第15話 『セドリック』
離れから本館へと戻る道すがら、デスタン侯爵はため息をつきながら、リリアーヌに謝罪した。
「すまない、リリアーヌ嬢。気を悪くしないでくれ。君とセドリックの結婚は……君さえよければ、予定通り執り行う。今日の……アレクサンドラの妄言は忘れていい」
「……私は……私にはセドリック様との婚礼を拒む理由はありません」
「……そうか」
どこかホッとしたように侯爵はうなずいた。
「でも……でも、セドリック様が私を歓迎していないのなら、話は別でございます」
「……セドリックが?」
「……はい。私、私はグレース、様からセドリック様を幸せにするよう頼まれてこちらにまいりました」
「そうか、姫様が……そのようなことを」
「私との結婚に、セドリック様を不幸せにする何かがあるのなら……お母様が懸念する何かがあるのでしたら……私は……」
「ない」
「……お父様」
「そんなものはない。リリアーヌ嬢。妻は心が弱ってありもしない幻覚に取り憑かれてしまっているのだ。大丈夫、君がセドリックを不幸せになどするものか」
「……で、ですが」
「大丈夫」
アレクサンドラのあの姿を見て大丈夫などと思えはしなかった。
しかし義父の言葉に反論などできるはずもなく、リリアーヌは沈黙とともに本館へ戻った。
玄関で落ち着きなくセドリックが待ち受けていた。
「……セドリック」
少し呆れた様子で侯爵が息子の名を呼んだ。
「……リリアーヌ、母の容態は」
「父には聞かないのか、セドリック」
「父さんはいつも何かをごまかす」
セドリックの声には不満がにじんでいた。
「……そうか」
侯爵は諦めたように頭を振ると、先に私室へ戻って行った。
「……ここで話すのもなんだな」
「では、私の私室で……その前に着替えてもよろしいですか?」
「ああ、用意ができたら人を呼びにこさせてくれ」
「はい」
リリアーヌはうなずいた。体がいやに冷えていた。
エドウィージュに寝室で手の平を揉んでもらいながら、リリアーヌは深くため息をついた。
エドウィージュは好奇心を隠さない瞳をしていたが、さすがに離れでのことを彼女に口にするのはためらわれた。
「……エドウィージュ、離れにあなたと同じくらいの年の子がいたわ」
「ああ、シャンタルですかね。落ち着きがなかったでしょう? でも、ああ見えて、気遣いの出来る良い子なんですよ。奥様も大変、シャンタルをお気に召していらっしゃいました。……私もずいぶんと可愛がってもらっていましたけど……お元気でした? 奥様」
「……お体はそこまで悪くなさそうだったわ」
「それはよかった! いつお屋敷に戻られるかしら。奥様がいないとなんだか寂しくて……ああ、でも、もちろん、リリアーヌ様のお付きも嫌いじゃありませんよ」
「ありがとう」
いつ戻れるのだろう。
戻れる日が来るだろうか。
あの人は心を病んでいる。
何が原因かは分からないが、それがセドリックの不幸の原因にもなっているように思えた。
「…………」
戻ってもらわねば困る。
戻れるようになってもらわねば困る。
それがセドリックを幸せにする一助になる。
リリアーヌはそう直感していた。
「ありがとう、エドウィージュ、体、だいぶ温まったわ」
「よかったです。では、セドリック様をお呼びしてまいりますね」
エドウィージュは控えめに微笑むと、部屋を辞した。
リリアーヌは思いっきり息を吐いて、応接間に戻り、セドリックとの対面に備えた。
念のために、使用人の控えの間から、全員を退かせた。
ラウルトは物言いたげにしていたが、従った。
「邪魔する」
「お待たせいたしました」
「いや……それで、母の様子は」
「……顔色は悪かったですが、お体というより……心が弱ってらっしゃるのかと」
デスタン侯爵は何を言うなとも言わなかった。
それはリリアーヌへの信頼だろうか?
それとも何を言っても構わないと言うことだろうか?
分からない。
「……そう、だろうな」
「セドリック様は……奥様のご病気の原因をご存知で?」
「…………ああ」
「そう、ですか。でしたら、私が言うことなどないのでは……」
「……聞きたい。君から……外の人から母はどう見えた? ……人前に出せる状態か?」
「それは酷です」
リリアーヌは早口になった。
「……今のお母様を外に出すのは無理です」
「……分かった」
「……お母様は昔の話を今のように話されます。とても、とても、昔に囚われているようで……」
「…………」
「ミラベル様を私と同じ年くらいと言ったり、かと思えばお腹を抱えて帰ってきたと言ったり、かと思えばあなたが子供の頃の話をしたり……」
「……混乱、されているか」
「……そして、私があなたの婚約者だとお父様が紹介すると……」
言ってよいのか?
それを言うことはセドリックを傷付けることにならないか?
しかし、セドリックは欲しているのだ。
父の渡してくるごまかしではない母の姿を。
「……せ、セドリック様を結婚などさせてはいけない、と……」
リリアーヌの声は、震えた。
「……そう、だろうな」
「……なにがあったのです!?」
リリアーヌは、叫んでいた。
「……それは、それはグレースとの結婚にも関係あることですか!? それは……あなたやグレースを傷付け苛むことと関係あるのですか!?」
「……ある。ああ、いいだろう。君ならいい……」
セドリックは観念したようにリリアーヌの目を見た。
その目はほの暗くここを見てはいなかった。
「……俺は、俺は……」
セドリックの唇が震えている。
「俺は、父の子ではない」
「ああ……」
グレース。優しいグレース。愛しいグレース。かわいいグレース。可哀想なグレース。
……そういうことだったのですか?




