第11話【一人ぼっちで構わない】
―――そして、僕は登校した。
そのときは気付かなかった。いや、気付けるはずがなかった。
僕は昨日まで、自分がクラスに馴染めない人間だと思っていた。
仲良くしたい、という気持ちがなかったわけではない。が、しかし。
このクラスの男子たちに隠された大いなる秘密が、今日、浮き彫りになる―――
「あ、あばば、あばばばば」
賑やかなクラスの話声が木霊する。幾層にも重なりあうその声は、風が吹き木々が揺れる葉擦れの音にも似て、立体的で奥行きがあって波がある。
わいわい、がやがやといった和気あいあいとした雰囲気が満ち満ちている。
そんなクラスを前にして、僕は一人、奇声を放っていた。
「あばば、あばばばばばば……」
声に気付いた数人の生徒が、訝しげな目で僕を見つめてくる。
しかし、人の目を気にしているどころではなかったのだ。
なんということを、なんということでしょう。
「席を、間違えてしまった」
法香ちゃんに送るはずのラブレターをヒエールくんに。
ヒエールくんに送るはずの手紙を、法香ちゃんの机の中に。
入れてしまった。
法香ちゃんとヒエールくんが僕を見た。
狼狽している僕の顔を見て、どう思ったのだろうか。
「まっ、そのっ……」
「おーし、ホームルーム始めるぞー、席につけ―」
言い訳がましい僕の情けない声は、担当教師の気だるい点呼によって、かき消された。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどーしょ。
僕の渾身のラブレターをヒエールくんが読んだらどうなるのだろう。
また、僕の「君の期待には応えられない」という手紙を、法香ちゃんはどういう意味で捉えてしまうのだろう。考えただけで動悸が止まらない。
しかも、ラブレターを別の人に読まれるとか恥ずかしい。
とてもとても恥ずかしい。
歯の付け根が震える。あばばばば。
ましてや法香ちゃんが僕の手紙を読んでしまったら、僕は勝手に告白して勝手にフラれた挙句に相手をフるという意味の分からない挙動をしていることになる。
ああ、なんということをしてしまったんだ須頓京太郎。
今すぐにでも席を立ちあがり二人に話したい。
しかし真面目に生きてきた僕が僕ゆえの性。授業中に授業外のことはできない。
僕がどんな気持ちで一限目の英語の授業に臨んでいるのか。
自分でも、よくわからなくなってきた。
授業終了の鐘の音が鳴る。
即座に起立し、法香ちゃんを見る。
彼女はその綺麗な御指で教科書とノートをとんとんと揃えている。
斜め後ろからの席でもわかる、髪の毛のツヤと華奢な肩、スレンダーな腰つきに、胸のふくらみ。いや、見惚れている場合ではない。
どこか儚げに見える憂いのヴェールを帯びたその佇まいは、まるで偉大なる使命を背負いし聖少女。いや、見惚れている場合ではない(二回目)。
その聖少女は朝登校し、僕からの手紙を読んでしまったのだろうか。
読んでいないのであれば回収だ。
読んでしまったのならば、誤解を解かなくてはならない。
「法香ちゃ……」
声をかけようとした僕の目の前に。
「…………」
「…………」
「…………」
ざん、と無言で桃色の鉢巻きを付けたファンクラブの連中が仁王立ちする。
統率されたその動きに、つけ入る術などありはしない。
「……どいてくれないか」
問いかけるも、彼らの表情は鉄仮面のごとく。
一人一人の表情は推し量れない。
そうこうしている内に法香ちゃんが立ち上がる。そのとき、スカートのポケットの中に、僕からの手紙をこっそり忍ばせているのが見えた。
まさか、まだ読んでいない?
今トイレに持ち込んで読むつもりに違いない!
「どけどけぃ!」
どかせられない。
強引に突破しようとするが、ファンクラブたちは精鋭揃いだ。
とてもじゃないがビクともしない。
「向こうの出入り口は……!」
目を走らせれば、ぴしゃりと戸が閉じられる。
ダメだ。逃げ場はない。
そのまま男子たちは僕を羽交い絞めにして、法香ちゃんはトイレへ向かう。
「くっ、待ってくれ……!」
僕の弱々しい声は彼女には届かずに。
正面から、ファンクラブの長が現れた。
「俺からの話がある、京太郎くん」
ずん、と重々しい空気を感じた
尋常ではないほどに張り詰めている空気。
彼を見る。
そこには、法香ちゃんに送るはずだったハートマークの便箋を手に持つ、ヒエールくんの姿があった。
「ひ、ヒエールくん、それは……!」
「悪いが、読ませてもらった」
ここで話し始めるつもりか?
いや、授業の合間は十分休しかないし、どうせ男子は全員ファンクラブだ。合理的と言えば、合理的すぎる選択。
「ヒエールくん、それは、誤解なんだ」
「わかっているよ、京太郎くん」
わかっている?
そういえば宛名に『法香ちゃんへ』としっかり記載していた気がする。
そうか、彼は誤解することなく読んでくれたのか。
しかし、なんだこのヒリつく空気は。
ヒエールくんは怒っている。
「どうしてなんだ……京太郎くん」
「な、なにがだ?」
彼は大きく息を吸い込んで、まくしたてた。
「どうして、どうしてなんだ、京太郎くん! どうしてお前は、俺たちの気持ちを分かってくれないんだ!」
きょとん、と首を傾げたのも束の間、僕は、彼の心情を理解した。
昨日のサッカーで、彼は僕に「期待」をした。
期待。それは曖昧な言葉。
たとえば雨が降ると期待する、というのは、期待度は低いだろう。
しかし、相手が人間だった場合、その度合いは大から小まである。
ヒエールは、こんなに怒るほど、僕に「期待」していたのだ。
つまり彼は、フラれたと思っているに違いない。
「君の気持ちも分かる。だが僕は、一人の人間の期待にしか、応えることができないんだ!」
「二人でもいいじゃないか!」
僕なりの気遣いをやすやすと乗り越えてくる。くそ、なんて図々しいやつなんだ。
そんなに男同士の、僕との恋愛を望んでいたなんて。
こいつ、どれだけ僕に彼氏と彼女を両立させろと言うつもりだ。
「ダメだ。僕が百の愛を法香ちゃんに注ぐのならば、その愛は、一であっても君に与えることはできない」
「それでいいんだ。俺たちは、それがベストなんだ!」
彼のその言葉を聞いた時、僕は世界が止まる音を聞いた。
まるでそれまで滞りなく動いていた時計の針が、あるいは傾いていた太陽が、ぴたりと静止してしまったような、しん、と耳を突く静寂。
フル回転する僕の脳みそ。
繰り返される彼の言葉。
『それでいいんだ。俺たちは、それがベストなんだ!』
ああ、時間が止まると言うのは、外界のものとの関係を断つことなのだと思い馳せるも遠からず、それはすなわち自分の主観的観測に過ぎず、それほどまでに僕は自分の内側に意識を集中させていたということで。
結論に至る。
まさか、と最悪な想像が目まぐるしく動く。
思い起こされる昨日の出来事。
『期待をし、その期待に応えることが恋愛だ』とは卯月の台詞。
『お前の返事、色よい返事を期待しているぞ』とはヒエールの台詞。
繋げれば『お前が好きだ』というヒエールの意思。
ぱちん、ぱちん、ぱちん、と思考のピースが慌ただしくはまる。
『俺たち』?
まさか、まさか、まさか。クラス男子、僕を除き総勢十五名。
全員、そういう関係だということか!?
「ま、さか……君たちは、そんな関係だった、のか……」
「そうだよ。今までちゃんと説明してこなかったね。俺たちは自分の好きなものを好きと叫び、守り、共有しようとする集団だ」
変態だ。
間違っている。
変態だ。変態だ! 変態だ!!
「そんなの、おかしいだろう!?」
「おかしくないよ! さぁ、京太郎くんもこっちにおいで。好きなものをシェアするというのは、素敵なことなんだ。はじめは少し恥ずかしい気持ちもあるかもしれないが、大丈夫。俺たちは、きっとお前を受け入れるから」
僕はいつも、どこかクラスで阻害されているような違和感を覚えていた。
クラスに馴染めないと、心のどこかでちょっとだけ不安に思っていた。
その不安が、今、解消された。
そう。僕がいるクラスの男子たちについて。
ありえないほどに大きな秘密が、今、浮き彫りになる。
「「「「「僕以外の男子は全員、恋仲だったのだ!」」」」
「……だから、僕はクラスに馴染めなかったのか」
「それも今日で終わりだ、京太郎くん。仲良くやろう。お前はいいやつだ。俺たちはお前のことをよく
知っているし、これから、もっと知りたいとも思うんだ」
ヒエールくんが歩み寄ってくる。
百歩譲って、同性愛ならば好きにやってほしい。それは理解してやろう。だが、彼らは法香ちゃん可愛いと言いながら、男同士でランデブーをしている。それが、僕にはたまらなく、理解できない。
「……嫌だ」
「何?」
彼らを歪んでいる、と感じた。
僕と彼は、けして理解し合えないと、確信してしまったのだ。
「嫌だっ! それなら僕は、仲間外れでもいい! 一人でいい! 自分を守りながら一人でいることを、僕は孤独と思わない!」
「この頑固者め!」
「なんとでも言うがいいこの変態め!」
ヒートアップしていく僕とヒエールくんのやり取り。
ぶつかり合う男と男の意地と意地。
いがみ合う僕らの争いに終わりはない。
もしもそこに終止符が打たれるとするならば。
物理的な、タイムアップ。
―――がらがら、がらり。
「おら、何やってんだ男子ー。授業始まるぞ席に着けー」
気怠い教師の掛け声を受け、僕の拘束が解かれた。
「……喧嘩か?」
教師からの問い。
一見すれば被害者の立場であった僕が答える。
「いいえ、男と男の、ただの意思疎通です」
「そうか。ほどほどにな」
教師はあっさりと離れ、教卓の前に立った。
一方ハイネは、携帯端末に送られてきたメッセージを眺めていた。
『キョーちゃんって、男子に好意を抱かれてるって勘違いしているらしいよ』
という、卯月からのメッセージ。
一人この状況を完全に理解できていたハイネは、机の上に突っ伏して、笑い転げそうになる腹を必死に押さえつけ、悶えていた。