第12話 えっちなはぷにんぐはラブコメの華である。
「それで、感想はどうかな? 青天目君」
「足元がおぼつかない」
「……水の中だからね」
俺の浮き輪を引く麻生さんがクスクスと笑う。
水面からちらちらと水中に見える白い水着が妙に気になって、そちらも落ち着かない。
白は映える。たとえ水中であっても。
「この辺はまだ浅いから、大丈夫だよ」
「何メートルくらい?」
「2メートルはないんじゃないかな?」
つまり、すっかり俺が没しても足がつかない深さという事である。
どうしてこんなに冷静でいられるんだろうか?
「あ、不安そうな顔してる」
「バレたか」
「意外とわかりやすいよね、青天目君って」
そんなバカな!
俺ほどポーカーフェイスをクールに決められる人間はそういないぞ!
「大丈夫、大丈夫。浮き輪があれば絶対に沈まないから」
「なるほど……じゃあ、俺はこの辺りを漂ってるから麻生さんは遊んでおいで」
せっかくのシュノーケリングの時間だというのに、俺にずっとつきっきりなのは些かもったいない。
それに、この浮き輪というのにも少し慣れてきた。
これだけの浮力があるのなら、麻生さんの言う通り絶対に沈みはしないだろうし……最悪、魔法を使えば陸に戻るのも容易だ。
「ん? 私と遊ぶのは楽しくないのかな?」
「まさか。でも、せっかくの海だろ? 泳げない俺に付き合って時間を無駄にすることはないさ」
「わかってないなぁ」
少し困った顔をして、麻生さんが笑う。
眼鏡を外した麻生さんは少し活発な雰囲気がして、今日もギャップ萌えが発生中だ。
可愛いクラスメートと海の上で二人きり、というシチュエーションは心をときめかせないでもないが、『泳げない俺のフォロー』という現実は少しばかり情けない。
「私が青天目君と遊びたいんだけど?」
「遊ぶったって、俺に付き合ってただ漂ってるだけなのに?」
「十分楽しいよ? いっぱいお喋りしてくれるし」
「あんまりトークが得意でない人間で申し訳ない……」
ますます申し訳なくなってくる。
コミュ障の元魔王という肩書は、可愛い女の子と二人きりというチャンスをまるで生かせない属性なのだ。
せめて、なにか気の利いた話でもできればよかったんだけど。
「私はちょうどいいんだけどなぁ。ほら、青天目君って年の割に落ちついてるっていうか、ちゃんと話を聞いてくれるっていうか。そういう安心感あるんだよね」
「初めて言われた」
「そう? 私は青天目君のそういうところ、結構好きなんだけど」
さらりと耳を通り抜けていった『好き』という言葉に、少しばかり焦ったが……これに過剰反応をしてはDTフレーバーが濃くなってしまう。
なので、俺は軽く流すことにした。
「そりゃあ、ありがとう。ご存じの通り自称も他称も陰キャのコミュ障でね、そんな風に言われたのは初めてでびっくりしたよ」
「それ! いつも後ろ向き過ぎない?」
浮き輪につかまりながら、身を乗り出す麻生さん。
瞬間、バランスが崩した浮き輪がくるりと回転──俺は海の中にするりと吸い込まれた。
ほんの一瞬だけ焦ったが、とにかく気持ちを落ち着ける。
こういう時、パニックになるのが一番よくないのだ。
……あ、だめ。
鼻から水が入ってきてキーンとした。
「青天目君!」
「……!」
誰かが俺の手を引いて、海面に引っ張り上げてくれる。
ざばりと浮かび上がった俺は、軽く咳き込みながらもなんとか息を落ち着けた。
「あー、びっくりした。浮き輪がないとすごい勢いで沈むな、俺」
「ごめん、青天目君! 大丈夫? ホントごめんね?」
「いやいや、助かったよ。ありがとう、麻生……さ、ん」
お礼を言い終わるまでの間に、状況を理解してしまった俺は思わず固まる。
なにせ、俺が今しがみついてるのは麻生さんなのだ。
布面積の少ない麻生さんの肌の感触がダイレクトに俺に触れていて、非常に気まずい。
しかも、何やら柔らかいものが俺に押し付けられている。
まずい、これは別の意味でパニックになりそうだ。
「ご、ごめん! 麻生さん……」
「待って、離れちゃだめだよ!? また沈んじゃう!」
離れようとした俺を逆に抱き寄せた麻生さんが、少し照れたような笑いを浮かべながら「よいしょ」と背伸びして浮き輪をかぶせた。
おかげでようやく、俺は海上の安全を確保できたのだが……どうにも気恥ずかしい。
「えーっと、あはは。事故ってことで、気にしないで。私が悪いんだし」
「俺が泳げないばっかりに、ごめんなさい」
ここが海上でさえなければ、しっかりとした日本の心を披露していたところなのだが。
「気にしないでってば。『ちょっとえっちなはぷにんぐ』はラブコメの華でしょ?」
「それはそうだけどさ。昨今そういうのって厳しいし……」
「私がいいって言ってるからいいの。それとも、私との触れ合いはえっちカウントなしかな?」
答えを待つように首を傾げる麻生さん。
おかげで、さきほどの感触が甦ってきてしまった俺は、思わず視線を水中の白い水着に移動させる。
「あはは、正直者だねー、青天目君は」
「く……ッ!」
「でも、ちょっと嬉しいかも?」
「え?」
驚く俺を置き去りに、泳ぎ上手な麻生さんが、スーッと泳いで背後に回る。
簡単に背後をとられるなんて、魔王の名折れだ……!
「青天目君は、私の事を女の子としてみてないのかなーって思ってたから」
「そんなことあるもんか」
「そうだといいけど。ちょっとくらいは意識してほしいなって思ってるんだよ?」
背後から聞こえる麻生さんの声は少し拗ねたように聞こえて、同級生の新たな一面に少しだけ驚いてしまった。
……これは、あれか?
春の兆し2ndイグニッションというヤツなのか!?
海、二人きり、いい雰囲気(なぜか変換できない)……!
あとはわかるな?
「あ、あのね──青天目君」
麻生さんが何か言おうとした瞬間、巨大な水柱が俺たちを海上から空中へと跳ね上げた。
鯨の潮吹きに巻き込まれたわけではない。
何かが、高速で着水したのだ。
当然、こんなところでそんなマネをする奴は一人しかいない。
「えっちな狼藉はそこまでなのです!」
そう、ヘッポコ勇者だ。
よりにもよって一般人を巻き込むなんて、何考えてる!
空中で麻生さんをキャッチし、そのままふわりと海上に着地する。
海上に浮いたまま、俺はすばるにじろりと視線を向けた。
「バカ! 麻生さんがケガしたらどうするんだ!?」
「ご、ごめんなさいなのです!」
「まったく。俺ならともかく、他の人間を巻き込むなよ。はしゃぎ過ぎだ」
しょんぼりとするすばるに軽くため息を吐いていると、腕の中の麻生さんが俺のことを見上げた。
「えっと、青天目君? どうやって海に立ってるの?」
「……あ。えーっとこれは、だな」
少しだけ考えて、渾身の言い訳を麻生さんに告げる。
「ヨガの神秘なんだ」
「誤魔化すならもうちょっと練ったほうがいいわよ?」
……ダメだった。




