第2話 広いお屋敷に
「ふう……」
与えられた部屋はずいぶんと広かった。
寝室、書斎、応接間、居室、使用人室に分かれている上に、窓から覗く庭園までもがリリアーヌに与えられた一角だった。
5人の使用人には夕食まで来なくてよいと申し伝えた。
部屋にはリリアーヌとラウルトがふたり応接間で向かい合っていた。
「……帰りましょう! リリアーヌ様!」
「いいのよ、ラウルト」
「あんな……いきなりいつでも帰っていいだの、子供は要らないだの……ぶしつけにもほどがあります! いくら家格が低い相手とは言え、言って良いことと悪いことがあります! 女を侮辱しているようなものです!」
「セドリック様がそうお考えならしょうがないわ。いつでも帰っていいのだもの、嫌気が差したら帰るわよ」
「あんなことを言われたら普通、嫌気が差すのです!」
ラウルトは怒りながら泣いていた。
「……グレースと約束したのよ」
「その約束が果たせるとは思えません! あんな男相手に!」
「……出来る限りのことはするわ」
「だいたい! グレース様の言葉だってどこまで信用していいか! セドリック様はあれほどグレース様に未練たっぷりではありませんか! もしかしたら、グレース様の方に問題が……」
「ラウルト!」
リリアーヌは声を張り上げた。
「他の何を言っても良いけど、グレースの悪口だけはやめて!」
「……申し訳ありません」
「いえ、私も怒鳴ってごめんなさい。淑女のすることではありませんでした。でもね、グレースが今までどれだけの言葉で貶められてきたか……あなたにだけはグレースを貶めるようなこと言って欲しくないの。分かって」
「……はい」
ラウルトはうつむいた。
リリアーヌは庭を眺めた。
夕日の沈みかける庭は、美しかった。
「……やれる限りのことはします。しますとも。どうせ、正式な婚姻まではまだ時間があるしね」
リリアーヌとセドリックの状態はまだ婚約だ。
さすがにいきなり結婚というのは、酷だ。時間が必要だろうというのが周りの判断だった。
デスタン侯爵領でリリアーヌは婚約状態のまま、半年を過ごす予定だ。
「……というか、これこそがグレースと破談した原因かもしれないじゃない」
「……といいますと?」
「セドリック様は、子供が作れないのでは?」
「…………」
「…………」
「リリアーヌ様、それ他の者に一言でも言ってはいけませんよ」
「ええ。分かってるわ、でもほら、セドリック様がそうなんだと思えば、怒りもなんだか引いてこない?」
「……はい」
セドリックが本当にグレースを愛しているのなら、子供が産めないのは可哀想だと婚姻を諦めてもおかしくない。
それでリリアーヌがあてがわれるのはとんだとばっちりだが、とりあえずリリアーヌはそう思うことにした。
「……ふう」
最初からきらびやかな結婚生活など考えてもいない。
どうせ、政略結婚のなれの果ての婚約だ。
自由にしろと言われたのだから、自由にさせてもらおう。
「……自由に、あなたを、幸せに」
リリアーヌは小さく呟いた。
夕食の時間を使用人の一人が告げに来た。
リリアーヌはラウルトを伴って、食堂に向かう。
食堂にはすでに、セドリックとセドリックの父が待ち受けていた。
セドリックの父は茶色い髪に茶色い目をした厳つい男だった。
セドリックは母親似なのだろうか。リリアーヌはそう思った。
「……ああ、ようこそ、リリアーヌ嬢。ご挨拶が遅れて誠に申し訳ない。私がセドリックの父のデスタン侯爵ロドルフだ。よろしく頼む」
上座から立ち上がって、セドリックの父親はわざわざリリアーヌに近付いてきた。
「恐れ入ります」
リリアーヌは深々と礼をした。
「どうか、あなたにとって、この家が良き場所でありますように」
セドリックの父親はそう言った。
勧められた席に着きながら、リリアーヌは首をかしげた。
「……ええと、セドリック様のお姉様たちは?」
セドリックの姉は、離縁されて戻ってきているという。それにセドリックの母親も健在なはずだ。
「セドリックの姉は自分の息子と二人で食事をとっています。孫はまだ2歳ですからな。いくら家族の食卓とは言え、連れてこられません。セドリックの姉……娘は孫を溺愛していますから」
「そう、なのですか……」
義姉が溺愛しているという息子。それなのに、自分たちの養子に迎えていいのだろうか。
それとも養子に迎えるというのは形式的な話で、子育て自体は義姉がやるのだろうか。
「セドリックの母は、体調を崩していまして、離れで静養しています……いずれ、あなたにあいさつできるほどに回復したらご紹介します」
「……それほど、お悪いのですか」
「……ええ」
セドリックの父の顔が少し曇った。
あまり触れない方が良さそうだとリリアーヌは判断した。
「さあさ、食事にしましょう。リリアーヌ嬢はお酒はいかがです? お飲みになりますか? 我が領で採れる極上のシードルがあるのですが……」
「いただきますわ」
せめて義父との関係はよくしておこう。
リリアーヌは柔らかく微笑んだ。
食卓は静かだった。
時折、義父がリリアーヌに話題を振るばかりで、リリアーヌからは何を話していいか分からなかったし、セドリックはこちらを見もしなかった。
食事は豪勢だったが、正直リリアーヌには味が分からなかった。
こんなことは初めてだった。
自室のずいぶんと広いベッドに潜り込みながら、リリアーヌはため息をついた。
「……疲れたわ」
「帰りたくなりましたか?」
「帰らないわ」
ラウルトもため息をついた。
「もう寝るわ……おやすみ、ラウルト」
「はい、おやすみなさいませ。ああ、そうだ、明日の昼間、私は使用人の皆様に屋敷でのルールをお伺いするので、おそばに侍ることが出来ません」
「分かった。良い子にしてるわ」
「くれぐれもよろしくお願いしますね」
「はあい」
リリアーヌは素直に答えると眠りについた。