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10.

 そんな目で見ないでくれよ。

 おれは神さまじゃないからあんたを生き返らせたりできないし、金持ちじゃないから立派な墓もたててやれない。それにこのへんは土が牛の皮みたいにかたいからつるはしでも持ってこなきゃ穴も開きゃしない。墓穴も掘ってやれないよ。

 ほら、ハゲタカが飛んでる。夜になったらコヨーテもくる。そいつらがあんたの骨まで面倒みてくれるさ。そりゃ立派な後始末とはいえないけどさ。

 でも、あんたも悪いんだぜ。あんなふうに自動車を乗り回しちゃいけなかったんだ。


   †


 そのグリンゴ、つまりアメリカ野郎と会ったのは二時間か三時間くらい前だ。会ったというより、ちらっと見た感じだ。電信柱のそばの街道をゆっくり進んでいたら、後ろから追い抜いてきた。砂ぼこりが立ったと思ったら、きらきらしたものが急に飛び出してきて、道を弾丸のようにすっ飛んでいった。はやい車だった。胴体は黄色で車輪は赤くて、ぱぱぱぱぱぱっとエンジンを鳴らして、ミラーが銀ぴかにかがやいていた。運転していた赤髭のグリンゴはおれにニッと笑いかけた。おれみたいな田舎もんのチビは自動車なんて見たことないだろうとでも思ったんだろう。へん、ばかにすんな。自動車くらい見たことあらあ。

 自動車が通り過ぎたあと、おれはいやあな予感がしたんだ。このへんは追いはぎがわんさかいる。政府軍やコロラドスもいるし、革命軍のはぐれもんもいる。そんな連中があのぴかぴかの自動車を見たりしたらどう思うか?

 殺してでも奪いとっちまうだろうな。

 グリンゴの自動車はずっと前のほうの砂ぼこりのなかに見えなくなった。おれは砂ぼこりといっしょにグリンゴの命も消えちまうような気がした。

 で、この体たらくだ。グリンゴはいま死体になって転がっている。車も服も帽子もとられて、道路脇の溝のなかに転がされていた。もう水が浮き出していた。死人の顔はいつだってそうだ。容易には乾かない水が顔の皺にじんわり浮き出てくるのだ。汗じゃない。水だ。水は泥と交じり合って濃い黒い線になっていた。

 口は半開きでハエが卵を植えつけるために出たり入ったりしていた。さぞ、お国じゃうまいものをたらふく食ったことだろう。アイスクリームとか鶏の丸焼きとか冷たいビールとか。それが今じゃハエが出たり入ったりしてる。ったく、メキシコって国はよ。

 グリンゴを殺ったやつらは車や命だけじゃなくて、服まで取っていった。殺してから脱がしたんじゃない。パンツ一枚にしてから撃ち殺したんだ。

 あんたやっぱりあんなふうに自動車を乗り回すべきじゃなかったんだ。

 だめだよ、そんな目で見ても。おれはおれで忙しいんだ。リリオ・ロペスを追ってるんだから。

 だめだってば。そんな目で見んなよ。

 リリオ・ロペスは南へ逃げた。ところが自動車のタイヤ跡は三叉路を東のほうへ曲がってる。東は曲がりくねった山道につながっている。

 当然、おれとしては南へ進むべきだった。

 ところが、今おれはタイヤ跡を追って山道をのぼってる。追いはぎどもがグリンゴを殺して逃げたのはせいぜい一時間かそこら前だろう。相手は自動車だから馬でとばしても追いつけないだろう。

 でも、山道は曲がりくねっている。谷の向こうに下り坂が見える。あそこまで行くのには道が谷を大きくまわっているから、なんだかんだで一時間はかかるだろう。

 ひょっとしたら殺れるんじゃないか?

 おれは近くの茂みに手綱をからみつけると、カービン銃をもって崖のそばで腹ばいになった。おれの勘じゃ車を奪った追いはぎどもはまだあの下り坂を通っていない。だってほら、道にタイヤの跡がついてねえじゃないか。

 おれは時計を取り出してみた。十分待ってもあらわれなかったら、来た道を戻ろう。それ以上待つ義理はない。

 ったく、グリンゴってのは。

 たいした肝っ玉だよ、ほんと。こんなところまで車を乗り回してきたのは刺激と冒険とやらを求めてたからだろ? メキシコにやってくるグリンゴってのはみんなそうだ。冒険家か軍人。あるいは両方かけ合わせた冒険軍人なんてのもいる。作家とか新聞記者もいる。みんなドンパチに憧れてやってくる。

 その挙句、パンツいっちょでくたばったんじゃ故郷のおふくろも泣くに泣けねえだろうな。

 たいした肝っ玉だよ、ほんと。おれはグリンゴどもに一目置いてる。ほんとだぜ。メキシコ人は闘鶏が好きだ。闘牛も好きだ。ところが、グリンゴはそんなもんじゃ満足しない。やつらは人間が殺り合うのを見るのが好きなんだよ。

 おれはこの目で見たんだ。やつらがそうしているのを。

 オヒナガで政府軍を追いつめたときのことだ。リオ・グランデ川の向こうにアメリカがあった。そこから見えるアメリカはメキシコとあまり差がないように見えた。カスアリーナの樹があって、川沿いに灰色の建物が数軒建っている。小さな集落だ。川をはさんでこっち側の町オヒナガはもっと大きかった。それに活気があった。なにせこちとらチワワから何百キロと馬を走らせて政府軍にやっと追いついたんだ。もう逃がさねえってんでみんなはりきって銃をぶっ放し鉈を食らわした。町じゅうで撃ち合いがおきて、政府軍もコロラドスも容赦なくぶっ殺していると誰かがパチパチ手を叩いて川の向こうを指差して笑っていやがる。なんだなんだと思ってみてみると、なんてことはない。政府軍が川を泳いで逃げてるのを味方が撃ち殺してるだけだ。味方の鉄砲は川に浮かんでいる政府軍の坊主頭めがけて弾丸を浴びせていた。よくあることだ。

 いや、そうじゃない。川の向こうを見てみろ!

 ……なんだありゃ! アメリカ側の建物の屋上にグリンゴたちがひしめいてるじゃないか。それも軍人や牧童みたいな薄汚いなりをした連中じゃない。白いおしゃれな服を着た気取り屋やふわふわした服のご婦人、それに真っ青な水兵服を着た子どものグリンゴもいる。そのあいだをウェイターがビールやステーキ、アイスクリームを持ってうろついてる。百メートル離れた場所からでも肉の分厚さ、ビール瓶をうっすら覆う霜の白さ、アイスクリームに添えられたウエハースがイチゴ風味だってことまで見て取れた。なんだか悪い夢を見てるみたいだ。あいつらはなにしているんだ?

 見てるのさ。おれたちを。

 なんとまあ、これにはまったく恐れ入ったね。本物の戦争を見ながら、ステーキ食って、ビールを飲んで、アイスクリームをなめられるなんて。グリンゴどもの国はすげえや! やつらの肝の太さに恐れ入った。

 そのうち仲間の一人でお調子者の大尉が捕虜を一人川辺に引きずってきた。少年みたいな顔をしたコロラドスの隊員で小便をもらして震えていた。大尉はこれ見よがしに銀色のコルトを取り出すと、コロラドスの頭を真後ろから撃ちぬいた。

 グリンゴたちはパチパチ拍手したので、大尉はえらく気取ったふうに片足をひいてお辞儀をした。


   †


 おいおい、そんな声で泣かないでくれよ。

 もう十分経ったじゃねえか。やつらはもう逃げたんだ。これ以上はおれに頼んでもだめだ。

 風が谷の隙間を通って、ひゅうひゅう吹いてきた。嫌に背筋がぞくっとくる風だ。

 そんなにひゅうひゅう泣いたってだめなもんはだめ。

 だめったらだめだ。

 だめだってば。

 でも、まあ五分くらいなら待っていられる。

 五分だけだ。

 はあ、まったくやんなっちまう。人がよすぎるのかもな。

 おれはあんまり占いとかに頼るタチじゃないけど、こういうときは占ってみたくなる。追いはぎどもはやってくるのかどうか。

 ふと、おれは思い出す。

 その昔、おれがまだ革命に参加する前のこと。噛み砕いた鶏の骨で運命を占えるフスティノってインディオが村にやってきた。フスティノはあちこちを旅して回る占い師でかつてはコアウィラの大農園にいたこともあったらしい。その農園主がドン・フランシスコ・I・マデロだった。村のみんなはフスティノの占いに夢中になったけど、おれはフスティノが話してくれるフランシスコ・マデロのことに夢中になった。

「フランシスコ・マデロの話が聞きたいだって」

「うん」

「あの人は立派な人だ。ドン・フランシスコの地所で働いている小作人があの人の悪口を言うのを聞いたことがないし、もし誰かが悪口を言いふらしたら、わしらはみんなでそのうそつきを袋叩きにして殺しちまうよ。ドン・フランシスコはいつもにこにこしてお優しい方でな。小作人をぶん殴ったりしないんだ。監督人にも殴らせたりはしない。それにドン・フランシスコは困ったことがあったらいつでも相談にきなさいっておっしゃられた。それでわしは一度、腰の痛みが取れないんでどうしたもんか、とドン・フランシスコに相談にいった。医者に行くにも金がなかったんだ。するとどうだろう? ドン・フランシスコのお屋敷のドアが開きっぱなしになってるじゃねえか。汚い身なりのわしは気後れしてやっぱりやめようかと思ったんだ。すると、旦那本人が現れて、よく来てくれたなんてニコニコして出迎えてくれるじゃねえか。旦那様はわしの名前をきちんと知っておいでだったわけだ。わしはきれいな花が咲いたガラスの温室に案内されて、ドン・フランシスコと籐を編んだ椅子に座ったもんさ。そこでわしはどうも腰の調子が悪いんですと訴えるとドン・フランシスコははじめてキッとなされてどうしてもっとはやくきてくれなかったんだ、と言った。そしてドン・フランシスコは瑠璃色の小瓶から角砂糖を一つわしにお与えになった。これには秘密の薬が溶かしてある。これから毎日それを取りにここに来なさい。扉は開いているからね。そう言われると、またニコニコしだした。わしは五日間、ドン・フランシスコの元に通って角砂糖をもらった。それで毎日それをなめ続けるとどうだろう? 腰の痛みが取れちまったじゃねえか! これは何もわしだけに特別にしてくれたことじゃない。屋敷の扉は誰に対しても開けっぱなしで、旦那はインディオだろうがメスティーソだろうが分け隔てなく暖かく接してくれる。それにドン・フランシスコは世慣れした賢い方でもある。旦那は自分のお金で農作機械と新しい種類の苗を持ってきて綿花畑を何倍も広げなすった。そうやって小作人の子どもに時間が余ったら学べるようにと小さな学校まで建ててくださった。ドン・フランシスコの農園じゃあ孤児や不具の者もちゃんと面倒みてもらえるんだ」

 そんな話を聞いてると、おれはまるで自分がフランシスコ・マデロのとこの小作人になったような気がした。それは妙にぽかぽかした気分だった。そんな人が大統領になったら、おれたちはもっと幸せに暮らせるぞ。これがおれのフランシスコ・マデロびいきの始まりだった。

「それに」フスティノは首をまわして誰もいないのを確かめると声を落として言った。「ドン・フランシスコは腕のいい霊媒師なんだ。あの方は霊と交信してお告げをもらったこともある」

「お告げってどんな?」

「肉と煙草、それに酒をいっさい嗜むな。ドン・フランシスコは霊の言うとおりにしたんじゃ。それでドン・フランシスコにご利益があったわけだ」

 確かにご利益はあった。フランシスコ・マデロは大統領になったんだから。まあ、ご利益は長続きしなかったんだけどね。


   †


 さあ、五分経った。おしまいだ。

 誰が何と言おうがおしまいだ。

 おれは行くぜ。よっこらせ。

 追いはぎどもは別の道に入ってたんだよ。勘が外れちまった。

 さ、行こ行こ。

 ひゅうひゅうひゅうううう。

 だめだよ、そんなに泣いても約束は約束だ。

 ひゅう……ぱぱぱぱぱぱぱ

 ん?

 ぱぱぱぱぱぱぱ

 自動車のモーター音だ。

 おれは元の伏せ撃ちに戻った。

 谷あいの曲がり角から黄色い車体に赤いタイヤの車があらわれた。

 とくん、とくん。

 ばかに心臓が鳴りやがる。

 距離は二百、多少高低差あり、西の風――どうってことない。

 自動車が下り坂を降り始める。

 運転席を狙って撃つ。

 ガラスが砕け散る音が谷に響いた。

 血と脳みその飛び散った風防ガラス、運転役の顔がひしゃげている。車は左右に大きく揺れてから道を飛び出し、追いはぎたちの断絶魔を引きながらサボテンだらけの谷へと落ちていった。


   †


 おれは三叉路に戻る。

 グリンゴの死体にコヨーテやカラスが群がって肉をついばみ、はらわたを引きずり出していた。ずうずうしい動物どもはおれが近づいても逃げる気配すら見せなかった。畜生め。おれは、ふうとため息をついた。ったく、メキシコって国はよ。

「仇はとったぜ」

 返事のかわりに動物が腕を食いちぎった。おれは足元に転がっていたゴーグルをつかんだ。ドイツ製らしい。傷は右のレンズに一つ見えないくらいのヒビ。

「これ、もらっていいかい?」

 ハゲタカが降りてきて喉の肉をついばみ始めた。頭が動いたので、おれは肯定の印と受け取っておいた。

「死人には必要ないもんな」

 おれは馬にまたがり、拍車を入れた。

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