2.不機嫌
山姥切国広たちは狩った獣の血や内臓の処理を済ませた上で、その日の夜には帰ってきた。
厨の外は建築作業が始まった翌朝からずっとにぎやかだった。既製品の土台を埋めて木の柱を立て、屋根の骨組みにプラスチックの波板を打ちつけただけの簡単な造りだ。壁や窓や出入り口はおいおい追加する。
夕食のために長椅子が置かれ、皆は三々五々座って、焼いた肉や野菜を食べていた。飲み物は酒類も用意されている。雨よけの下では数人が椅子替わりの木箱に腰かけ、飲み食いしながら調理していた。
こんのすけは雨よけの隅っこで、炭火であぶった油揚げを前にしてしょげていた。昨日から審神者の機嫌が悪く、冷たい目でにらみつけられた上に、寝床に入れてもらえなかったのだ。こんのすけは昨夜、寂しさに震えながら自分用のベッド(もこもこふかふか)で寝た。
へし切長谷部は玉ねぎや香辛料に漬けこんだ肉を焼きながら言った。
「いつも主の布団の真ん中を陣取って、主を隅に追いやっているからだろう」
こんのすけはしょげきった声で「そうでしょうか……」と答えた。
「でもそれ、いつものことじゃん。今になって急に怒るかなー。たまたま機嫌が悪かったんじゃないの?」
加州清光が言うと、三日月宗近は肉を食べる箸を止めて言った。
「俺が主に相談もせずにこの計画を始めたからか?」
加州清光はもぐもぐしながら言った。
「ん……それは別に怒ってなかったけど……あ、俺、三日月が、とは言わなかった。数人から早急に厨の外に雨よけと野外炉を作りたいって話が出てるよって言った」
歌仙兼定はうなずきながら言う。
「少し前から厨が手狭になっていて、皆が困っていたのは事実だからね」
三日月宗近は少し考えながら「では今朝のあれは……?」とつぶやいた。
「あれってなに?」
と加州清光が聞くと、三日月宗近はあいまいに笑った。
「ああ……いや、年を取ると言葉が出なくなってなぁ」
「ごまかすなよ。言いかけたなら最後まで言えっての」
加州清光がつっこむと、三日月宗近は言いづらそうに口ごもった。
「三日月も主に冷たくされたの?」
三日月宗近は困ったようすで眉尻を下げた。
「まあ、そんなところだな。特に何か言われたわけではないが、なにやら目つきと態度が……この計画が原因ではないなら、主の機嫌を損ねた理由がまったく分からん」
平野藤四郎が落ち込んでいるこんのすけに
「寂しいのなら、主のご機嫌が直るまでこちらに泊まりませんか?」
と声をかけた。
「それがいいです。虎くんたちも喜びますよ」
と五虎退も同意した。
こんのすけは少し気を取り直したようすで返事をした。
「ありがとうございます。では、お邪魔します」
浦島虎徹は言う。
「主さん、昨日からなんか機嫌悪いよね」
「で、主は来ないのかい?」
蜂須賀虎徹がまわりを見まわしながら言った。
「声はかけたんじゃがのう」
陸奥守吉行はそう言って仕方なさそうに肩をすくめた。
「昨日の朝、なにかあったか?」
山姥切国広は加州清光に尋ねた。
加州清光は「なーんにも」と首を横に振った。
審神者は、昨日の朝、会ったときから顔つきが険しかった。おとといの晩まではなにも変わりはなかった。
皆が屋外での夕食を楽しんでいる頃。
審神者は執務室で一人、腕を組んで考え事をしていた。審神者の前の机にはモニターが三台並んでいる。
左のモニターには自分自身がこれまでに疑問や不可思議に感じたことやそれについての推測を記録したメモ。
真ん中のモニターには時の政府がこれまでに行った催し物の記録資料。記録資料は審神者の有志がまとめたものだ。
右のモニターには他の審神者たちがSNSに書き記した考察や意見。他の審神者たちからは「時の政府はAIではないか」という疑惑が複数上がっていた。
「戦力拡充訓練のとき、説明文には『訓練には人参がいると、発掘された古代の文献に従い、いくつかの報酬が用意された。』と書かれていた。報酬を用意するのに古代の文献に従って? 奇妙だ。私たちは二〇一五年あたりに生きている。時の政府はおよそ二二〇五年あたりに存在している。せいぜい二百年程度しか経過していないのに発掘?」
「時空を跳躍して私たちを審神者にできるのに、わざわざ発掘した古代の文献に従う意味とは」
「人参という言い方も、意味は分かるが失礼だし、何かおかしい。時の政府に生きている人間たちがいたら『訓練に対して報酬を用意した』と書くのでは?」
「そもそも、なぜ二二〇五年あたりに生きている者を審神者にしないの? もしかして人類滅びた? 文明が土に埋もれた?」
「時の政府は実はAIで、滅びた人類や文化の記録を集めているのでは」
「言葉づかいが怪しいのは、時の政府AIにとって日本語のニュアンスが難しいのかも」
審神者は右のモニターを見ながらつぶやいた。
「時の政府はAI……なるほど、可能性はあるか」
そこへ、加州清光がやってきた。手に持っている盆には焼きおにぎりと、焼いた野菜や肉に適当にタレをかけたものが用意されている。
「最後まで来なかったから余り物しかないよ」
と言いながら、加州清光は食事の盆を机の隅に置いた。
審神者は「ありがと」とは言ったが、食事の盆をちらりと見ただけで手をつけようとしない。
「なんだか知らないけど、いつまでヘソ曲げてんの? みんな心配してたよ」
加州清光は軽い調子で小言を言ったが、審神者は無言でモニターをにらみつけている。
このまま審神者をそっとしておこうと加州清光は考え、執務室を出ていきかけた。
その加州清光の背中に向かって審神者は言った。
「ねぇ、この戦いがぜんぶ時の政府と三日月が仕組んだ茶番だったら、加州はどうする?」
「えっ!? どうって……」
加州清光は驚いて振り向き、返答に困って目を瞬いた。こちらのようすを見ている審神者の顔つきは深刻で、とても軽く受け流せる雰囲気ではない。
加州清光は戻ってくると審神者の隣に腰を下ろした。
「……一人で抱え込まないで話してくれる? 時の政府と三日月の茶番って、ちょっと聞き捨てならないじゃん。主が考えてること、教えてよ」