第17話 一通の悲報
手紙の返事が来ない。
リリアーヌがそれに気付くのに遅れたのは、セドリックのことが胸に引っかかり続けていたから、そしてデスタン侯爵家の女主人としての采配を習うのに必死だったからだ。
「あら……ラウルト、私、手紙を出してから何日経った……?」
「あら」
ラウルトは日記を開いた。
そこにはリリアーヌが産まれる前からのことが鮮明に記されていて、もう8冊目になる。
「8日は経ちましたね」
「そう……」
デスタン侯爵家は一見するといつも通りであった。
セドリックはリリアーヌに醜聞を打ち明けたことを、侯爵にはまだ話していないようで、デスタン侯爵のリリアーヌに対する態度はいつも通りだった。
冬に向けて、デスタン侯爵は領内を忙しく駆け回っていた。
ここ最近はゆっくり話をする暇がない。
リリアーヌは彼に確認しなければいけないことがあった。
「……手紙、遅れているだけなら良いけれど」
それともグレースはもう返事を書かないつもりだろうか?
グレースがデスタン侯爵家にとって傷を思い起こさせる存在だと言うことはよく理解できた。
婚礼に呼ぶことができない理由もよく分かった。
彼女はもうデスタン侯爵家に手紙の一枚も差し入れるつもりはないのかもしれない。
「……グレース」
リリアーヌはただどうしようもなく寂しかった。
一度、ミラベルとお茶をした。
ミラベルもまたデスタン侯爵夫人の話を聞きたがった。
本当の母のような人を心配するのは当然だろう。
リリアーヌは当たり障りのないことを告げるに留めた。
そして、その手紙は唐突にデスタン侯爵領にもたらされた。
「リリアーヌ様、お手紙が来ています」
その日の朝食の席にデスタン侯爵はいなかった。セドリックとふたりきり、むっつりと黙り込んで食事をしていたリリアーヌの顔に笑顔が灯った。
しかし封筒を見てすぐに落胆した。
実家からの手紙だった。
乱暴にビリビリと封を開け、中身を見、そしてリリアーヌは卒倒した。
「リリアーヌ様!?」
「リリアーヌ!?」
手紙を渡したアドリアンの悲鳴で、セドリックもリリアーヌの異変に気付いた。
セドリックはリリアーヌに駆け寄った。
「あ……ああ……」
「アドリアン! 気付け薬を!」
「は、はい!」
「ああ……ああ……!」
リリアーヌは手紙を握り締めて震えていた。
セドリックはそんな彼女を抱え起こした。
「どうした!? コルセットを緩めるぞ。 お身内に不幸でもあったか? しっかりしなさい!」
「ああ……グレース……!」
「グレース様……?」
セドリックの声が戸惑いに満ちた。
アドリアンが気付け薬を持ってきて、リリアーヌに嗅がせた。
「はあ……はあ……」
リリアーヌは胸元を押さえて、息を整えると、セドリックの腕の中から彼を見上げた。
「……実家に帰りたく思います」
「構わない。どうした」
「…………ぐ、グレースが」
「…………」
「大怪我をして……我が家で保護されたと……」
「…………!」
セドリックの顔に衝撃と迷いが生まれた。
「…………」
リリアーヌの震えは未だ収まらなかった。
「セドリック様」
アドリアンが口を挟んだ。
「……おゆきなさいませ。未来の奥方様を、おそばで支えてくださいませ」
「いや、いや……し、しかし俺には……俺には、アドリアン」
「おゆきなさいませ……後悔しないように」
アドリアンはかたくなだった。
老執事には逆らえないのか、セドリックは小さくうなずいた。
その顔は困惑に満ちていた。
リリアーヌはセドリックの手を借りて、私室に戻った。
急ぎ、帰郷の支度を整えだした。
そこにミラベルがアンベールを抱えて顔を出した。
「……家のことは任せなさいね」
ミラベルが心底、リリアーヌを思いやる顔でそう言った。
「は、はい……」
「その代わりあなたがいない間はカサンドラを借ります!」
「はい?」
「カサンドラはこの家で一番、子守が上手いのよ!」
「…………」
子守の上手い使用人をリリアーヌにつける。
それがセドリックの采配のわけがなかった。
「……お父様」
「ああ、あと、エドウィージュも連れて行くと良いわ」
「エドウィージュをですか……?」
「お姫様の大怪我がどの程度か分からないけど……もし顔に傷でもできていたなら、あの子を連れて行くと良い。私の母も生まれつき顔にあざがあったけど、エドウィージュの母親が化粧で上手く隠してくれたの。ねえ、エドウィージュ、あなたも出来るでしょう?」
「は、はい! もちろんでございます!」
エドウィージュはピンと背筋を伸ばした。
「……分かりました。お気遣いありがとうございます、お姉様」
「セドリックが邪魔になったらさっさと追い返していいのだからね」
「はい」
ミラベルは悲しそうに顔を歪めた。
「可哀想な私の妹。顔がずっと真っ青。……大好きなのね、お姫様のこと」
「……はい」
「私もそうね、アンベールと離ればなれになって、それでアンベールが大怪我したって聞いたらこうなるのでしょうね……それで実家に帰らせてくれる家ばかりとは限らないけど……ああ、駄目ね、これじゃあ、恩着せがましいわ」
「いえデスタン侯爵家には心底感謝しています。この忙しい時期に私が家を出る許可をくださるのですから」
「……気をしっかりね。たぶんセドリックなんて何の役にも立たないから……悪いけどあの馬鹿弟を頼むわね」
「……はい、お姉様」
リリアーヌが支度を終える頃には、デスタン侯爵も屋敷に帰っていて、リリアーヌの私室に外套のまま直行した。
「……話はアドリアンから聞いた。……リリアーヌ。いくらでもあちらにいていい。グレース姫の力になっておやり。……それから、悪いがセドリックを、頼む」
「はい……お父様、あの、私、戻ったらお父様にいくつかお話しなければいけないことがあるのです」
「分かった。帰ってくるのを待っているよ、我が家の新しい女主人」
セドリックは供を付けなかった。
リリアーヌ、セドリック、ラウルト、エドウィージュが馬車に乗り込んだ。




