13.
その子はハアハアと苦しそうに息をしていた。ときどきウグッと呻くんだけど、そのときその子はおれの胴をぎゅっとつかむんだ。ひどく苦しそうにな。そりゃ苦しいよな。腹に一発もらっちまったんだから。あ、おれが撃ったんじゃないぜ。
まあ手当てはしてやったけど、しかし、よくないな。いや女の子の傷もよくないけど、この状態もあまりよくない。ちょっとドキドキしてる。知らない女の子と一緒に馬に乗ってるのをクアドラータが見たらなんて言うかな? 問答無用で殺されるかもしんねえな。革命前の世の中じゃ殺されるやつの半分はおまわりから逃げようとして、もう半分は痴情のもつれで殺されたもんだ。でも、まあ、しょうがないんだよ。おれにもいろいろ事情があるのさ。
†
まあ整理してみよう。いや、整理なんて大げさなこと言うほどの事件はなかったけど、ちょっといろいろあったのさ。スウェーデンの缶詰が吹っ飛んで、プランBがうまくいかなくて、ふて寝して、朝起きて、南を目指して、朝飯なしでぶうたれてたところを闘鶏用の鶏を抱えたじいさんと鉢合わせして、胸の痩せたちんけな鶏に五ペソもふっかけられて一ペソにまけさせて一ペソ支払って、鶏を殺して焼いて塩もふらずに食って……そこまではどうってことなかった。いろいろこんがらがったのはそれからだ。
†
まずユーカリ樹のそばで政府軍の兵隊が二人処刑されかけてたんだよ。政府軍の兵隊なんていくら殺されても構わないけど、その二人はたまたまおれの知ってる兵隊だったんだな。知ってるつってもポーカーの手札だけど。
ほら、修道院で会った六とクイーンのツーペア、六がきたらストレートの二人組だよ。一人はじいさんで兵隊稼業から足を洗ってアメリカのリンゴ園に出稼ぎしたがってて、もう一人はハリスコだかミチョアカンだかで映画をだしに兵隊狩りにつかまったってやつだ。そんな悪いやつらじゃない。ちょっと間が悪かっただけだ。
「おーい、助けてくれえ。おれたちを撃たないでくれってこの子に頼んでくれよ」
二人はひざまずかされて、背中にカービン銃突きつけられてたんだけど、引き金に指をかけてるのが女の子――いまはおれの背中で死にかけてる女の子――だったんだよ。まあ、いまのメキシコじゃ珍しい光景じゃない。でも男みたいな服着て、男みたいに髪を短くしてるのはいかにも生意気そうだったな。
おれがさぐりさぐり「よっ、こんちは」って挨拶したら、その子、ぶすっとしたままちょっとうなずいた。おれはたずねた。
「その二人、どうするつもりだい?」
おれもマヌケな質問したもんだよな。政府軍の制服着てるやつに銃を突きつけたら、もうやることは一つしかねえじゃねえか。
「ぶっ殺すんだよ。決まってんじゃん」
決まってんじゃん――けっ。生意気な口ききやがら。
「なあ、その二人に風穴開けるのちょっと待ってくんねえかな」
「なんで?」
「そんなに悪いやつらじゃないんだよ」
そのアマっ子はあんたばかなんじゃないのって顔しやがった。
「あんた、どっちの味方?」
「おれはドン・フランシスコ・I・マデロの味方だよ」
この台詞をキメるとき、おれは精一杯胸をはることにしてる。
「マデロはとっくに死んでるじゃない」
「死んでねえよ。フランシスコ・マデロはおれたちの心のなかで永遠に生き続けてるんだ」
「あんた鏡見てからいいなよ。んなキザな台詞」
んだと、このやろ。一発びんた食らわしてやろうかと思ったけど、やめといた。おれは紳士だからな。それに引き金に指をかけてる相手を刺激しちゃやばい。おれは銀貨袋の中身を手のひらに開けた。四十ペソ以上はある。おれは頼んだ。これでその二人を売ってくれ。一人頭二十ペソだ。人の命につける値段としてはすげえ高い。だって、そうだろ。いま、このメキシコじゃ一ペソやるから誰それをぶっ殺せって頼めば、ほんとにぶっ殺してくれるやつがごろごろいるんだ。その安い命をだよ、おれは買おうってわけだよ、一人頭二十ペソでな。そしたら、相手はなんて言ったと思うよ?
「金なんていらない。その時計をちょうだい」
……ときたもんだ。調子乗んじゃねえ、このメスチビってびんた食らわしてやろうかと思ったけど、やめといた。だって、おれは紳士なんだからな。ま、物の道理は口で伝えるに限る。
「時計はだめだ。父さんからもらった宝物だ」
「じゃあ、こいつらは殺す」
「待て待て待て、ちょっと待て。四十ペソにリボルバーと弾薬ベルトをつけるから」
「だめ。時計じゃないといや」
「だって、そんなの、わがまま、えい……いいや、もう!」
で、時計を手放した。ごめんよ、父さん。
†
例の二人がおれの手にしがみついて感謝感激雨あられをやってるあいだに女の子のほうは自分の馬に乗って消えちまった。
あーあ、おれの時計が。時間くらい太陽の高さと影の伸び具合でだいたい見当つくけど、でも、あれは父さんがくれた時計だ。あれをなくした理由をでっちあげなきゃいけないな。政府軍の兵隊を助けるために手放したなんて誰も信じちゃくれねえよ。こうしよう。撃たれたときに身代わりに壊れてくれた。うん、これにしよう。時計が銃弾を受け止めておれの命を救ったことにしよう。
さて、例の二人はというと、おれに有益な情報をもたらした。リリオ・ロペスのほうは手がかりなしだけど、フラッシュ狙いのやつがおれを付け狙って、このへんをうろついてることを教えてくれた。ほら、修道院で目についたやつを誰彼構わず撃ち殺すって言ってたやつだ。でも、そんなはずないんだけどな。あの泉で顔を撃ち抜いてやったから。
「それが生きてるんだ。顔は半分吹っ飛ばされたけど、まだ生きてるんだ。顔が半分になったお返しをたっぷり食らわせるって言ってやがった。わしらはあいつの召使いみたいなもんにされてたから殺されずに済んだけど、あいつはわしらが知ってるだけでも、五人は撃ち殺してるよ。何の罪もねえ通りすがりの民間人を五人だぜ。やつはまだこのへんをうろついてるはずだ」
これはおれの手抜かりだ。野郎の死体をきちんと確認しとくべきだった。砂漠と世間は広いようで狭い。リリオ・ロペスはいったんお預けにして、そいつから片をつけなきゃいけなかった。おれは言った。
「わかった。そいつはおれが引き受けるよ」
「助かるよ。ほんとはわしらがやっとくべきだったんだが、やつが怖くて……」
「あんたたちは北に逃げな。その服もできたら脱いじまったほうがいい。革命軍を見つけたらヘタに隠れたりしないで、フランシスコ・マデロを称える歌を歌うんだ。それで味方だと思ってくれるから」
†
ここまで問題はねえ。女々しいところも後ろめたいとこもねえ。むしろ男らしいくらいだ。この後おれはフラッシュ野郎を誘い込もうとジグザグに南下を始めた。決着つけようぜ、ゲス野郎ってなわけだ。
すると、神さまは見ていてくれてるもんだな。せまい山道に血の跡が点々とついて、峡谷のほうに続いてる。こりゃゲス野郎の顔から流れた血に違いないってんで、おれはカービン銃を腰だめに構えて、行き止まりまで血の跡を追ってったのさ。
で、かわりに見つけたのがさっきの生意気な女の子だったわけよ。
「うぐっ……はあはあ……」
…って、喘いでてさ。ちょっとどきんときた。なんで撃たれた女って色っぽく見えるのかな?
しかしよ、あーあ、やっぱりおれってついてるんだよ。女の子は腹にまともに一発食らって、割れたタバスコの瓶みたいに血を流してる。でも、おれは血を見るとやたら頭が冷静に働くんだよな。つまり女の子を撃ったやつはどうしてトドメを刺せなかったのか。いや、刺さなかったのか。
どっかのマヌケにのこのこ跡をたどらせるためだ。
おれはふり返り様に三発たてつづけに撃った。火花が散ってフラッシュ野郎が岩陰から馬鹿みたいに長いコルトでおれを狙ってやがったのが見えた。おれはカービン銃を捨ててリボルバーを引っこ抜きながら、すぐそばのメスキートの茂みに肩からぶち当たった。四五口径のダムダム弾がみみずばれが残るくらいに近い距離で頬をかすめた。おれは茂みから飛び出すと、相手の足元で仰向けにひっくり返って顎に二発撃ち込んだ。
†
で、今に至る。
だって、しょうがねえだろ。
撃たれた女の子ひとり頭のない死体と一緒に荒野にほっぽらかすわけにもいかねえじゃねえか。
「ちゃんとつかまってろよ」
「……」
「この辺でまともな医者つったらパンチョ・ビリャの移動病院列車しかないんだ。まあ、革命軍がトレオンまで南下してることを祈ろうぜ」
「……くっ」
一応うなずいちゃいるらしい。
「なんだよ?」
「あんたのことキザって言ったけど」
「言ったけど?」
「でも、あんたきれいだよ。キザな言葉も似合うくらい」
「男にきれいなんてのは褒め言葉にはならねえよ。ガタイいいな、とか、うぉっすげえ、その目殺し屋みたいに冷たいぜってのが男に対する褒め言葉よ」
ふふって笑ってからその子はいった。
「カルメンよ」
いうなりそのまま気を失った。
12.
トレオンはもう革命軍の支配下にあった。町のあちこちから黒い煙が出ていたのは遠くからでもわかったが、近づいていくと陽気な音楽も途切れ途切れに聞こえてくる。勝負はついたわけだ。途中十字路や市電の駅やらで何度か誰何されて合言葉に困ったけど、マデロ万歳を唱えれば、万歳って返ってきた。まあ、たぶん問題ない。トレオンのあちこちで宴がもよおされてみんな踊りまくってる。たっぷり脂ののった牛肉にかじりついてる。もうすっかり安心したのか商売が復活しつつある。焼きキャラメルを売る屋台が出てるからな。革命軍の兵隊も民間人も仲良く問題なくやってる。政府軍の将校たちは当然いるべき場所にいた。処刑場だ。かつてのテニスコートで杭にしばりつけられて「狙い!」「構え!」「撃て!」の大合唱だ。処刑も祭りも食い放題も無事開催されている。なんも問題ねえ。
軍医たちはかつて政府軍の病院だった白漆喰の建物にいる。ここにカルメンをあずければ、おれも晴れて自由の身よ。
「じゃあな。そのベッドでしばらく待ってりゃ順番がくるさ」
「……ありがと」
じゃ、クアドラータに見つかる前に……って、あそこでショットガン持ってやってくるのはクアドラータじゃねえのか?
やべえ! やっぱクアドラータだ!
おれは咄嗟に逃げ出そうとして、ガラスが二枚重ねにされた上に鎧戸まではめられた窓に身を投げ出し、あっけなく弾き返され、そのままクアドラータの足元に転がった。目線の先にはショットガンの銃口が目玉をくりぬかれた死霊みたいにおれを見下ろしてた。
†
女たちはお守りの見せあいっこをしてた。そうだ、いい忘れたけどクアドラータはお守りに目がないんだ。聖母のメダルとかありふれたイエスと聖母のお守り札のほかにも、コヨーテのしっぽ、ミラクル・パウダー、インディオの小さなほうき、お金が空からふってくるおまじない、聖ニニョ・デ・アトーチャのお守り札、災いをかわりにひっかぶってくれる小さな人形、ブリキの天使……
†
おれは女ってやつがさっぱり分かんなくなっちまった。さっきはショットガンでおれをぶっ飛ばそうとしてたクアドラータがいまはカルメンときゃあきゃあ楽しそうに話をしてる。まあ、女たちが怒ったりわめいたりしないんならそれに甘えておくべきだ。
†
こっそり出発しようとしていたところで、クアドラータがやってきた。手にはカードの束を持っている。ショットガンはない。でも、おれはショットガンで撃たれるのと同じくらい情け容赦ない説教を食らうものだと思っていた。ところが、
「アンヘル、あんた殺されちゃう」
なんとも的はずれなことを言ってきた。
「殺されねえって。このとおりピンピンして帰ってきただろ」
「でもまた出かけるんでしょ?」
「おうよ」
「やっぱり殺されちゃう」
「大丈夫。おれは殺されたりしないさ」
「これ、カルメンがあんたから取った時計、返してくれるって。あたしからはこのお守り札全部、だから、アンヘル、無事に帰ってきてね」
「お守り札っつても商売繁盛とかも混じってるぜ」
クアドラータは大粒の涙をぼとぼと落としてた。
クアドラータが泣いてるのは初めて見た。おれ、こういうのは苦手だから面倒だなあと一瞬思ったけれど、そんなこと考えるのは薄情だと思って、頭から振り払った。クアドラータはトレオンを奪い返すときのぶっ殺し合いを見てるんだもんな。聞いた話じゃゴメス・パラシオの停車場と農園の撃ち合いはひでえもんだったらしい。いまだってそこらの道端で怪我人が手当てしてくれる看護婦の到来を待ちわびて、呻いていやがるくらいだ。
クアドラータにはもう家族はいない。ドン・フランシスコが殺されてドンパチが本格化したほんの少し後、地主野郎がやらしい目的でクアドラータをさらおうとして、親父と兄貴たちが逆に地主を殺しちまったんだ。すぐ地方警備隊がやってきて親父も兄貴もお袋さんまで殺されちまった。それでクアドラータは一人ぼっちお袋さんから託された大天使ガブリエルのお札だけ握りしめて、砂漠に逃げたんだ。そこでさまよっているのを見つけたのがおれだ。クアドラータはうつろな目をして「あなたは天使?」ってつぶやいて気絶した。
芯は強いけど一人ぼっちになるのが怖いんだよ。クアドラータは。
「大丈夫だよ。おれは死んだりしない」気がつくとおれはクアドラータを抱きしめてた。「ぜったいぜったい死んだりしないよ。お前をおいて死ぬわけないだろ。そうだ」
おれは母さんからもらったグアダルーペの聖母のメダルをクアドラータの首にかけた。
「それ、預かっててくれよ。必ず取りに戻るから」
クアドラータはメダルを握りしめ、こくりとうなずいた。
†
革命シンパの警官が有益な情報を渡してくれた。どうやらおれたちが来る一日前にリリオ・ロペスのやつを不審者として投獄したらしい。そこに革命軍の攻撃があってしっちゃかめっちゃか大騒ぎになって、リリオ・ロペスはまた東に逃げたらしい。
旅を再開だ。馬でトレオンを、音楽と食い放題の町を離れる。
辺りが静かになり、荒野へ出るとおれはふと思う。一人ぼっち。どんなものなのかなあ。一人で旅するのも一人ぼっちだけど、家に帰ったら父さんも母さんも姉さんたちもミゲルもいないのも一人ぼっちだ。
そりゃ、あんまりだ。
クアドラータには頼れる親戚とかいるのかなあ。
もし革命にケリがついて、家に帰れる日が来たら、クアドラータと一緒に家に帰るってのは悪くない考えだと思うんだけど。
どうかなあ。




