第7話 安息の日に
デスタン侯爵領に来て五日目、その日は安息日であった。
デスタン侯爵は部屋に閉じこもり、使用人たちも最低限の仕事だけを済ます。
ラウルトと5人の使用人にも、自分の世話をしなくていいと言いつけて、リリアーヌは私室で頬杖を突いた。
「……ああ、そうだ、グレースに手紙を書こう」
思い立ったが吉日、レターセットを取り出すが、その前で悩む。
「…………」
書き出しが何も浮かばず、リリアーヌは無言で席を立ち、部屋から出た。
数日前に教えられた部屋に向かう。
「ふー……」
思いっきり息を吐き、ノックをした。
「……誰だ」
「リリアーヌです」
「…………」
沈黙、続いて足音、セドリックが部屋のドアを開けた。
「何用だ」
「……手紙をグレース姫様に書こうと思いまして」
グレースの名にセドリックは明らかに動揺した。
「そうか」
感情を押し殺した声で彼はうなずいた。
「……何か、伝えることなどありましたら、と思いまして」
「……ない。何もない。俺があの方に伝えるべきことなどない」
「承知しました。お時間取らせて申し訳ありません」
「……ああ」
リリアーヌは一刻も早くここから立ち去りたかった。
しかし、セドリックはドアを開けたまま、固まっていた。
「……まだ何か」
「いいや、何も……何も」
「では、失礼します」
「ああ」
リリアーヌは今度こそ、セドリックに背を向けた。
扉を閉める音はずいぶんと時間が経ってからした。
「……部屋にも入れてくださらないのね」
婚約者の振る舞いに、リリアーヌは苦笑いとともに傷を飲み込んだ。
手紙に向かう時間はあまりに長かった。
リリアーヌは意を決して筆を走らせ始めた。
『グレース様、いかがお過ごしでしょうか。
私はデスタン侯爵領について5日目となります。
デスタン侯爵は意外に気さくなお方でした。領民と酒を酌み交わすこともあるそうです。侯爵ともなればそういうことはなさらないと思っていたから、私、意外で意外でしょうがありません。私にもずいぶん良くしてくださいます。
あなたと比べたら不出来な嫁でしょうにね。
セドリック様は』
そこで手が止まる。
セドリックの様子をありのままに伝えることは、グレースを傷付けるだろう。
しかし、だからといって、何も気にしていません、では、それはそれで嫌だろう。
『セドリック様は、無口なお方ですね。私、どういうお話をすればいいのか分かりません。今まで話したことといえば、お屋敷で暮らす際の心構えくらい。
ああ、そうそう、本の話もしました。あなたが前に好きだと言っていた騎士の本。セドリック様も読んでらっしゃいました。
デスタン侯爵家の図書室には物語の本もたくさんありました。私、退屈しなくて済みそうです』
実際にはあれから図書室には近付いていない。
リリアーヌの中にはどうしてもあそこを拒む心があった。
『セドリック様のお姉様が、デスタン侯爵家に帰っていらっしゃるのはご存知でした? お姉様には息子さんがいて、まだ2歳です。
エグランティーヌの小さい頃を思い出します』
エグランティーヌはリリアーヌの妹だ。まだ幼い妹は、リリアーヌが家を出ると聞いて大泣きをした。
『エグランティーヌは私がいなくなって寂しがっていると思いますので、グレース様がよろしければ、遊んでやってくださいませ。
親愛と真心を込めて。リリアーヌ』
手紙にはセドリックの母のことが抜けている。
しかし、リリアーヌにはそのことをどう書いて良いのか分からなかった。
そのまま封をしたリリアーヌは気付いていなかった。
手紙に自分のことをほとんど書いていないと言うことを。
一仕事終えた気分でリリアーヌは背伸びをした。
この手紙がグレースの手に渡るのはいつになるだろう。
グレースからの返事が待ち遠しかった。
昼はラウルトと5人の使用人が自分たちの分として用意したものを分けてもらう。
それが安息日に彼女らを働かせないための建前だ。
「ああ、そうだ、カサンドラ、手紙を出したいの」
「分かりました。明日、回収に伺います。何通でしょうか」
「一通よ」
「ご実家に?」
カサンドラの言葉でリリアーヌは実家に手紙を出すということを初めて思いついた。
「……ああ、考えてもなかったわ。いいえ、グレース姫様に出しますの」
空気が、一瞬で凍りついた。
5人の使用人が小さく目配せする。
ああ、グレースはこの家ではタブーなのだ。
自分とセドリックが当たり前のようにグレースの話をしているのもおかしいくらいなのだ。
息が詰まりそうだ。
グレース。どこにあの子の安息はあるのだろう。
「……ご実家にも手紙を書いたらいかがです? エグランティーヌ様も喜ぶでしょう」
ラウルトが助け船を出した。
「……どうかしら、妹は私から手紙が来たらまた泣いちゃうんじゃないかしら。でも、そうね、実家にも手紙を書きましょうか」
リリアーヌは微笑んだ。
淑女らしく、慎ましく、感情を押し殺して。
実家へ宛てた手紙はあまりにも機械的な文面になった。