迷宮
石の壁に囲まれた世界に変化してから、およそ3時間経った。未だ目覚める兆しもなく、世界が変化するという事もない。冬のような冷たい空気と、何も無い空虚感に襲われ、体力だけが奪われていく。
しかし、それは僕だけではなく神田理子も同じだった。この世界に変化してから、神田理子の姿は元の現実の姿に戻り、喋る事も動く事も無く、まるでサナギのようにうずくまって黙っていた。
このままでは僕も神田理子も共倒れになってしまう。そうならない為にも、神田理子を殺して夢の世界から抜け出す必要がある。この夢の世界に囚われている理由は、神田理子の奇病の能力によるもの。能力を発動している人物を消せば、能力が解除されて僕は目を覚ます事が出来る。
本当にそれでいいんだろうか? 夢から覚める為には、神田理子を殺す事が一番手っ取り早く、確実だ。そうだと分かっていても、今の僕は神田理子を殺そうとは思っていない。今の僕は、殺す以外の方法を画策している。
でも、なんでそんな事を・・・ああ、そうか。僕はまた、他人を救おうと考えているんだ。本田さんの時と同じように。
「学ばない男だな、僕は」
僕に他人を救う事なんて出来ない。それでもやろうとする僕は、きっと馬鹿になっているんだ。
「・・・神田さん」
「・・・」
「いつまでそうしてるつもりですか? このままじゃ、お互い死んでしまいますよ」
「・・・死んでも、誰も悲しまないよ」
「僕はそうかもしれませんけど、あなたは違うでしょ?」
「違わないよ・・・私は、独りだから」
すると、神田さんは石の壁にもたれながら座り、自身の足に顔を埋めながらも、眼だけは僕を見て話し始めた。
「私はね? 何をやっても、何もしなくても、独りになっちゃうんだ。友達も家族も・・・みんな私を独りにしてどっかに行っちゃった・・・そうなったのも、この奇病の所為なんだ」
「・・・夢に閉じ込めて、みんな死んじゃったって事ですか」
「夢から覚める方法なんて考えたくなかった・・・だって! 夢ってね! 人の想いを全て叶えてくれる理想の世界なんだよ!? どうして覚めたいなんて考えるの!?・・・でも、その所為でみんな死んじゃった・・・そうして夢の世界でも独りになったら、私だけが目覚めてしまった」
「まさか、僕を狙った理由って」
「ううん・・・君が不死身の奇病を患っているのは、後から気付いた事なの・・・初めて君を見つけた時の事、忘れられない。雨が降っていた冬の日に、君は橋の下にいたよね?」
冬の日の橋の下・・・ああ、あの日か。2年前の冬の日、橋の下から弱った犬の鳴き声が聞こえた。行ってみると、そこには、既に死んでしまっていた母親の懐に餓死寸前の子犬がいた。子犬は産まれて数週間くらいの赤子で、今にも死にそうになっていた。
それで、僕は少し開いている子犬の口の中に、自分の血を流し込んだ。当時の僕は、自分の奇病が役に立てると歓喜して、何度も何度も自分の腕を切りつけて血を流し込んでいた。
でも、結局子犬は僕の目の前で死んでしまった。病院につれて行くなり、家に運んで行くとか、方法はいくらでもあったはずなのに。
なのに、僕は自分の血を飲ませて、その子犬を僕と同じ不死身にしてあげるという考えしか、頭になかった。今思えば、僕は仲間が欲しかっただけだったんだ。同じ不死身の体を持った怪物を。子犬を助ける為じゃなく、自分の孤独を無くしてくれる存在が欲しかっただけだったんだ。
「あの時の君、凄く・・・凄く、悲しそうだった。でも、そんな君を見て私、嬉しくなっちゃったんだ。あーそうか、あの子も独りなんだって・・・それから君を見かける時が多くなっていて、君が奇病を患っている事と、私が君をストーカーしているのが分かったの」
「死ねない僕を夢に引き寄せれば、永遠に夢の世界で生きられる。独りじゃなくなると思って?」
「私は永遠じゃないけどね。でも、死ぬ瞬間まで独りにはならなくなる・・・そう思ってたけど、君の奇病は夢の世界では無いんだよね?」
「夢の世界は理想を叶える。なら当然、僕の奇病は無くなってますよ」
「・・・そうだよね。私、自分の事しか考えてなかった。君が自分の奇病を恨んでいる事なんて、考えもしなかった・・・ごめん」
同じだ。この人も、僕と同じく奇病を恨んでいる。この人の奇病が発動する条件は、人の眼を見るだけ。言い換えれば、奇病を発動させない為には、人と眼を合わないようにしなければならない。
だからこの人は、ずっと独りなんだ。どれだけ美人な人でも、どれだけ話が面白くても、どれだけ性格が良くても、眼を合わせてくれない人に信頼は生まれない。信頼が無ければ、誰も自分の傍になんかいてくれない。
僕はずっと心の隅で、奇病の所為で自分だけが独りだと思っていた。でも、奇病に悩まされている人は他にもいたんだ。神田理子・・・いや、きっと他にもいる。奇病を患った人も、そうじゃない人も・・・世界には、僕以外にも独りぼっちの人がいるんだ。
「・・・世界って、広いんですね。」
「え?」
「僕だけが独りぼっちだと、ずっと思っていた・・・でも神田さんや、他にも世界中には独りぼっちの人がいるんだと分かったんです」
「そう、なのかな・・・」
「地球儀って見た事ありますか?」
「・・・昔に」
「初めて見た時、僕が住んでいる日本以外にも、沢山の国がある事を知ったんですよ。こんなの全部憶えられないって思ってたんですけど、ある日、ふと夜空の星を見たんです。数え切れない星の輝きがあって、星の数と宇宙の広さに比べたら、途端に僕らの世界は狭いんだなって思ったんですよ」
「・・・ふふ、確かに」
「でも、やっぱり違いますよね。人一人が見たものや感じているものだけで測れる程、この世界は狭くなくて、人も少なくない。こんな当たり前の事にも、僕は気付かなかった。それって、まだ僕が狭い生き方をしているからなんですよ」
神田さんに目線を合わせる為に座り、彼女の眼を見ながら、僕は言葉を続けた。
「だから、僕は色んな人に会ってみたい。この日本だけじゃなくて、他の国の人とも会ってみたい。僕と同じく独りぼっちの人がいるんだと知りたい。そして、出来れば・・・友達になりたい、と思ってます。ふっ、結局自分勝手な想いなんですけどね」
「・・・ううん。君は、偉いよ。独りなのに、独りぼっちから抜け出そうとしてる。私みたいに、立ち止まらない・・・だから、偉いよ」
その時、世界に変化が訪れた。僕らを囲んでいた石の壁の一角が開いた。その場所に近付いて見てみると、その先には道が続いてあった。
「出口・・・そこを通っていけば、君は夢から覚める・・・私はここでいい・・・どうせ目覚めても、私は独りなんだから。ならせめて、夢の世界で一生を過ごしたいの。もう誰も、私の寂しさに付き合わせたくないから・・・」
「何言ってるんですか? 神田さんも目を覚ますんですよ」
「人の話聞いてた? 私は! もう目覚めたくないの! ずっとここで独りで生きて! ここで死ぬの!!!」
「人の話聞いてました? 僕は僕と同じ独りぼっちの人と友達になりたいんです」
僕はもう一度神田さんの目の前に立ち、強引に彼女を立たせた。壁に神田さんを押し当て、身動きが取れないようにして彼女の眼を見つめる。
「僕と一緒に帰りましょう。帰って、現実の世界で生きましょう」
「・・・こんなの初めて・・・他人に見つめられながら、私も他人を見つめるなんて」
そう言って、神田さんは僕の手を振り払って抱きしめてきた。あまりにも簡単に振り払われて、自分の力の無さにちょっと傷付いたけど、まぁ今はいいか。そう思いながら、僕も神田さんを抱きしめ返し、背中を優しく叩いであげた。
「行こう、神田さん。目を覚ましに」
「・・・うん・・・行きましょう!」
次回
「目覚め」




