第21話 レアンドル伯爵家
「やあやあ、よく来てくださいました。セドリック殿。リリアーヌの兄でレアンドル伯爵家の後継、ベルトランです」
「どうも、セドリックと申します」
リリアーヌの兄、ベルトランはセドリックを満面の笑みで迎え入れた。
「うむ、親愛なる我が弟! どうぞ、兄と呼んでください! ああ、こちら妻です」
ベルトランの妻は控えめな雰囲気の女だった。
彼女は小さく礼をすると、困ったような笑顔を浮かべた。
夕食の席には、セドリック、リリアーヌの兄、兄の妻、リリアーヌの両親が揃っていた。
「いやあ、エグランティーヌが迷惑をかけて申し訳ない! あれと来たら本当にリリアーヌにべったりで!」
「はあ」
「リリアーヌがいずれどこかに嫁に行くのは分かっていたというのに……。この席に妹がいないのはあんまりに不自然ですね! まあいいか、ああ、どうです? 王都は」
「……久し振りです」
セドリックはベルトランの底抜けの明るさに戸惑いながら答えた。
どうにも居心地が悪かった。
「どうです、リリアーヌは、ご迷惑をおかけしていませんか?」
「……とてもよくこなしてくれています」
「それならよかった! ああ、リンゴおいしいですね!」
レアンドル伯爵家の料理人によって調理されたリンゴの味は故郷で食すのとはだいぶ違う味がした。
セドリックはそんな思案を押し殺す。
「それは何より」
「デスタン侯爵家は今頃はもうずいぶんと寒いでしょう?」
「ええ……」
「一度行ってみたいものだ……結婚式にはぜひ呼んでください……エグランティーヌにはまだ早いかな? しかし、留守番も可哀想だな……」
「…………」
結婚式。このまま自分たちは式を挙げられるのだろうか?
リリアーヌとセドリックが出会ってもう一月近くが経とうとしていた。
おおよそ、夫婦になる男女とは思えない交流の仕方をしてきた。
愛情も芽生えてないというのにデスタン侯爵家の事情ばかりを押し付けた。
いっそ、リリアーヌをここに置いて帰ってしまおうか。
セドリックはこの期に及んでそんなことを考えていた。
しかし口をついて出るのは当たり障りのない言葉だった。
「出戻った姉の子もまだ幼いですし、幼い子供が参列するのは問題ありません」
「おお、それはそれは……」
ベルトランは『出戻った姉』について尋ねていいものかという顔をしたが、その話題は軽やかに避けて、話を続けた。
「セドリック殿は趣味はありますか?」
「狩猟と……読書」
「狩猟か! 王都の近くには良い狩り場がないんですよ! 母の実家は田舎なので滞在しているときはよく狩猟に行きましたが……。ますますデスタン侯爵家にうかがいたくなってきた! それに読書か……そういえばリリアーヌもグレース様の影響で……んんっ」
ベルトランはわざとらしく咳き込んだ。
グレースの話をどこまでして良いのか、彼は測りかねていた。
ベルトランは話を転換させた。
「……リリアーヌも読書が好きなのですよ!」
「ええ、聞いています」
「そうですか、そうですか」
ベルトランは笑った。
「しかし、こうして妹の旅路に付き合っていただけるとは……妹は大事にされているようで何よりです」
目が、笑っていなかった。
探るような目だった。
きっとこの男は勘ぐっているのだろう。
セドリックがリリアーヌについてきたのか、グレースに会いに来たのか。
そんなことは、セドリック本人にも分からなかった。
気まずい夕食を終え、セドリックは与えられた客間に引っ込んだ。
伯爵家からは年のいった侍女を一人つけられた。
セドリックは貴族にしては珍しく、大抵のことを自分でやってしまう男だった。
だから今度の旅にも誰もつけなかった。
侍女が手を貸そうとするのを断って、セドリックはひとり夜の支度を整えた。
一つ屋根の下に、グレースがいる。
セドリックが父に連れられ王都に訪れるときは親戚の家に寝泊まりした。
婚約者としても、兄と妹としても、グレースとこれほど近くに眠ることなど初めてのことになる。
「ふう……」
セドリックは深くため息をついて、ベッドに潜り込んだ。
「……グレース」
姉と再会し大はしゃぎし、夕食を少し口にするとさっさと眠ってしまったエグランティーヌの頭を撫でてやりながら、リリアーヌはベッドからまだカーテンの開いたままの窓から外を眺めた。
丸い月が浮かんでいる。
「『月が消えると花が咲く』……」
それは一冊の本のタイトルだった。
グレースに勧められた本の中でもリリアーヌが好きな本だった。
だからデスタン侯爵家に持っていったし、今回は置いてきてしまった。
「読みたいな……」
ポツリと呟いた。
侍女がカーテンを閉めましょうかと声をかけるまで、リリアーヌは月をぼんやりと眺めていた。




