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7.

 大地は昨晩の大雨がうそみたいに思えるほど干からびていた。夜のうちに雨がやみ、乾いた風が水気を洗いざらいさらっていっちまったんだ。このへんの土地はあまり農業に向いていない。あんな雨はめったに降らないし、土地が水を際限なく飲んじまうから水路を作っても意味がない。

 おれは南に進みながら通りかかった人間にリリオ・ロペスの写真を見せてまわった。答えはいつも同じ。その男なら見たよ。なんでも〈美しいもの〉を探しているんだとか。

 リリオ・ロペスの野郎、金玉をなくしたことがよほどこたえたとみえる。〈美しいもの〉を探してる? 笑わせんじゃねえよ。

 そんなこんなで時間が過ぎていく。

 サン・ペドロの村に着いたころにはあちこちの小屋の入り口から石臼をひく音やこま切れ肉をジュージュー焼く音が聞こえてきた。もうじき昼飯だ。おれも腹がすいてきた。村でたった一つの食堂は流行りのレストランみたいな素敵な店だった。まずドアがねえ。これは客がドアを開けたり閉めたりする手間を省くためだ。素敵だろ? それに窓ガラスもねえ。これは風通しを良くするための工夫だ。というより壁がねえ。てやんでえ。これが一番風通しを良くする方法なんだよ。しゃれてるだろ。テーブルは三つ。果物の箱の上に焼け焦げだらけのベニヤ板を渡した代物だ。テーブルクロスなんてかけねえ。そんなことしたらテーブルにナイフを突き立てたとき、クロス代を弁償させられちまうじゃねえか。客のこと考えてんだよ。メニューなんておいてねえ。きくまでもなく、ずばりフリホーレス。黒インゲン豆に豚肉がちょびっとありゃあ食堂と名乗っていいわけだ。豆と豚をがっつき、皿に残ったソースをトルティーヤですくいとり、口に放り込む。仕上げに熱く濃いコーヒーを胃袋に流し込むのが、男の食事だ。

 おれは料理女にできるだけ愛想よく言った。

「こんちは、おっかさん」

「あたしゃあんたのおっかさんじゃないよ」

「んまあ、そりゃそうなんだけどさ」おれは席の一つについた。「なんかもらえるかい? できれば卵が食いたいんだけど」

「うちじゃフリホーレスとコーヒーだけだよ」

「じゃ、それでいいや」

 見たかよ、この愛想のよさ。ひょっとするとこのおばさん、あの偉大なるホモ野郎リリオ・ロペスのお眼鏡にかなったのかもしれない。つまりあいつに〈美しい〉と思ってもらえたのかも。ぷくく!

「ねえ、おっかさん」

「あたしゃあんたのおっかさんじゃないったら」

「そりゃわかってるよ。親しみをこめてるだけじゃねえか。あんたのこと、でぶでケツがでかいおばさんって呼んだら、あんた気を悪くするだろ? でも、ほっそりとしたきれいなお姉さんとも呼べねえよ。なにしろ、おれ昨日告解したばかりのきれいな体だから、うそはつけねえんだ」

 なにが悪かったのか、料理女はひどくイライラし始めた。生理なのかもしれねえな。おれは話を変えるつもりでリリオ・ロペスの写真を取り出した。

「こいつを見なかったかい?」

「知らないね」

「ほんと? よく思い出しておくれよ。こいつは札付きの変態野郎なんだ」

「だから?」

「殺っつけちまわなきゃ。それが人情ってもんだ」

「じゃあ、なにかい。あんたはメキシコじゅうをうろついてる変態をいちいち殺してまわる変態専門の賞金稼ぎってわけかい」

「金の問題じゃない。男の名誉の問題なんだ」

「なにが男の名誉だい。昨日まで母親のおっぱい吸ってたくせに」

 おれは肩をすくめた。

「まあ、女にゃ分からないよな。なんたって男の名誉なんだから」

 料理女は豆を煮る手を止めると、振り返って両手を腰にあてた。これから首を左右に動かしてガミガミ言うんだろ。女がこういう格好するときゃ説教が飛んでくるってサインなのだ。

「いいかい、よくお聞き」ほらきた。「男が名誉だ面子だわめくときは必ず女が泣かされるんだ。あたしの亭主は世界一ってわけじゃないけど、少なくともあたしを殴ったりはしなかった。ところが、ある日、そのバカ亭主が家に帰ってくるなり男の名誉がかかってるとわめきながら、包丁を持って飛び出しちまった。亭主は次の日、頭を石で叩き割られて見つかった。くだらない喧嘩で死んだのさ。それでもあたしはこの村でひたすらフリホーレスをつくって三人の男の子を立派に育てたんだ。そこに革命がやってきて、村の男たちがみんな、あの悪い病気〈男の名誉〉に取りつかれちまった。三人の息子も三年前のマデロの革命のときに家を飛び出しちまった。男の名誉がかかってるなんて言って。いまはどこでなにしているやら。あたしは男の名誉がなんだか知ってる。それに亭主と息子を三人奪われちまったんだから!」

「ねえ、豆が焦げてるぜ。ちゃんとかき回してくれよ」

 料理女はますますイライラしてきた。なにがいけないんだろ? だって、現に豆が焦げちまってるんだから。それがこのおっかさんの豆ならおれだってなにも言わないさ。好きで焦がしてるのかもしれないから。でも、あの鍋に入ってるのはおれの豆だ。じゃあ、ちゃんと煮込んでもらわなきゃ。

 腹がくちくなったところで、おれはサン・ペドロをぐるっとまわってみた。なるほど典型的な貧乏集落。そんな感じだ。住民はみな日陰にいた。ドミノをしてるじいさんたちやトウモロコシをつぶすおばさんたち。干上がった川底があって、そのまわりをくすんだ色に塗られた日干し煉瓦の家が囲んでいる。畑は少ない。ただし斜面や平地、水気があるなら崖にだって作物を植えている。竜舌蘭の大きな畑がいくつか見えるから見た目ほど土地は痩せてないのかもしれない。家畜はいない。鶏の羽根一枚すら落ちていない。これはうそだ。こんな場所に家畜なしで暮らせるはずがない。豚や牛、馬、ラバは山に隠してあるのだ。盗賊や軍隊の略奪から逃れるために。でなきゃ、あのフリホーレスに入ってた豚はどこから来たんだ? ラバや馬なしでどうやって畑を耕すんだよ。村には石造りの泉があって、その広場に多少は店があった。床屋や薬屋、鍛冶屋、居酒屋(メスカル酒と干し肉、トルティーヤが売ってた)、それに雑貨屋。なぜか雑貨屋はカレンダーばかり売っていた。図柄はいろいろ。おサルとバナナ。闘牛士。自動車。踊り子。丘の上に地主屋敷があった。まあ、あるにはあったが、焼け焦げた黒い柱が三本ほど煤けた地べたから斜めに突き出してるだけだった。たぶん革命で焼いちまったんだろう。

 サビーノ樹の日陰で白い麻の農夫服を着たじいさんがトウモロコシ皮の煙草をふかしていた。

「こんちは、じいさん」

「こんちは、坊主」

「景気はどうだい?」

「まあまあだな、そっちは?」

「あんまり。実は探してるやつがいるんだけど」

 おれは写真を見せた。

「知らんなあ」

「この村に来たはずなんだけどな」

「革命が始まってこのかた余所者は大勢この村を通る。ただ通るだけなんだ。悪さしないかぎりはわしらも知らんぷりすることにしている」

 ひらめき、その一。リリオ・ロペスは〈美しいもの〉にご執心。

「じゃあ、このへんで〈美しいもの〉ってないかな?」

「それならトトラルムナの泉がいい。あそこは絶景だよ」

 ひらめき、その二。リリオ・ロペスはそこにいる。カービン銃を賭けてもいい。

「どこにあるんだい、その泉?」

「村を出たら石塀伝いに南へ行って、墓地にぶつかったところを山のほうへ、つまり西のほうへ行けばいい」

「あんがと、じいさん。行ってみるよ」

 ひらめき、その三。今度は一発で仕留めてやる。

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