食らわせた猛女」だの「ジョニ校の女武神」だの、蛍の知らない蛍がひとり歩きして認識できない人脈と関わりのないところでの影響力を構築していた。

「ごきげんよう」

蛍が髪をかきあげて涼しい顔で挨拶をすると、生徒たちは気まずそうに口を閉ざして人集りの中心に視線を戻した。

そこで背の高いふたりがじっと睨み合っているのだが、ひとりは維千…もうひとりは誰かわからない。

維千は真っ黒な剣道着を着ていて、竹刀を肩に担いでいる。先の戦闘で赤く腫れあがった腕には、痛々しく包帯が巻かれていた。

対峙する法衣姿の男は維千よりもさらに背の高い大男で、肩に巨大な数珠を引っ提げている。

「お久しぶりです、芦屋(あしや)さん。木偶の坊がまだ生きていらっしゃったとは…至極残念です」

「残念なのはあっしのほうさ。あんたを退治したくてうずうずしてるってのに…まだ人間をやめていなかったのかい?」

「お生憎さま」

サラは寝癖のついた長髪を手慣れた手つきで編みながら、亭亭たるふたりの男が威圧しあうのを人垣の外からぼんやりと眺めていた。

その傍らで9歳前後の男の子…だろうか。プレゼントを開ける直接のように期待に胸膨らませ、街を彩るイルミネーションのようにキラキラとあるいはギラギラと目を輝かせていた。

「サラさん!おはようございます」

嬉々とした表情で人垣をかき分けてくる蛍に、サラは仏頂面のままペコリと会釈を返した。

昨夜の彼はどこへやら。やっぱりサラは喋ろうとしない。

「何かあったんですか?」

「昨日の件。国家警察」

全くもってわからない。極限まで言葉数を削ろうとして、もはや言葉として機能をなしていない。待てど暮らせどサラの無表情から捕捉の言葉が出てくることはなく、蛍は苦笑いを浮かべて途方に暮れた。

「チェンくんから憑物がでたー!って連絡があってね。僕たち国家警察が現場検証に来たんだよ」

男の子がサラの腰より低い位置でくるっと振り向くと、やきもきしていた蛍に助け舟を出して、にぱっと笑顔を咲かせた。

「国家警察?あなたが?」

「うん!バッジもほら、ちゃーんとあるよ」

命斗は自信たっぷりに胸を張って、重量と風格のあるバッジを蛍に見せつけた。

「僕は命斗(めいと)。あそこにいるでっかーいのは芦屋(あしや)くんだよ。よろしくね!」

「う、うん…よろしく…」

蛍は困惑の色を滲ませた目で、命斗の脳天からつま先までをじろじろと見た。どんな証拠をどれだけ並べても、蛍を納得させるには命斗はあまりにも幼い。

天然パーマの黒髪はふわふわの子羊を思わせ、黒縁メガネの向こうにはビー玉みたいにまん丸の目が並んでいる。女の子にも見える容姿は年相応にあどけない。

「あー!君、信じてないでしょー?!」

「ご、ごめんなさい」

命斗がその柔らかなほっぺをお餅のようにぷくっと膨らませると、芦屋は白けた目つきで辟易した。

「命斗巡査、あっしを呼ぶときはくんじゃなくて警部だよ。それとあんた。その姿で国家警察なんざ、誰だって信じられやしないさ。今年でいくつだい?」

「27」

命斗は目を逸らして急に声を低くすると、顔に影を落としてチッと小さく舌打ちをした。無垢なかわいらしさと不品行な邪心が小さな体に併存して、そのちぐはぐさから来る空漠たる不安が蛍の恐怖心を煽る。

「ったく…芦屋はわかってねーなあ。ショタは女ウケがいいんだよ」

「それが国家警察官の言うことかい?」

「…ついでに犯人の油断も誘える」

「ついでがあべこべだよ。はあ…どうしてあんたみたいのが、警察やってるかねえ」

「何回も言ったろ?愛に満ち溢れたこの世界を守り、親友を救うためだって」

「あんたが言うと胡散臭くて敵わんよ」

芦屋は糸目をさらに細くしてやれやれと首を横に振ると、キリッとガッツポーズを決める命斗を適当にあしらった。

「んもー!芦屋くんのわからず屋!でかぶつ!かたぶつ!」

命斗は声にかわいらしさを戻すと、くりっと大きな目を潤ませ、おもちゃをねだる子供のように地団駄を踏んだ。

「はいはい、わかったわかった。あっしはぶつぶつだよ」

「あはは!この巨人が…つぶつぶ!」

「ぶつぶつだよ、あんた」

維千が腹を抱えてケラケラ笑うと、芦屋は数珠に手を伸ばして眉間に皺を寄せた。

「本当に不愉快な生き物だよ。その吐き気のする甘ったるい声、今この場で黙らせてやろうかね」

「できるんですか?たかが1級退魔師に」

「言ってくれるじゃないか。半人半妖に退魔術がどのくらい効くのか、あっしも気になっていたところでね…試してみるかい?」

「おもしろそうですね。俺もあなたの惚れ顔がどれだけ情けないのか、一度見てみたい」

維千が「芦屋(あしや)道明(みちあき)」と彫られた氷晶を手のひらに浮かべると、命斗の興奮は最高潮に達した。空高く噴き上がる噴水のごとき鼻血が、命斗の鼻孔からブハッと飛び出す。

サラがかいがいしくティッシュを詰めてやるのだが、多量の鼻血に押しあげられたティッシュは秒も待たずに吹き飛んでしまうのだった。

「命斗巡査。あんたは何をやっているんだね」

まるでシャンパンボトルのコルク栓が吹き飛ぶような圧巻の光景で、蛍は「うわっ」と反射的に身を引いた。シャンパンを開けるときに出るプシュッとガスを逃す音を「天使のため息」というそうだが、命斗のそれはさながら「泥酔した天使の嘔吐」である。

「ハア…ハア…毛嫌いしている維千くんに支配される芦屋くん…維千×芦屋…いいっ!」

「よくないね」

「よくないですね」

芦屋と維千が声を揃えて振り向くと、命斗は感極まって口元を両手で覆った。

「萌えっ!」

「も…萌え…?」

蛍はわけがわからず、ヒクヒクと顔を引き攣らせた。なりふり構わず乱れ咲く花畑のような妄想癖の持ち主に治安を任せて、この国は大丈夫なのだろうか。

「1級は退魔師の最高位。侮れない」

命斗のカオスな発言に混迷を極める蛍だったが、サラはマイペースに維千の発言を指摘した。

「ほう?誰かさんと違って、彼は利口だね」

芦屋が顎に手を当てて、ずいっとサラを覗き込む。ただでさえ小柄なサラが2メートル近くある芦屋に見下ろされて、ますます小さく見えた。

「褐色肌に赤い瞳…あんた、もしや…」

芦屋は親猫が子猫を運ぶようにサラの首根っこをヒョイッと右腕で持ち上げると、企むような笑みを浮かべて維千をくるっと振り向いた。

「維千くん、ちょいと借りていいかい?」

芦屋の左手がサラをピッと指差して、ぶら下がる彼の頬をぷにっと押しあげた。

(サラさんも流石にちょっと迷惑そう…)

その表情はわずかに眉が寄った程度の変化しかなかったが、サラの首についた制御装置が作動していなければ、芦屋はとっくに雷に焼かれていただろう。

「ダメに決まっているでしょう。イルカさんが発狂しますよ。あの人の警察嫌いは筋金入りですから」

「これこれ、独り占めはおよしなさい。警察も情報が欲しいんだ。なに、ちょっと借りるだけさ」

「イルカさんの魔法で国が水没しても構わなければどうぞ」

サラの奪い合いに命斗の妄想がギアを上げていくのを感じ取って、維千は匙を投げるように言った。

「ウララカのわんぱく坊主だろ?身体の成長は緩慢になっても、維千くんと違って心は成長しているんだ。彼ならそんなことはしないよ」

「死神、決定権はイルカにある。俺は今、イルカのものだ」

「俺は…イルカの…もの…!」

命斗の表情がぱあっと輝いたのを横目に見て、維千は疲れた顔を右手で覆い、力なく項垂れた。

「三、角、関、係!いやこれは…ラブスクエア!」

命斗は左手首を反転させ、両手の親指と人差し指の先っちょをピタッと合わせて四角形を作ると、その真ん中を覗き込んでギラッと目を光らせた。

「サラくん、事をややこしくしないでくれますか」

サラは何のことやら訳がわからず、困ったふうに首を傾げている。

「よくもまあ飽きもせず…あんた、ぐずぐずに腐ってやがるね」

「ありがと♡」

「褒めてないよ」

命斗の果てのない妄想力と強靭な精神力により、芦屋の心は折れる寸前である。その上、サラの天然が火に油を注ぐものだから、維千ですら軽口を叩くのをすっかり忘れていた。

いがみあっていたふたりはフッと笑いをこぼして、互いに同情の目を向けると力強く頷きあった。

敵の敵とはすなわち味方である。

「芦屋さん。俺なんかより、彼を祓うべきではないですか?」

「命斗は人間なんだがね…奇遇だよ。あっしもまったく同感だ」

命斗はふたりの射抜くような視線などお構いなしにサラをじっとりと見つめ、少し長い袖でじゅるりとよだれを拭った。その様子はまさに飢えた獣がご馳走を前にしたかのようである。

「うん。サラくんはウケがいいね」

「ウケが…いい…」

サラは少しはにかんだ顔をして、長い三つ編みを嬉しげに揺らしている。

「サラくん。彼が言う「ウケがいい」は、芸人のそれとは意味が違いますよ」

命斗の幸せに満ちた表情を竹刀の先端で小突きながら、維千はつまらなそうに忠告してやった。サラはがっくりと肩を落として三つ編みをしょんぼりさせると、芦屋の手からパッと逃れた。

「ああ、ちょいとお前さん」

芦屋が追いかけるように手を伸ばすと、命斗は「フラれたね!」と大笑いした。芦屋は「うーん」と苦笑いを浮かべてサラを諦めると、やり場を失った手で居心地悪そうに頭を掻いた。

「現場検証も終わったことだし、そろそろ帰るとするかね」

「ええー?これから始まるのに?」

「何も始まらんよ」

芦屋の肩に軽々と担がれて、命斗はなす術なく名残惜しそうにサラを見つめた。

「ま、いっか。次回作のネタも見つけたことだし…サラくん、まったねー!」

命斗はありったけの親しみを込めて、ブンブンとサラに手を振った。

(距離を置きたいのに…人が寄ってくる)

サラは胸の前で小さく手を振り返しながら、その無表情の下で思いとは裏腹の結果に頭を悩ませた。

自分は彼らと関わってはいけない。自分という存在は他者の不幸を生み出すだけなのだから。

しかし、誰かが笑顔になると自分も嬉しくなってしまう…ああ、これがいけないのか。自分はまだどこかで人と繋がりたがっている。

もっと自分を殺さなければ。初めから存在しなかったかのように跡形もなく。

「うふふふふ…ふんがっ!」

ガンッ!と痛い音をさせて、命斗の顔面が玄関の上枠に直撃する。彼は鼻血滴る顔を両手で覆い悶絶すると、その激痛を怒りに変えて打ち震えた。

「芦屋ぁ、てめえ…」

「ああ、すまないね。屈んだつもりだったが…どうも足りなかったようだ」

命斗は声にならない声をあげ、芦屋の岩盤のような背中をぽかすか叩いた。芦屋は申し訳なさそうに何度も詫びたのだが、命斗の怒号は彼らの姿が見えなってもしばらく続いていた。


「やっと帰りましたか」

人集りがわらわらと散ってあたりがしんと静まり返ると、維千は「んー」と色気を含んだ声を漏らして体を伸ばした。

「維千さん」

「んー?」

「大丈夫ですか?その…」

維千がかつて助けた少女が、維千を無邪気に慕っていた女性が、憑物という化け物になり再会の目処も立たなくなったのはつい昨夜のことだ。

激昂した維千を思い返せば、冷酷無情と名高い彼も、赤く腫れ上がった腕よりずっと大きな傷を心に負ったであろうことは想像に難くなかった。

蛍がもごもご言いにくそうにしていると、維千は彼女の前にスッとしゃがんで目線をあわせ、にっこりと優しく微笑んだ。

「仕事していたほうが落ち着くんです。ありがとう」

「維千さん…」

それでも蛍が心配していると、維千は愛おしそうな目をして蛍の頬にそっと触れた。ひんやりと冷たい手が顔の火照りを強く意識させる。

「もごもごとアルパカみたいに…唾なんか飛ばさないでくださいね」

「ア、ル、パ、カ…」

蛍の脳裏で水色の長髪をかぶったアルパカが、名も知れぬそこら辺の草をなんとも間抜けな表情でもっさもっさと食んだ。

維千は清々しい笑顔を満面に浮かべている。

無駄な心配であった。一瞬でも彼に健気さを感じ、ときめいた自分はとことん愚かである。

そうだ、維千という男はそういう男なのだ。

沸々と怒りが湧いてくる。唾の代わりに足を踏みつけてやろうとしたが、涼しい顔で交わされてさらに怒りが増すだけだった。

「だあー!腹が立つ!」

神様はなぜこの完全無欠に仕上げた容姿に汚い口をつけてしまったのか。きっと制作に没頭するあまり寝食を忘れしまい、容姿は完璧に仕上げたものの、中身を作る頃には意識が朦朧としてうっかり手元が狂ったのだろう。

「ほお?維千に向かって堂々と腹を立てるったあ、威勢のいいお嬢さんだ。幼い頃のキールに少し似ているか…なあ?維千」

ガハハと太く豪快な笑い声がして現れた男は、そそくさと自室に戻ろうとするサラの首根をとっ捕まえて、オールバックにした金髪をごつごつした大きな手で頭に撫でつけた。その鬼も泣きべそをかく強面には、左目を縦断するように大きな傷跡がある。

「キールのほうが可愛げがありましたよ」

「おうおう!あんだけ嫌がっていたのに、満更でもなかったようだな」

メロウが顎髭を撫でてにんまりと笑うと、維千はしてやられたと悔しげに微笑んでやれやれと立ち上がり、蛍の肩に手を添えるとそのまま彼女を男の前に突き出した。

蛍はまるで生贄に差し出された気持ちである。

その男の恐ろしい風貌と威圧感に蛍が縮み上がると、維千はケラケラと腹を抱えて笑った。

「蛍ちゃん。彼は金申(きんさる)隊の隊長、メロウ・ジャズです。平和維持軍のボス猿ですから、失礼のないように」

「維千、おめえがいちばん失礼だ」

「嘘は言っていません」

「言い回しに悪意を感じるんだよ。なあ、小僧?」

がっしりと肩を組んでサラを捕縛すると、メロウはニッと笑って彼の赤目を覗き込んだ。

「…不敗の猿帝」

「ほら、サラくんも…負け知らずのボス猿だって」

「アホみたいに変換するな。小僧はボス猿とは言ってねえぞ」

維千が意地悪っぽく笑うとメロウは苦い顔をして、サラの頭をガシガシと撫でまわし鳥の巣にした。

「おい、小僧。その手はどうした?」

メロウがふとサラの両手に巻かれた包帯に目を止める。サラは表情を強張らせて、サッと両手を背中に隠した。

「何でもない」

「何でもないわけないだろ…おいおい、制御装置も作動してるじゃねえか。小僧、さては強い魔法を使ったな?」

サラはぎくりとして俯きがちになると、怯える目で上目遣いにメロウを見た。

「罰は俺が受ける」

「そんなに怖がらなくたっていいんだぜ?罰なんざ…別に怒っているわけじゃねえよ」

「メロウさん。彼が恐れているのはあなたじゃない」

維千は前屈みになるとサラのクシャクシャになった三つ編みをスッと解いて、撫でるように手櫛を通してやった。

「サラくん、安心してください。誰もイルカくんを責めたりしませんよ」

サラがあからさまに不安な顔をしているので、維千は困り顔でふふっと笑った。

「メロウさん。彼は魔法が制限され、身の危険があるにも関わらず、俺の到着まで憑物と戦い、蛍ちゃんを守り抜きました。誓約違反はありましたが…サラくんも、彼の監督者であるイルカさんも、お咎めなしということでよろしいですね?」

「あったりめえだ。よくやった、小僧。ありがとさん」

悶々とするサラの不安をメロウはフンッと鼻で笑い飛ばした。

「あり…が…とう…」

大目玉を食らうと思って身構えていたサラはすっかり拍子抜けしてしまった。ほっと安堵の表情を浮かべる彼に、維千は優しく語りかけながら手際よく髪を結い上げていく。

「他人の心配もいいですが…あなたはもっと自分を大切にしてください。イルカさんを気遣うようなら尚更です。自分を大切にできてこそ、他人を大切にできるんですから」

維千らしからぬ真面目な話にメロウと蛍は嫌な予感がした。サラだけが真剣な顔をして、ふんふんと素直に話を聞いている。

「人間は自己中心的にしか生きられない…自分が自分を大事にしなければ誰があなたを大切にできましょう…っと。はい、できました」

維千は円形の氷を手のひらに作ると、サラの両手に持たせてやった。氷面鏡(ひもかがみ)に花魁さながらの頭が映り込んで、サラはぽかんと口を開けた。

「…父さん」

うろ覚えの記憶がよみがえり、サラは誰にも気付かれぬ小さな声でぽつりと呟いた。目、肌の色こそ違ったが、そこには凛として舞台に立ち客席をわかせる父がいた。

「そうですね…彩来(さら)大夫、なんていかがでしょう。お気に召しましたか?」

サラがハッと我に返ると、維千は腹を抱えてケラケラと笑い出した。

「死っ神…」

サラが怒りに震えると、氷のかんざしがガラス細工のようにきらきら揺れる。

「きれい」

蛍はうっとり見惚れてしまった。これを結えてしまう維千も維千だが、似合ってしまうサラにも驚いた 。

「悪気はないですよ。あまりにぐしゃぐしゃだったんで、直したかったのですが…俺が結えるのが、伊達兵庫かつぶし島田しかなかったのを途中で思い出しまして」

「…これが結えるのに編めないなんて」

「慣れ、でしょうか」

そんな馬鹿な話があるか。どう考えても他人の頭で遊んでいるとしか思えない。

サラが投げナイフを投げる要領で、抜き取ったかんざしを正確に維千に投げつける。

維千は凶器と化したかんざしをパシッと受け止めて、困ったふうに頭を掻いた。

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。もう、短気だなあ」

「いや、怒るだろう」

メロウは美しく仕上がってしまったサラを見て、苦々しく笑った。

「すまんな、小僧。維千は…おい、お前ら。話を聞け」

維千はへらへら笑いながら、矢継ぎ早に飛んでくるかんざしをヒョイヒョイと交わしていく。

留めていたものがなくなり髪がパサッと形を崩すと、サラは渾身の力を込めて氷の鏡をブンッと維千に投げつけた。

すんでのところで維千が身を捩り、サッと氷の鏡を交わす。

「あっぶないなあ」

「お前ら、いい加減…」

その時、ゴンッ!と鈍い音がして、氷の鏡がメロウの顔面を打ちつけた。

「あーあ、大丈夫ですか?」

維千が頭の後ろに手を組んで、心配しているフリをする。

「痛そう…」

なんだか見てる方まで痛くなってきて、蛍は手で顔を覆うと指の間からメロウをうかがった。

「…ごめんなさい」

ズルッと落ちた氷の下から不動明王のような顔が現れて、サラはビクッとすくみ上がった。氷が床に落ちてパリーンッと粉々に砕け散る。

「…いい。悪いのはそいつだ」

「えー?避けられなかったご自身の責任でしょう。身体の衰えを他人のせいにしないでください」

メロウは赤くなった鼻をさすりながら維千をギロッと睨んだが、維千は全く動じることなくへらへらと笑っている。

維千の手に握られた氷のかんざしをじっと見つめて、蛍は意を決して口を開いた。

「あの…」

「んー?」

「なんだ?」

メロウと維千がくるっと振り向いて、蛍に注目する。サラは髪を編みながら、目だけは蛍に向けた。

「私に魔法を教えてください」

維千が試すような目をして、にやっと笑みを浮かべる。

「どういう風の吹き回しでしょうか」

「私、また何もできなかった…あの日から何ひとつ変わっていなかった。お兄さまを助けるだの、国を守るだの、大口を叩いて、そのくせ今を嘆くばかりで。きっと、いつも不幸な自分を見つけては安心して、どこかで前に進めない理由を探していたんです。だけど、何もしないまま大切なものを失うのはもう嫌。私も、維千さんやサラさんみたいに…強くなりたい」

「ああ。なれるさ」

メロウの大きな手にガシガシと撫で回されて、蛍は着ぐるみでもないのにグラグラと頭が外れそうになった。

「蛍ちゃん。あなたはゼロからのスタートになる。待っているのは、自分の選択を後悔し、過去も未来もすべてを放棄したくなるような苦難の道だ」

「覚悟はできています。私はどんなことがあろうと私を信じ続けるわ」

「なら、俺はあなたを信じる自分を信じ続けよう。ご一緒します」

蛍のまっすぐな目に屈託ない笑顔を返して、維千はチラッとメロウに目を向けた。

「…なんだ?その物欲しそうな目は」

「メロウさん。いずれは彼女を入学させる気でいたでしょう?」

「ああ、まあな。嬢ちゃんにとって、ここがいちばん安全だろうからよ。スピッツのことを思えば、力尽くでも保護すべきだったろうが…」

「手間が省けましたね」

維千は勝ち誇った顔でにやにやすると、サッと手を差し出した。

「酒」

「やらねーよ。ったく、おめえは酒が絡まないと動かね…」

維千の手をパシッと払いのけたメロウだったが、顎に手をやりしばし考え込むとニヤッと口角をあげた。

「おめえが腹を括らせたんだ。入学まで責任持て…ってことで、入学試験もおめえに任せた」

「はあ?俺、学校部外者ですよ」

「おめえのことだ。教員の資格は持ってんだろう?」

「……」

「なら、問題ない。そんじゃ待ってるぜ、お嬢ちゃん」

「はいっ!」

蛍は感極まって手近にいたサラをぎゅっと抱きしめると、弾ける笑顔で力強く頷き返した。

サラの手を取って鼻歌を口ずさんだ蛍が今度はご機嫌に踊り出すと、サラは小さく笑ってしょうがなしに付き合ってやった。

「維千。おめえのは魔法じゃないって、嬢ちゃんにちゃんと言ったのか?」

「魔法だとは言っていません」

「おまえなあ」

メロウは頭をガシガシ掻きむしって、にっこり微笑む維千に呆れ果てた。

「まあいい。維千、緊急会議だ。準備しろ」

「はいはい」

維千が襟につけたピンを指先で叩くと、彼の目の前にスクリーンがパッと広がる。

維千がぶつぶつ呟きながら何やら指先で操作していると、蛍がスクリーンの向こうからひょこっと顔を覗かせた。

「維千さん、ありがとう」

「それを言うのは、入学試験に合格してからですよ」

照れ笑いを浮かべる蛍にキールの姿が重なる。維千は困っているようでいて、どこか嬉しそうな笑顔を浮かべた。


ここまで読んでくださった方がもしいらっしゃれば、本当にありがとうございます。作者が嬉しいのはもちろんのこと、登場人物たちにとって何よりの幸せです。


彷徨っていたプロローグもようやく蛍の決意に繋がりました。シメに豚骨ラーメンみたいなどろどろに濃いキャラを出してくる黒星…苦笑


念の為に記載しますが、とある星物語はBL小説ではございません。僕も腐はつきません。


好きなことを自信持って好きと言えるってすてきですよね。自分にとって興味がないことに困惑することがあっても、相手の好きは否定しない…そんな風にいられたら、なんて考えて生まれたのが命斗くんです。

どうか頭ごなしに拒絶せず、彼の妄想癖を温かい目で、時に白けた目で見守っていただけたらと思います。

知識なく書いておりますので、用語の使い方について間違いがありましたら、そっと教えていただけますと幸いです。

命斗くんが出てくる回の黒星は、彼にとある星物語を乗っ取られまいと必死に書いています苦笑


引き続き、のんびり気ままに書いていきます。

拙い文章ですが、おつき合い頂ければ作者、登場人物ともに幸いです。

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