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とある星物語  作者: 黒星
10/59

第10歯 古傷を抱える人ほど、明るく笑っている

 キールはとある武装組織の戦闘員だった。望んでなったのではない、拐われたのだ。

 玩具にされるのは嫌だったから、進んで最前戦に立ちどの戦士よりも命を張った。死にものぐるいで成果をあげるキールに彼らはとても優しかった。

 殺せば殺すほど褒めてもらえたし、仲間と認めてもらえた気がしたから、キールの罪悪感は徐々に悦びに変わっていった。褒められたい一心でキールの小さな手は重い銃を握った。

 家族のことは考えないようにした。そうしないと見る影もなく崩壊した自分の上に、やっと築き上げたハリボテの自分さえ壊れてしまいそうだった。

 今日も生きるために良い子になろう。自分の居場所はここで、私はもうあそこには戻れないのだから。

 この戦いに敗北はない。終わりとは勝つことを意味する…はずだった。

 白銀の雪がすべてを覆い隠すように降ったその日、キールの戦いは突然終わった。

「あり得ない…あり得ない、あり得ない!」

 組織の精鋭たちがたったひとりの男に完膚なきまでに叩きのめされた。にわかには信じ難かったが、目の前の惨状にキールは敗北を認めざるを得なかった。

「…死神」

 銀世界に紺碧の髪が映える。この世のものとは思えないその美しさにキールは息を呑んだ。噂に聞いたことがある、南の大国に青い死神がいると。

「死ね!死ね、化け物!」

 耐え難い恐怖にマシンガンを乱射したが、銃弾は地表から次々と伸びる氷柱(つらら)に防がれ、たったひとつも(かす)りすらしない。

(そうだ、死ぬんだ!死ねば、これ以上奪われることはない!)

 キールはまだ冷めぬ銃口を自ら顎に突きつけた。ぎゅっと脇を締めて、ガクガク震える腕を固定する。ぐっと指を引いたが、引き金は凍りついて動かなかった。

 死神は獲物を見つけた獣の目をして、なす術なく茫然自失するキールをガッと押し倒した。

「守りたいものがある奴が死を選ぶな」

 彼は鋭利な氷柱を手にしてにっこり微笑むと、躊躇(ためら)いなくキールの手足を切断しようとした。

「維千!」

 重圧感のある太い声に制止され、維千は残念そうにため息を吐いた。彼の白けた目線の先には、金髪をオールバックした(いか)つい男が表情を険しくして仁王立ちしていた。

「子供だぞ」

「子供ですね」

 メロウが言わんとしていることがわからないようで、維千はきょとんとして首を傾げた。メロウは苦虫を噛み潰すと、頭を抱えて大きなため息をついた。

「お前、その子をどうするつもりだ?」

「尋問ですよ。彼女は上層と繋がっている。いらないなら殺しますけど?」

「手足を切ったら拷問だろ。まったくお前は…その子の手足は残すし、殺さない」

「本気ですか?それでどうするおつもりですか」

「連れて帰って」

「ほらね」

 維千はフフンッと得意げに笑ってキールに向き直ると、バッと氷柱を振りかざした。

「社会復帰させる」

「は?」

 手にしていた氷柱をツルッと落として、維千はフリーズした。メロウはポケットから葉巻を1本取り出したが、キールがいるのを思い出して自嘲すると再びポケットにしまい込んだ。

「いい加減、見境なくお持ち帰りするのはやめてください」

「おい、お持ち帰りじゃねえ。保護だ、保護。誤解を招くような言い方はよせ」

「間違ったことは言っていません。聞こえはいいですが、その身勝手な綺麗事で連れ帰った人間のどのくらいが社会復帰しましたか?できないことを言わないでください。迷惑千万です」

「痛いところを突いてきやがる。結果が得られていないのは事実だ」

 メロウは顎髭を撫でながら、「理解が足りないのか?」だの「やり方が悪いのか」だのブツブツ呟いている。彼はしばらくして維千のうんざりした笑いに目を止めると、ニヤリと不敵に笑った。

「維千。お前が面倒見てやれ」

「はあ?」

 維千がこれ見よがしに不快な顔をすると、周囲の氷柱がパリーンッと一斉に砕け散った。

「お断りします。言い出しっぺはメロウさんじゃないですか。メロウさんが責任を持つべきです」

「責任は俺が持つ。現場はお前に任せる。良い機会だ。お前、魔法が使いたいんだろ?」

「それは関係ないでしょう」

「関係あるさ。魔法は心だからな。愛情を学べば、お前の魔法も今よかマシになるだろうよ」

 メロウの豪快な笑いに折れる気がないのを察して、維千は肩でため息を吐くとキールからそっと銃を取り上げた。

「逆らったら殺しますね」

 維千がにっこり微笑むとメロウはガツンと拳骨を落とした。

「いったあ!何をするんですか」

「これから仲良くしようってのに、そんな挨拶があるか。ったく…あんた、名前は?」

 維千の艶髪を力任せに撫で回して鳥の巣にすると、メロウはキールにニッと笑いかけた。怯える野良猫のような目にキッと睨めあげられて、メロウは頭をガシガシと掻きむしると途方に暮れた。

「教える気はねえか。ま、そりゃそうだわな…維千、つけてやれ」

「何で俺が」

「名前がなけりゃ不便だろ」

「だから、何で俺が?」

 維千が笑顔で苛立って寒さが酷寒に変わっても、メロウは頑として譲ろうとはしなかった。

「…キール」

「バカ。そりゃ、酒じゃねえか」

「酒の名前なら愛着も湧くでしょう?」

「おまえなあ」

 維千は白くしなやかな両手で、キールの震える手を優しく包み込んだ。雪に触れたようなその冷たさに、キールはハッと顔をあげた。

「死んでる…」

「失礼ですね。生きてますよ」

 メロウがガハハッ!と豪快に笑うので、維千は目を半眼にしてフッと冷笑を浮かべた。


 しばらくして、キールの家族が見つかった。見つかったのだが…所詮、血のつながった他人だった。家族だからといって、無条件に絆が生まれたりはしない。

 奪われた時間を取り戻すのは難しく、「家族だから」という理由でよそよそしくも馴れ馴れしくいようとする関係にギクシャクしてしまい、キールは娘らしくあろうとすることに疲れて、ジョニー魔法学校への入学を機に独り立ちした。

 悲しかったが寂しくはなかった。

 たまに会うくらいの距離感が家族との仲を深めたし、なにより維千が猫の手も借りたい多忙の合間を縫って会いに来てくれたから。

 銃の代わりに持たされたベルは「困ったときに鳴らせ」と言われていたが、ほとんど鳴らしたことがない。鳴らそうと思ったとき、維千はいつも隣にいた。

 彼は心に鈍感な上、美的感覚が一般のそれとはずれているため、贈り物は貰うのは得意でも贈るのは不得手だった。彼からもらった物は少なかったが、彼は惜しみない時間をくれた。

 維千との面会は土産も笑顔もなかったが、ゆっくりと着実にキールの心を癒していった。


「懐かしいなあ」

 チリンチリンと涼しげな音を鳴らして、ドアベルがキールを迎え入れる。シックな内装に薄暗い照明、カウンターに5席とテーブル席がふたつあるだけの狭い店内はあの頃と少しも変わらない。

(維千さんったら、仕事が早く片付くと隊長服のまま迎えに来てさ。よく連れてきてくれたっけ。当時は酒好きにも程があるって、飲み過ぎを叱っていたけど…)

 キールは当時の自分を思い返して、苦々しく笑った。維千に飲み過ぎの心配はいらない。そもそも彼の半分は人間ではないのだから。

 維千は恐らく、人間味の薄い自分には埋められない穴を、彼が知る数少ない社交場で埋めようとしていたのだろう。

(なんでも器用にこなすくせに…ほんと、不器用)

 キールはふふっと笑いをこぼすと、カウンターの最奥からふたつ目の席に腰かけた。最奥は維千の特等席。幼いキールはいつもその隣で彼の動作をそっくり真似て、ホットミルクを飲んでいた。

(最後に来たのはいつだったかな)

 キールが笑顔を見せるようになると、維千が迎えに来ることはなくなってしまった。

「キールちゃんかい?」

「マスター、久しぶりだね」

 マスターはグラスを拭く手を止めて、静かに微笑んだ。ここ「BAR(ばー)ヒュッゲ」で唯一、彼だけが時の流れを感じさせる。彼の目尻は皺を深くして、髪は…若々しく黒々として、より不自然さを増している。

「見違えたよ。綺麗になって…ホットミルクかい?いや、君はもうお酒が飲めるんだね」

 彼はすっかり大人びたキールに目を細めて、穏やかな笑顔に喜びと寂しさの色を滲ませた。

「お酒は維千さんが来てから。ホットミルクをお願い」

 キールは照れ笑いを返して頬杖をつくと、レトロな振り子時計に目を向けた。

(少し早かったかな?ちょっと気合い入れすぎたかも)

 履き慣れないハイヒールに、足が悲鳴をあげている。小指と踵がヒリヒリして擦れているのが見ずともわかった。

(あの維千さんが急に会いたいだなんて。私が大人になってからは、いくら誘っても会ってくれなかったくせに…)

 どういう風の吹き回しだろう。蛍には色々言ってしまったが、彼の考えていることはキールにもわからなかった。

(明日は猛吹雪だね)

 キールは桜色のリップクリームを塗り直して、マスターのゆったりとしたそれでいて手際のよい動きをぼんやりと眺めた。

「お待たせしてすみません」

 キールが手持ち無沙汰にしていると、ドアベルを鳴らして維千が駆け込んできた。

「遅いよ」

「だから謝ってるでしょう?」

 維千はお決まりの席に座ると早々に強度数の美酒(びしゅ)を注文した。「相変わらず」とキールが苦々しく呟く。一体、彼の内臓はどうなっているのだろう。

(酒の強い弱いなんて、維千さんには関係ないか)

 彼にとってはどの酒もラグジュアリーなジュースなのだろう。

「はい」

 維千はポケットから小袋を取り出して、ポイッとキールに投げて寄越(よこ)した。手のひらで包み込むようにしてそれを受け止めると、キールは目を点にした。

「なに?これ」

「ヒルズに行ってきたので。お土産です」

 雷が落ちたような衝撃が走り、キールは手に持った土産をポロリと落とした。

「お、み、や、げ?維千さんが?」

「いりませんか?」

「い、いる!いるっ!」

 キールは慌てて小袋を拾いあげるとプレゼントを前にした子供のように無邪気な笑顔で、爆弾処理でもするかのように慎重に丁寧に封をあけ、中身を手のひらに転がした。

「キーホルダー?うっわ…ぶっさいく」

 得体の知れないキャラクターが生気のない楕円(だえん)の目でこちらを見上げている。まぬけな赤鼻が顔の中心を横柄(おうへい)に陣取り、その周りを小さな顔のパーツが申し訳程度に飾っている。言われなければ、これがトナカイだとは誰も気づかないだろう。

 歯が1本欠けた口でヘラヘラ笑っているそいつは、世間には不評あるいは関心を持たれていないようだが…名誉か不名誉か、維千の数少ないお気に入りだ。

 維千曰く「拾ったばかりのキールにそっくり」とのことで、嬉しいやら悲しいやらキールは複雑な気持ちでそいつを見つめた。

(確かに1本、差し歯だけど…そんな似てる?)

 死んだ目と他人を小馬鹿にした笑いは、むしろ維千そっくりじゃないか。指先にぶら下がったキーホルダーに、キールは苦虫を噛み潰した。

「なんでこれにしたの?もっとアクセサリーとかさ…」

「返せ」

 維千がパッと腕を伸ばして、土産を取り上げようとする。キールはトナカイと思われるそれを抱き抱えるようにしてサッと身を交わすと、大袈裟な素振りであっかんべえをしてみせた。

「嫌だよー」

 イタズラっぽく笑うキールに、維千は「だから、お断りしたのに」と困ったふうに頭を掻いた。

「何かあったの?」

「蛍ちゃんが、俺が選んだ物なら絶対に喜ぶからって引かなくて…買わされました」

 ああ、なるほど。いっしょにいた蛍に強引に押し切られ、やむを得ず、渋々買ったのか。

「そんな嫌々渡すお土産がある?」

 キールは腹を抱えてケラケラ笑っていたが、ふと何かに気づいてカアアッと顔を真っ赤にした。絶対に喜ぶって…強要されたとはいえ、もしかして少しでも喜ばせたいと思ってくれたのか。

「嬉しいよ。すごく嬉しい!ありがとう」

 キールの屈託(くったく)ない笑顔に、維千はふっと笑みをこぼした。

「キールは?ホットミルク飲む?」

「もー!みんなして子供扱いしないでよ。もう頼んだ」

「ごめんね。キールちゃんを見ていると、つい親心になってしまってね…はい、ホットミルク」

 膨れっ面のキールにマスターがマグカップを差し出すと、維千はニヤリと意地悪い笑いを浮かべた。

「子供じゃないですか」

「…マスター、タイミング悪いよ」

「ごめんね。冷めちゃうといけないから。どうぞ、ごゆっくり」

 マスターは眉を下げて情けなく笑うと、維千にもグラスを手渡して食器の片付けに戻っていった。

「キール。俺のこと、蛍ちゃんに話したでしょう」

「へ?えへへ…なっんの話っかなー?」

 維千の刺すような視線に、キールは観念して両手をあげた。

「ちょっとだけ。昔話をしただけだよ?維千さんに拾われたって…」

「キール…」

 維千は勘弁してくれと言いたげに、まるで子供のいたずらを(たしな)めるかように言った。

「いいじゃん。維千さんとの想い出は、私にとって大切な宝物なんだから」

「そんな美しいものじゃないでしょう。初対面で死人扱いされたこと、俺は忘れませんよ」

「あの時は知らなかったんだもん。維千さんが人間じゃないって」

 キールがムスッとした顔をすると、維千は彼女の頭をぽんぽんと軽く叩いた。彼の手はやっぱり冷たくて、火照った身体にひんやりと心地よかった。

「そんなに大切なら、胸にしまっておきなさい」

「なんで?みんな維千さんのことを誤解してるよ」

「あはは。みんなが誤解しているんじゃない。キールがそそっかしいから、ちゃんと見えてないんでしょう」

「またそんなこと言って…ひどい!泣くぞ?」

「どうぞお好きに」

 キールが泣いたふりをしても、維千は涼しい顔で酒を飲んでいる。懐かしいやりとりにキールは嬉しくなって、思わずクッと笑いをこぼすと、そのまま雪崩れ込むように腹を抱えてケラケラ笑い出した。

「ほんっと相変わらず。こうしてふたりで話していると色々思い出すね」

「何を?酔い潰れて寝ている客の顔にキールが落書きした話?それともキールがマスターのヅラを奪って逃げ回ったやつ?」

 マスターがビクッと肩を震わせて、手から滑り落ちたグラスをすんでのところで受け止める。

「もっとマシなのあるでしょ」

「ないですよ。おてんばキールはヒュッゲの生ける伝説ですから」

 維千はグラスに口をつけたまま、遠い目をしてふふっと笑っている。

「あーあ、維千さんは私のことを知ってるのに…私は維千のこと全然知らない。からかわれてばっかりだよ。不公平だ」

「…俺のなにが知りたいですか?」

 悪態を吐かれるかと思ったが、彼があまりに素直だったのでキールは目を丸くして拍子抜けした。

「聞いていいの?」

「今日は特別」

「酔ってる?」

「酔ってないですよ」

 維千はヘラッと情けなく笑って、「酔えたらどんなにいいことか」とぽつり呟いた。維千のいつもと違う様子に、キールはもやもやと嫌な予感がした。

「じゃあ。維千の子ども時代、教えてよ。どんな子だった?好きだった遊びとかさ…」

「子ども時代がいつ頃なのか、判断しかねます」

「それじゃあ…出身は?」

「キールにはまだ早いですよ」

「なにそれ。それなら、隊長になった理由とか?」

「酒代を稼ぐため…でしょうか」

「平和のために戦ってたんでしょう。もっとマシな理由はないの?」

「話すと長いですから…今日は割愛させてください」

「だったら、ちょっと踏み込んだ質問。維千は半分が人間でしょう?もう半分は?」

「んー…裏のある優しさ、かな」

「もー!維千さん、答える気ないでしょ」

「ありますよ。キールが答えられない質問ばかりするから」

「何なら答えてくれるのよ」

「好きなものとか」

「酒でしょ」

「苦手なものとか」

「安酒だよね」

「趣味は」

「酒」

「特技」

「酒戦」

「もーっ!全部、私が答えてるじゃない!ってか、ぜんぶ酒絡み!」

 キールがバンッと両手をついて、募りに募った苛立ちを爆発させる。維千は抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)して、キールに拍手を送った。

「全問正解!聞かなくたって、よく知っているじゃないですか!」

「バカにしてる?」

「バカにはしてないですよ。少々気持ち悪いですが」

 維千のヘラヘラとした態度が、ますますキールを怒りで逆上させる。

「何年いっしょにいると思ってんの」

「たった十数年です」

「十数年、も!」

 維千は「はいはい」と聞き流して、キールの手にマグカップを持たせた。

「あなたの身に危険が及ぶようなことは答えられませんから。ご期待に添えず、申し訳ありません」

「…いいよ。許してあげる」

 キールは口に咥えたマグカップに目線を落として、勇気を振り絞るとおずおずと口を開いた。

「もうひとつだけいい?」

「いいですよ」

「維千さんは、私のこと…どう思ってる?」

 長い沈黙が続いた。キールがそう感じただけで、本当はほんの一瞬だったかもしれない。

「…私はね、維千さんが好き」

 維千は冗談だと思って笑っているだろうか。それとも困らせるようなことを言われて怒っているだろうか。

 キールはどうしようもなく怖くなって、マグカップから顔をあげられなかった。雪のように真っ白なミルクが、キールの吐息で震えるように小刻みに波打っている。

 待てど暮らせど、維千からの返事はない。


 ああ、言わなきゃよかった。


 いっそ笑い飛ばしてくれたらいいのに。悪態(あくたい)をついて、白けた目をしてくれてもいい。維千がいつもの維千でなくなるのが怖い。

 酒も飲んでいないのにキールの胃はキリキリと悲鳴をあげて、頭がぐわんぐわんする。

「…ありがとうございます」

 残酷な優しさから放たれた感情の伴わない言葉が、ついさっき出来たばかりの傷を抉る。

 もう辞めておけばいいのに、1度溢れてしまった想いは止まらない。

「ずっとずっと好きだよ。ふざけているようでいて何事にも真剣で、芯があって誰よりも強くて…そのくせ、不器用で素直じゃなくて…」

「お気持ちは嬉しいのですが…すみません。俺には想い人が」

 キールはタンッと乱暴にマグカップを置いて、パッと維千を振り向いた。彼女の少し怒ったような泣き顔を維千の能面顔が冷たく見つめ返す。

「サンさんは好きなんじゃなくて、責任感から好きになろうとしているだけでしょ?維千が無理してるの、伝わってくる」

「肯定はしないけど、否定もできないね」

 維千は暖色の薄暗い照明を見上げて、ふうっと大きく息を吐いた。

「キールのことは家族だと思ってる。大切なんだ。つらい思いはさせたくない」

「老いのことなら気遣いはいらないよ。あなたの長い人生の、ほんの一瞬でいい。同じ景色が見たいの。覚悟はしてる」

 維千はグラスの側面についたひと粒の結露が時々動きを止めながら流れ落ちるのを待って、重い口をゆっくりと開いた。

「…俺の半分は札付きの血統だから」

 維千は切ない笑顔を浮かべて、泡雪を掬うようにキールの頬にそっと触れた。冷たく柔らかな手のひらが彼女の熱を冷ましていく。

「もっといい人を探してください」

 維千の手をパシッと払いのけて、キールは押し寄せる涙をボロボロとこぼした。

「あなたがいいの。それは…その言葉は…維千さんの口からいちばん聞きたくなかった」

「キール!」

 維千の制止を振り切って、キールは店を飛び出した。慌ただしく鳴り響いていたドアベルが、徐々に勢いを失っていく。

「あーあ、怒らせちゃった」

 維千はふうっとひと息吐いて、少し浮かせた腰を椅子に戻した。飲みかけのホットミルクは薄らと膜を張っている。

(大切…家族…)

 咄嗟に口走った言葉を胸の内で何度も繰り返す。どこかで読んだ本の台詞だろうか。体よく断るための嘘か。それとも本心なのだろうか。

 維千の心はいつも凍えた指先のように感覚がない。言葉と感情に実感が湧かない。

「追いかけないのかい?」

「火に油ですよ」

 維千は降参とでも言うように両手をあげてひらひらさせると、マスターに苦々しく笑ってみせた。


ここまで読んでくださった方がもしいらっしゃれば、本当にありがとうございます。作者が嬉しいのはもちろんのこと、登場人物たちにとって何よりの幸せです。


駆け足で書いて投稿するも納得いかず、少し書き直して再投稿いたしました。

なかなか区切りがつきませんね。ひとつのお話を完結させた方々、完結に向けて書き続けている方々、感服いたします。


引き続き、のんびり気ままに書いていきます。

面白味のない作者とヤキモキさせるキャラ達ですが、おつき合い頂ければ幸いです。

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