第4話 どっちにしても選択ミス。
「ほい、お疲れ」
レジャーシートの上で小休憩するすばるに、水の入ったペットボトルを差し出す。
それを受け取ったすばるが俺の方をじっと見て、小首を傾げた。
その仕草は思いの外かわいらしくて、ちょっとばかり心臓に悪い。
「思ったのですけれど、蒼真は元魔王なのに気遣い上手なのです」
「そりゃどうも」
「どうしてなのです?」
勇者殿はなかなか難しい質問をなさる。
そも、普段の俺はそこまで気遣いのできる男ではない。
目の間にいるヘッポコ勇者に、あまりにも問題が多すぎるからそのように気を付けているに過ぎない。
つまるところ、俺というヤツは少し心配性なのである。
……ということを、伝えようとすれば「お父さんなのです?」みたいなツッコミが入るので、口に出しはしないが。
「どうしてって言われたらなかなか言葉にしにくいな。それより、すばる。腹減ってないか?」
キッチントレーラーが並ぶエリアを指さして、視線を誘導する。
この話題を続ければ、うっかり本音が漏れそうだしな。
「言われてみれば、小腹が空いた気がするのです」
「あれだけ遊べばな。で、何が食いたい?」
ちょっとオシャレげなピタパやサンドイッチの店もあれば、定番の焼きそばや烏賊の姿焼きを売る店もある。
さすがビーチリゾート。海の家一択という海水浴場とは少し違う。
「えーっと……あ! あの『リョウちゃんの海の幸串焼き』が気になるのです」
「お、いいチョイスだな。俺もあれが気になってたんだ。よし、買ってくるからちょっとここで待ってろ」
「待ってていいのです?」
「荷物番、よろしくな」
そう軽く手を振って、俺はキッチントレーラーの立ち並ぶ方向へと歩きだす。
防犯の魔法がかけてあるので荷物番など実は必要ないのだが、あえてすばるを居残らせた。
そろそろ昼食時ということもあって、人が増え始めたフードエリア。
海水浴の半数以上は陽キャかパピリで、その半分は『ひと夏の体験』目的だ。
そんな連中がうようよする場所をすばると一緒に歩くなんてのは、俺では役不足だろう。
何と言っても、今日のすばるは水着姿だ。
アレの容姿に耐性がある俺であっても、少しばかりぐっとこないでもない格好である。
あの凶暴な女勇者の正体を知らない者が、うっかりノリとやらであいつの肌に触れでもしたら、フレッシュなひき肉になって周囲にばら撒かれかねない。
「すみません、おまかせで四本ください」
「はいよ」
キッチントレーラーにいたのは、俺とそう年が変わらなさそうな黒髪の青年。
手際よく海鮮串を焼く姿はなかなか堂に入っていて、働く男という感じに好感が持てる。
きっと俺と違って、モテるんだろうな……。
そんな事を考える俺に串焼きの袋を差し出しながら、店主の青年が目配せをする。
「お待たせ。はい、二千円ちょうどね。……ところで、彼女さん大丈夫か?」
「へ?」
「あの子、君の彼女だろ? 一人っきりにすると、危ないぜ? ほら」
ちょいちょいと店主が指さす先、俺が立てたパラソルの下では……すばるが見知らぬ男達と何やら剣呑な空気になっていた。
しくじった。どうやら連れてくるのが正解だったらしい。
いや違う。そも、一人にするという選択自体が誤っていたのだ。
「すいません! ありがとうございます!」
軽く頭を下げて、俺は走り出す。
文字通りにすばるの殺気立ったあの空気……一触即発どころか、一触即殺だ。
急がねばなるまい。
と、そうこうするうちに男の一人がすばるの肩に触れた。
あ、死んだな。
そう思ったが、すばるはその手を払いのけはしたものの、男は吹き飛びもしなければその場で血反吐を撒き散らしもしなかった。
金髪男は軽薄そうなヘラついた笑みを浮かべて生きている。
命拾いしたことを、この世界の神に感謝した方がいい状況なのに、実に呑気なことだ。
「待たせた。買ってきたぞ。で、どちら様?」
「知らない人なのです」
「だろうな」
男達とすばるの間に体を滑り込ませ、すばるをかばうようにして男達と対峙する。
当然、男達はカチンときたようでヘラついた表情を一瞬鋭くさせた。
そう睨むもんじゃない。君達の生命にかかわる問題なんだ。
「ん? 誰? 彼氏君?」
「この子の保護者ですけど、何かご用ですかね?」
「ふーん……」
さっきすばるに触れた金髪の男が、目を細めて俺を見る。
嫌な視線だ。日に焼けた筋肉隆々な取り巻きの中で唯一貧相な体つきなのに、こいつが一番自信満々で、一番偉そうだ。
年のころは大学生やそこらだろうか。
金髪男を軽く無視することにして、背後のすばるをちらりと振り返る。
確かに庇いはしたが、そうくっつくもんじゃない。
あんまり役得が過ぎると、揺り返しで後ほど悪いことが起こりそうだ。
「お前ってば、すぐにトラブルに遭うのな……」
「蒼真が一人にするからいけないのです」
「おっしゃる通りで」
軽くうなずいて、手に持ったままだった海鮮串の入った袋をすばるに手渡す。
このやりとりに、金髪男の隣にいた取り巻き──坊主頭の男が苛つきを募らせたようだ。
まったく、短気な連中だ。
「おいおい、無視か? ナメてんのか?」
「ええと……お声掛けいただいて恐縮ですが、お引き取りいただいても?」
一応年上だろうと気を遣って向き直り、できるだけ丁寧に返答するが……どうやらそれも気に入らなかったようだ。
見る見るうちに目つきを鋭くした坊主頭が、指をポキポキと鳴らす。
実に親切なことだ。今から殴りますよ、なんて示威行為までしてくれるなんて。
「お前、痛い目に遭いたくなきゃ今すぐ失せろ。埋めんぞ」
そういう結論が出る当たり、暴力で順風満帆な人生を送ってきたのだろう。
しかし、俺を埋めるときたか。夏の砂浜でしか聞けない斬新な脅し文句だ。
まあ、その時は俺がこいつを魔法で地下数百メートルに埋め立ててやってもいいのだが……それよりも、今は背後のすばるのほうがヤバイ。
こんな濃い殺気を海辺で放つもんじゃないぞ。海が凪いでしまう。
「抑えろ、すばる」
「だいじょうぶなのです。殺さないのです。内臓をいくつか失ってもらうだけなのです」
「人間には失っちゃいかん臓器の方が多いんだぞ、すばる」
ため息を吐きつつ、軽く男たちの様子をうかがう。
取り巻きの一人の短髪男は、すぐにでも殴りかかってきそうな空気だ。
すばるではないが、もし暴力に訴えようってなら俺だって応戦する。
その際は、命以外の全てを諦めてもらうが。
「まぁまぁ、ええやん。別の子さがそか」
「……ボス」
肩を叩かれた坊主頭がぎくりとして固まる。
ボスと呼ばれていることに加えて、坊主頭この態度──どうもこの金髪男は相当な曲者らしい。
「ボスはやめーや。おじょーさん、気が向いたらワイとまた遊ぼな?」
「遠慮するのです」
おいおい、本心が駄々洩れだぞ。
まあ、仕方ないことだろうが。
「カレシ君もほなね」
本心が見えない不気味さを伴った笑顔を俺に向けて、金髪男が去っていく。
その後ろに、ぞろぞろと男達が続いた。
坊主頭は最後まで残って、俺を睨んでいたが結局は男たちの後に続いた。
「何なのです、あの失礼なやつらは!」
「ビーチ名物、ナンパグループだろ」
「名物なのです?」
「ポピュラーな特産品の一つだよ。知らなかったのか?」
「知らなかったのです……!」
ともあれ、トラブルはこれで解決だ。
何かあるとは思っていたが、早々にフラグを回収してくれるとは。
元勇者のトラブル体質はいまだ健在だな。
「蒼真、助けてくれてありがとうなのです」
深々とため息を吐く俺に、すばるが安心したようにふわりと笑う。
その笑顔に些か毛羽立っていた気持ちが、落ち着いていくのを感じた。
なんというか、俺もちょろいヤツである。
「……あ、ああ。一人にしたのは俺のミスだった。すまなかった」
いつになく素直なすばるに、思わず俺も素直になってしまう。
そんな俺に微笑んで見せて、すばるが海鮮串を差し出す。
「ふふ、やっぱり魔王レグナは最強なのです」
「元な。あと勇者がそれ言うのってどうなの……?」
「元勇者なのでノーカンなのです!」
天真爛漫に笑う水着姿のすばるに少しばかり心をかき乱されつつ、……しっかりと夕方まで遊んだ俺達は『晴湯旅館』へと帰った。
いい休日だったと思う。
しかし──今日あったこの小さなトラブルが、夏休みの俺達を揺るがす波乱のきっかけとなることを俺ですら予想していなかった。