親の心 子知らず
セイレーンの左腕を基に作り出した鎌が、変異化した異形の化け物。人のような体は細長く、左腕の巨大な刃は恐怖を助長させ、顔は鼻から上が切り裂かれたかのように存在しない。これまでの変異体と比べ、変異した経緯も、その姿も不気味な異形に、セイレーンはもちろんの事、変異化させたユウスケ自身も困惑していた。
(まさか本当に出来るとは……それにしてもコイツ、ちゃんと僕の命令を聞くんだろうな……)
ユウスケは異形に対して疑いを持っていた。ただひたすらに恐怖と不気味さだけを醸し出し、意思という物が存在していないように思える。更に左腕の刃は驚異的であるが、それ以外の体が欠けており、左腕を振るうどころか、真っ直ぐ歩くかどうかすら怪しいものであった。
しかし、異形に対して疑いを持っていたのはユウスケだけであり、異形を前にしたセイレーンは、既に臨戦態勢を取っていた。直感で危険な相手と判断したのだ。
(あの左腕の刃……嫌な雰囲気を纏ってる。アレを殺す事ぐらい容易だけれど、下手に能力を使えば、ユウスケを巻き込んでしまう。おまけに今の私は本来の1割にも満たない力しか持っていない。アレだけを殺せたとして、その直後にユウスケが次の手を打ってきたら……久しいわね、先の事をあれこれ考えるだなんて。本当、久しぶり……)
すると、残っていたセイレーンの右腕が水に戻り、宙に浮かぶ球体となった。
「始める前に一つ。ユウスケ、あなたは自分の力を完全に把握出来ているのかしら?」
「ふっ。例えそうだとして、お前に言う訳が―――ぐっ!?」
突如、ユウスケの体に異変が生じた。今度は手足の震えに加え、頭の中が激しく振動しているような頭痛が起きていた。その痛みで立っていられなくなり、ユウスケはその場に膝をつき、頭を抱えながら苦痛に顔を歪めた。
(苦しんでいる? やっぱりユウスケ自身も制御出来ていない……いえ、知らないというべきね。だとするなら、早く保護しないと。把握出来ない大きな力は、その体を崩壊してしまうものなのよ……!)
先手を打ったのはセイレーンであった。セイレーンは自身の右手から作り出した球体と共に駆け出し、ユウスケが動けない今の内に、勝負を決めようとする。
「っ!? が、ぁぁ、ぐ、ぎ……!」
ボヤけた視界からセイレーンが迫ってきているのを見たユウスケは、急いで異形に命令を下そうとするが、頭痛によって言葉を並べられずにいた。
そんなユウスケに構う事なく、セイレーンは異形に仕掛ける。球体から無数の触手を出し、未だ棒立ちの異形の体に巻き付けた。触手には小さな棘が生えており、異形の体を傷付けながら一気に引き裂く。
(やるなら、今!)
ユウスケを守る者がいなくなった今の内に、セイレーンは自身の体を犠牲にして、ユウスケを水で包み込んで眠らせようとする。
「っ!?」
だが、それを阻む者がいた。それは、バラバラになったはずの異形であった。異形は左腕の刃を伸ばし、セイレーンの体を切り裂こうとする。セイレーンは瞬時に前に出した足を止め、後ろへ跳び、間一髪の所で避けた。
見ると、バラバラになった異形の体はそれぞれ元あった場所に戻っていき、ユウスケの番人となって立ち塞がった。
(再生能力? それだけじゃない、ユウスケの命令を受けずに自ら動いた。ユウスケに一定の距離に近付いた者を襲うように出来ている? いずれにせよ、厄介な事に変わりない。それと、あの刃……)
セイレーンが気になったのは、異形の左腕の刃であった。セイレーンの体は水で出来ており、本来であれば切られても潰されても、水さえ残っていれば元の姿に戻る事が出来る。
しかし、あの刃に斬られる直後、セイレーンは感じ取った。あの刃に、何か特殊な能力が付与されている事に。もしあのまま斬られていれば、体が元に戻らない可能性があった。
(真正面から行くのはほぼ不可能。力が限られている以上、大技も使えない…………フフ、打つ手無しね。ユウスケが近付いてこない限りは、ね)
すると、セイレーンは後ろ歩きで下がっていき、昇達が閉じ込められている操縦室の隣で立ち止まった。
「ユウスケ。あなたの大事な物は、ここにしまってあるのね」
「っ!? や、やめ……!」
「喋らなくても分かるわ。嫌なんでしょ? 自分の大切な物が触れられるのが。自分の大切な物が壊されるのが。だったら、こっちに来て。あなたの足で、あなたの意思で私に近付いてきて」
それは苦肉の策であった。状況を打開出来ない力を持っていない今、セイレーンは悪人になるしかなかった。無論、セイレーンはユウスケの友人達を傷付けるつもりはない。ただこの状況を打開する為に利用するだけ。そしてそのセイレーンの策は、ユウスケに効いていた。
「両腕を無くしたからといって、人間を殺すのに手間取る訳じゃないのよ? さぁ、こっちへ」
「ぐっ!?」
ユウスケは走り出そうとするが、未だに頭の痛みが続いており、足に力が入らない。だからといって、このまま友人達を見殺しにする訳にもいかず、ユウスケは両腕を使って這いずっていく。その様はまるで幼虫のようで、そして滑稽であった。恥を晒しながらも、ユウスケは這いずり続けていく。
そんなユウスケの姿を見ていたセイレーンは、罪悪感を覚えていた。仕方がないとはいえ、自分がユウスケに恥を晒す事を強要してしまっている事に。
這いずっていくユウスケが、異形を追い抜いていくが、異形はその場から動く様子が無かった。
(やっぱりね。いくら待っても動かなかったのは、アレが動けないから。恐らく不完全な姿なのでしょうね……あとは、ユウスケにもう一度魔法をかけて、それで全て収まる。それが一番の最善手。謎の多い能力を持ったまま、外の世界に戻す訳にはいかないもの……外には、私以外の上位者がいるのだから)
セイレーンはしゃがみ込み、今にも力尽きそうなユウスケを待ち構えた。そしてようやくユウスケがセイレーンの目の前にまで這いずってくると、セイレーンは両足を水に戻して両腕を生やし、ユウスケを抱きしめてあげた。
「頑張ったね、ユウスケ。あなたの痛みや苦しさが、私に伝わってくるわ」
「……」
「ねぇ、聞いて。私を恨んでもいい。でも分かってちょうだい。あなたの力は、あなたでは制御出来る力じゃないの。それは、ユウスケも分かってるでしょ?」
「……」
「……さっきは、ごめんなさい。あなたをここまで近寄らせる為とはいえ、少しイジワルな事を言い過ぎたわ。安心して。あなたの友達に危害を加えたりなんかしない。だって、あなたのそんな顔は、辛いもの……」
「……」
「ユウスケ?」
先程から一言も発さないユウスケに、セイレーンはデジャヴを感じた。もう既に二度もやられたユウスケの策略に嵌められているように、セイレーンは思っていた。
しかし、今のユウスケに能力を使う余力が残っているとは見えず、もし使っていたとしても、目に見える光景に変わりは無かった。
その時、セイレーンのすぐ傍に、小さな何かがポトリと落ちてきた。見ると、それは小さなカエルであった。
「…………まさか!?」
セイレーンが慌てて上を向くと、この船を覆っていたバリアから、無数のカエルが雨のように降り注ぎ始めていた。カエルはカラフルな色をしており、見た目こそ美しいものであったが、その恐ろしさは本能的に分かるものであった。
(毒!? それも、猛毒の!? 毒は、マズい! 何よりも、ユウスケにも被害が!!!)
「ユウスケ!」
降り注ぐ猛毒のカエルからユウスケを守る為、セイレーンは自身の体を外敵から守る水のバリアに変えた。
その直後、抱きしめていて見えなかったユウスケの表情が露わになり、ユウスケが笑みを浮かべながら気を失っている事に気付く。
(……ああ、そういう事。ここまで、計算していた事なのね。私が必ず、あなたを身を挺して庇う事を計算して……まったく、悪い子ね……)
完全に手の平で踊らされた事にセイレーンは若干苛立ちはしたものの、より一層ユウスケに対する愛が大きくなった。
そうして、降り注ぐ猛毒のカエルの雨が降り止むまで、セイレーンは猛毒に耐え続けた。疲れ果てて眠る、我が子の為に。
次回でこの章が終わります。




