第14話【卯月の秘密】
翌日の登校。
胃が重い。さすがに揚げ物を食べすぎたせいだろうか。
母上の作る料理は美味しいのだが、昨晩は特に量が多かった。
何かの恨みつらみでもあったのだろうか。
そういえば昨晩の母上は「アオハルとか裏山すぎて毒でも盛ってしまいそう」とも言ってたな。
アオハルがなんなのかも、裏山が何を指しているのかも知らないが。
母の作りすぎた料理を食べきるのは、息子の務めだ。うえっぷ。
「……なに、この生活ルーチンに安定しちゃったの?」
しゃっ、と小気味良いブレーキの音を鳴らして、卯月が並走してきた。
「おはよう、卯月」
「おはようキョーちゃん」
「今日は揚げ物を食べすぎて胃が重いんだ……」
「あー、君ん家のお袋さん、天然ドエスだからね」
「テンネン・ド・エース? まぁ、ナス・ノ・テンプーラは好きな方なのだが」
噛み合っているのか噛み合っていないのか、そんな会話に、卯月は苦笑したように見えた。
「君は母親のへのスル―スキルが高すぎるね」
「するー・す・きる?」
卯月は難しい単語を使うな。まるで分からない。
そんな僕を見かねて、卯月はどこか遠い目をしながら話題を逸らす。
「はは、それにしても、テンプーラかぁ。もう何年も食べてないなぁ」
「え?」
「ううん、こっちの話」
「食べないとか、あるのか?」
「それより、キョーちゃんはまた何か悩み事、があるわけじゃなさそうか」
彼はフクロウみたいな顔立ちで、きょとんと首を傾げている。
誤魔化されるのも、ここまでにしてもらおう。
「卯月」
「なんだい」
「君は普段、何をしてるんだ?」
「……いつか話そうと思っていたんだ」
「なぜ隠す?」
「僕が小心者だからだよ。怖かったんだ。キョーちゃんなら、きっとわかってくれるとは、信じていたけど、でも、やっぱり、ね」
歯切れ悪く言い淀む卯月。
普段は冷静な人柄で、教室の端で静かに本を読んでいるような気質の彼だが、こうまでなってしまう隠し事とはなんだろう?
ヒントは毎朝五時にランニング。
そして、揚げ物を食べない。
「厳しい鍛錬と食事制限、か……」
「そう。そうだよ。キョーちゃん。名推理だ」
「ボクシングでもしてるのか?」
「ははっ、いいカンしてる。正解。実は僕は、ボクシングをやっているんだ」
ボクシング…って、ボクシング?
大人しい印象のある卯月からは、とても想像のできないものだと思った。
「小学校からずっと?」
「そ、ずっとだよ」
線が細く、運動をやっているようには見えない卯月の、隠れざる事情。
「しかし、なぜ隠していたんだ?」
「なぜって……」
卯月は僕をまじまじと見つめてきた。
ひとしきり僕を見つめてから、ぷっと笑った。
よく笑うやつだ。
「どうした急に」
「いや、やっぱりキョーちゃんはキョーちゃんだと思ってさ。はは、もっと早く打ち明けてればよかったよ」
「まったくだ」
「普通、ガラじゃないとか、キャラじゃないとかで、笑うでしょ」
「そうなのか? 別にいいだろう。誰が何をやっていても」
「ああ、まったくだね。君のそういう偏見のないところが、僕は好きだ」
「好きとか止めてくれ。シャレにならない」
「ははは! そうだったね」
かくして、別れの時間が近づいてきた。
卯月は都内の偏差値の高い私立高校に、僕はありふれた公立高校へと向かう。
「キョーちゃん! 僕の試合、見に来てくれよ。応援してくれなくても良い。ただ、見ていてほしいんだ」
「ああ、いつでも行くぞ」
そう挨拶して、僕らは別れた。
去り際に、彼はこう言った。
「今週、日曜日に試合がある。また連絡する!」
日曜日はミサなんだが、という言葉を飲み込んだ。
汝、隣人を愛すべし。
聖書にはそう書かれているからな。