キジも鳴かずば(9)
――カリーナが戦場から離脱する少し前
「数で劣っているとはいえ、火力ではこちらが上回っているのだ! 各隊陣形を維持したまま、一気に押し返せ!」
突如街中心部に侵攻を開始したゾンビ群に対し、マーフォーク達は対応に追われていた。
こうなる事を予期し準備していたものの、時間の経過と共に数が増大。戦力比も3倍を超え、なおも衰える気配は見せない。
戦力に余裕が無い中、現有戦力のみで決死の防衛戦を展開するに至った。
「左翼の敵は抑え込む事に成功。このまま突破し、中央部後方に回り込むとのこと!」
「右翼の抵抗が厳しく、前進を止められております。救援要請が来ておりますが、どうされますか?」
「中央部の敵本隊の進撃スピードが鈍化。前衛部隊より、攻勢許可が来ております」
「……解った。左翼は敵部隊を殲滅しつつ、中央部後方に移動。右翼に関しては本陣から救援を向かわせ、突破を図れ。我ら(本陣)は両翼の戦況を注視しつつ、そのまま前進する。くれぐれも深入りはするなよ。前掛かりになりすぎると、敵陣のど真ん中で孤立するぞ」
各隊からの報告に対し、矢継ぎ早に指示を飛ばすマーフォーク。
予断を許さない状況の中、多方面からの情報も入って来る。
「いっ、一大事です!」
「事態が切迫している時に何事か!」
「例の2人組ですが、婆の急襲を受け男は即死。女は一命を取り留めるも、瀕死の重傷で戦闘不能です。現在カリーナ様が交戦中ですが、残念ながら劣勢を強いられているようでして」
「なんだと! くそったれ。これだから人間は……止むを得ん。ヤツ等が潰されたのは痛いが、それよりも問題はカリーナ様だ。苦戦するのは止む無しとはいえ、相手も本気で殺しに来る事はないだろう。そこまで追い詰めると、自分も只では済まないからな。それよりも憂慮するべきは、何かのキッカケでどちらかが能力を解放してしまった場合だ。こうなったら、もう取り返しがつかない。それから(建物の)近くに展開中のヤツ等(仲間)だが、無視しても問題ないだろう。婆に唆された人間共の処理が終わって無い以上、そちらを優先するはずだ」
靖之達の訃報に一瞬言葉を失うも、あくまでも駒を失った感覚なのだろう。
目の前の敵に対応するべく、淡々と話を進める。
「婆を引かせる事が出来れば、(ゾンビ達は)烏合の衆に過ぎない。それまで、何としても死守するのだ!」
「しっ、しかし……これ以上数が増えると、我々だけでは支えきれなくなります。ここは一旦退いて、体勢を立て直すべきでは?」
「物量に勝る相手を前にして、退いてどうする! そのまま消耗戦に持ち込まれて、こちらがジリ貧になるのが解らんか?」
「兵は疲弊し始めており、矢や弾薬にも限りがあります。対処不能に陥る前に、ここは一時退却するべきです」
「ちぃ……致し方なしか。各部隊に退却を命じろ。特に突出している左翼の部隊の動きに注意せよ。臨機応変に対応し、βラインまで撤退とする」
相次ぐ反対意見に、攻勢中止を決断。
各部隊に対し、急ぎ伝令が向かった。
――同時刻
「……っ!」
視界がぼやけ意識が朦朧とする中、舞はどうにか立ち上がろうとした。
しかし全身に激痛が走り、言葉を詰まらせながら転倒。大量の吐血と共にのたうつと、周囲に散乱するガレキを掻き分けながら動き始めた。
断ち切れそうな意識を必死に維持しながら。
“最初から逃げるべきだった……
化け物相手に戦おうとした時点で、こうなる事は解っていたはずなのに。容赦なく殺しに来ると相手だと、最初から解っていたはずなのに。
勝てないまでも、2人ならもしかしてと勘違いしてしまった。
あっ!
靖之は?
切りつけられたのは見たけど、すぐに私も襲われて――いや……近くに居ないという事は、死んでないはず!
今は余計な事を考えず、この場を離れる事だけを考えるべき。
生きてさえいれば、また会えるのだから“
脳裏に死というワードが過り、反射的に打ち消す舞。
とはいえ、致命傷を負っているのは彼女も同じ。近くの壁際までの数メートルの距離を、文字通り這うような速度で移動した。
ただ、辿り着くも立ち上がるのはそれ以上に難儀する。
「……お願いだから動いて。私はこんな所で死ぬわけにはいかないの……靖之と元の世界に……当たり前の生活を、日常を取り戻す。その為には、どんな事はあっても死ぬわけにはいかない。絶対に!」
痙攣する体に喝を入れ、壁を支えに立てろう試みるも失敗。
膝をつくのが精一杯というのが現実だった。
「ちっ……近くにさっきの化け物がいるかもしれない。次見つかったら、今度こそ殺される。そっ……その前に、逃げないと」
言う事を聞かない両太腿を殴り、尚立ち上がろうと試みる。
そんな舞の願いが届いたのだろうか。
「……ぐっ! 脚に力が入らないとはいえ、どうにか立てるところまではきた。後は、壁伝い移動すれ――」
小刻みに体を震わせながらも、壁にもたれ掛る状態には回復。
僅かに残った希望を握りしめ、そのまま出口に向かおうとしていた時だった。近くで何かが爆発したらしく、鈍い衝撃と共に大量の砂煙が出口から噴き出した。
どうにかその場に踏み止まったものの、視界は大幅に低下してしまう。
“何が起こっているか理解が付いて行かない……
見えないのもそうだけど、それ以上に周囲の状況が全く解らないのが不味い。
そもそもさっきの爆発は? もし近くにさっきの化け物がいても、これじゃあ逃げる以前の問題じゃない。
闇雲に動いても状況を把握出来ていなければ、何の意味も持たない。
一か八かに命を懸けるなど、愚の骨頂。
とにかく、どこかいる靖之と合流する。ここから脱出する方法を考えるのは、それからでも遅くない。
選択肢を間違えるな。
1つのミスが死に直結するのだから“
自分に言い聞かせるように逡巡し、視界が確保するまで壁伝いに移動。
満身創痍ながら。それでも1歩1歩前進するのみ。徐々に視界もクリアになり、粉塵の臭いもマシになった頃だろうか。
どうにか出口の壁に指を掛ける事に成功した。
――10数分後
「……惨すぎる。どうすれば、ここまで残酷になれるの? とてもじゃないけど、同じ人間がやったとは思えない」
周囲の惨状にミコットは唇を震わせていた。
爆発の混乱に乗じて外への脱出を図ったものの、粉塵の影響で方向感覚をロスト。よりにもよって、爆心地に来てしまったらしい。
崩壊した壁に大穴が開いた天井と床。
そして四散した人体と思われる物体で、文字通り地獄絵図と化していた。
「生きている人は……これじゃあ、探すだけ無駄でしょうね。可愛そうだけど、私はここで死ぬわけにはいかない。私を信じ、託してくれた人の為にも」
とにかく、建物からの脱出しか考えていないのだろう。
周囲への警戒もなく、勢いに任せて先に進もうと駆け出そうとした。
「そこの御嬢さん。そんなに急いでどこに行こうというのかね?」
突然の背後からの声に、反射的に足を止めるミコット。
一拍の沈黙の後、振り返る彼女に更に言葉が続く。
「少し前から様子を見させて貰っていたが、なかなかどうして。生きようと足掻くその精神力と行動力……心が折れて醜態を晒さず、人間にしては見事だ。ただ、今日ここに居たのは運が悪かったな。生きる為、金目の物を盗みに忍び込んだのだろうが『アレ』を見た可能性がある以上、死んで貰う」
そう言うなり、声の主は腰のレイピアを抜いた。
海賊のような着崩した服装に、髪の変わりに数多のヘビを巣食わせた女。一目で異形の者だと解る風貌に、ミコットの顔には絶望の色が広がった。
ただただ後ずさりする彼女に、抗う術は残されているのだろうか?
「せめてもの情けだ。苦しまず(天国)に送ってやろう」
レイピアの刃が煌めき、視認不可能な速度で振り下ろした瞬間だった。
首に掛かったペンダントが反応し、盾の形に変形。見事に防ぎ切ったものの衝撃までは吸収出来ず、そのまま後方に吹き飛んだ。
これには化け物も想定していなかったらしい。
追撃するチャンスがあったにも関わらず、その場で固まってしまった。
「うぅ……」
全身を駆け巡る激痛に耐え、震える体に喝を入れ立ち上がるミコット。
しかし、吹き飛ばされた衝撃で地面に数回叩き付けられたのだ。右肘と右膝の感覚を失い、同部位からの出血も無視出来ない。
まさに死を座して待つ状況の中、化け物は近付いてきた。
「それをどこで手に入れた?」
「はっ……話したところで、どうせ――こっ、殺すんでしょう?」
「この期に及んで、どうやら自分の置かれた状況を理解出来ていないらしい。お前を生かすも殺すも、私の胸先三寸。その上でもう一度訪ねる。そのペンダントをどこで、誰に渡されたのか?」
「……こっ、これは――」
最後通牒を突き付けられ、言葉に詰まるミコット。
選択1つで即座の死に直結する現実を前に、頭をフル回転させる。
“どっ、どうすればここから逃げられる?
あの人(靖之)なら、どうやって切り抜ける?
まともに逃げても無駄な事ぐらいは解ってる。だからといって、戦って勝てるような相手でもないし。せめて、一瞬でもいいから注意を逸らせる事が出来れば!
いや、そんな可能性の低いものに縋ってる場合じゃない。
もっと現実味のある内容じゃないと。
でも……“
考えた所でまともな案が出るにはミコットは幼すぎたのだろうか。
ジリジリ後退しながら周囲を見る彼女に、最期の時が来ようとしていた。
「嫌だ! 私はこんな所で死ぬわけにはいかない。他の子達(児童労働者)みたいに、誰にも気付かれず消えるなんて……」
自分に向かって振り下ろされるレイピアを目にし、死を実感したのだろうか。
短い一生の走馬灯がミコットの脳裏を駆け抜けた。
“私は何の為に生まれてきたんだろう……
両親の名前はおろか、顔も思い出せない。気が付いた時には、路上で物乞いをしてその日を生き永らえる日々。
道行く人々の軽蔑と嫌悪の目線が苦しかった。
幸せになりたかった。
家族と食卓を囲み、友達と笑って話したかった。
寝る場所も無く彷徨っていた所に手を差し伸べてくれたのが、教会のシスター。同じ境遇の子供達とも出会い、少なくとも孤独ではないと思った。
貧しくとも、希望を感じた。
そして、偶然会った異国の人達。
短い時間だったけど、また会いたいと心から願った。認めて貰おうなんて大層な事じゃないけど、今の私を見て欲しい。
だから、こんな所で!“
生への執念が体を突き動かしたのだろうか。
反射的に後方にたじろいだ事で、レイピアの一撃を回避。間髪入れず、追撃の一手に移行した瞬間だった。
近くの壁が爆発した。
「……誰かと思えば。死に損ないの分際で、よくも私の前に現れたものだ。そのまま逃げていれば助かったものを。用済みの人間等、何の価値も無い。このガキ共々、無様に散るがいい」
砂煙が収まると、巨大なもう1匹の化け物がミコットの前に立ち塞がっていた。
ゴリラのような体に、牡牛の頭をした異形の怪物。特に言葉を発するわけでもないが、殺意はダダ漏れ。
それは、もう片方の化け物に向けられた。
“よく解らないけど、逃げるなら今しかない!
化け物同士が互いに意識しているこの瞬間が、最大にして最後のチャンス。パニックを起こさず、反応を見定めないと。
まずは、気配を消して存在を忘れさせる。
時間は掛かろうとも、焦って一か八かのギャンブルをするわけにはいかない。
落ち着いて……
冷静に待っていれば、必ずその瞬間はやってくるんだから“
自分に言い聞かせるように考えをまとめると、身を屈め静かに後退。
化け物同士の動きに全神経を集中させた。
――同じ頃
「敵の攻勢が停止。退いて行きます」
「後方に目立った動きは見受けられません。罠の可能性は低いと思われます」
「どうします? 反応を窺いに、こちらから仕掛けますか?」
一時は劣勢に立たされたマーフォーク達も、自分達のボスの帰還で一変。
指揮官としてのカリスマ性と優れた指揮能力で、圧倒的な数の差を跳ね返したらしい。中には好戦的な意見もあるも、目で一蹴。
そのまま次の指示に移るようだ。
「一時的に押し返したとはいえ、戦力で我々が劣っているのは間違いない。このまま力押しして来るとは思えんが、相手はあの婆だ。ヤツが直接指揮を執る前に、速やかにこの場から離脱する」
「私も同意見です。今回、我々は貴重な手駒を失いました。これ以上傷口を広げない為にも、一刻も早い撤退を強く進言します」
「確かに……このまま消耗戦になれば、総崩れしてもおかしくない」
ボスのメデューサの言葉に、同調者が続出。
反対意見が出ない事を確認し、まとめに入った。
「生存者には申し訳ないが、表に出てはいけないものが残っている。痕跡を完全に消し去り次第、撤退する。各々、自分の責務を遂行せよ。人間への同情は、無駄に苦しみを与えるだけだ。我々の見通しの甘さによって、彼らはこれから死ぬ。その事は決して忘れてはならんな……」
自分に言い聞かせるように、彼女は呟いた。
そして、暫しの沈黙が場を支配する。




