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16.

 父さんの時計が十二時半を指すまで、客室棟の撞球室で待ち、それから酒場棟の二階へ上がった。マヌエルはもう自室で寝ていた。廊下は薄暗く、獣からつくった蝋燭が燃える臭いがした。死体を焼くときも似たような臭いがするもんだ。おれは言われたドアの前に立った。ドアの隙間からいい匂いがした、インディオがラガオと呼ぶ小さな花の匂いだ。

「ドアは開いてる。勝手に入って」

 おれはケバケバ女がさらにケバケバになって素っ裸でベッドに寝そべり、おれをおもちゃにしようとしてクスクス笑っている光景を思い浮かべた。ドアを開ける。ケバケバ女はいなかった。かわりに地味な木綿のドレスを着た女が一人……いや、これがケバケバ女だった。ケバケバを無くすと結構美人だったのだ。

「なんで女って」おれは言った。「よくわかんねえことするのかな」

「簡単になんでも分かっちゃ面白くないからよ」

「で、クソホモの居所を教えてくれるって約束は?」

「その前にやってほしいことがあるの」

「殺しとかの相談なら無駄だぜ。おれは殺し屋じゃねえんだ」

「下の階で飲んでる男どもにあんたの半分でもいいから度胸があればね」

「話をすすめようぜ」と、おれ。「何をすりゃいいんだ?」

 女はベッドの上にある紙包みをやぶった。ドレスだった。いま女が着ているのとは違う。よそ行きのきれいな白いドレスだった。教会やメキシコ・シティの百貨店を歩くときに女の子が着るような絹のドレスだ。

「これを着て」

「は?」

「あたしの条件はこれ。これを着て、姿を見せて」

 こりゃ新手の変態だな。おれは直感した。リリオ・ロペスのような筋金入りの痴漢野郎とは違ったタイプの変態だ。

「冗談じゃねえ」

「あんたの探してる人が見つからなくてもいいの?」

「これは男の名誉に関わることなんだ。おれは面子のために旅をしてるのに、こんなところで変態みたいに女装してたら、元の木阿弥じゃねえか」

「そのことなら大丈夫。このことは誰にも言わない。それにこれはあんたの考えているような理由でしてほしいんじゃないの。わかってくれる?」

「ぜんぜんわからねえ」

「あたしはリリオ・ロペスに《天国に一番近い場所》を教えた。その男はそこであんたが来るのを待ってる」

「なんだって?」

「あんたがくるのを待ってる。そう言ってた」

「決着つけるつもりか。ようし受けて立つぜ、くそめ」

「そんなのとは違う。もっと優しい話よ」

「わかった。女装してやる。でも、写真撮ったり、誰かにしゃべるのはなしだぞ。もし、そんなことしたらあんたを殺さなきゃなんねえ。いいな?」

「いいよ。どのみちこれはわたしの思い出なんだから」

 わたしの思い出って言葉が妙に引っかかった。

 絹のドレス、ストッキング、手袋、パラソルまで持てって言ってきやがった。帽子は作り物の花が五つ縫いつけられた淡い青。女の服ってのはずしっとした重さを感じさせねえ。

「あたしたちは」女が続けた。「胸の谷間かガーターベルトに小さなデリンジャーかカミソリを入れるのよ。客が乱暴したときのために」

「リリオ・ロペスに使ってやったかい」

「ううん、あの人は紳士だった」

 着替えるのに一苦労だ。明かりといったら牛の目玉型のオイル・ランプだけで薄暗いし、ストッキングはあんまりぴたっとしてるもんだから気持ち悪いし、手袋はレース模様になっていて、いまにもバラバラになっちまいそうだし、コルセットのおかげで内臓全部吐き出しそうになったし。

 まあ、とにかく全部着付けた。

「じゃ、約束だ」

 リリオ・ロペスの居所教えてもらうぜ、といいかけたところで、ぎゅっ。思い切り抱きしめられた。

「そっくり。幸せだったあのときそっくり」

 女は涙ぐんでいた。すぐ落ち着きを取り戻し、おれから離れると、椅子に腰を落とし、ナイトテーブルの引き出しから本物のアメリカ煙草を取り出して、ふかしはじめた。

「情けないとこ見せちゃったね」もう涙は少しも見えなかった。

「いや」

「その服はわたしの宝物。あたし、昔はメキシコ・シティにいたの。両親がいて、妹がいて、おじい様もいて、結構裕福にくらしてたのよ。でも、マデロが殺された《悲劇の十日間》のとき、みんな死んだ。大砲の弾が家に飛び込んできて大爆発してね。わたし一人だけ生き残っちゃったわけ。名家のお嬢さんが革命中のメキシコにただ一人でね。そうしたらどうなるか分かるでしょう?」

「まあ、想像はつくよ」

「この旅籠についたとき、わたしはここで朽ち果てるんだって心に決めたの。メキシコ・シティには戻れない。思い出が多すぎるから。でも、酒場や客の相手しているあいだに死ぬのはごめんでしょ。だから、あたし探したんだ。天国に一番近い場所。天国にはね、光が満ち溢れてるの。で、一人で歩いたとき、見つけたんだ。朝日がきれいな川沿いの丘。川も砂漠も輝いて、空が光に満ち溢れるのを見て、ああ、ここがあたしの死に場所、《天国に一番近い場所》なんだって思ったわけ」

「それをリリオ・ロペスに教えてやったわけか」

「そうよ」

「この悲しい砂漠で同じことを考える人ってあまりいないの。だから、寂しかったんだろうね。教えてあげた。ここから北に馬を半日走らせてオチョア川とサン・ガブリエル農園の道が交わるところ、そこにある丘の一番高い場所が《天国に一番近い場所》」

《天国に一番近い場所》か。

 ついにホモ野郎を追いつめた。

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