第20話 『リリアーヌ』
「リリアーヌ。可哀想という気持ちは、見下しているのと同じだよ……。君はずっと……」
「そう、ですねえ」
リリアーヌは、笑った。
「あなたもグレースも可哀想」
リリアーヌはにっこりと微笑んだ。
「俺のことはいい。構わない。何とでも言ってくれ。でもグレース様のことをそういう風に言うのはやめろ」
「あらあら」
それはまるで自分が言ったことのようだと、リリアーヌは思った。
グレースのことを悪く言うのはやめろと、いつだったか言った。
いつだって言っていた。
グレースのことを悪く言われるのは、自分の根幹が悪く言われているようなものだったから。
「お優しいのね? セドリック様……元婚約者に? 妹に?」
「……妹だ。今の俺とグレース様は……兄と妹だ……世間に認められなくとも、明かせなくとも」
「そう」
リリアーヌは肩をすくめた。
「じゃあ、さっさと妹のお見舞いに行って差し上げれば良いのに、この意気地なし」
「……おっしゃるとおりだな」
セドリックは苦笑いをした。
「なんだ、リリアーヌ、君、そんな口の利き方もできたのか。そちらの方が、うん、よっぽど好ましいよ。実家に帰ってこられたからかい?」
「いえ、私、あなたに八つ当たりしているだけです」
リリアーヌはそう言った。
「王妃様への怒りも、国王陛下への怒りも、誰にもぶつけられないから、これまでのうっぷんをあなたにぶつけているだけです」
「ああ、そうか。それはいい。うん、自業自得だ。どんどんぶつけるといい……それもグレースの代わりかい?」
「はい、だってあの子、いつも怒ったりしないんだもの」
「そうか、そうか」
「だから私が勝手に怒ります。王妃様へも、国王陛下へも、お見舞いに行ってあげないあなたにも、私が怒ります」
「……グレースの、怒りすら君は横取りしようと?」
「ええ」
「……君自身の怒りは? 君自身への侮辱に対する怒りは? 君自身の望みは? 何かないのか、レアンドル伯爵令嬢リリアーヌ」
「ございません、旦那様。そんなもの……もうとっくにない……」
セドリックは初めて自分の妻になる予定の女の目を見た。
黒い目は空虚だった。
「8歳。8歳の時にグレースに会いました。それから10年間。グレースの代わりが私です。たぶん、私、グレースのお人形なの。婚礼の衣装もグレースが好きな色の服を着るの。『似合うわ、リリアーヌ』。あの子がそう言ってくれる服を着るの。嫁ぎ先だってグレースの望みどおりのところに行くの。あなたのところに行くんです、旦那様」
「…………」
「王都から離れてしまったら、グレースとのやり取りが少なくなってしまうから……次はあなたの言うことでも聞いてあげようと思ったのに、旦那様と来たら私にほとんど何も要求されないのだもの。困ってしまった。やることがなくて、暇で暇で……。しょうがないからデスタン侯爵家の女主人を気取ってみました。グレースならそう努めただろうと、そう思ったから」
「ああ、君の言う旦那様とは夫のことではないんだね……使用人のように私に尋ねているわけだ、ご命令をどうぞ、旦那様、って」
「ええ、あなた、だって、私の夫になる気なんてさらさらないじゃない」
「……うん」
「グレースなら、良い女主人になったでしょう。良い妻になったでしょう。私は代わりだからそう上手くはやれません。やれなくてよいのです。少しばかり出来が悪くても許されますわ。だって代わりなんだもの」
ころころとリリアーヌは笑った。
「楽ですよ。とっても楽です。出来の良い姫様の代わりってやつは」
「…………」
コンコンと、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
リリアーヌは変わらない表情でその誰かを迎え入れた。
ラウルトだった。
「諸々手はずは整いました。セドリック様には客室を使っていただきます。リリアーヌ様、エグランティーヌ様が一緒に寝たいとダダをこねています」
「いいわ。そうしてあげましょう。私のかわいい妹、エグランティーヌ。顔を見せてあげないと」
リリアーヌはあっさりとうなずいた。
「ラウルト、あなたは私につかなくて良いわ。グレースの方に行ってあげて」
「……分かりました」
「それじゃあ、セドリック様、また後で、夕食にでも」
「……ああ」
「ラウルト、セドリック様を客室に案内して差し上げて」
「……はい」
リリアーヌはさっさとエグランティーヌの部屋に向かった。
妹の部屋はリリアーヌの部屋――グレースが逗留している部屋の隣だ。
何かと都合が良い。
「…………」
セドリックはしばらく応接室でむっつりと黙り込んでいた。
「あの、セドリック様……」
「レディ・ラウルト、あなたはグレース様とリリアーヌのことをどう思っている」
「……8歳の子供には、荷が重すぎたのです」
ラウルトはセドリックの声の重苦しさにすべてを察した。
「周りの大人は……リリアーヌ様を、母を失った姫君の友達にと、ただ、それだけのつもりだった。でも、彼女たちには違ったのです。8歳の子供が、8歳の子供を癒やそうとすれば、無理が生じて……毎日、鬱々とした子供の言葉を聞いていれば、リリアーヌ様の正気など失われて……」
ラウルトはこの18年間を思った。
分厚い日記に記した日々のことを思った。
「そんな日々を救ったのは、あなたとグレース様の縁談でした」
「…………」
「グレース様はそれをきっかけに回復されていきました。でも、リリアーヌ様は……」
ラウルトは口をつぐんだ。
「…………これ以上は」
「ああ、客室に案内を頼む」
「はい」
結局、その日のうちにセドリックとリリアーヌが顔を合わせることはなかった。
セドリックはレアンドル伯爵家の夕食に招かれたが、リリアーヌはエグランティーヌにせがまれ、二人で食事をとることになったからだった。




