ランス様の憂い
顔合わせの番外編です。
タイトルは異なりますが、2話続きものになります。
よろしくお願いいたします。
その日、アラベスク侯爵邸を訪れていたランス様は、私の部屋のソファーでお茶を飲みながら悩ましげな表情をしていた。
「ランス様、どうなさったのです?」
「いえその……とても、とても大切なことがまだだったことに今更気づいてしまいまして……」
珍しく歯切れの悪いランス様の言葉からすると、きっとすごく大切なことに違いない。
「大切なこと、ですか?」
「はい……本当に申し訳ありません」
落ち込み下を向いてしまうランス様。
(ランス様がこんなに落ち込まれるような大切なこと……何かあったかしら? うーん……)
考え込んでいると、それに気づいたランス様が私の様子を伺いながら、ゆっくりと俯いていた顔を上げる。
そのなんとも色気のある表情に私の心臓が早鐘を打つ。
(ひゃゃゃ〜〜〜〜! 憂いを帯びたイケメンの視線って、こんなにもヤバいモノだったのね……!?)
きっと真っ赤になっているに違いないであろう私の頬に、ランス様の優しくて大きな手が触れる。
「ロベリア、大丈夫ですか? お顔が真っ赤に……風邪でしょうか?」
(ち、近いわ、ランス様! そんな色気たっぷりな表情で覗き込まないで……!)
「あ、いえ。あの、ちょっと火照ってしまっただけですわ。そ、それよりも、ランス様が気づいてしまったこととは何ですか?」
純粋に心配してくださるランス様に「あなた様の色気に当てられました」なんて言えるわけもなく、しどろもどろになってしまいながらも、なんとか彼が落ち込んでいる原因を探る。
すると、ようやく本題を口にした彼から、意外な話が吐露された。
「……実は、本当に今更で申し訳ないのですが、まだロベリアの御母上にご挨拶できていないことに気づいたんです……」
「まあ、そのことでしたか!」
言いづらそうなランス様に、私は思わず「なあんだ、そんなことか!」というテンションで返してしまう。
ところがそんな私の軽いテンションを跳ね飛ばすかのように、ランズ様はとても真剣な表情で、がっしりと私の両肩を掴んだ。
「いえ、ロベリア! とても大事なことです!」
ランス様のあまりの真剣さに思わずごくりと息を呑む。
「……あ、あの、母は今、祖母の看病をしに実家に帰っているのです。でも、そろそろ一度帰ってくると思いますが、婚約については、父が手紙で承諾を得たと聞いておりますし、問題はないかと……」
「大問題です!!」
「ええ!?」
(まさか、そんなに大事なことなの!?)
大問題というからには、こちらの世界にも結納的なものがあったりするのだろうか。
私の元婚約者は王太子殿下だったこともあり、婚約をする時には既に両家とも面識があったので、特に何も考えたことはなかった。
(もしかして、高位貴族の間では常識なことだったりするのかしら……何でお父様もお母様も何も言ってくれないの!?)
それに、私自身もルイーゼ様にはお会いしているものの、前公爵にはまだ対面できていない。
となると、私も前公爵であるランス様のお父様にお会いするのが礼儀というものだろう。
「大問題……ということは、私もランス様のお父様にお会いできていないのは大問題ですわ!!」
「あ、いえ、そこはお気になさらず」
「え!? ですが……」
「私が、ロベリアの御母上にお会いできていないということが大問題なだけです!!」
私の言葉を遮り、全力で力説するランス様に目を見開いていると、何を考えていたのかがわかったようで、慌てて言葉を付け加えた。
「あ、別に高位貴族の常識とかではありませんよ。普通は婚約の書面を交わして、婚約者が家に入る際に、両親が付き添って、そこで初対面ということも多いです。ですからきっと今回もそれに間に合うように戻られるおつもりなのでしょう」
「では、なぜ……??」
「!?」
首を傾げてランス様に問いかけると、なぜか一瞬彼の顔が真っ赤に染まる。
それから口元を覆ったものの、何かに抗えなかったらしい。
次の瞬間、彼の手は再び私の頬へと伸ばされていた。
「ああもう、ほんと、可愛いわ!!」
その第一声で、彼の中の可愛いが振り切れたことがわかった。
「ら、ランス様?」
「そんな困った顔で首をこてんとさせて、可愛すぎるのよ!! それでまったく本人無自覚なんだから本当に厄介だわ!! 私をどこまで虜にするつもり!? はあもう、可愛いすぎよ!!」
そう言って捲し立てながら、ランス様は私をギュッと抱きしめる。
ランス様の両手に包まれ、思わずその温もりに浸ってしまう。
胸に頬を寄せると彼のつけている香水だろうか、爽やかな柑橘系の香りが鼻腔をくすぐった。
ドキドキとうるさく騒ぎ立てる心臓の音が彼に聞こえているのを恥ずかしく感じながらも、その腕の中の幸せを享受していた。
それからしばらく抱きしめられていると、少し落ち着いたのか、オネエモードから戻った彼の口から本音が呟かれた。
「ロベリアに出会えたことが本当に奇跡のようで……そんなあなたを生み、育ててくださった御母上に感謝したいのです。ですから、どうしてもお会いしたくて……」
切なく懇願するような声が頭上から聞こえて、私は思わず顔を上げた。
そこで、ランス様の綺麗なエメラルドの瞳と目が合う。
「わかりました! 格下の私のほうからご提案するのはどうかとは思うのですが……引越しの前に、両家族で会食の場を設けるというのはいかがでしょうか?」
前世ではよくある、家族同士の会食での顔合わせというものを思わず提案してみる。
この世界では事前の顔合わせというものが存在しないのでどうかと思ったけれど、私の提案にランス様は破顔した。
そして、そのまま再び私を強く抱きしめた。
イケメンの破顔からの抱きしめは、今の私には刺激が強すぎる……!
「ロベリア! あなたは本当に……素敵すぎます! 早速両親に話してみますね!」
ガッチリと抱きしめられ、嬉しそうなランス様の声が耳に響いた。
それから一週間後。
お母様の王都帰還に合わせて、両家の顔合わせの食事会が催された。
しかも会場は王都のハーティス公爵邸。
ランス様曰く、「上から話を進めるのが筋だろう」とのことで、全て公爵家側で準備いただいてしまったのだ。
私の提案なのに、ランス様だけに負担を強いてしまって申し訳ないと思っていたら、どうやらイベント事が大好きなルイーゼ様が率先して指揮をとられていたそうで……ランス様は別の意味で大変だったそうだ。
(日に日にやつれていくランス様を見て、ルイーゼ様の大暴走がすぐに想像できてしまったわ……)
そんな日々の末、ようやく当日を迎えた。
そして私は現在、私、父、母、それに弟のレイノルドの四人で、馬車に乗りハーティス公爵邸に向かっているところである。
けれど……斜向かいに座るお母様の様子がどこかおかしい……。
いつもは礼儀作法に厳しく貞淑な妻の手本のような人なのに、どうも落ち着きがなく、ソワソワしている。
思えば、今朝屋敷でドレスを選んでいる時からそうだった。
いつもであれば、衣装は前日には決まっているのに、今回は珍しく今朝のギリギリの時間まで、侍女たちにたくさんドレスを広げさせて、あれでもないこれでもないと苦戦していた。
あんなお母様は今まで見たことがない。
そんなに私の嫁ぎ先を気にしてくれているのか、はたまた格上の公爵家だから気を遣っているのか……。
そして、そんなお母様をお父様も初めてみるのか、何度もドレスがおかしくないかと確認を求められて、目を見開いていた。
さらに隣に座るレイノルドもお母様同様落ち着かない様子でキョロキョロしている。
(そーいえば、前にランス様がいらした晩餐でも、レイノルドは終始オロオロしていたわね……次期侯爵なのに、大丈夫かしら?)
そんな二人の様子に、私とお父様が肩をすくめていると、ハーティス公爵邸に到着した。
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