シークレットルート
嗅いだことのある甘い香りが鼻腔を掠めて、その甘ったるさに目が覚めた。
なぜか目隠しは外されていて、手足は椅子に固定された状態で座らされていた。
辺りを見回すと、明かりの灯っていない薄暗い部屋の一室。
そんなに広さはないものの、明らかに貴族の屋敷だろうと推測できた。
(リリアーナ様が先導していたということは、ここはサハウェイ公爵邸なのかしら……?)
キョロキョロと部屋を観察していると、廊下から人の話す声が近づいてくる。
「まさかあの女がランズベルト様の屋敷にいたなんて……! どうりで見つからないわけよ」
「マリア様があの女を探していらっしゃると父に言われて、驚きましたわ。ちょうど今朝あの女がハーティス公爵邸にいるところに出くわしたところでしたの」
「よりにもよってランズベルト様の元にいるだなんて! 一体どうなってるのよ!!」
憤慨している様子のマリアと、それを宥めるようにリリアーナ様がその後ろからついてくる形で部屋に入ってくる。
公爵令嬢であるリリアーナ様が男爵令嬢であるマリアに使われているように見えた。
魅了の力のせいなのか、二人の立場が逆転している。
(やっぱり黒幕はマリアだったのね……)
「ご機嫌よう、ロベリア様。お会いするのは二日振りかしら? 修道院に入るのを拒んで家出したと伺っていたのですが、まさかランズベルト様のところに転がり込んでいるだなんて思いもしませんでしたわ。さすが性悪女ね。いえ、こうなると尻軽女かしら?」
マリアは口元を手で覆いながら、穢らわしいものでも見るかのような視線をよこし、気味の悪い笑みを浮かべる。
(私の命が狙われていると言っていたし、きっとランズベルト様が気づいて助けに来てくださるはず! なんとか時間を稼がないと!)
「マリア様こそ、王太子殿下とご婚約されるはずですのに、なぜこんなことをなさっているのかしら?」
「ッ!」
部屋に魅了香が充満しているにもかかわらず、全く私が魅了にかかっていないことに気づいたマリアは大きく舌打ちをする。
「やっぱり本編の悪役令嬢に魅了香は効かないのね」
「(!)本編の悪役令嬢……?」
驚きを隠し、わざとらしく知らない体を装ってマリアに探りを入れてみる。
時間を稼ぐのもあるけれど、ランズベルト様がシークレットルートの攻略対象者であるかどうか、そこをなんとしても確かめたい。
「そうよね……まあ、知らないわよね。良いわ、教えてあげる。この世界はね、私が主人公なの。だからみーんな、私のものになるのよ。あなたはそのために絶対犠牲にならなきゃいけない存在なの」
(やっぱりマリアは私と同じように、この世界がゲームだと知っている! そして、自分がヒロインだということを認識しているわ)
「……絶対犠牲にならなきゃいけない存在ですって?」
「そうよ。だって、あなた、シークレットルートの鍵なんだもの」
「シークレットルート……?」
初めて聞いたという体で、わざとらしく問いかける。
すると、マリアはさも得意げに、目を輝かせながら熱く語り始めた。
「そう! ランズベルト様の攻略ルートよ! 私の最推し、ランズベルト様! 幼い頃のトラウマのせいで人間不信になり、誰もを寄せ付けない麗しき孤高の公爵様! シークレットの悪役令嬢、リリアーナから公爵様を救い出すのよ!」
(やっぱりーー!! あれ? でも、人間不信?? 私が知っているランズベルト様と違うような……。しかも、リリアーナ様も悪役令嬢だったの!?)
「あ、いっけない。熱く語りすぎちゃったわ」
こんな話を聞いても、マリアの少し後ろに控えるリリアーナ様は何も言わない。
きっと必要ない意思は魅了によって制限されているのだろう。
けれど、そんな状態でも「ランズベルト様」という言葉には微妙に反応しているようで、名前が呼ばれるたびに一瞬体がビクッと動いている。
その反応にランズベルト様への執念のようなものを感じて少し怖い。
リリアーナ様によそ見をしていると、急にマリアがこちらに向かって睨みつけてきた。
「そのランズベルト様と、通常ルートの悪役令嬢のあなたが、なぜ接点を持ってるの!? しかも、修道院追放暗殺ルートの途中に消えて、ランズベルト様に匿われるだなんて。そんなルート聞いたことないわ!」
(修道院追放暗殺ルート!? そんなものがあったの!? 私はてっきり修道院追放ルートだと思ってたわ……)
シークレットルートといい、修道院追放暗殺ルートといい、思った通り、マリアは相当のやり込み勢のようだ。
これは私がゲームのことを知っていると知られたら、さらにマウントを取られて面倒なことになる可能性が高い。
絶対にバレないようにしなくては……!
「一体マリア様は先ほどから何のことをおっしゃっていますの? ランズベルト様には、王宮の舞踏会から逃れて落ち込んでいたところ、お声をかけていただいただけです」
「……そんなルートあったかしら? いやでも、断罪すぐの時点で王宮にランズベルト様が出没するイベントなんて……」
何やら急にマリアが下を向いて小声でブツブツと言い始める。
(それはまあ、ヒロインも悪役令嬢も両方が転生者でゲームの内容を知った上で行動していれば、話通り進むわけないわよね。ヒロインと悪役令嬢の属性も入れ替わっていますし。マリアはそのことに気づいているのかしら?)
「まあ良いわ。ねえ、ロベリア様。このまま死んでちょうだい」
「はい?」
一瞬思考が固まる。
ドス黒い笑顔を貼り付けながら、まるで「そのお菓子ちょうだい」とでも言うかのように、さらっと言ってのける。
「……いきなり何を言い出すの!?」
「本当は自害してもらおうと思ってたけど、あなたには魅了が効かないみたいなのよね。だから、ちょっと苦しいかもしれないけど、仕方ないわよね」
「自害!? 苦しいかもって……何をする気なのです!?」
椅子に体が固定されていて、動けない。けれど、マリアから逃れなければと本能が叫んでいる。
マリアはそんな私の様子を見ながらクスクス笑う。
「命乞いとかしても無駄よ。ロベリア様が死ぬことは確定事項なの。決して覆ることなんてないわ」
続けて「ざ〜んねん」と言いながら嬉しそうに笑うと、リリアーナに目配せをする。
「方法はリリアーナに任せるわ。ここはあなたの家のお屋敷だし、好きにして良いわよ。その代わり、しくじったら許さないから。じゃ、私は王宮に帰るわ」
そう言って笑いながら、マリアは部屋を出ていった。
扉が閉まり、残されたリリアーナ様は、明らかに目が据わった状態で私を見つめる。
「あなたなんかがランズベルト様に近づくからこんな目に遭うのよ……身の程を知りなさい!」
ジリジリと近づいてくるリリアーナ様に、身を強張らせる。
――そんな時だった。
廊下から、出ていったばかりのマリアの叫び声が聞こえてくる。
けれどその声は、なぜか恐怖から来る叫びではなく、アイドルのコンサート会場で聴くような、嬉しさが限界突破した時のような声。
そんな黄色い叫び声が屋敷に響き渡る。
(これはもしかして……マリアがランズベルト様と遭遇したの!?)
マリアの叫びにリリアーナ様は、大きく動揺して動きを止める。
すると、マリアを押し退けたのであろうランズベルト様が、扉を蹴破って入ってきた。
お読みいただきありがとうございます。
ようやくマリアとの再会でした。
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