甘い香りと宝石
「騒がしいな。こんなところで一体何をしているのだ」
声のする方を振り返ると、そこにはお父様が立っていた。
お父様が側まで近づいたことで、先ほどほんのりと感じた甘い香りが、より強く香る。
(この甘い香り……お父様から香っているの? 今までこんな香水つけてたことなんてあったかしら?)
「アラベスク侯爵、突然押しかけて申し訳ありません」
「これはハーティス公爵。久方ぶりでございます。娘がご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」
若き公爵に恭しく一礼すると、お父様は一瞬訝しげに私を見て、すぐに視線を戻す。
「いや、迷惑などかけられていませんよ。少し私が心配になっただけですから」
「そんな、閣下にご心配いただくような価値もない娘です。ひとまず、こんなところではお身体が冷えてしまいます。こちらへ」
そう言って、お父様は公爵様を案内しようとする。
(このままレイノルドと二人だけ残されても困るし、どうしたら……)
焦る私の視線を感じたのか、公爵様はじっと私を見たまま、動こうとしない。
「どうかされましたかな?」
「いえ、この度訪問いたしましたのは、ご令嬢のことでお話があってのこと。できれば、彼女にも同席して欲しいのですが」
「そうですか。でしたら……。ロベリアも来なさい」
「はい」
公爵様に言われて断れるわけもなく、お父様は渋々私にもついてくるよう促した。
すると、こんな時でも私の手を取りそっとエスコートしてくださる公爵様。
家族までもが信じられない状況下で、その存在がとても心強い。
その上、エスコートをしながら「大丈夫ですよ」と小さく囁いてくれる彼の優しさに、思わず泣きそうになってしまった。
そんな私たちの後ろから、レイノルドもついてくる。
一体レイノルドには私たちはどう見えたのだろうか……。
◇
応接室には、ヨーゼフと侍女たちが数名、支度を整えて待っていた。ヨーゼフが公爵様をソファーへと案内する。
部屋に到着するなり、エスコートの手を解いていたにもかかわらず、公爵様は私に隣の席に座るよう勧め、にっこり微笑んだ。
私たちの行動に、ため息をつきながらお父様が向かいに座ると、一瞬悩みつつも、レイノルドはその隣に収まる。
「それで、話というのは何でしょう? あまり時間がないもので、手短かにお願いいたします」
「それは失礼しました。この後ご用が?」
「ええ。修道院からロベリアの迎えが来ますので」
「お父様、それは――」
「それは一体どういうことでしょうか?」
私の言葉を遮る、いや、加勢するかのように、公爵様が強い口調でお父様に問う。
睨むお姿もとっても凛々しい……!
「どういうことも何も。王太子殿下に婚約破棄を言い渡されるような娘は、我が家の恥! 恥知らずが、まさか公爵様にまで縋ろうとするなど……」
頭を抱えながら、時より私を卑下するように睨むお父様。
「いえ、私は別に縋られてはいませ――」
「ケルビン嬢を虐めていただけでも、許しがたいというのに、どこまで恥知らずなのか!」
すると、否定しようとする公爵様の言葉を遮り、急にマリアの話に触れると、声にどんどん熱が入り、眼光も強くなっていく。何かがおかしい……。
「ですから、ロベリアは修道院へ入り、生涯を神に捧げるのですよ。その穢れた心も、ケルビン嬢ほど素晴らしくはなれなくとも、神のもとで少しは浄化されるでしょう」
(え? なぜお父様までこんなに急にマリアを賞賛するの?)
そんな疑問が頭をよぎったその時。
「アラベスク侯爵、失礼する」
そう言って、公爵様が手元から何やらスプレーを取り出し、お父様に向かって、シューっと勢いよく全身に吹きかける。
すると、薄っすらと虹のような色が現れて、お父様の身体はキラキラと小さな光に包まれた。
包まれている本人は、焦点が合わない状態で呆然としている。
「これは一体……?」
お父様に驚いていると、次に公爵様はその隣に座るレイノルドの傍へと近付く。
私と同じくお父様の様子に見入っていたレイノルドは、慌てて身構えるも間に合わず。
公爵様はレイノルドの隙をついて、彼の顔に向かってスプレーをプシュッと吹きかける。
さらには着けていたペンダントの先端にある、菱形の赤い宝石を手に取り、同じくスプレーを吹きかけた。
次の瞬間、菱形の宝石は一瞬オーロラ色に光った後、じわじわと煙を上げ、赤から徐々に黒へと変化し、最終的には炭になってしまった。
それに同調するかのように、レイノルドの身体から力が抜けていく。
そして気がつくと、レイノルドは規則的な寝息を立てて、気持ち良さそうに眠っていた。
前世の知識から、お父様とレイノルドについてはなんとなく予想がついているけれど……公爵様のあのスプレーには一体何が入っているのか。
聞いても良いものかと悩んでいた矢先、呆然としていたお父様が、落ち着いた声で話し始めた。
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もうきな臭さがすごいことになりました。
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