拾った幼児を立派な下人に育て上げようとした
これって私が悪いんですか?
今日、近所のショッピングモールで買い物をしていますと、幼児が泣いておりました。おやおや、これはいけないと思いまして、その幼児に事情聴取を敢行したのでございます。
「坊やどうして泣いているんだい。泣けば許されるとでも思っているのかい?」
すると幼児はつたない日本語で、両親がいなくなった、と私に言うではございませんか。つたない日本語であることから、これは間違いなく下郎だと判断いたしました。しかも両親は逃亡したと言うではございませんか。おやおや、これはいけないと思いまして、私が父となり母となり立派な下人に育て上げようと決意したのでございます。
このような下郎は、その場で処断する覚悟を持った私ではございますが、この時ばかりは見捨てておけない訳がございました。それというのも、私も幼少のみぎりに、ショッピングモールで両親に逃亡された過去がございます。恥ずかしい過去でございます。墓場まで持っていくつもりでございましたが、皆様にだけ打ち明けさせていただきます。
両親に逃亡された私は、それはそれは野卑で粗暴な幼少期を過ごしました。ショッピングカートを乗り回し、老人のひき逃げを繰り返しておりました。増えすぎた老人を減らす。そのような錦の御旗を掲げてはおりましたが、実際はただの趣味でございました。老人が痛がる姿が面白くて仕方が無かったのでございます。今でも思い返すと笑いが止まりません。
はてさて、話は拾った幼児に戻らせていただきます。
とにかく、私はこの幼児を立派な下人に育て上げなければなりません。どうすればいいのでしょうか。答えは簡単でございます。追いはぎをさせればよいのでございます。そのように高等学校で習いました。時には学校で習うことが実社会の役に立つこともあるのでございます。
そして、私は高等学校で学んだ通りに、幼児に老婆の衣服をはぎ取るように厳命いたしました。幼児は相も変わらず泣きながら意味不明な言葉を繰り返すばかりで、話になりません。獅子はわが子を千尋の谷に突き落とすと言われております。そこで私は通りがかりの老婆に幼児をけしかけると、物陰に隠れて応援することにいたしました。
「やれ、そこだ、いまだ、服を剥げ、今しかない、なぜやらない、所詮は下郎か」
などと応援しておりますと、下人のつがいが、私の幼児に駆け寄ってまいりました。そうして、私の幼児を抱き上げますと、頬ずりをしだすではございませんか。とんだ小児性愛者があらわれたものだと驚嘆いたしました。しかし、私も我が子をみすみす小児性愛者に渡すわけにはまいりません。私は意を決して
「その幼児は私のものだ、破廉恥な真似はやめていただきたい」
と、紳士的に幼児の返還を要請いたしました。しかし、その変態は幼児の返還に応じないばかりか、あまつさえ警備員を呼び始めるではございませんか。このような非道な振る舞いが許されてなるものかと私も熱くなり、
「こんなことが許されると思うのか! 内閣府はなにをしているのか! 安倍晋三を呼べ!」
と、大声で怒鳴ってしまいました。そうこうしているうちに、顔なじみの警備員が現れまして、
「お前か! また警察のお世話になりたいのか!」
などと、のたまうものですから、私も引き下がらざるを得ませんでした。もう警察はこりごりでございます。私がなにをしたというのでしょうか。世も末とはこのことでございます。
世も末ですよまったく。