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とある星物語  作者: 黒星
13/59

第13歯 またね

 サラは憑物をまっすぐ見据えたまま右手を器用に使い、どこからか現れた7本のナイフを順々に宙に放り投げては手に取っている。

「お礼、しなきゃね」

 サラがニコッと小さく微笑むとバチバチバチッと凄まじい音がして、何本もの雷の竜巻が憑物を丸く取り囲んだ。

 真夏の白昼のような眩しさに蛍は思わず目を細める。

 雷が憑物との距離をどんどん狭めていく。ついに逃げ場を失った憑物に、サラは5本のナイフを投げ飛ばした。それらはくるくると素早く回転し、憑物の身体を狙い通りに突き刺した。

『ウマイ…ウマイ…』

 底なしの沼に沈んでいくように、ナイフが黒い巨体にズブズブと呑み込まれる。

「飲み込んだ…半端な物理攻撃は意味をなさないか。心眼(しんがん)とは距離は取りたいけど、今は魔法を温存したい」

 サラは鬱陶しそうに指先でチョーカーを引っ張ると、残ったナイフを両手に握り直した。

「焼き切る」

『アヒャヒャヒャ』

 憑物は壊れた笑いを響かせて身体をグニャグニャと蛇状に変えると、雷の竜巻と竜巻の間をスルスルと滑るように抜け出した。

『ジャッジャーン!』

 雷の檻を脱した憑物は身体を元の形に戻すと、バンザイのポーズで手舞足踏した。サラは両手に握ったナイフを高く放り投げて、憑物にパチパチと拍手を送っている。

「お見事」

「いや、褒めてどうするのよ!」

「あはは!サラくんは少し天然ですから」

 蛍が思わず突っ込むとベルから維千(いち)の笑い声がした。

(維千さんも…笑っている場合じゃないんだけど)

 維千の高笑いに蛍はひと言突っ込みたくなったがいい、雪崩のように返ってくるであろう憎まれ口を受け流す余裕が今はない。蛍はぐっと堪えた。

「暗転」

 サラがパチンと指を鳴らすと、蝋燭の火が吹き消されるように雷の竜巻がフッと消える。急に音がなくなって、墨をこぼしたような暗闇が演習場をサッと呑み込んだ。

 さっきまでの明るさが一転して、変に目がチカチカする。やっと目が慣れてきた頃には、サラはタンッと地を蹴って憑物の真上に飛んでいた。

「せーのっ」

 サラは憑物の背に飛び乗ると落ちてきたナイフをパシッと両手に握り、憑物の頸に1本、右肩に1本突き刺した。ナイフに電流を流しているのか、ジュッと焼ける音がして焦げた臭いが夜風に漂う。

『アヒャヒャ!カユイ…カユーイ!』

「浅いか…なら」

 サラは頸に刺したほうのナイフを両手で握って、力いっぱい刃を押し込んだ。ナイフは傷口を焼き切りながらぐいぐいと奥に進んでいくのだが、焼き切ったそばから修復が始まって埒があかない。

(修復速度があがっている。維千さんが来るまで5分。これ以上、魔法出力をあげれば制御装置が作動する)

『キカナイ…キッカナーイ』

 憑物はケタケタ笑いながら、サラの腕ごとナイフを身体に取り込んでいく。憑物の背中から黒い人間の手のようなものが救いを求めるように次々と伸びてきて、サラの手足や腰に吾先にしがみついた。

『ニガサナイ…ニガサナイ…おいで、サラ』

 ふいに憑物が優しい男の声を摸する。憑物の背中がムクムクと人型に盛り上がり、サラの顔をずいっと覗き込むと両手を広げて抱きしめようとした。

「違う…違う…」

 サラは怯えた顔をふるふると横に振り、人型から逃げるように仰け反ったが、無数の黒い腕が彼の手足、腰に何重にも絡みついて脱出を許さない。

「サラさん!サラマットさん!」

 蛍の叫びに近い呼び声がサラの目に光を戻す。サラは深呼吸をすると肩で汗を拭って、目の前の人型をキッと睨みつけた。

『オマエ、ウマイナ。タベテヤル、タベテヤル』

「…そりゃどうも」

 憑物がベロリと舌舐めずりをする。サラの足元がズズッと沈んで、彼の腰までをあっという間に飲み込んでしまった。

「…気持ち悪い」

 サラはゾワゾワっと身震いして顔をわずかに歪めたが、もがいたりはせず至って冷静だった。

『アガッ?!』

 憑物の今まさにサラを取り込もうとしている頸と右肩、そして背中がぼんやりと赤く光る。途端にそこがブクブクと沸いて、次の瞬間パァンと派手に弾け飛んだ。

 憑物の頭部が空高く吹き飛び、右腕がズシーンと千切れ落ちて、その背中は大きく抉れている。

『ウオオオ!!イダイ!イダイー!』

「ごめん」

 首なしの憑物が体を抱え込んで、ダーンダーンッと暴れ狂う。サラはその背中からヒラッと飛び降り、千切れても尚、脚にしがみついている手首を蹴り飛ばして、頬に張り付いた肉片を腕で拭った。

 蛍は壮絶な光景を前にポカンと開いた口が塞がらない。

「維千さん?」

「なんでしょう?」

「サラさんって、本当にただの2年生ですか?」

「今はそうですよ。以前は大道芸をしていたそうですが」

「あっ!だから手品…」

「彼の真骨頂は歌です。滅多に聴けませんが…蛍ちゃんならもしかしたら、歌ってくれるかもしれませんね」

「それはぜひ…って、そうじゃなくて!」

 蛍は魔法について全くの無知だっだが、サラがただの学生であることへの違和感がどうしても拭えなかった。

 箒で空を飛ぶことにすら苦戦している1年生が、たった1年で化け物の首を吹き飛ばすようになるのだろうか。そもそも学校という教育施設で、そんな危険な魔法を教えるのか?

「サラマットって…サラは愛称なんですか?」

「俺の口から話すことではありません」

「…すみません」

 維千の言うことはもっともだ。とはいえ、他人を拒むような素振りをするサラが果たして答えてくれるだろうか。

 首なしの憑物は体を引きずりながらオロオロと手をついて、失くした頭部を探している。蛍は憑物の意識がこちらに向いていないことを確認し、先程見つけたキーホルダーにタッと駆け寄った。

「やっぱり…」

 拾いあげたキーホルダーは間違いなく、あの至極ブサイクな生命体の(維千いわくトナカイの)キャラクターである。

「どうかなさいましたか?」

「維千さん。あいつ、維千さんがティースで買ったキーホルダーを吐き出したんです。これって…」

「俺が買ったものとは限らないでしょう」

「こんなブサイク、維千さん以外に買いませんよ」

ベルの向こうがしんと静まり返って、蛍が「あっ」と左手で口を押さえる。

「…蛍ちゃん、やっぱり引いていたんですね」

「あ、いや…それは…アハハハ…」

 蛍は掘った墓穴を苦しまぎれの笑いで埋めようとした。維千はまったく気にしていないようで、「魔法結界の突破に…吐き出されたキーホルダー…」とブツブツ呟いている。

「蛍ちゃん、落ちついて聞いてください。その憑物は恐らく…キールです」

「え?」

 蛍の時間がピタッと止まる。キールの弾けるような笑顔が走馬灯のように脳裏を駆けめぐる。

 維千は今、何と言った?このヘドロのように醜悪な生き物をあの無邪気で愛くるしいキールだと言ったのか。

「そんなはずない」

 サラは首なしの憑物にサッと足を引っ掛けて転ばせると、パッと振り返って耳を疑った。

「彼女には蛹がついていなかった」

「何者かが他人の蛹を植えつけたのでしょう。魔道具で欲を刺激し、欲に反応した蛹が羽化する。羽化した蛹は宿主を呑みこんで憑物となり、命尽きるまで暴れ続ける…自動掃除機の出来上がりです。スピッツの常套手段でしょう?あなたのほうがよくご存知のはずですが」

「健全な魂に蛹は定着しない。キールさんに植えつけたとして、蛹が育つとは思えない」

「気持ちが弱っていたんですよ。キールはお人好しだから、寄ってくる相手は見極めなさいと…あれだけ言っていたのに、まったく。甘い言葉に惑わされたんでしょう」

 じたばたと起き上がった憑物がやっと見つけた頭部を体に乗せて小躍りしている。

 サラは神妙な顔つきでその様子をじっと見つめた。

「…負の感情は彼女から生まれたものじゃない。ただ感情を混同して、一時的に同化しているだけだ。うまく分離すれば助けられるかもしれない」

「サラくん。あなたは今、魔法の使用を制限されています。無茶をすれば命を落としかねない。迷わず殺しなさい」

「そんな…キールさんですよ?維千さん、本気ですか?!」

「こんなときに冗談は言いません。サラくん。この状況であなたの死は、蛍ちゃんの死と同義です。やるべきことはわかりますね?」

 維千の甘く優しい声が死への扉をノックをするように静かに残酷に鼓膜を叩く。蛍の心臓はギュッと鷲掴みにされたように苦しくなった。

「…わかった。殺そう」

 サラがスッと伏せた目から一切の光を消し去る。ゆらりと身構えて感覚を研ぎ澄ます今の彼には、あの日の愛華のように温もりがない。

 憑物は拾いあげた腕をヌチャッと肩にくっつけて、ニタァとサラを振り向いた。

『コロス?ムリムリムリムリ!』

 憑物は声色をコロコロ変えて、ケタケタと高笑いしている。

『ムーリッ!』

 抉られた背中を埋めるようにバリッと無数の針が飛び出し、針は勢いをそのままにサラ目掛けてビュンッと次々に伸びていく。サラはそれを身軽な動きでヒョイヒョイと交わし、電気を帯びた手刀で淡々と焼き切っていく。

 サラは憑物との間合いを詰めていき、その胸部を貫こうとぐっと腕を引いた。

『設定された魔力量を越えました。制御機能を作動します』

 突然、無機質な声がサラの動きを遮る。サラの首についたチョーカーが白く点滅すると、彼の手はブレーカーが落ちたようにフッと電気を失った。

「まずい」

 切り損ねた針の1本が蛍に向かってまっすぐ伸びていく。

 サラは咄嗟にそれを握ったが、ぐんぐんと伸びつつける針との摩擦で手のひらに焼けるような痛みが走る。しかし、針の勢いにグンッと体ごと持っていかれそうになり手首が外れそうになっても、サラは針を離そうとはしなかった。

 サラが左手で受け流すように針の側面を押すと、針先はクッと軌道をずらして蛍の頬をシュッと掠めた。

蛍の髪がファサッと広がって、その背後でガガッと針が地を削る音がする。

 蛍は顔面を蒼白にして、ハハッと乾いた笑いをこぼした。

「サラくん、お待たせしました」

「遅い」

 サラはパッと後ろに飛び退いて蛍を背に隠すと、ズキズキと脈打つように痛む左手首をさすって、若干顔をしかめた。彼の両手のひらからポタポタと血が滴っている。

「浦島くんといい、サラくんといい…俺、こう見えて多忙なんですが」

 憑物の針先がパリパリと凍りつく。そこから本体に向かって駆け上るように凍りついていき、憑物は慌てて身体から針を切り離した。

「維千さん!」

 憑物の向こうに維千の冷笑を見つけて、蛍はホッと安堵した。彼はいつも通り飄々として、散歩にでも来たような緊張感のない顔でぴょんっと跳ねた髪の毛先を気にしている。

 黒一色の剣道着が彼をますます死神たらしめた。

「キール、迎えにきましたよ」

『ナンダ…オマエ…ナンダ…オマエ…』

「もう忘れたんですか。あなたが愛してやまない、北条維千です」

「イチ…?イチ…」

「悲しいなあ…俺、泣いちゃいますよ?」

 憑物が苦しげに頭を抱えると維千はにっこり微笑んで、右手のひらに「キール」と彫られた氷晶を浮かべた。

『クルシイ…クルシイ…オマエ、キライダ。キライダ…!』

「嫌いは好きの裏返しってね」

 憑物が狂ったように走り出すと維千は右手を握りしめ、パリンッと氷晶を砕いた。

 途端に憑物がピタッと動きを止める。そればかりか手足を折りたたみ、犬のようにその場に座り込んだ。

「いい子だ」

 維千がよしよしと喉を掻いてやると、憑物はその腕に擦り寄って嬉しげにゴロゴロと喉を鳴らしている。

「なにが…起きたの…?」

 まるで物語を数話すっ飛ばしたようにガラリと状況が変わって、蛍はようやく声を絞り出した。

「死神に名前を砕かれたら、心を奪われる。術を解かれるまでは彼の奴隷だ」

 サラはビリビリと裾を細く裂いて、手にぐるぐる巻きながら苦々しく言った。

 維千は「んー」と月を仰いで首の後ろに手を回すと、小首を傾げて考える素振りをしている。

「…ああ、そうか。サラくんは経験者でしたね」

 サラが珍しく不快感を全面に出すと、維千はニヤッと意地悪く笑った。

「好意を寄せる相手には素が出やすい。サラくんは意外と甘えんぼ…」

「うるっさい」

 サラは顔を紅潮させ、本気で怒っている様子だ。対して維千は「怖い、怖い」とサラを茶化すと、腹を抱えてケラケラ笑った。

(これからキールさんを殺すのに…この人はなんで笑っていられるのかしら)

 維千は何も感じないのだろうか。彼の存在が引き波のように急に遠くなる。

 心が歪んでいる、冷凍人間、他人を石ころとすら思わない…皆が口を揃えるように、彼は本当に冷酷非情なのだろうか。

「そんなに怖い顔をしないでください。あなただって、似たような技をお持ちでしょう?」

「君のは言わば惚れ薬。いっしょにしないで」

「はいはい」

 維千がどうでもよさそうに言うので、サラは諦めたようにため息をついた。

「さて」

 維千は憑物の顔面を鷲掴みにしてそこに立たせると、何重にも重なったファスナーの最奥にズボッと右腕を突っ込んだ。

『アガッ!?』

「なっ?!」

 維千の突発的な行動に憑物も蛍も、サラでさえも我を忘れて硬直する。維千はゾッとする笑みを浮かべて、怒りを凝縮したような強圧的な声を震わせた。

「返してもらおうか。その子はてめえが触れていい人間じゃあない」

 維千の腕を基点にして、パキパキと憑物が凍りついていく。

(怒ってた…)

 維千が怒りを感じていたことに蛍は胸を撫で下ろしたが、彼の気迫に背中がゾクゾクして、全身の鳥肌をブワッと一斉に起立させた。

 そういえば、キールが言っていた。維千は笑うか、怒るかしかできないと。

『ありがとう』

 ふと、維千の頭に人懐っこい声が響いて、キールの後ろ姿が思い浮かんだ。

(キール…?ああ、そうか)

 心眼は触れた相手の心を読む。接触が密であればあるほど、相手の深層に触れることができる。逆に触れた相手に心を送ることができるのだとしたら…。

 維千はフッと力の抜けた笑いをこぼした。

『維千は本当に不器用だね。それにすっごく臆病だ。悲しいときはただ泣けばいいんだよ』

(悲しい…悲しい?)

『ほら、自分の気持ちもわかってない』

 キールはくるっと振り向いて、あははと無邪気に笑った。

(生憎、涙の持ちあわせがないので)

『またそんなこと言って…維千さんは維千さんだよ。穢らわしい化け物なんかじゃないし、無情な人間でもない。ちょっと気持ちに鈍感で、他人に弱さを見せるのが怖いだけ』

(ふーん…参考にします)

『もう!最期くらい、まじめに聞いてよね』

 キールが膨れっ面になると維千はふふっと笑った。

『涙はね、弱さじゃない。いっぱい泣いて、いっぱい怒って、恐れて、喜んで、驚いて…いっぱいいっぱい笑って?ありのまま風に揺れるだけで、どんな命も花のように輝くんだって…維千が教えてくれたんだよ』

(そのようなことは、教えた覚えがありません)

『背中を見て学んだの!この偏屈め』

 キールは両手を腰に当ててふうっと呆れ果てたが、しばらくするとプッと吹き出し、堰を切ったようにケラケラと笑い出した。

『維千さん、ありがとう。さよならの瞬間にあなたがいてよかった』

(どういたしまして)

『ねえ、維千さんは知ってる?キールのカクテル言葉…』

「最良の巡りあい」

 ふたりの声がピタリと重なる。

『維千さん、さようなら』

キールがニッと笑ってみせる。

「…ありがとう。さようなら」

 真冬の空気みたいに澄んだ笑顔に、維千は静かに微笑み返した。

 維千が左手を握ろうとする。凍りついた憑物にピシピシとヒビが入る。

「何をしている!!」

 騒ぎを聞きつけたチェンが、演習場の向こうから猛スピードで駆けてきた。彼は真っ先に維千を羽交締めにして憑物から引き剥がすと、勢い余ってその場に尻餅をついた維千の、きょとんと間抜けな表情を仁王のごとき姿で見下ろした。

「憑物の心核(しんかく)に腕を突っ込むなど言語道断!君は死にたいのか?!」

 チェンはポケットの薬瓶をサッと手に取り、すばやく栓を引き抜くと、中の液体をすべて維千の赤黒く腫れ上がった右腕に振りかけた。

 シュウウウと白い湯気が立ち、維千はクッと歯を食いしばって顔をしかめた。

「僕より長生きしているくせに。いつまで経っても大人になれないね、君は。感情の扱いに不慣れなだけに、キレると本当に見境がない。痛むだろう?」

「…いえ」

「君はすぐに強がって、まったくかわいげがない。もう少し周りを信頼してはどうかね」

「前向きに検討します」

「その答えが後ろ向きなんだよ」

 チェンは包帯をすばやく巻いていき、キュッときつめに縛りあげた。「いっ!?」と維千の目が涙ぐむ。

「サラくんも無理はしないことだ」

「うん。ありがとう」

「素直でよろしい」

 チェンはサラの両手のひらを消毒すると、こちらは生まれたての子猫を扱うかのように優しく包帯を巻いてやった。

「それで?何があったのかね?」

「…キールさんが憑物化した」

「すみません。俺の監督不行届きです」

「ほう?こいつはキールくんか」

 チェンは凍りついた憑物をコンコンと軽く叩いて、興味深そうにまじまじと見つめている。

「責任を取らせてください。今すぐ殺します」

(殺す殺すって…もう我慢ならない!)

 蛍はズカズカ維千に歩み寄ると、彼の冷ややかな能面顔を平手でバチンッと思いっきり叩いた。色白の頬をじんわりと赤くして、維千はポカンと口を開けている。

「蛍…ちゃん?」

 サラもチェンも開いた口が塞がらない。蛍はカッカッと頭に血を上らせて、訳のわからない涙をポロポロと溢れさせた。

「悲しいときはただ泣けばいいの!泣け、バカ!」

「蛍…ちゃん…」

 サラが表情を引き攣らせる。チェンはスチャッとメガネの位置を正すと、白衣をグッと引き寄せてこれから来るであろう極寒に備えた。

 蛍はハッと我に返ると色水をかぶったようにサッと顔を青くした。

(どうしよう、どうしよう、どうしよう…やっちゃった…)

 維千の怒りが今すぐにでも、この星を氷河期に変えるのではないか。

 蛍は恐々と維千を窺ったが、彼は俯きがちになってしまい表情はよく見えない。維千がスッと立ち上がって、蛍は蛇を前にした猫のようにビクッと飛び上がった。

「チェンさん…俺は間違えたんでしょうか」

「何があったのかは知らないが…僕は職業柄、重い選択を迫られる機会が多くてね。成功だと思っていた事で窮地に立たされることもあるし、失敗だと思っていた事が後に実を結ぶこともある。正解なんて死ぬまでわからんのだよ。生きている限り、すべての物事は繋がっていくんだ。答えが知りたければ、たくさん迷って生きることだよ」

「…面倒臭い」

「行き着く先は皆同じなんだ。寄り道を楽しまなくてどうする?」

「一寸光陰、軽んずべからず。人間に与えられた時間はごく短い…道草食っていたら人生が徒労に終わりますよ」

「報われる人生とは何かね?大切なことは目に見えず、至ってシンプルだ。どんな道もすべてそこに繋がっている。人生の最果てに立った時、歩んできた道の良し悪しを決めているのは、結局のところ自分自身だと思わないかい?」

「チェンさんって案外、楽観的なんですね。薄暗い部屋で画面ばかり見ているから、じめじめと根暗なキノコでも生えているんじゃないかと思っていました」

 維千はパッと顔をあげて、にっこりと爽やかな笑顔になった。

「悪気はないのだろうが…君は本当に失礼だね」

 チェンはうんざりした顔でこれ見よがしにため息を吐いた。ふたりのやり取りをサラが真剣な眼差しでじっと見つめている。

「安心したまえ。君はひとりじゃない。キールくんは必ず助ける」

 維千に試すような目を向けられて、チェンはやれやれと首を振った。

「僕も君と同じでね、できないことは言わないんだ。それがたとえ残酷なことであってもね。だから、安心したまえ」

「…ありがとうございます」

「彼女は僕が責任もって封じておく。君はさっさと帰って休むことだ。さあ、蛍くんとサラくんも」

 蛍の肩にポンッとチェンが手を置くと、蛍は溶けるようにその場にへなへなと崩れ落ちた。遅れてやってきた恐怖に蛍の身体がぷるぷると震えている。

「怖かったあ」

 蛍は泣きべそをかいて立ちあがろうとしたが、どんなに踏ん張っても足腰に力が入らない。蛍は苦々しく笑って、チェンをゆっくり見上げた。

「腰、抜けちゃいました…」

「送る」

「へっ?わわっ」

 サラに抱き抱えられるのはこれで何度目だろう。死に物狂いの戦闘中とは違って、サラの体温を感じる余裕があり、妙に意識してしまう。

 これであのはにかんだ笑顔を向けられたらすぐにでも恋に落ちてしまいそうだったが、残念ながらサラはいつもの無口無表情に戻ってしまった。

「…雪?」

 ちらちらと季節外れの雪が降って、蛍の頬を心地よく冷やした。ふわふわと舞い落ちた雪に目を凝らすと、ガラスのような結晶は蛍の手のひらに温められてスッと角を溶かして消えてしまった。

「おやすみなさい。キール、またね」

 維千はくるっと身を翻してひらひら手を振ると雪が溶けるようにスッと姿を消した。

1歯からここまで見守ってくださった方々、本当に本当にありがとうございます!

作者が嬉しいのはもちろんのこと、登場人物たちにとって何よりの幸せです。


と言っても何人いらっしゃるのだろうか…途中、作者のキャラが崩壊したり、再投稿があったり…お恥ずかしや。

たったひとりでもいいんです。興味を持って楽しんでくだされば、いっしょにとある星を作っていく大切な仲間だと思います。

心もとない作者ではございますが、今後ともよろしくお願いします。


さて、次話でプロローグは終わります。

魔法について概要はご理解いただけましたでしょうか。蛍、維千、イルカ、サラ、浦島の雰囲気は伝わりましたでしょうか。

好きな登場人物はおりましたでしょうか。


次の次から話は入学試験となります。蛍、姫魅、ネルを中心に書いていく予定…予定は未定。

余裕はないけど、そのうち各キャラの過去編もあげられたらいいなあ。


引き続き、のんびり気ままに書いていきます。

拙い文章ですが、おつき合い頂ければ作者、登場人物ともに幸いです。


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