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5.

 尼さん、尼さん……尼さん、ねえ。

 革命軍に加わってから、おれは世の中をもっと知るために出会った人間みんなにきいてまわった。美人の尼さんを見たことはあるかって。みんなはせせら笑ってこたえた。美人の尼さんなんて見たことねえよ、尼さんってのはブスなものだ、むしろブスだから尼さんになるんだよ、男にちっとも愛されないもんだから、かわりに神さまに愛してもらいたくて尼さんになるもんなんだ、やれやれ、神さまも大変だぜ。男たちは尼さん自慢をはじめる。おれの知ってる尼さんは国で一番のブサイクだ。いや、おれの知ってる尼さんのほうがブスだ、なにしろ、そのツラときたら……

 女子修道院なんてのはたいていサボテンも生えねえへんぴな土地に建てられると相場が決まってる。それか蚊トンボも狂い死にするジャングルの奥深く。アレベンディーナス修道院も例外じゃなかった。壁に囲まれた白茶けた建物の群れが、荒野のど真ん中に叩きつけられたように建っていた。

 やたら背の高いしわくちゃの尼さんがおれを出迎えた。尼さんが身につける例の服と頭巾をかぶり、腰からは監獄に使うためにつくられたんじゃないかと思う大きな鍵をぶらさげてた。たぶんふしだらな女を閉じ込める部屋のためのものだろう。それかあまりにブサイクなせいで修道院に閉じ込められた成れの果てのための牢屋か。

 おれは帽子をとって、礼儀正しく挨拶し、用件を伝えた。尼さんは雑穀から小石を取り除くときに人がするちょっとしたしかめ面をして言った。

「あなたはそのリリオ・ロペスという方に何の御用があるのです?」

 クアドラータは言ったもんだ。アンヘル、あんたに上目遣いで言われたらどんなうそでも信じちゃう。で、おれは上目遣いに言ってみた。

「生き別れの兄貴なんです、くすん」

 尼さんはおれの耳を引っぱった。ひねった。そのまま持ち上げようとした。そりゃもうめちゃくちゃな強さで。尼さんってのはこの世で一番強い生き物でもある。

「嘘は罪ですよ」

「……その、撃ち殺す、ため……です……」

 尼さんは耳を離した。

「なぜ殺めるのです?」

「殺されるだけのことはしたんですよ」

「その方は何をしたんです?」

「そりゃ、ちょっと……言葉にするのもはばかられるってやつで」

「お話しなさい」

 おれは洗いざらい話した。そうしたほうがいいと踏んだからだ。男の子にやらしい目的でちょっかい出すアンチ・キリストなんて始末しちまったほうがいいと尼さんも納得してくれるだろう。

 尼さんは全てを聞くと、ふうっとため息をついて、なんだか納得させるように言った。

「あの方は苦しんでおられました」

「そりゃチンポコ撃たれたら誰だって苦しみますよ」

「そうではありません。体ではなく、心で苦しんでいたのです」

「えへへ、そりゃ自分が文字通りのタマなし野郎になったからで……ぎゃあ!」

「自分は美しいものを見て、魂で触れたい。ただ、それだけのことで苦しんでいる。この革命の世の中には美しいものが少なく、あるのは銃弾と死者ばかり。そんななか彼は……」

「ちょ、耳を、耳を離してくれよ!」

 尼さんは耳を離した。

「私は思います。苦しむものには救われる機会が与えられるべきだと」

「ちょっと待った、シスター。おれだって苦しんでるんだぜ。あんにゃろ、おれのことを女の子みたいにきれいだっただからお触りしたとかほざきやがるけど、そのおかげでおれがどれだけ仲間うちで笑いものにされたか、わかりますか。シスター、こりゃ男の名誉に関わる問題だ。おれはあいつを地獄に落としてやる。じゃないと、故郷に残した親兄弟に顔向けできねえ」

「どうしてもですか?」

「どうしてもです」

「わかりました。確かにリリオ・ロペスと名乗る方は当修道院にいらしましたし、私どもは治療をして差し上げました。あなたが望むのであれば、どちらに向かわれたかも教えて差し上げましょう」

 やったぜ!

「ただし、その前に悔い改めなさい」

 おれはムッとした。

「おれ、罪なんて犯してません」

「嘘は罪ですよ」

「嘘じゃありませんよ、シスター。きれいなもんです。酒や煙草はやらないし、盗みやかどわかしには一切手を貸してません。めっかちのじいさんにインゲン豆を分けてやったことだってあるんです。年下の子や女の子にはいつも優しくしてます。ぶったりしません。自分で言うのもなんですけど、おれくらい清らかな少年、メキシコじゅう探してもそうはいないと思いますよ」

「殺人は罪ですよ」

「人殺しなんてめっそうもない。おれはそんなことしません。政府軍とコロラドスは人間扱いする必要ないから別だけど、えへ」

 尼さんはにこりともしないで、おれを見下ろしてくる。まったく石臼みたいな目だ。冷たくて、重くて、なにもかもひねりつぶしちまうような。

 仕方ない。

 おれはひざまずき、帽子を脇に置くと、胸の前で手を組んで、頭をたれた。

「主よ、おれは、じゃなくて私は罪を犯しました。私は人を殺めました。オヒナガの戦いで一人、トペラポ渓谷の小競り合いでコロラドスを一人、あとサン・イグナシオ農園の近くで丸腰の男を撃ちましたけど、こいつは政府軍の将校でした。あ、あとクアラレステで撃った老いぼれグリンゴ(アメリカ野郎)は、たぶん死んでいないから勘定に入れなくてもいいと思います」

 懺悔が終わると、ビン底みたいな眼鏡をかけた若い尼さんが大きな献金皿を持ってあらわれた。皿には小銭がじゃらじゃら、紙幣もたくさん、メキシコの金だけじゃなくて、アメリカの金も入っていたし、他にもいろいろポーカーのチップになりそうなものがひしめいていた。鉱山株券や農園の所有書、パンチョ・ビリャがすったチワワ政府の紙幣、先週銃殺されたロドリゲス・なんとかとかいう無名の将軍がすった価値のない軍札。神さまもただじゃ赦してくれないわけだ。

 おれはすり減って刻みが見えなくなっていた一センターボ玉をポケットから取り出した。若い尼さんがゴホンとせきをした。お大事に、と言っておれが一センターボ玉を献金皿に落とそうとしたら、でかいほうの尼さんがあの万力みたいに陰険な手をおれの耳に近づけてきた。あわてて一ペソ銀貨を取り出すと、手は引っこんだ。

「今日はもう遅いです。泊まっていきなさい」

「そりゃありがてえけど……」

 尼さんはおれの耳をひねりあげた。

「ありがとうございます、シスター。でも、おれ道を急ぐんで」

 と言ったそのとき、窓の外でゴロゴロという音が聞こえ出した。そのうち山の向こうから黒い雲が、まるで町に火をつけたみたいに湧いてきた。聖堂に入ってくる風の向きが変わり、急にひんやりとしてきた。風のなかには雷と大雨の匂いがした。

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