旦那様、人質にさせて頂きます!
金属のぶつかり合う音、魔法による激しい怒号。
それらは決して夢幻ではなく現実だった。
突如として平和を奪われた。
――つまりは、戦争だ。
これは隣国であるバハムート国が、我が国であるリンド王国を諦めない限り続く長い戦いの物語だと思われた。
○○○
「ん〜、ここにいらっしゃると聞いたのだけど、どこにいらっしゃるのかしら」
手にはバスケットを持ちワンピースを包んだ、今からピクニックにでも向かいそうな場違いな娘は戦地のど真ん中でそう言ってため息をこぼした。
よそ見の出来ないような戦場のなかでそれは嫌でも目につき、誰もがその異様さに幻でも見ている感覚に陥り戦いの手が止まる。そして、正面にいる相手にこれは現実なのかと視線を送った。敵も味方も関係なく自分の正気を疑って。
――わけがわからない。
もう一度言うが、ここは戦地のど真ん中。
そもそも年頃の娘が入って来られる場所ではない。規制はされているはずなのだから。
娘はキョロキョロと視線をあちこちに巡らせながら、目的の人物を探して戦場の中を歩く、歩く、歩いて――やがて1人の男の前で立ち止まった。
「旦那様!!」
娘は歓喜の声を出して我が国騎士団の副隊長であるエルンストに駆け寄ると柔らかな笑みを浮かべ、剣を手にしたままの手を取った。
「誰だ、貴様は?」
エルンストは視線だけ人を殺せそうな冷たい視線を娘に向けて誰何の声をあげた。それと同時に戦場はにわかに騒がしくなる。
当たり前だ。戦場に自分の女を連れてくる男がどこにいる。だいたい彼には――。
「少し静かにしてくださいませ」
刹那――娘が声を張り上げたわけでもないと言うに、まるで喉元にナイフを突きつけられた錯覚におちいった。
誰もが動けず立ち尽くた。
「ああ、そうですわね。自己紹介がまだでしたわ」
ワンピースの裾を掴んだ娘は淑女らしく片足を斜め後ろ内側に引き、片膝を軽く折って礼をした。
「私、ヒバナ・オーガスティンと申しますわ。今日は旦那様のためにサンドウィッチを作ってまいりましたのよ」
バスケットの蓋を開けて、中を見せるヒバナ・オーガスティンと名乗った娘は恥ずかしそうに手を頬に添えてエルンストの言葉を待った。
「わたしに妻などいない。大体、ここは女子供の来る場所ではない。連れて行け」
エルンストはにべもない返しをした。事実だ。それからエルンストは近くにいた騎士にヒバナを安全な場所まで連れていくように指示を出した。
ここは戦場だ。ヒバナの素性や目的は後で聞き出せばいい。
とにかく騎士でも傭兵でも、とにかく戦う意志のない一般人が被害に合うのは許されない。すぐさま安全な後方まで下がらせるのが優先だ。
「……は、はい。そこの女、ついてこい」
「あら、旦那様は下がりませんの?」
ヒバナの登場で止まった戦いの中でなら後方まで誘導するのは容易い。それに無関係な人間を故意に傷つけるのはバハムート国でも許されない行為だ。
言うことを聞かないヒバナに対し、イライラしたように騎士はもう一度声をかけた。これで来ないのなら無理やりでも引きずっていこうと騎士は心に決める。
「何を言っている。いいから来い、安全な場所まで誘導する」
「下がりませんわ。私、旦那様の力になるべく参ったのですから。そうですわ、敵国には一度下がって頂きましょう」
ええそれがいいですわと1人喋るヒバナはそうしましょうと優雅にニッコリと笑った。
戦場に乱入したどころか好き勝手になことばかり言うヒバナに対し、苛立つ騎士は無関係の人間を傷つけるのはご法度など関係ないとでも言うようにヒバナに剣の切っ先を向けた。
敵も味方も関係なく。
「――やめろ!貴女も……」
エルンストはあくまでも一般人の安全が優先で、騎士もヒバナも止めようと必死だった。
惨劇が起きる前にと声を張り上げたエルンストだったが信じられないものを見て声を詰まらせた。
ヒバナに向けられた刃はくるりと曲がり、他の武器にまで伝播していった。まるでヒバナが傷つくことがないようにとでも言いたげに。
事実、その通りだった。
「旦那様をお守りした傷でしたら名誉ですけれど、それ以外はお断りですわ」
頬を膨らませて鼻息を荒くするヒバナは無礼すぎるなどと怒りをみせるが、騎士たちからすればこの戦いに乱入してきたヒバナこそ無礼なのである。
ヒバナの乱入によってよく分からない変形を遂げた武器では再び戦闘を続けるわけにもいかず、両軍ともに一時撤退となった。
そして、行われるのはヒバナへの尋問だ。
話にならないと困るのでエルンストには外れてもらっている。意外にもヒバナは大人しく従った。
まともにわかったことといえば、彼女は伯爵家の令嬢であるということくらいか。あとはちょっと性格がアレだということ。
戦場に来たのはおそらく結婚することになるはずであるエルンストに対し、先がけて良好な関係を作るべく来たのだと言う。そもそも顔見知りですらなかった。
「だってお父様が言っていましたのよ。選択肢がこの2人であれば旦那様の方がいいはずと」
「嬢ちゃん、もう1人ってのは?」
尋問をしていた中年の騎士が尋ねる。この際だ、聞いてしまおうという魂胆である。ちょっと楽しくなっているのも否めない。
「アルデバラン様ですわ」
「あー、そうか」
最近は相手のいないお貴族さまは少ないため相手探しも一苦労なのだろうがそれにしてもな選択肢である。
アルデバランと言えば公爵令息だ。白髪の赤目で悪魔の子として嫌われている。
もう片方は堅物で有名な騎士である。
確かにその2択ならヒバナの両親もエルンストを選ぶだろうと中年騎士は納得したが、実際のところはヒバナの立ち振る舞いでは公爵家ではやっていけないと判断されたからだった。
それさえクリアできるのなら、物怖じしないヒバナなので問題ないと送り出していた。
ひとまず尋問も終わりヒバナをどうするかは考えるが、今日はひとまず軍の野営地に泊まってもらう。ヒバナは家に帰る気はさらさらないようで旦那様といられるならと二つ返事で了承した。というか、国王陛下からエルンストとの結婚の許可が出るまで居座る気らしい。
ヒバナはただの客人としているつもりもないようで、翌日から野営地の裏方の手伝いをしていた。炊事洗濯から武器の手入れまで多岐に渡る。
足手まといになるかと思いきや、旦那様のためになるというだけで異常なほど優秀な力を発揮した。ヒバナ曰く愛の力だそうだ。
非常に助かるのだが、それと同時に困ったことも起きた。
「戦場には行かせませんわ。お互いを知るためにお茶でも致しません?」
「何を言っている。私は一刻も早く終結させ民の憂いを取らねばならぬのだ」
ヒバナはエルンストとの結婚が認められるまで、エルンストを戦場に出すつもりはないらしく、日々ヒバナに捕まってはエルンストは強制コミュニケーション時間を取らされいる。
しかも旦那様とか言ってるわりには人質扱いのようだ。
そしてエルンストを人質に取られたのは敵国バハムート国も同じだった。
旦那様との時間を作って頂けないのなら私が戦場に出ますとヒバナが明言したからだ。
戯れ言だと無視をするとヒバナ曰く愛の力で結局すぐに撤退するはめになってしまい、ヒバナよりマシな現在エルンストが出てくるのを待っている状態だ。
軍師に至っては明るい未来が見えないとやや諦めている。エルンストを倒しでもすれば確実にヒバナが前線に出てくるはずだ。
こうして、国王から返事がくるまでの時間が過ぎる。
いつしか奇妙な娘だったヒバナは良い奥さんになる愛らしい娘と言う評価に変わり、ヒバナはエルンストの妻と言う立ち位置をゲットしていた。確実に外堀が埋められていく。
「エルンスト、お前さんも愛の一言でも囁いてやればどうよ。結婚出来りゃ立場も強固なもんになる」
「いや、私は……。王命とあれば従いますが」
「真面目だねぇ。ま、後悔しなさんな」
エルンストの先輩がそう言って去っていった直後、近くから誰が緊張した声でヒバナを呼ぶ声が聞こえた。この場から離れた方がいいだろうかと考えながらエルンストは動けない。
「ヒ、ヒバナさん!」
「あら、何かしら。リヒトさん」
「す、好きです!……恋人としてお付き合い頂けないでしょうか」
婚約すらしていないヒバナに告白する者まで現れるようになっていた。性格はアレでもヒバナのエルンストに対しての愛が自分に向けられたらどれほど幸せだろうと思ってしまうらしい。
「ごめんなさ――」
「彼女は私の伴侶となるので、そういったことは遠慮願いたい」
「エ、エルンスト副隊長!」
エルンストが現れたことでヒバナに告白した騎士は戸惑って、すぐにエルンストに頭を下げて謝罪すると逃げるように去っていった。
「何を言ってるんだ、私は……」
発言した言葉に自分でも驚いて口元を抑えるエルンストに、ヒバナは勢いよく駆け寄って抱きしめた。強烈なタックルにもエルンストはよろけることすらしなかった。
「旦那様!つまり私を愛してくださっていると言うことですわね」
「いや、今のはその……貴方が困っているように見えてだな、だから……」
言葉に詰まるエルンストをお構いなしに、頬に手を当てたヒバナは自分の見据える未来を語り始めエルンストは赤面をしながらヒバナの両肩を掴んで向き合って口を開く。
「私たちはお互いをもっと知るべきだと思う」
エルンストは自分でも信じられないセリフが出たと驚いた顔をしたが、ヒバナはその様子を気にすることなく歓喜に満ちた表情で喜んでと返すのだった。
この後軍師を役立たずと罵ったバハムート国の王は、軍師に乗せられ自ら指揮をとり、完全降伏をしたそうです。
新婚旅行先はバハムート国だったとか。
お読み下さりありがとうございました。