第10話【フクロウへの恩】
さて話は戻り。
ヒエールくんから熱烈なアプローチを受けてしまったが、僕は一途なんだ。
放課後、僕は手紙を二つ書いた。
一つはもちろん法香ちゃんへ。今日は君の体操服姿に恋をしたといった内容。
二つはヒエールくんへ。君の期待には申し訳ないが応えられないといった内容。
それぞれの机の中に入れる。
今日席替えがあって、席は入れ替わっているのだ。
間違いのないように。
絶対、絶対に入れ間違えることのないようにして。
僕は帰宅した。
母上が作る温かいご飯を食し、傷口に沁みる熱い湯につかり、そしてベランダへ向かう。
足元には庭。そのさらに下には車庫がある。
左手には山が見えるし、遥か闇の向こうには海がさざめいている。
ふ、と夜空を見上げた。
満天とはいかないが、整然とした星空。
いくつか星々が見える。きっと名前も知らない星座が結ばれていることだろう。
高校に入学し、すでに色んなことがあった。
僕は河合法香ちゃんに恋をした。
卯月は新天地で頑張っていることだろう。
ハイネは相変わらずよく分からないが、法香ちゃんとも女子同士で仲良くやれているようだ。向こうは問題いらない。
問題なのは、ヒエールくんからの告白だ。
「気持ち、悪かったな……」
正直な感想はそれだった。意図せぬ相手から向けられる好意というのは、耐性がないとこうも受け取り方が違うのか、と。
「気持ち、悪い……?」
僕も気味悪がられているのではないか、という不安は絶えない。
僕はその場に小さくうずくまる。風呂上がりの身体は、春風であっという間に冷めきってしまった。
「……明日、登校する足取りは重そうだ」
僕はベランダから離れ、部屋に戻る。
そろそろ、服を着よう。
「……生活習慣はまだ馴染まないのかな、キョーちゃん」
翌日の朝、しゃっと鋭いブレーキ音とともに、卯月が現れた。
彼にとって規則正しい生活とはルーチンであると信じ込まれているようで、そのルーチンの中では、僕が先に学校に行っていることが正しいらしい。
出会ってしまうのは、僕の足取りが悩みを抱えて遅くなってしまっているからだ。
「……家を出る時間はいつも通りだ」
「そうなの? 僕は朝五時に起きてランニングしてから来てるけど、のんびりさんだね」
「ランニング? 初耳だ。いつからだ?」
「小学生からずっとだけど? 健康にいいんだよ」
両親ともに文系の家系に生まれた卯月らしからぬ習慣に、目を瞬かせた。
彼はいつから健康優良児になったのだろうか。
いや、そういえば、彼は僕よりもずっと細身だが、体力テストは卯月の方が上だったような気がしてきた。
「それで、なにか悩みごと?」
卯月はフクロウみたいな眼鏡を正しながら尋ねてきた。
「まぁ、そうだな……」
「聞くよ。ここから分かれ道までだけれどね」
何から話そうか。
田舎のあぜ道を走りながら、僕は事の経緯を振り返り、話すべきことを考えた。短い通学路だ。分かりやすく、的を得ている端的な話。
「男子から告白されたんだ」
「ぶっふぉぉ!」
卯月がまた吹き出している。汚いな。
「どうにも気持ち悪くてだな……」
僕は事の経緯をはしょって聞かせた。
「なるほどね、ぷくく、期待されちゃったかぁ、そっかぁ」
卯月は笑いをこらえながら僕の話を聞いている。
どういう意図がある笑いなんだろう。
「それで、僕は法香ちゃんに気味悪がられているんじゃないかと、不安だったんだ」
「え? 珍しいね。そこ不安になるんだ、キョーちゃんなのに」
「どういう意味だ」
「君の真っ直ぐなところが、僕は好きなんだよ」
「好きとか止めてくれ」
「ははっ。じゃ、そんな真っ直ぐな君に、僕はある一面で勇気をもらっていたりするわけさ」
「ある一面?」
「おっと、そろそろお別れの時間だね。キョーちゃん。不安に駆られる心配はない。君は善意の塊だ。キョーちゃんはキョーちゃんのままでいいんだよ。それじゃ、今日も頑張って」
話を濁された気がする。
彼の心の中はもしかしたら、人には言えないような秘密があるのかもしれない。
今はまだそれがなんなのかは分からないが、彼にはまた恩ができてしまった。
もし彼が困っていたり、迷ったりすることがあるならば、力になってあげようと思った。