嘘と真実
森を抜けて湖に出ると、黒いレインコートを着た宮代葉月が待ち構えていた。5年の月日を経ても、宮代葉月の容姿は5年前のままで、相も変わらず雄介に向ける眼は鮮やかであった。それに対し、雄介は歳をとった。背は伸び、声は低くなり、葉月に向ける眼は色褪せていた。
変化に抗う者、変化に馴染む者。二人は対照的な存在になってしまっていた。
「……久しぶり、だね」
「そうですね」
「……なんか、すっかり大人っぽくなったね! 背も伸びて、声も低くなって! それに、顔も可愛い系からカッコイイ感じになったし! それに……本当に、変わったね」
「あなたは変わらないですね。あの時のままだ」
「……変わらないよ。だって、私は雄介君を―――」
「もうやめましょう。そういうの」
「……え?」
葉月は絶望した。思ってもいなかった言葉。考えもしなかった明確な拒絶。無機質な視線と声。もう葉月の知っている北崎雄介はいない。
追いかけ、追いついて、離され、また追いかける。それが葉月の生きる意味であった。北崎雄介を追いかけ続ける事だけが、北崎雄介の幸せを望む事だけが、葉月の人生だった。
だが、追いかけていた北崎雄介はもういない。生きる意味を失った葉月にとって、それは実質的な死である。
「……やめるって、何を……?」
「全部です。俺を追いかけ続ける事も。俺を想い続けてくれる事も。俺を縛り付ける事も……この際です。色々と明らかにしましょう。お互いの本音を」
「私はいつだって、雄介君には嘘をついてなんかいない!」
「でも隠している事はあるでしょう。例えば、どうしてあなたは俺を憶えていながら、消えないんですか? 風見彩香は俺を憶え続けていた代償に、消え去りました。苦痛に耐え、身動き一つ取れず、それでも俺を憶え続けた。何故、あなたは俺を憶え続けていながら、平気でいられるんですか?」
「そんなの、その人よりも私の方が、雄介君を愛しているからだよ!」
「そんなわけない。愛なんかで、この世界のルールを無視出来る訳がない」
「……私が傍にいない間、雄介君に何があったの? 雄介君はそんな簡単に諦める人じゃなかったはずだよ?」
「諦めたんですよ。何をやっても、誰かを助けようとしても、全部無意味だと知ってしまった。だから、諦めたんです」
無表情のまま、淡々と返答する雄介。しかし、雄介は気付いていない。自分の口から【諦め】という言葉を吐き出す時、手を強く握りしめていた事に。
その一瞬の雄介の反応を目にし、葉月に僅かな希望が芽生えた。雄介はまだ諦めきれていない。今の雄介は、深い絶望と孤独で閉ざれているだけで、自分の知る北崎雄介は未だ奥底に眠っているままだと、葉月は確信した。
「……ごめんね、雄介君」
「何が?」
「……私、雄介君に隠していた事があるの。私は雄介君を守る為に作られた人造人間、ネムレス……でも他のネムレスとは決定的に違う。あなたを作った、ユウスケ……彼は、一体何だと思う?」
「ユウスケ? ユウスケは俺を作った人間で……いや、待て」
無表情を貫いていた雄介だったが、ここで初めて表情を崩した。その原因は、ユウスケの存在についてだった。過去に雄介は、自分の基となった北崎先生という人物の記憶を閲覧し、自分の出生を知った。
だが、ユウスケについては謎のままであった。分かっているのは、ユウスケが研究施設で実験対象にされていた事だけ。何の実験の被験者か、何の目的で行われていたかは、謎のまま放置していた。
「あの子も、作られた人間なんだよ。つまり、私達と同じ人造人間」
「っ!?……そう、だったのか」
「あの子には役目があった。ピークに達したあの子と人間が混ざり合い、一つの存在になる」
「……適合か。読めたぞ、実験の狙いが。適合によって俺とユウスケは北崎雄介という存在を確立し、ユウスケが持つ創造の力で世界を作り出して、北崎雄介をその世界に存在させる。そうすれば後は、その存在を辿ってゲートを開けば、好きなだけ世界を手に入れられる」
「大体は合ってるわ。そう、あの子は無数の世界を手に入れる為の橋。でも実験の最中、あの子に自我が芽生えてしまった。呆気なく上下関係を覆され、実験もあの子に乗っ取られてしまったわ」
「なるほど。危うく俺達は、悪の組織に使われ続けられてしまう所だったわけか。だが、何故そこまで知っている?」
「……私が、その研究員の一人だからよ」
すると、葉月はレインコートを脱ぎ捨て、その下に着ていたシャツを脱いだ。上半身が裸になった葉月の体は、肉体というにはあまりにも無機質な、人形の体であった。
その姿に雄介は目を丸くさせ、開いた口が塞がらぬまま、ゆっくりと葉月のもとへ近付いていく。手を伸ばせば触れられる距離にまで近付くと、戸惑いのある手で、葉月の体に触れた。人の温もりはあるが、感触は人の物とはまるで違った。
「名無しの存在、ネムレス。その第一号として、私は作られた。記憶や感情、人の温かさを引き継いだ、極めて人に近いネムレス。まぁ、あの子からすれば、失敗作だったみたいだけどね」
「……どうして隠してたんですか」
「初めは怪しまれない為。色々と引き継いだけど、与えられた命令は逆らえなかった。雄介君を守る人間という、あくまでその役目を全うしなければならなかった」
ユウスケを赦したはずだったが、改めてユウスケが行った実験を目の当たりにし、雄介の中で再び憎悪の感情が灯り始めていた。
「あいつが……ユウスケが、憎いですか……?」
「被験者にしておきながら、自分が実験されて因果応報なのでしょうけれど……そうね、憎いわ。でも、感謝もしてる」
葉月は微笑みながら、まだほんの少しだけ自分より背の低い雄介の頬に手を当てた。
「雄介君と逢えた。それだけで、体をグチャグチャにされた甲斐もあったわ」
「……どうして、そこまで俺を。ユウスケが憎いなら、俺だって憎いはずなのに……!」
「最初はただの子供、適合に必要な材料としか見てなかった。でも、あなたと過ごしていく日々の中で、それは変わり始めた。ただの子供から、一人の異性として見るようになった」
「……宮代さん」
「フフ。やっと、雄介君が戻ってきた」
「っ!? 駄目だ!!!」
捨てたはずの過去の自分が戻ってきているのを感じた雄介は、葉月を突き飛ばした。突き飛ばされた葉月は湖に落ちる直前の所で踏みとどまり、突き飛ばした本人である雄介は尻もちをついた。
「駄目だ、駄目なんだ、僕と関わっちゃ駄目なんだ……!!! 僕と関わった人はみんな不幸になる……!!! だから僕は独りじゃなきゃ駄目なんだ……!!!」
雄介はパニック状態になりながら、後ろへ這いずっていく。長い間、孤独に生きてきた雄介は、以前よりも誰かを不幸にさせてしまう事を恐れ、トラウマを抱えていた。
だから、雄介は諦めていた。誰かを助ける事を諦め、孤独に生きていく事に納得し、大人になった。5年という長い時間を経て、そうなれたと思っていた。
だが結局、雄介は大人になりきれずにいた。孤独に納得して生きていたのではなく、孤独に逃げていただけだった。
「嫌だ……嫌だ……嫌だ……嫌だ……!!!」
「……ごめんなさい、雄介君。私は前のあなたに戻ってほしくて、無理矢理引き出してしまった……結局、私は自分の幸せばかりを考えているのかもね……でも、あなたのそんな姿、見たくない!」
葉月は脱ぎ捨てたシャツを着直し、地面でうずくまっている雄介を肩に担いだ。
「離して……! 嫌なんだよ、もう、誰も救えない事を知るのは……!!!」
「雄介君は今まで、色んな人を助けようとしてきた。だから、今度は私が、雄介君を助けてあげる!」
雄介を決して離さないように掴みながら、葉月は森の中を駆けていく。その眼には確かな決意があり、駆ける足に迷いは無かった。
次回
「すぐ傍に宮代葉月がいる」




