新世界
北崎雄介の友人達に記憶障害と疑われ、ユウスケは病院で診察を受けていた。
「それでは雄介君。もう一度聞きますよ? 君は自分の名前も、他の人達の事も忘れてしまってるって事かね? 楽しかった思い出とか、辛かった出来事とかも」
やや染め残しがある白髪頭の男が、ユウスケに優し気な声色で聞いてくる。ユウスケは軽く頷き、診察を始める際に差し出されたペットボトルの水を一口飲んだ。
その時、男の手首に着けていた腕時計が目に入った。その腕時計は少し変わっており、腕時計のベルトに薄いゴム状のカバーがつけられていて、取り囲んでいる金属部分が分厚い所為で時刻を示す部分が小さく、時計として実用するには、とても使いづらそうな物であった。
「……その腕時計」
「え? 私の時計が何か?」
自分が着けている腕時計を指摘された時、男は一瞬だが、とても不愉快な表情を浮かべた。その表情を見て、ユウスケは確信した。この男は、自分の事をカウンセリングしに来た男だと。もっとも、
「野崎 太郎。年齢は45。趣味はサボテンの棘をピンセットで抜く事、ついでにサボテンの名前はサリー。自分が着けている腕時計を指摘されると、好意的であろうが不愉快さが顔に出てしまう」
「どうしてそれを……!?」
肯定と取れる反応をした野崎に、ユウスケは確信した。この男は、自分の事をカウンセリングしに来た男だと。もっとも、初日で処分した人物であったが。
「君の診断は当てにならない。帰らせてもらう」
「あーちょっと!? 待ちなさい!」
野崎の声を聞き流し、診察室から出ていくユウスケ。エレベーターに乗り込み、一階のボタンを押して壁に寄りかかって、自分の今の現状を整理してみた。
(あの時、雄介の手を取った時に何かが起きて、僕は北崎雄介になった。ゲートを使う事は出来ないが、能力自体は問題ない。それより気になるのが、野崎 太郎が生きている事だ。外見は少し変化していたが、あの男で間違いない………ここは、僕がいた世界とは別の世界? いや、そう判断するには、まだ早い。もう少し調べてみないと)
エレベーターの扉が開き、ユウスケはエレベーターを出て、病院の外へと出ていく。外に出ると、空は夕焼け空になっており、電線にとまっていたカラスの群れが、鳴き声を上げて飛び去っていく。
「……外…外の世界」
改めて自分が外の世界に出れている事を実感し、初めて見る夕焼け空の美しさと寂しさに、ユウスケは涙を流した。長年夢見てきた外の世界。それはユウスケが想像していたものよりも、鮮やかであった。
だからか、ユウスケは悲しんだ。白と黒しかなかったモノクロの研究施設でしか生きてこれなかった縛られた自分の運命に。
「でも、何故僕は外の世界で生きられる?……まさか、雄介と適合してしまったからか? 繋がりを感じられなくなったのも、それなら納得がいく。だが、雄介には友人がいなかったはず……なら、この体は…」
解明に近付いたかと思えば、また謎が深まっていく。自分が把握出来ない不気味な謎の所為で、ユウスケは外に出れたというのに、安心する事が出来なかった。
「雄介!」
ユウスケが歩き出そうとした矢先、焦った様子で病院から出てきた恵美に腕を掴まれた。
「勝手に帰らないでよ!? 私ずっと待ってたんだよ!?」
「どうして?」
「どうしてって……私は、雄介の幼馴染だし、お隣さんだし…それに……」
「待った。僕の家があるのかい?」
「……はぁ? そんなの、当たり前でしょ?」
真面目な表情で当たり前な事を聞かれ、恵美は呆れて笑いが漏れてしまう。だが、ユウスケにとって、それは当たり前の事ではない。少なくとも、今【北崎雄介】になっているユウスケにとっては、とても重要な事であった。
「案内してくれ」
「…家の場所まで忘れちゃったの?」
「案内をしてくれ、と言ったが?」
「……分かった」
自分が向けている心配に気付かず、高圧的な態度を取り続ける今の雄介に、恵美は静かに怒っていた。記憶が無くなっている事は分かってはいる。それでも、自分の気持ちを一切気に掛けない雄介の様子に、恵美は怒った。
それと共に、今の雄介に対しての不信感を抱き始めた。目の前にいる幼馴染が、本当に自分が恋焦がれた人物なのか、と。
病院から雄介の自宅までの距離は、およそ30分程掛かった。その間、二人の間で会話は一切無かった。というより、話しかけられなかったというのが正しい。今の雄介の言葉を聞けば聞く程、恵美は不信感を抱いてしまう。一方ユウスケは、今の段階では恵美に対して、興味を抱いていなかったから。
「…ここよ」
雄介の家の前に立ち、恵美は指で家をさした。家は二階建ての一軒家。特別外観に目立つ所も無く、特別大きい訳でもない。
そんなごく普通な家に、ユウスケは違和感を覚え始めていた。
「ここの家には何人入れられている?」
「…何よ、その言い方」
「何人だ?」
「……3人。雄介と、雄介のお父さんとお母さん」
「この家はいつから?」
「雄介が産まれてすぐに買ったって言ってたわ」
「両親の仕事は?」
「……はぁ。お父さんは会社員。お母さんは専業主婦よ」
「そうか」
質問を終えると、ユウスケは足早に家の中へと入っていった。一切自分を見ようとせず、意味の分からない質問ばかりをされて、恵美はウンザリしつつも、雄介の後を追った。
家の中に入ると、靴を履いたままリビングを散策している雄介を見て、恵美の気力が削がれてしまう。
「記録はどこにある?」
黙って帰ろうとした矢先、雄介からの質問がまたきて、恵美は振り返った。見ると、雄介は本棚や棚から書物を読み漁っており、目当ての物でなかった物は床に放り投げていた。
まるで泥棒だ…そう思いながら見ていくと、棚の上に置いてあった写真立てを雄介が床に投げ捨てようとしていたのを目にし、それが何の写真なのかを理解するよりも先に、恵美の体は動き出していた。
「何してんの!?」
雄介が投げ捨てようとするや否やのギリギリの所で、恵美は雄介の手首を強く掴んだ。だが、そうまでしても、雄介は他の場所を見ていて、恵美に興味を示さなかった。
「それは私との…雄介の家族と一緒にお花見に行った時に撮った、思い出の写真でしょ!? どうして投げ捨てようだなんて…!」
「僕が今探しているのは記録だ。ここの家族の生活を書いた記録が欲しいんだ。写真では情報が少ない」
「ッ!? 意味の分かんない事、言わないでよ!!!」
「君は僕の手伝いをしたいのか? それとも邪魔をしたいのか?」
「ねぇ、雄介。私をからかってるんでしょ? じゃなきゃ、おかしいよ、違うよ…こんなの、私の知ってる雄介じゃ……え…」
「ん?……君はさっき、この写真が君も入れた家族写真だと言ったね?」
「ええ……ええ、そうよ…」
「…僕には、君と僕。二人だけの写真にしか見えないが?」
ユウスケが投げ捨てようとした写真、そこには、北崎雄介と恵美の二人しか写っていなかった。写真の端に桜が見えている事から、先程恵美が言っていたように、これがお花見の写真である事は間違いないだろう。
だが、家族写真というには、足りない。いるべき人、いるべき存在が、その写真には写っていなかった。
「どう、して……だって、その写真は私も……嘘よ、こんなの!」
恵美はその場から逃げ出すように走り出した。向かったのは自身の部屋。机の上には、これまで写真に収めてきた北崎雄介との思い出の写真が飾られていて、その中には北崎雄介の両親が写った写真もある。
自身の部屋に駆け込むと、恵美は取り乱しながら写真を見漁った。いつものように思い出を使って想いを昂らせる為ではなく、焦燥感と恐れを拭う為。
しかし、それを拭う事は出来なかった。結局どれだけ写真を探しても、北崎雄介の両親が写った写真は消えていた。恵美からすれば、北崎雄介の両親が初めから存在していなかったかのように思えた。そうして理解する。恵美が抱えていた恐れが【喪失】からではなく【消失】であるという事に。
故に、恵美は焦った。大切な思い出の一部が消失した所為で、自分の一番大切な者との繋がりに亀裂が入ってしまった事に。長い年月を共に過ごしたという武器にヒビが入り、その武器をこれ以上壊さぬよう、武器を鞘に閉じ込めた。
「どうしてこんな……こんなのって……ぅぅ、雄介……私から…離れていかないで……」
焦り、不安、恐怖。たった一人にだけ向けていた想いに歪みが混ざっていく。濁った想いは心臓という蛹に根付き、開花するのを待ち望んでいた。
次回
「決意」




