心の穴をヤンデレが埋める
百瀬さんが学校に現れない日が三日続いていた。その間、学校には抑圧が無くなり、元の日常を取り戻しつつあった。以前のように学び、以前のように動き、以前のように食べ、以前のように笑う。ごく普通の学校生活を、まるで極上料理を味わうかのように堪能している。
そんなみんなとは違い、僕はずっと心に穴が開いていた。理由は一つ、百瀬さんに縁を切られた事だ。百瀬さんが僕との縁を切ったのは、僕を身内の秘め事に巻き込ませない為だというのは、なんとなく分かっている。分かっていても、この喪失感が軽くなる事はなかった。学業に励めず、すぐに僕は学校に行かなくなり、当ても無く外を散歩するようになった。
「はぁ……」
今日、何度目の溜息だろうか。退屈だ、あまりにも…多分、百瀬さんだけの原因じゃない。あの高速道路での刺激的な体験の所為で、普通の日常生活に色を感じなくなっている。平穏で、誰とも深く付き合わない独りの日常を好んでいた僕は何処に…。
「今日も今日とて、学校には行かないんだね?」
隣で並び歩いている宮代さんが、僕を覗き込みながら話しかけてきた。この人も何故か一緒に学校をサボっている。一応この人、三年生のはずなのに。サボりばっかりしてたら、将来に響くんじゃ…いや、宮代さんの事だ。どうせ何かしらのコネがあるに違いない。もしくは、もう既に職についているとか…それは流石にないか…ない、よな?
「…宮代さんこそ、学校に行かなくていいんですか?」
「雄介君のいない学校になんかいる意味無いよ」
「それじゃ、このまま二人で自主退学でもして、どこか異国の地で強盗でもしましょうか」
「雄介君がしたいならいいよ!」
「…普通そこは否定するものですよ」
しかし、なんだ……宮代さんが傍にいてくれるお陰で、この喪失感も少しはマシになる。ここは一つ、ポッカリと開いた心の穴を塞ぐ為にも、僕の暇つぶしに付き合ってもらうか。
「宮代さん、どこかに行きませんか?」
「どこに?」
「どこでもいいですよ。この惨めな喪失感を無くす為なら、どこにでも…」
「それじゃあ、花火! 花火観に行こ!」
「花火? 花火大会はまだ先ですよ?」
「この街はね。だから、ここに行くの!」
そう言って、宮代さんは一枚の紙を僕に見せてきた。その紙には、今日の午後18時から、花火大会を開催するという告知が書かれてあった。
しかし、その会場というのが、ここから電車を何度か乗り換えて何時間も掛かる場所だ。どこでもいいと言ったが、流石に面倒くさいな。
「あの、すいません宮代さん。どこでもいいと言いましたけど、流石にこの距離は―――」
「それじゃあ行こー!」
宮代さんは僕の腕を掴んで、引きずって行くように走り出した。さてはこの女、初めからここへ連れて行こうとしていたな?
あっという間に駅に着き、宮代さんが偶然買っていた切符2枚を改札に通し、電車の中に入っていく。平日の昼間という事もあり、電車の中は空いていた。そのまま電車に揺られ、次の電車に乗り換え、また電車に揺られ、また電車に乗り換える。
そうしている内に、すっかり空は夕焼けに染まり、窓から見える景色は見知っている景色とは違い、そのどれもが新鮮だった。どこを見ても自分が知らない景色や建物があり、見ているだけでも飽きが来ない。
「この電車の終点が目的地だよ…雄介君?」
「……」
「?……あー、そっか。雄介君は初めてだよね、街の外に来るのは」
「はい…僕らが住んでる街の外って、何も無いんですね」
「確かにそうね。でも、何も無いからこそ、余計な物が目に入らなくて良いでしょ?」
「はい…」
流れていく景色の中で目にするのは、人の手が及んでいない緑や、木製の電柱、それとアスファルトじゃない道。建物もたまに映るが、人が住んでいるとは到底思えないようなクタビレ具合。
まるで、僕らの街以外の世界から人間が消えたように、外は静かなものだった。
「窓…開けてもいいですか?」
「もちろん!」
窓の取っ手を掴み、少し力を入れて窓を上にあげる。途端に、外の空気が僕らを包み込むように流れてきた。街でする色々な臭いが混じった空気とは違い、とても清い空気が。
その匂いに心が安らいでいき、僕は窓に腕を乗せ、その上に顎を乗せた。目を閉じ、外の空気や、電車が線路を走る音に浸る。落ち着く…こんなに心が穏やかになったのはいつぶりだろうか? それに、外の空気とは違う、僕のすぐ傍から香ってくる宮代さんの匂いが、体の隅から隅へと沁み渡っていく。
「……こんなに、良いものなんですね」
「ゴチャゴチャした音や人ばかりの街と違って、ここは平穏そのもの。心をザワつかせるものなんて存在しない」
「…宮代さん」
「ん?」
「ありがとう」
「え……え!? 急にどうしちゃったの!? 何か悪い空気でも肺に入った!?」
「そんな慌てる事ないでしょ…」
「だ、だって! 雄介君からありがとうなんて、中々言ってもらえないから!」
「え? そうでしったっけ? まぁ…なんだっていいじゃないですか」
眺めていた外の景色から、隣に座っている宮代さんに顔を移した。宮代さんの頬は赤く染まっており、眼は僕を見たり見なかったりしていた。こんなに焦った様子の宮代さんは珍しいな。それに、なんだか…なんだろう、胸のあたりがチクチクとする。痛いって訳じゃないけど、くすぐったい。僕は知らぬ間に怪我でも負ったのだろうか?
「宮代さん」
「は、はい! な、なにかしら?」
「なんだか、宮代さんを見ていたら、胸のあたりがチクチクするんです」
「へ?……へぇ!?」
「怪我でもしたんでしょうか? 奇病も発症しないし、こんなの初めてです」
「あ、あのー…怪我っていうか…病気っていうか…」
「…でも、不思議と嫌じゃありません。なんだか凄く、生きてるって感じがします」
「……そう」
すると、宮代さんは立ち上がって僕の顔に手を当て、そのまま顔を近付けてきた。視界が宮代さんの顔一杯になり、さっきまでほのかに香っていた宮代さんの匂いが、今では色濃く感じる。唇には柔らかくて温かい感触があり、その感触は10秒という短いようで長い間続いた。
宮代さんが僕から顔を離すと、今度は頭に手を置き、優しく撫でながら僕の眼を見て呟いた。
「私も、雄介君と同じ気持ちだよ」
「同じ?」
「今まで生きてきた中で、何かに興味が湧いた事なんて無かった。心臓が動いていても、生きている実感が無かった。私は、死んだように生きていた…」
「宮代さん…」
「…でも…でも! 今は違う! 雄介君と逢えて、雄介君の近くに居れて、雄介君を感じられる今、私は生きてきた中で初めて、生きてるって思える…!」
そう言って、宮代さんは涙を流した。僕が初めて見た、宮代さんが涙を流す瞬間。今日は色々と宮代さんの珍しい所を見れるな。
ちょっとだけ、宮代さんが僕を付き纏う気持ちが分かったかもしれない。こうやって色々と変化する人の表情や様子は、心に響く。自分がよく知る人物の一喜一憂に、どうしようもなく愛おしさを感じるんだ。こんな気持ちは、有名な画家が描いた絵や、感動的な映画では味わえない。自分の心の中にいる人だからこそ、感じられるんだ。
「宮代さん…涙、流れてるよ」
「え? あ、ごめんなさい! 私ったら! 雄介君の前だけでは、弱い所を見せないようにしてたのに…!」
「別にいいよ。それに、そういう顔を見せてくれる方が、僕もなんだか嬉しいし」
「雄介君…」
「…花火、楽しみだね」
「…ええ…そうね…!」
涙を指で拭い、宮代さんは笑顔でそう答えた。そんな彼女の笑顔を見て、僕も笑った。あれだけ感じていた喪失感も消え、心に出来た穴も無くなっていた。
今の僕の心の中には、宮代さんの笑顔で一杯になっている。
次回
「結んだ小指」




