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8.

 墓地から西へ、山のほうへ向かったあたりで日が暮れてきた。山の頂と頂を結ぶ険しい線から濃く黒い影が噴き出し、東の平野へと垂れていく。影のむこうは赤く燃える砂漠だ。

 野宿の仕度を終えたときには、山羊の血に浸したみたいに真っ赤な月が空にかかっていた。

 くそおもしろくもねえ月だ。

 おれは昼間に撃ち落した野鶏の羽をむしりながら思う。なにもかも真っ赤だ。砂も水も星も草もカービン銃もなにもかも血まみれみたいな真っ赤に見えた。焚き火の炎さえ血まみれの光のかたまりのように真っ赤だった。チョッキのなかから聞こえてくる時計のカチカチという音まで真っ赤になったみたいだ。まるで、てめえらだ、てめえら全員血まみれだ、と指をさされて非難されているみたいな気分だった。

 くそおもしろくねえ。


   †


 次の日の朝はなにかの恨みを買ったみたいに暑かった。雲は一つも見当たらないし、太陽がハエみたいに低い空を――手を伸ばせばつかみとれそうなくらい低い空を――飛んでいるような気がした。あんまり暑いんで、馬の背中に水をかけてやらなければいけなかったくらいだ。水筒がすっからかんになり、メスキートの枝もしゃぶりつくしたころになって、ようやくトトラルムナの泉に辿り着いた。

 青く、深く、透き通った水が黒くつやつやした岩と枝垂れ柳に囲まれたきれいな泉だった。馬に好きなだけ水を飲ませてやると、おれは服を脱いで少しずつ体を水につけた。水はひんやりしていた。何百という色と光がおれの前でひらめいた。水の底には緑の藻がびっしり生えていて水草の白い花が咲いていた。小さな魚が花のあいだを風のようにすり抜けていく。光の模様が白い砂底に木漏れ日のように落ちる。おれは耳が痛くなるくらい深く潜って、水のなかで背返りを打った。あの意地の悪い太陽が水の中に閉じ込められて、ダイヤモンドのように控えめに輝いていた。

 父さん、母さん、姉さん、ミゲル、それにクアドラータ。この景色をおれの大切な人たちに見せてあげたかった。

 これが美しいってことなのかな?

 うぐ、息が苦しくなってきた。おれは水を蹴って水面から顔を出した。

「ぷはっ」

 息を吸う。べったりしていた汗や埃が流れ去り、生まれ変わったような気分だ。なんだか清らかで銃とか殺しとか復讐とかクソ暑い空気とかから心が遠ざかっていく気がする。

 仰向けになって、水に浮く。何もしないでいると体が沈みそうになるが、ちょっと手を動かしゃまた浮き上がる。楽チンだ。

 すげえいい気分だ。

 いまならリリオ・ロペスの毒虫野郎も許してやれそうな気がする。

 空が青い。

 水も青い。

 静かだ。

 赤い鳥が飛んでる。

 あの鳥、なんて名前だったかな? えーと……

 ちゃぷ!

 水音に違和感を感じて、目を左へ流す。

 リリオ・ロペスがいた。

 十メートルと離れていないところに。

 岸辺で水を汲み、包帯を取り替えている。

 よほど金玉が痛むのか涙を流していやがる。

 生まれ変わった気分もすっ飛んでおれは水に潜った。銃を持ってくりゃあ、せめてナイフ一本でも。大急ぎで潜って戻れば間に合うかもしれない。 服を着てカービン銃を手に走れば殺れるかもしれない。

 水越しにくぐもった銃声が響いた。

「ぷはっ」

 顔をあげると、リリオ・ロペスが股から包帯を垂らしながらあたふた逃げ出している。

 また銃声。今度はおれの顔のすぐ横で水がはねた。

 ちらと見えた。政府軍のカーキ色軍服。顔に傷のあるフラッシュ狙いの野郎だ!

 次の銃声が来る前に水に潜る。しゅぱ! 銃弾が泡をひきながら飛んでくる。しゅぱ!

 あの野郎、修道院を出たら誰彼構わず撃ってやるなんて言ってたが、まさか本気でやるとはな。

 おれはなんとか岸辺に這い戻るとカービン銃と弾薬ベルトを手にとって、葦のそばに膝射ちの姿勢で構えた。

 やつが見える。岸辺沿いの砂利を踏みながら、中腰で近づいてくる。

 距離五十メートル。水平。風なし――楽勝。

 邪魔した罰だ。

 おれは頭に照準をあわせて引き金を引き、着弾を確認せずボルトを引いて次弾を装填した。やつの姿は見えなかった。丸太の後ろにでも引っくり返ったんだろう。ただ葦に飛び散った血の量からしてかなりいい場所に当たったと踏めた。

 生きちゃいないだろう。次はリリオ・ロペスだ。

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