第5話【神の準備運動】
期待をし、期待に応えること。
それで僕が恋に落ちたと仮定するならば、法香ちゃんが僕に期待をしてくれるよう、促すしかない。
……法香ちゃんに期待してもらう。
それは、自分の内側から凄まじい力が呼び起こされるような、魔法の言葉だった。例えるならば、列車ひとつくらいなら動かせそうなほどのエネルギーだ。そうか、これが恋か。
そう思いながら、僕は体育のための着替えに入る。
「さっそく通常授業。というのに体育とはいきなりだよな。須頓京太郎」
気安く僕のフルネームを呼ぶクラスメートが、パンツ一丁で話しかけてくる。
そう、二時限目にして体育の授業。本来は英語の予定だったのだが、担当教諭が休んでしまったらしい。
「まったくだ。昼前の体育ほど億劫なものはない」
嘆息しながら、彼に同意した。
彼は体操服に着替えると、そこから実に自然な動作で、桃色の鉢巻きを頭に締めた。
料理人が、仕上げにさっと塩をまぶすかの如く自然な動作。
「これでよし、と」
その鉢巻きには、法香ちゃんLOVEと書かれていた。
こいつは敵かもしれないと思った。
僕らは質素な体操着に着替え、グラウンドへ向かう。
男子も女子もハーフパンツ。学年ごとに色が違い、僕らは赤のハーフパンツ。
膝上までの短いパンツ。
法香ちゃんももちろん同じものをお召しになられている。
そこから伸びる、すらりとした白い手足に、美少女の顔。
フローラルな香りが十メートル離れた場所にすら伝わってきそうなほどだった。
「かわいい」
圧倒的美少女を目の前にし、幼児並みに語彙力を失っていく男たち。
彼女の前では、周囲の女子たちの魅力など路傍の石ほどもない。
今日も彼女は僕の期待を軽々と乗り越え、体操着萌えなんてなかった僕に、法香ちゃんの体操着萌えという概念を与えてくれた。
彼女はただそこにいるだけで、僕の期待に応えてくれるのだ。
「おら男子、鼻の下伸ばす時間じゃないぞ!」
ぴしゃり、と体育教師が緩んだ空気を締めにかかる。
太い眉毛に凛々しい眼差し。見るからに熱血体育会系といった風貌だ。
「生徒諸君! 他人と共通のスポーツを通じてより深く理解し合おうじゃないか! さっそく、適切に準備運動したら、みんなでサッカーしよう!」
テキパキとした口調で話し、準備運動が始まった。
法香ちゃんは両腕を「W」の字みたいに傾けて、可愛くやる気を出している。
「まずは伸脚だ!」
屈伸なんてなかった。
僕は準備運動そっちのけで、法香ちゃんを眺める。
細く、どこまでも細く、後光を纏ったかのような白い軟肌が動く。
その質感はおそらく世界で最高品質の絹すら土下座するほどのものだろう。
「伸脚、ふかいほうのやつだ!」
そんな綺麗なおみ足が彼女に二本もついているだなんて、信じられなかった。
「足を上下に動かすやつだ!」
そして、その細さとはアンバランスに、お尻がぷっくらと膨らむ。
あれぞまさにここより遥か遠くの桃源郷に成るという伝説の果実に相違ない。
「腕を重ねて伸ばすやつだ!」
ぎゅむりと彼女の胸が、自分自身の手によって沈んでいく。
どこまでも、また、どこまでも。
おっきい。
「身体を前に倒して最終的に空を見るやつだ!」
しなやかな彼女の身体が傾き、また、直立に戻る。
突き出される双丘のヴィーナス像。
「深呼吸ー、はい吸ってー、吐いてねー」
そして、穢れた大地の空気を神聖なる天界人の息吹へと昇華した。
「……で、お前はなんで突っ立ってるだけなんだ、須頓京太郎?」
指摘されて気付いた。僕は指先の一ミリすら動かしていなかった。
その後、一人で準備運動をさせられた。