表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
とある星物語  作者: 黒星
12/59

第12歯 どんな強者にも隙は生まれる

「蛍ちゃん。維千(いち)さんのベルは持ってる?」

「は、はい…!」

 蛍はチラチラと怪物を警戒しながら、維千からもらったベルをサラに手渡した。

『オマエ、コロス…ソウダ、コロスッ!』

 怪物はダンッ!ダンッ!と床に拳を打ちつけて、駄々をこねる子供のようにサラを繰り返し威嚇している。それに駄々っ子のようなかわいらしさは微塵もなく、赤黒い歯茎が覗くほど歯を剥いて、フーッ!フーッ!と息を荒げる姿は、蛍をじりじりと後退させた。肌がビリビリと痺れ、心臓が縮みあがり、蛍は今にも重圧で押しつぶされそうになっている。

「どうぞ」

(どうぞって?!サラさん、本当に殺されたらどうするのよ?!)

 蛍は血の気の引いた顔をブンブンと横に振ったが、サラがパチパチッと電流を走らせると、怪物はビクッと怯んで悔しそうに歯軋りするだけだった。

「俺に気が向いているうちは大丈夫。憑物(つきもの)の多くは臆病だ。ああやって威嚇はするけど、また焼かれるのを恐れている。しばらくは手出しできないはず」

 サラはあくまでマイペースだ。彼は荒ぶる憑物も呆然とする蛍もそっちのけで、ベルをムギュムギュと握っては「繋がらない」と首を傾げている。

「あの…」

「下手に怖がるとつけあがる」

「はあ…」

 そんなこと言われても恐いものは恐い。蛍はキッと睨みつけて憑物を牽制しようとしたが、海鳴りのような声で吠え返されて足がすくんでしまった。

「あの、憑物って…」

 いつだったか、イルカが言っていた。確か負の感情の塊、だったか。サラが黒魔法を使って助けていなければ、蛍はいずれ憑物になっていたと。

「憑物は負の感情が大きくなりすぎて、怪物になってしまった『人間』だ」

「人間…あれが?」

 真っ黒なそれにおよそ人間と呼べる要素は微塵(みじん)もない。

(サラさんに出逢わなかったら、私もああなっていたのかしら…)

 孤独、妬み、悲観、憤怒…明けない夜の波間を漂って、真っ黒な感情に心を抉られていくうちに、人間らしさをひとつひとつ失い、やがては黒い壁のような大波に呑まれて自分を見失ってしまう。そんな自分を想像して、蛍は恐ろしさに身震いした。

「夜中にうるさいよ。なんの音?」

 ふいに寝ぼけた声がして、女子寮に続く階段から気だるい足音が降りてくる。サラはパッと振り向いて顔を険しくすると、ベルをポケットに突っ込んだ。

「場所を変える。蛍ちゃんはここにいて」

「嫌です」

「危ないから」

「サラさんをひとりにしたくない!」

 思わず、大きな声が出た。階段から「誰なの?」ととぼけた声がする。憑物は見る者を凍りつかせる笑みを浮かべて、声の主が広い床を踏むのを今か今かと待っていた。

「後悔するよ?」

「お願いします」

 我儘なのはわかっている。役に立たないかもしれない。けれど蛍は涼風(すずか)をおいて逃げてきた後悔を繰り返したくなかった。

(もしも…もしもこのまま会えなくなってしまったら…)

 涼風は今、生死すらわからない。あの時、蛍が残っていたとして何ができたと問われればそれまでだ。だが、なにもせずに誰かを失う苦痛を抱えるくらいなら、なにかをして死にたかった。

「…そっくりだ」

「え?」

 サラは首の後ろに手をやって、「うーん」と困り顔を浮かべている。

「君の身に何かあったら、俺が殺されかねないんだけど…死ねたならむしろ好都合か。イルカが怒るかな?死んだら関係ないか」

「あの、サラさん?何を言って…」

「いいよ。連れていく。しっかり掴まってて」

「ふあっ?!」

 サラは蛍の身体を軽々と抱き抱えると彼女の腕を首にまわして、雷が轟くような力強い声を響かせた。

「待たせた、のろま。さあ、始めようか」

『ノロ…マ?』

 憑物がぷるぷると怒りに肩を震わせて、ゆっくりとサラを振り向く。奥歯がギリギリと擦れて、顔の横まで裂けた大口から錆びた歯車が軋むような音がした。

『ノロマ…?ノロマ…ノロマ!』

「うん、のろま」

(やめて!?挑発しないで!?)

 蛍はぶわっと涙目になって、まるでオオカミを前にした子羊のようにぷるぷると震えあがった。当然、憑物の怒りは頂点に達し、それまで抑止力となっていた火傷への恐怖は噴石が飛ぶように遥か遠くに消えてしまったのである。

『ウオオオ!コロス、コロースッ!!』

「いいよ。少し遊ぼう」

 憑物はサラの言葉を待たずして、ダッと駆け出した。これまでとは桁違いの勢いに、憑物が地面を蹴りあげる度に蛍の身体がグラグラ揺れる。

『シネッ!』

 憑物の怒号が蛍の脳天からつま先までを駆け抜けて、ビリビリと麻痺したように動けなくなる。憑物はあっという間に目前に迫ってその太く鋭い爪をバッと振り上げた。蛍は咄嗟に両腕で頭を庇い、強く祈るようにぎゅっと目を閉じた。

『ナンダ…?ドコニイッタ…?』

 急に憑物の声が遠くなる。蛍が恐々目を開くと憑物はサラの後ろ、それも少し離れた場所に立っているではないか。

「ここ」

 サラは種も仕掛けもありません、といった風にその場でくるりと1回転してみせる。

 ぐるぐると目に映り込む景色がそれまでと一変していることに蛍は気付いた。

(違う…憑物が離れたんじゃない)

 移動したのはふたりのほうだ。見上げた先で、まん丸の月がスポットライトのようにキラキラとふたりを照らしている。蛍はサラに抱き抱えられたまま、寮の外に移動していたのだ。

「何が起きたの…?」

「少し動いた」

「動いたって…」

 憑物とサラとは10メートルほど離れているのだが、彼はこの距離をほんの一瞬で動いたというのか。

 夜風がサッと吹き抜けて、彼の三つ編みが空駆ける龍のごとくなびいている。

 蛍は口をあんぐりさせて、憑物に向けられたサラの冷たい顔をぐっと見上げた。

「ほら。遅い」

『オ…ソイ…?オソイ?オソイッテ、イッタノカ?』

「うん、言った。君は遅い」

『ウオオオ!コロス、コロースッ!!』

 言うが早いか、憑物は地を蹴りあげて怒涛の勢いで迫ってきた。

「おいで。楽しませてあげる」

 サラがふっと笑って憑物を誘う。その微笑みは挑戦的というより、どこか切なさを感じた。

 彼はぎりぎりまで憑物を引きつけると光の速度で数メートル先に飛ぶ。それを何度か繰り返して、ふたりは校舎裏の藪を抜けると第3演習場に辿りついた。

「あわわわわ!!」

 内臓がフワッと浮いたかと思えば、脳がぐらぐらと揺さぶられるような感覚に蛍はぐるぐると目を回して、胃から込み上げてくるあれやこれやを必死に堪えた。

「静かに」

 サラがピタッと動きを止めて、慣性の法則により蛍の内臓が一気に右半身に偏った気がした。トドメを刺されたように蛍の吐き気が増大する。

「ぎもぢわるい…暴れ馬にしがみついているほうが遥かに乗り心地がいいわ。生きた心地が、し、な、い…」

 蛍は転がり落ちるようにしてサラの腕を降りると、四つん這いになって冷や汗を拭った。食道を駆け登ってくる夕食の代わりに、蛍がありったけの不満をブツブツ吐き出していると、サラは彼女のそばに片膝をついて優しく背中をさすってやった。

憑物はふたりをすっかり見失ったようで、少し離れたところをキョロキョロと顔を振りながら歩き回っている。

「だから止めた。イルカでも嫌がる」

「聞いてないわよ… 危ないってまさか、これのことを言ってたの?」

 サラはコクッと頷いて、困ったふうにぽりぽりと頬を掻いた。

「私はてっきり憑物のことかと…言葉足らずにも程があるわ!」

 思わず声が大きくなり、蛍は慌てて両手で口を覆った。錆びついたブリキのように硬直した首をゆっくりと憑物に向ける。憑物はそばだてていた耳をピンッと立て、ニタァと悦に入った。

「蛍ちゃんは維千さんを呼んで」

 サラがポケットからベルを取り出して、蛍の手にそっと握らせる。彼は穏やかに微笑むと蛍をぎゅっと抱きしめた。

(またハグ…)

 蛍は口を一文字に結んで、頬をポッと赤くした。彼は異性である蛍をごく自然に抱きしめる。

(怖くて不安でどうしようもないとき、サラさんもこうして誰かが抱きしめてくれたのかしら…)

 見た目には細いが筋肉質で少し硬い腕から、サラの温もりが伝わってくる。春を告げる太陽のように、蛍の緊張を解かしていく。

「大丈夫」

「はい!」

 蛍が力強く頷き返すとサラはニコッと照れくさそうに笑った。

(サラさんってこんな顔もするんだ…)

 蛍は少し驚いたが、いつもの無表情よりこちらのほうが不思議と彼らしく感じる。サラは骨張った手で蛍の頭を優しく撫でると、スッと静かに立ち上がり、憑物をまっすぐ見据えた。小柄な彼の大きな背中に涼風の面影が重なる。

『ミィツケタアアア!!』

 憑物の口から無数の小さな口がまるで蛇のようにうねりながら飛び出してくる。サラはタッと駆け出すとそれらを軽々と交わし、いくつかは掌底で弾き飛ばして、憑物の顎をガッと蹴りあげた。次の瞬間、サラは憑物の上空にいて、今度は重いかかと落としを憑物の脳天にズシッとお見舞いする。

 ダアアンッ!と地響きがして、地面に食い込んた憑物の頭にサラがトンッと着地した。彼が「もういっちょ!」と声を張りあげ手をかざすと、バチバチバチッ!と空気をつん裂く音がして、激しい電流が蛍の目を眩ませた。

『ウオオオ!!』

 憑物の痛々しい悲鳴が大気を震わせる。ドロドロと溶け出した黒い身体はシュウウウと煙をあげて、チラチラと赤い熱を灯らせていた。

『オマエ…ナンダ?ナン…ナンダ?』

 憑物が息絶え絶えに問うと、サラは口元に手をやり熟考してから重い口を開いた。

「ジョニー魔法学校2年、普通科。ただの…生徒だ」

 蛍は愕然とした。ジョニー魔法学校の生徒は皆こうなのか?それともサラが化け物なのか?

 魔法だけではない。その戦い慣れた動きは、軍人である涼風と互角にわたりあえるとさえ思えた。

(…じゃなくて!ぼんやりしない!)

 蛍は自分の頬を両手で挟むようにしてバチンッと叩くと、ふんっと気合を入れ直した。圧倒されている場合ではない。今の自分にはできることがあるのだ。

「繋がれ!」

 蛍が力いっぱい握りしめると、金属のような光沢を放つベルはその見た目にそぐわず、いとも簡単にふにゃりと潰れてしまった。

「えっ…ちょ、ちょっと…どうしよう…壊しちゃった?」

 蛍がどぎまぎしながら手を開くと、ベルは「ぐえっ…ぐええ…」と苦しげな声を漏らして、剥いた白目を涙ぐませていた。

「握りすぎですよ。ベルがかわいそうだ」

 ベルの口がぱくぱく動いて、そこから維千の甘い声が飛び出した。

(寝起きかしら?)

 維千の声はいつにも増して甘ったるく耳をくすぐってくる。

「こんな真夜中にどうかなさいましたか?」

「維千さん!寮に…」 

 ダアアンッ!と大きな音が蛍の言葉を遮って、演習場がグラグラと揺れる。憑物の口から伸びる小さな口らをひとつに束ねて、サラが憑物の巨体を投げ飛ばしたのだ。

 憑物は猫のように宙で身を翻して四つ腕で着地すると、ガガガッとその太い爪で地面を削り取り勢いを殺したようだった。

 演習場にできた20本の大きな裂け目に、蛍はサッと青ざめると言葉を失ってしまった。

「なんの音ですか?」

 維千の声が遠くに聞こえる。彼が蛍を呼ぶ声は耳に入っているのだが、目の前の光景に呑まれてしまい、蛍は声を絞り出すことすらできなかった。

 憑物はキュッと身体を丸めると2本の前手で演習場の土を鷲掴みにし、2本の後手でジリジリと後ろに下がっていく。前腕がギリギリと限界まで引き伸ばされると、憑物は『アハッ』と大口を開けて、握っていた土をパッと離した。

 憑物の巨体はまるで飛ぶ鳥を狙い撃つパチンコ玉のように、涼しい顔で伸脚するサラ目掛けてビュンッと飛び出した。

 次の瞬間、サラは憑物の前からパッと姿を消したかと思うと、蛍の隣にパッと現れてベルを覗き込んでいた。

「こんばんは、青の死神」

「サラくんですか。やめてください。死神さんに殺される」

 維千は苦々しく言ったが、あははと笑って本気で嫌がっている様子はない。彼はきっと、誰にどう呼ばれるかなんてどうでもいいのだろう。

 目標を失った黒い肉弾は闇雲に転がり回り、演習場の木々を次々と薙ぎ倒している。

「サラくんがどうして…あ!もしかして、デートですか?あはは、見せつけてくれますね」

「デ…デェト?!」

 蛍は素っ頓狂な声をあげた。彼女の手から滑り落ちたベルが「ふげっ」と小さな悲鳴をあげる。サラはベルを拾いあげると、同情の眼差しを向け、指先でそっと撫でてやった。

「デ、デートなんてそんなあ…!」

 維千のおふざけに蛍は満更でもない顔でコクコクと頷きながら、手だけはパタパタと激しく振って否定した。

「いいんですか?サラくん。デートだなんて…イルカさんが発狂しちゃいますよ?」

「ない」

 サラは維千のおふざけをたった二文字でバッサリ切り捨てた。何故だか蛍の心臓まで一刀両断されたように痛む。

(私だけ浮かれてバカみたい…穴があったら今すぐ飛び込みたいわ)

 入る穴を探しているのか、蛍の全身の血液という血液が身体の隅々まで駆け巡って身体がカッカッと熱くなる。蛍は顔の火照りを冷まそうと、手をうちわにしてパタパタ仰いだ。

 サラは無言のまま目を鋭くして、憑物の動きを注視している。

 失速した憑物は目を回したのか、丸めた身体をパッと開くと2歩、3歩とよたよた歩いて、その場にドテンと尻餅をついた。

(サラさん、維千さんのおちょくりに動じないなんて…ん?)

 サラが握っていたベルが熱した鉄のように煌々と赤く光っている。維千が「あっつ!」と叫んで、ドタッと何かが落ちる音がした。

「もー!怒ったなら怒った、照れたなら照れたと言ってください。いきなり危ないでしょう」

「ごめん」

 どうやら感情の高ぶったサラが無意識に身体に電流を走らせて、彼が握っていたベルが高温に達したようだった。

(動じてた…えっ?ちょっと待って…それってどっちよ!怒ったの?照れたの?)

 蛍は興味津々になってサラを覗き見たが、彼は容易に読み取れるほど感情が表に出ない…いや、出さないようにしている。

(ど…どっち?どっちなの?もう!細マッチョのくせに、もっと表情筋を使いなさいよ!)

 ふいにサラの目と目がパチンと合い、蛍は「あはは」と笑ってその場を誤魔化した。

「死神。今、旧寮に現れた幼年体の憑物と交戦中だ」

「寮に憑物が?一体、どうやって…校内は常にジョニーさんの魔法結界で守られているはずですが」

 維千が意味深に呟いて、サラはゴクリと息を呑んだ。目を逸らしたくなる事実に、高所から足元を見下ろした時のような、頭がクラクラして、脚からフワフワと力が抜ける感覚がする。

 憑物がジョニー魔法学校の強固な結界をすり抜けた。それが意味するところはつまり結界が破られた、あるいは…

「…憑物は学校関係者」

「でしょうね」

 動揺を隠せないサラとは対照的に、維千の声は淡々としている。

「現在の魔法技術では、憑物を人間に戻すことはできません。憑物が誰だろうとやるべきことは同じです。封じて魔法の進歩を待つか、諦めて殺すか。前者は危険が伴いますから、基本的には後者を選択しますね」

「殺す?!もしかしたら、大切な人かもしれないのよ?!」

「しょうがないでしょう。トロッコ問題ですよ。1を取るか、5を取るか」

 蛍が救いを求めるようにサラを見上げると、彼は逃げるように目を逸らした。

『チョコマカ…チョコマカ…ト』

 さっきまで目を回していた憑物がしっかりとした足取りで立ち上がり、グニャグニャと体表を変化させ、ヤマアラシのような針で体幹を包んだ。針の1本1本がバリバリと音を立てて、それぞれが生き物であるかのように蠢いている。

 憑物は相当苛立っているようで、フーッフーッと荒げた呼吸の合間に『グアアア!』とゾッとする遠吠えを混ぜた。

「あの、ゆっくり話している場合じゃ…」

 蛍はマイペースを崩さないサラ威嚇しながらジリジリと歩み寄る憑物の間で、目を行ったり来たりさせている。

「死神。俺は制御装置で全力が出せない。援護が欲しい」

「憑物相手にあなたならひとりで充分でしょう?」

「憑物は急成長する。なにが起こるかわからない」

『ウオオオ!!』

 憑物がひと声吠えたのを合図に、体の棘をサラに向かって一直線に伸ばした。

「きゃっ!」

 次々と降り注ぐ針の豪雨がガガッと土を抉る。一線の針が蛍を串刺しにする直前、サラがひょいっと彼女を腰に抱えあげた。

「あわわわわわ」

 蛍に怯える間も与えず、サラは地面に突き刺さった針をタタッと駆け上り、針雨の隙間を縫いながら憑物の背後にパッと飛んだ。

「大丈夫?」

 青白くなった蛍をそっと降ろすと、サラは彼女を背に隠すようにしてサッと身構えた。

(もう嫌だ)

 上下左右に揺さぶられ、船酔いのような強い吐き気が再び蛍を襲う。返事をしたら言葉といっしょに胃の中身まで出てきそうだ。

「サラくん、イルカさんは?」

「今夜から帰省」

「今ごろ汽車の中ですか…間が悪い」

 ベルの向こうで維千は苦々しく笑っている。

「制御装置なんて、本当は関係ないでしょう?緋色の逆鱗さん。あなたは…」

「うるさい」

「逆鱗って?わわっ!」

 ダンッ!ダンッ!ダンッ!と地面を揺らして、憑物が突進してくる。激しい揺れに細い足首がぐらついて、蛍は慌ててサラの袖を掴んだ。彼の肩がズルッと落ちて、左上腕に巻かれた包帯が露わになる。

「わわっ!こっちに来る!」

 サラは落ちついた動きでずり落ちた服を正すと、憑物を冷ややかに一瞥して「芸がない」と呟いた。

「逆鱗というのは…彼に触れたら、タダでは済まないということです」

 維千の声に耳を傾ける余裕などあるはずもなく、蛍は咄嗟にサラの背にしがみつくと固く目をつむった。

 バチバチバチッ!と空気を切り裂く音がして、瞼の向こうがカッと白く光る。蛍がそっと目を開けると、憑物は赤黒く焼け爛れた肩を抑えて、ドタンバタンとのたうち回っていた。ドロドロと肩が溶け出して、憑物は『ウオオオ!!』と悲鳴をあげている。

 これまでのそれとは比にならないダメージなのか、憑物が肩に肉片を寄せ集めて修復を試みるも、傷に触れたところからジュワッと溶け出してしまい、傷口はなかなか塞がらない。

「あはは、すごい音。派手に決めましたね。制御装置、ちゃんと着いてます?」

「うるさい」

 維千がケラケラ笑うので、サラは首のチョーカーに人差し指をかけて少し不貞腐れた顔をした。

「それより…盾にされた」

 サラが少し不服そうにぼやいて、蛍はビクッと震えあがった。

「あはは!だってあなた、まるで電気柵じゃないですか。サラくんの正しい使い方だと思いますよ」

 蛍が「アハハ…」と乾いた笑いをこぼすと、サラはやれやれと息を吐いた。

『オエエ…オエエ…』

 憑物はズルズルと身体を引きずりながら、腹についたファスナーの奥のそのまた奥から紫がかった肉塊を吐き出している。

 蛍はその吐瀉物の中に、犬とも馬ともつかぬキャラクターのキーホルダーがひとつ紛れているのを見つけた。 

「あれってもしかして…」

 憑物はひとしきり吐き終えると、ピタリと動きを止めてググッと頭を持ち上げた。

 カエルのように大きな口がニヤリと企んだ笑みを湛えて、蛍の背筋にゾワッと悪寒が走った。

『疫病神…不吉の子…いてはいけない子…』

 突然、憑物が老若男女の声色で流暢に語りかけてきた。 

 蛍にはさっぱり意味がわからなかったが、サラは幽霊でも見たかのようにサッと表情を凍りつかせた。彼の手から力が抜けて、ベルがボタッと滑り落ちる。

「サラ…さん?」

 蛍はベルを拾うとサラの顔を見上げた。彼の瞳は何かに怯えるように揺れて、指先は小さく震えている。

『お前さえいなければ…お前がいるから…お前のせいで…』

 サラの血の気を失った頬をツーッと冷や汗が滴り落ちて、憑物はニタァと喜色満面になった。

『おいで、サラ』

 憑物はニューッと首を伸ばしてサラを目と鼻の先から覗き込むと、若い男性の声で鈴の音のように優しくささやいた。

 サラがハッと目を見開いて、打ち寄せる荒波のように呼吸を早くする。

「…なさい…ごめん…なさい…」

「サラさん!?」

 蛍はサラの腕を抱えるようにして引っ張ったが、彼はそこに張りついたように動かない。今、彼の真っ赤な瞳には鬼気迫る蛍の顔も憑物の姿も映っていなかった。

「サラマット!気をしっかり持て!」

 維千が鋭く叫ぶとサラはハッと我に返って、パッと身を伏せた。同時に憑物の口から小さな口がビュッと飛び出して、サラの頭があったところを一直線に撃ち抜く。

「サラさ…あわっ!」

 サラはすぐさま蛍の手を取りかけ出すと、パッと憑物の後ろに飛んだ。サラの弱味を見つけた憑物はすっかり機嫌をよくして、『アヒャヒャヒャ』と狂った笑い声を演習場の闇に響かせている。

「心を…読まれた?」

 サラは呼吸を深くして、取り乱した気持ちを落ちつけようとしている。

(すごい汗…サラさんがこんなに動揺するなんて)

 蛍は何をしたらいいのかわからず、まごつく手をサラの背にそっと添えた。

「恐らく、心眼の魔道具かと。先程の強い接触で、奥底の心と記憶を読まれたのでしょう。魔道具はそう易々と手に入る代物じゃない…完全体ならまだしも幼年体の憑物が何故」

「…スピッツ」

 呟いた言葉を噛み潰すように、サラは歯を食いしばった。

「何にせよ、心眼はあなたと相性が悪い。今、そちらに向かっています。あと5分だけ時間をください」

「ありがとう」

「蛍ちゃん、サラくんをよろしくお願いします」

「え?、私?」

「他に誰がいますか。あなたの生意気な気丈夫が今は頼りになります。彼は繊細ですから」

「うるさい」

「生意気って…」

 維千はどうしてこうも余計なひと言をつけるのか。蛍がぶー垂れた顔をしていると、サラは震える手を蛍の頭にぽんっと置いて情けない顔で笑った。

 憑物は今もコロコロと声色を変えながら、けたたましく笑い声をあげている。

「大丈夫です」

 彼が恐れているものが何なのか、何がどうして大丈夫なのか、蛍にはわからない。わからないが強い確信がある。

 蛍はサラの手に手を重ね、ニッと自信たっぷりに笑った。

「ありがとう」

 サラの手の震えがピタリと止まる。サラがはにかんだ顔で無邪気に笑うと、彼の耳元で鍵のモチーフのピアスがキラッと揺れた。

ここまで読んでくださった方がもしいらっしゃれば、本当にありがとうございます。作者が嬉しいのはもちろんのこと、登場人物たちにとって何よりの幸せです。


恋は心の描写が難しいですが、戦闘シーンは動きの表現が難しいですね。作者、こんな魔法使ったことないし、戦ったことないし…というわけで、黒星の力不足は読者の想像力で補ってもらうことにしました!(他人任せ)


引き続き、のんびり気ままに書いていきます。

拙い文章ですが、おつき合い頂ければ作者、登場人物ともに幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ