第7話【期待=恋してる】
「ねぇ、何か男子サッカーが面白いことになってるよ」
女子の誰かが、そう言った声を法香は聞いた。
フットサルをしていた法香が男子の方を見れば、十五対一で永遠にピーケーを受けている京太郎の姿があった。
「どういうこと?」
「ウチの男子生徒、ほとんど全員あんたのファンクラブ会員だから」
青空みたいな目を光らせて、少女が告げる。
「え、そうなの?」
「そうだよ。だから、告白されたくないんでしょ」
「されたくないって……私の問題なのに?」
「のにのに。そういうものさ」
しかし、一見して過激ないじめにも見えるその行為。
先生は咎めないだろうかと法香が視線を動かして見れば。
「……俺はパパさ。二児のパパさ。しかも教師だ。聖職なんだ。しかし可愛い。ちくしょう可愛い。ダメだみんな可愛くて頭がおかしくなりそう。理性を保て、大義思い出せ……」
蒼い顔をしながら、ラップのような自己暗示をかけ続けていた。
「先生ん家って男の子しか産まれなくて、娘と外で遊びたい願望があるんだって」
「つまりはしゃぎたい気持ちを必死に律しているのね」
はぁ、とため息をつく法香に付け加えるかのように、青い目の少女が告げる。
「男なんてみんなバカばっかよ」
―――これで、何度目のシュートとなるだろうか。
腕がしびれ、身体の感覚もなくなってきた。
それでも、体は動く。意思が消えない。
「ちっ、いい加減、諦めろぉ!」
向こうも疲弊して、ひょろけたシュート。
ばちん、と拳で弾き落す。
「パンチングだと!? こいつ、成長してやがる……!」
目が慣れてきただけだ。
これが今朝のことだったのならば、今でも余裕で受け切っていただろうに。
身体は痛み、疲労し、思ったように動けない。
水。水が飲みたい。
「終わりだ、須頓京太郎ぉ!」
逆回転をかけた強烈なシュートが繰り出された。
弓なりに曲がる変化球。手元で大きく曲がる分、こちらの初動を速めなければ間に合わない。そんなボールも、さっきまでなら取れたはず。
なのに、砂埃が、目に染みた。
僕の手は届かずに、シュートはネットを打ちつけ、大きく膨らんだ。
「あ、ああ……」
儚くも、てんてんと転がるサッカーボールの音に、僕の声も踏みつぶされた。
負けてしまった。
僕の存在をかけた大試合が、かくも、無残に、無慈悲に。
悔しくて、顔が熱くなる。情けなくて、目頭が熱くなる。
法香ちゃんに、せっかく期待してもらったのに。
その期待に、応えることができなかった……
絶望に明け暮れている僕の頭に、びしゃびしゃと水がかけられる。
誰かが水をかけているようだ。
追い打ちかと思ったが、違う。
何故か、優しい水だと感じた。
ので、飲んでみた。
淡いレモンの香りがする、爽やかな水だった。
「ここまで受け切るとは……」
「敵ながらやるな」
集まってきたファンクラブたちの声が聞こえる。
「お前、サッカー部に入らないか?」
「おい、よせよ……」
笑い合っている。
いがみ合った仲だというのに、不思議と、嫌な空気は感じられない。
「須頓京太郎、いや、京太郎くん」
す、と誰かが腰を落とした。
初めから鉢巻きをしていた、あの彼だ。
「俺は、ほかほか法香ちゃんファンクラブ会長、疋田だ」
ヒエタくん、というのか。
「皆からはヒエールと呼ばれている」
情けないピエロみたいなあだ名だ。
「お前の覚悟、しかと見届けた」
いや、打ち砕いたのは君だけどな。
「感動した。お前の思いに。感動した」
五七五みたいな台詞。
「お前のその熱意。誰にでもあるものじゃない。大したものだ」
す、と僕の目の前に、桃色の鉢巻きが置かれた。
何枚持っているんだ、ヒエールくんは。
「お前をファンクラブに勧誘したい。ただ、俺とお前じゃ方向性が違う。急にこんなことを言っても、困るだけだろう。だから、三日待つ。快い返事を期待しているよ」
「待ってるぜ」
「京太郎。今度はいいサッカーをしようぜ」
メンバーたちも併せてそう告げて、去って行った。
静かに立ち上がり、腰を落ち着けた。
ころころとサッカーボールが僕の目の前を転がっている。
「……期待」
自分の胸を抑えつける。
「期待している、だと?」
期待をして、期待に応える。
それはつまり、恋愛。
だとすれば、まさか。
「あいつ、僕のことを……」
好いてしまったのか。
強敵との戦いの末に芽生えるというアレだろうか。
「まいったな……僕は同性に興味はないのだが」
返事は三日後。彼は期待して待っている、のか。
申し訳ないが、断る一択だな。
二時限目終了のチャイムが鳴り響く。
微かなレモン水の香りと共に、体育の授業は終わりを告げた。