第22話 あなたの私
「おはよう、グレース」
「おはよう、リリアーヌ」
グレースの穏やかな微笑みに、リリアーヌはホッとする。
朝食をエグランティーヌととってから、リリアーヌはグレースの元へ訪れた。
往診に来た医師とエドウィージュが何やら話し合いをしている。
医師に見覚えがない。レアンドル伯爵家のかかりつけではない。
王城から来た医師だろうか。
「……少し、リリアーヌと話をさせてもらえますか?」
グレースはそう言った。
医師がうなずいたので、グレースについていた侍女もエドウィージュも部屋から去って行った。
「…………」
「…………」
「グレース……セドリック様から聞きました。……破談の理由」
「ああ、そう。話したの……話すほど信用されたのね、リリアーヌ」
「まさか」
リリアーヌは苦笑した。
「セドリック様は……ただ、ええ、誰でもいいから弱音を吐きたかっただけのように見えました。あのね、グレース、セドリック様はね、子供を作る気がないそうよ」
「え……」
グレースの顔に衝撃が走った。
いったい誰のための衝撃だろう。
セドリックのため? リリアーヌのため?
リリアーヌはいつだってグレースを信じてやれない。
グレースがセドリックとリリアーヌ、どちらを大事に思っているか、いつだって疑ってる。
そんな自分にも苦笑してしまう。
「でもね……それは多分セドリック様だけの決意なの……。甥っ子を養子に迎えるっておっしゃってたけど、それをお義姉さまに話してらっしゃらないし……。それにね、エドウィージュだけじゃなくて、お義父さまが私につけてくれた侍女の中には子育てが上手い侍女がいるの」
「……もしかして、カサンドラ?」
「ああ、知ってたのね」
そういうことも話していたのね、グレース。
きっとリリアーヌが思っているよりも深く、二人は将来のことを考えていたのだ。
輝かしい将来を。
臓腑がねじ曲がるような感覚は誰のためだろう。
二人を哀れんでのことだろうか。
自分の惨めさのためだろうか。
「……将来のことをね、セドリックとは語り合ったの。その中で……ええ、私に子供が生まれたら、カサンドラが育ててくれるだろうって……私たち、無邪気にそんなこと話してたのよ。今思うと……おぞましいことね」
リリアーヌはグレースの顔を見る。
彼女はどこまでも穏やかに微笑んでいる。
「……仕方ないわ、グレース。あなたたちは何も知らなかったのだもの」
「そうね、そうなのだけれど、たまに怖気が走るの。知らずにそのまま婚姻が成立していたら……そう思うとね、吐き気がするの。あんなに愛していたのにね。悲しいわ……」
グレースの微笑みは絶えない。
だけどその微笑みは凍り付いているように見える。
いつからだろう。
グレースはいつからこんな笑顔を貼り付けるようになったのだろう。
自分の前で涙を流した彼女はどこへ行ったのだろう。
あれからたった一月ではないか。
一月の間にグレースはどう思っていたのだろう。
「そうね、カサンドラをあなたにつけたのなら……デスタン侯爵の方はあなたとセドリックの子供を望んでいるのだわ……。可哀想なセドリック。一人で考え込んで、一人で勝手に閉じこもっているのね。……そういう人だとは思わなかった。いえ、そういう人に、なってしまったのよね」
さらりとグレースはそう言った。
グレースがどれほどセドリックに愛を注がれていたのか、それだけでリリアーヌには分かるような気がした。
「……グレース……私……」
「帰りたい? リリアーヌ」
グレースの目に揺らぎが灯った。
「あなたを最初にセドリックの結婚相手に推挙したのは私です。破局の理由は表沙汰にできない醜聞。だけどセドリックに問題があったと噂が流れるのはデスタン侯爵は避けたがった。だから……ええ、私の親戚で親友のあなたを推挙しました……」
「……ええ」
「だから私が原因で私が発端で……それなら、私の言葉ひとつで覆すことだってできるでしょう。あなたその様子じゃセドリックに言われたことをデスタン侯爵に告げてないのでしょう? デスタン侯爵は厳めしいけど悪い人じゃないわ。セドリックの働いた無礼を理由にすれば破談はできるでしょう。セドリックには悪い噂が立つだろうけど……身から出た錆だわ」
「……あなたが言ったのじゃない。セドリック様を幸せにしてあげて、と」
リリアーヌの声に感情は入っているだろうか。
責めるような声になってはいないだろうか。
苦しむような声になっていないだろうか。
「……あなたは、いつも誰にでも言うんだわ、悪い人じゃないって」
セドリックもデスタン侯爵も、きっと王妃のことだって。
リリアーヌは小さく呟いた。
「リリアーヌ?」
グレースは困ったように首をかしげた。
「……幸せに……してあげたいの……あ、あなたの望みだから……たぶん、あなたは、これ以上のことを望まないから」
「……あのね、リリアーヌ」
グレースは目を伏せた。
「ごめんなさいね、リリアーヌ。私……ああ、私、ただ、ええ、ただ……」
グレースは声を詰まらせながら、その先を進めようとした。
しかし、それは遮られた。
「お話中、申し訳ありません、グレース様、リリアーヌ様」
「はい」
廊下からの声がけにリリアーヌは応えた。
「…………ええと、あの、王太子殿下がお越しです」
「……お兄様?」
グレースが困惑した顔で呟いた。
王太子、彼はグレースを傷付けた王妃の息子だった。
グレースとセドリックの異母兄。
くしくも王の3人の子供がレアンドル伯爵家に揃うこととなった。




