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REVEN↺ERS  作者: 芹生彡
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第四話 魔都・クルィーザキ領(上)



「だいたい、こんな乾季の真っ只中に祝祭をするなんて。おかしいよ。領民がどれだけ苦しんでいるか」

 狭い車中で、彼女はそう漏らした。かたかたと、車輪が受けた衝撃が座席から下半身に伝わる。彼女はこの車中というのが好きではなかった。本も読めず、ひたすらに外の景色を眺めるだけ。しかし、(エキュース)に跨るよりは幾許かましだった。

「そうは言ってもノエシス様。弟君のヴェントが覚醒したのです」

 彼女の向かいに座る老人は、(たしな)めるように言う。

「そうですよ。クルィーザキ家にとって、これ以上の喜びは無いのです」

 老人の隣で、若い女も同調するように言う。彼らの態度が、彼女には気に入らなかった。

「ヴェント、ヴェント、ヴェント」

 彼女は窓から外を見る。厚さが不均一の嵌め込み式硝子(ガラス)は、彼女に届く外の景色を少しだけ歪めてしまう。

「……うんざりね」

「ノエシス様……」

 老人と若い女は顔を見合わせる。彼女にかける言葉を、彼らは未だ見つけることができていなかった。

「すいやせん」

 コンコンと、馭者(ぎょしゃ)が車の窓を叩く。

「どうやら乱闘騒ぎがあるようで。少々止まりやすが、よろしいですね」

「あぁ。頼む」

 老人が馭者に声をかける。彼の言葉通り、外からの喧騒が大きくなる。一定の調子であった(エキュース)の足音が、徐々に遅くなる。

「ノエシス様、少し到着が遅くなるやもしれません」

「そう。それは最高ね」

「ノエシス様、そういうことは慎まれた方が……」

 若い女が苦言を呈さんと彼女を見る。しかし、彼女はその少女の顔を見て驚く。ノエシスと呼ばれたその少女は、目を見開いて外の景色に釘付けになっていた。

「ノエシス様?」

 いつもと違う雰囲気に、若い女もつられて外を、ノエシスの見ている景色を共有しようとする。ノエシスが熱心に見ている、街道を歩く1人の少女に。





 †





「凄い……凄い!」

 シィのその声は、喧騒に呑まれる。

 シィは目をきらきらさせて、クルィーザキ領の街並みを見渡す。

「これが、ラガンの首都なのね」

「お前、本当にあの故郷(まち)から出たことなかったんだな」

 シュウトは呆れてシィを見下ろす。しかしシィはそんなシュウトを気にも留めず、周囲を見回す。肌の色、目の色、体の形。そのすべてを記憶しようと必死だった。

「色んな人がいるね。異人種の人、初めて見た」

「おい、はしゃぐな。キョロキョロするな」

「だって、こんなにたくさんの人が……こんなに自由に行き来できるなんて!」

「お前の故郷(まち)の連中が頭悪いんだ。ヴェント使いを見分ける方法なんざ、ありゃしないのに」

 シュウトは足早に街並みを歩く。シィは巨鳥の手綱を引きながら、その後に続く。

「これが『三大魔都』の1つ! 噂以上の混沌ぶりね」

「ハッ。この程度で魔都なんざ、笑わせてくれるぜ」

 シュウトはシィを鼻で笑う。シィは不思議そうにシュウトを見た。

「そっか。シュウトはラスタバルカ大陸から来たんだっけ。そんなにここと違うの?」

「あぁ。この街はまだ、お行儀が良すぎる」

 シュウトがそう言った直後、彼らの先、路地の中央で怒号が飛び交う。

「……何?」

 シィが背伸びをしてその方向を見る。喧騒に混じり、不快な音と黒い光が(ほとばし)る。

「ヴェントか?」

「じゃあ、あれが干渉光!? 初めて見た」

 シィはちらりとシュウトを見る。その目に映る感情は、ヴェントを使わずとも彼女にはわかった。

「どう? あれでもまだお行儀良いって言える?」

「……まだ、足りないな」

 シュウトは軽く口端を釣り上げる。シィには、シュウトの顔が楽しそうにも寂しそうにも見えた。

「これだけヴェント使いがいて、こんなに静かだなんて」

「そう? 十分、騒がしいと思うけど」

「いいや。周りが、だ」

 シュウトはちらりと周りを見る。人々の流れは、ヴェント使い同士の小競り合いを気にも留めず、停滞をし始めているものの、そのまま流れ続ける。そこには熱狂も歓喜も無い。ただ巻き込まれないように、迂回する人間が増えるだけだった。

「巻き込まれるのが嫌なんじゃない?」

 シィは、遠巻きにヴェント使いの争いと、その周りの人間を見る。彼らはそもそも、ヴェント使いに興味が無いようで、見向きもしない者すらいる。遠巻きに眺める者たちも、どちらかと言えば警戒している素振りが見られた。

「シュウト、危ないから迂回しましょう。……シュウト?」

 シィも周囲に倣い、争いを避けて通ろうとする。しかし、シュウトの視線は一点に固定されていた。群衆の中にいる、二人組。長身の、頭巾で顔を覆った人影と、同様に顔を隠した子ども。

「あの二人組がどうかしたの?」

「シィ。あの二人は()だ?」

「んー、遠すぎてよくわかんない」

 シュウトは足音を忍ばせ、一本目を踏み出した。その瞬間、長身の人影がシュウトと目が合う。

「勘が良いな」

 シュウトがそう言い終わるよりも早く、二人組は裏路地へと消える。シュウトはそのまま駆け出した。

「待ってよシュウト!」

 シィも同じく走ろうとするが、流れが滞っている人混みの中、巨鳥を連れて駆け抜けるのは至難であった。どんどんと距離が離れて行く。シュウトは半身だけ翻り、シィを見る。

「お前はそこにいろ」

「……もう!」

 シィは諦めて立ち止まり、不貞腐れる。そんな彼女に、巨鳥が寄り添い首を摺り寄せる。

「自分勝手な男」

 シィはその頭を撫でながら、路地裏へと消えていくシュウトの背中を見送った。


「そこのあなた」


 不意に、聞き覚えのある声が後ろからシィを呼び止めた。驚きで振り返るや否や、その顔がやや強引に両手で包みこまれる。

「……やっぱり」

 聞き覚えがあるはずである。その声はいつも耳にしている、シィ自身の声に似ているのである。

「あなた、私とそっくり」

「……誰?」

 シィは驚きのあまり、表情を驚きのまま動かせずにいた。

「失礼しました」

 ぱっと、目の前の彼女は両手を放す。口調のわりには、堂々とした態度はそのままである。シィはようやく事態の異常さに気付き、横にいる巨鳥に寄りそう。

「これは商談なのですが」

「商談?」

「私たち、少しの間だけ、入れ替わりませんこと?」

「入れ、替わる?」

「私の名前は、ノエシス・クルィーザキ。ここの領主の娘です。あなた、私の代わりに宴に出席して下さらない?」




 †




「クソッ。見失ったか……」

 シュウトは裏路地で立ち止まる。消えつつある足音は、その遠さを物語っていた。追いかけることもできたが、入り組んだ路地を見て、シュウトは引き返す。

「シィの奴も連れてくるんだったな」

 元の大通りへと一歩踏み出すと、パキリと音が鳴り、何かを踏み潰した感触が足裏から伝わる。

「……?」

 シュウトは足をどけて、茶色のそれを手にとった。

「木?」

 周囲は煉瓦造りの建築物しかなく、大通りにも街路樹は無かった。

「なんでこんな所に」

 シュウトは奇妙に思いながらも、その木片をまじまじと見つめる。手に触れるだけで何故か違和感を覚えるそれを、シュウトは珍しく懐にしまった。彼はそのまま、大通りに戻る。

「……あのチビ。どこだ?」

 先程までのヴェント使いどうしの小競り合いは既に終わっており、滞りなく人々が往来していた。シュウトがきょろきょろと見回すと、すぐに少女の姿を捉えることができた。

「……遅かったわね、シュウト」

 彼女に近付いていたシュウトの足が、はたと止まる。


「お前、誰だ?」


 少女の目が、ほんの少しだけ動いたのを、シュウトは見逃さなかった。

「何を言っているの、シュウト。私よ、シィ」

「お前、何を言っているんだ? どう見ても違うじゃねぇか」

 少女は何かを言おうと口を開けるが、それよりも先にシュウトが言葉を発する。

「おい、鳥はどうした」

「……嘘でしょ」

 少女は諦め半分、驚き半分で溜息をつく。

「おい、何だお前は。あのチビはともかく、あの鳥は俺の非常食だ。盗るってんなら容赦しないぜ」

 シュウトは背中の巨斧に手をかけ、いつでも抜けるようにする。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 少女は慌てて周囲を見るが、誰も気に留めない。誰もが我が身可愛さで、気に留めないことを心がけている。

「待って、待って待って。別にあのロア種を盗ったりはしないわ。シィも無事よ」

 シュウトは瞬き一つせず、少女の一挙一動を注視する。その手はずっと巨斧から離れない。

「お前は何だ?」

「私の名前は、ノエシス・クル──」

 そこまで言って、少女は黙り込む。今ここには身を護ってくれる者が一人もいない。クルィーザキ家の名前を出すのは、むしろ状況を悪化させかねない。

「ノエシスク?」

 今は周りの人間は無関心を装っているが、クルィーザキ家の人間がたった一人でいることが知られれば、何が起こるかはわからない。

「……ノエよ」

「名前はどうでも良い。何が目的だ? 鳥とチビはどうした?」

「私たちしばらくの間、入れ替わっているの。彼女もあの大きな鳥も、安全よ」

「どうだかな。証拠は?」

「証拠って、それは無いけど……。今日の夕方には、お互いに元に戻るって約束しているの」

 シュウトは無言でノエシスを見つめる。ノエシスは、何も言わないシュウトに対して、真剣な表情で見つめ返した。

「お願い、しばらく一緒にいさせて」

「……お前、何かできることは?」

「できること?」

「ヴェントだよ、決まってるだろ」

「……私、ヴェントは持ってないの」

「チッ。じゃあ、そこらへんで適当に時間を潰していろ」

 シュウトは巨斧から手を離すと、(きびす)を返して立ち去ろうとする

「そんな!」

 ノエシスは慌てて駆け出し、急いでシュウトの前に回り込み、立ち塞がる。

「街中に、か弱い女の子を放置するの?」

「知るか。自分で何とかしろ」

 シュウトはノエシスを避ける気も無く、前進する。ノエシスの方が威圧されて、道を空けてしまう。

「待って。これでどう?」

 ノエシスはずんずんと進み続けるシュウトの横に並行して、手元の金貨を見せる。

「あなたを雇うわ。私を護って」

「金貨か。生憎、今は足りてる」

 シュウトはちらりと一瞥しただけで、一向に歩みを止めようとはしない。

「じゃあ、これは? 高額換金できるわ」

 ノエシスは拳を突き出し、手のひらを広げて隠し持っていた方の(・・・・・・・・・)指輪を見せる。

「……貴鉱石の類か。悪いが、石ころは信用できねぇ」

「そんな! 金貨よりも価値があるのよ」

「そうかもな。だが、その価値がわからない奴の方が多い」

「それは……そうかもしれないけど!」

 ノエシスがさらにシュウトに肉薄したさらにその時、シュウトの背中が小さく震えた(・・・)


「……おい、お前。嘘をついたな」


「えっ?」

「お前、ヴェント使いだろ」

「えぇ!? 違う!」

「だったら、こいつは何だ?」

 シュウトは巨斧を抜いてノエシスに向かって振りかぶる。

「きゃっ!?」

 ノエシスは恐怖で身を竦める。死ぬかもしれないという絶望感が心を埋め尽くし、彼女は目を強く瞑る。しかし、衝撃は訪れず、風圧が彼女の頬を撫でた。

「え……?」

 恐る恐るノエシスがゆっくりと目を開くと、巨斧が彼女の寸前で止められていた。その斧に張られていた六本の弦が歪んだ音とともに振動していた。

「何、何?」

こいつ(・・・)は電撃のヴェント使いに反応する」

 その音は、ヴェントどうしが干渉する音に似ていた。ノエシスは初めて見るその弦が張られた斧をまじまじと見つめる。

「知らないわよ。私は本当にヴェント使いじゃない」

「だったら、これはどう説明する」

「どうって……」

 ノエシスは、自ら巨斧に近付いたり遠ざかったりする。確かに、その巨斧はノエシスに反応して音を鳴らしていた。

「電撃って言ってたわよね」

「あぁ」

 ノエシスには思い当たる節があり、敢えて嵌めていた方の(・・・・・・・・・・)ぶかぶかで地味な指輪を巨斧に近付けた。

「やっぱり」

 巨斧はその指輪に反応して、強く鳴動する。

「これ、電氣石(エレキナイト)に戻ってるじゃない」

「何だ、それ」

「昔、テルネット大陸で採れた石よ。もう完全に掘り尽くして、全部蛍光石(ルシナイト)になったと思っていたけど……、こういう場合もあるのね」

「ふーん」

 シュウトはノエシスの話には興味を示さず、じっとその指輪を見つめた。

「それを報酬にくれるなら、お前のことを守ってやっても良いぜ」

「……良いの? これこそ、ほとんど価値が無いわよ。いえ、正確にはとてつもなく価値があるのだけれど」

「良いんだよ。俺にはそいつの価値がわかる」

 シュウトは手を差し出す。しかし、ノエシスは逡巡する。

「お前、この期に及んで渋るつもりか? このままじゃ、死ぬよりも酷い目に会うかもしれないぜ」

「違うわよ! 何だか、あなたを騙している気がして」

「……変な奴だな。自分の命がかかっているんだぞ? もっと真剣になれよ」

「あなたみたいな野蛮な人には、わからないでしょうね!」

 ノエシスはシュウトの馬鹿にした態度に腹を立てながら、指輪を抜き、シュウトの手に渡した。

「良い? これを上手く売れば、お屋敷だって買えるかもしれないのよ」

「関係無いね。俺はこいつを誰かに売るつもりはない」

 シュウトは巨斧を納めると、笑顔でその指輪を指に()てがう。ノエシスの指には大き過ぎたそれは、シュウトの指にぴったりと嵌まった。

「あなたこそ、変な人ね。あなたなら、私を殺して奪うこともできるでしょう?」

「……俺だって、そっちの方が簡単で楽だと思うんだがな」

 シュウトの目は指輪を映していながら、その目はどこか遠いところを見つめているようであった。

「少しは経済活動の意味を理解しているのかしら……?」

 ノエシスはシュウトの返答の意味を掴みかね呟くように尋ねるが、それ以上、シュウトが何かを言う気配は無かった。ノエシスは話を進めようと、強引にシュウトの目を覗き込む。

「じゃあ、交渉成立ね。私を護ってもらうわよ」

「……わかった。ただし、行先は俺が決める」

「良いよ。私はあなたについて行く」

「あぁ。交渉成立だ」

 シュウトは再び歩き出す。ノエシスはその少し斜め後ろについていく。指輪を見ていた時の、彼の目に残っていたほんの少しの無邪気さと幼さは、荒んだ表情との不一致を彼女に感じさせた。

「……それにしても、あの子、ヴェント使いだったのね」

 同じなのは、見た目だけだということ。ノエシスはようやくその事実を冷静に受け止めることができ、深く項垂れた。




 †




「私の名前は、ノエシス・クルィーザキ。ここの領主の娘です」


「クルィーザキ!?」

 シィは頓狂な声を挙げるが、しかし周囲の人間は意にも解さない。彼らは二人のすぐ傍に停まっている馬車の紋章を見て、やや距離を取って歩いていた。その馬車から、従者らしき者が駆け寄って来る。

「えぇ。と言っても、上には兄も姉もたくさんいるから、継承権はほぼ無いに等しいのだけれど」

 ノエシスは目を伏せながらぼそぼそと喋る。姿どころか声まで似ているその存在に、シィは動揺を露わにする。

「ノエシス様!」

「いきなり馬車から出てはいけないと、あれ、ほ、ど」

「良いでしょ? ほとんど停まっていたのだから」

 ノエシスは振り向きながら言うが、その従者の驚いた顔を見て破顔する。

「そっくりでしょ?」

「えぇ」

「私、彼女と入れ替わろうと思うの」

「ノエシス様!? 何を仰っているのですか!?」

「これは決定事項よ」

 ノエシスは従者に向かって毅然と言い放つ。その物言いは、シィが知る貴族そのものであった。ノエシスは再びシィに向き直る。

「あなた、名前は?」

「私は、シユイ。シィで良いよ。良いです」

 シィは目の前の存在がこの大陸の最高権力に属するものだと思いだし、口調を正す。見た目が似ているせいか自分自身に語りかけている気分であったが、服装や所作から、身分は完全に異なっていることを悟った。

「あなた、姓は? 無いの?」

「んー、はい。そうです」

 シィは嘘を吐くことに、少しばかり胸が痛む。彼女は亡き母との約束を思い出し、自らの姓を名乗ることはなかった。

「そう。まだ姓の無い人がいるなんて、ラガン大陸もまだまだね」

 ノエシスは肩を竦めて溜息をつく。そんな様子を見て、シィはおずおずと彼女に声をかける。

「それで、あの、ノエシス様?」

「もう、さっきから何なの、その堅苦しい口調は。普通に喋りなさい。あと、私のことはノエって呼んで」

「えぇ? わかりました」

「だから」

「わかった」

「よろしい」

 満足げにほほ笑むノエシスに対して、シィは意を決して尋ねる。

「それで、ノエ。身分を交換するってどういうこと?」

「あぁ、そうね。今から祝祭があるの。でも、さっきも言った通り私は継承順位が低くて、行く意味が無いの。どうせ自慢話ばかり聞かされるし、うんざりしていた所なのよ」

 ノエシスの言葉に、後ろにいる従者はハラハラした顔で見守る。

「だから、何とか理由をつけて欠席しようとしてたのだけれど、あなたのような方がいるなら、話は別。シィには、私の代わりに祝祭に出て、下らない大人たちの相手をしていて欲しいの。簡単でしょ?」

「簡単かなぁ。私、貴族と喋ったことないよ?」

「大丈夫。ただニコニコして頷いておけば。どうせ中身の無い会話なんだから」

 二人の会話に、従者が割って入る。

「お待ち下さいノエシス様。では、ノエシス様は何をなさるのです?」

「私はシィになって、街の中で時間を潰すわ」

「そんな! 危険過ぎます!」

 従者は悲鳴に似た声を上げる。しかし、ノエシスはそんな態度を意に介さない。

「そんなこと無いわ。現に、シィはここにいるじゃない」

 ノエシスはシィを見る。

「あなた、さっきの殿方に身を護っていただいているんでしょう?」

「と、殿方? シュウトのこと?」

「そう。あの大きな斧を背負っていた方よ」

「それはそうだけど」

「ほらね。だったら身の安全は確保されているわ」

 ノエシスは得意げに言う。

「シィ、あなた、クルィーザキ領には何をしに?」

「えっと、人探し、かな。私じゃなくて、シュウトが探しているんだけど」

「そう。二人は、今日この街に来たばかり?」

「うん」

「だったら、今夜中はこの街にいるはずよね。夕方にまたここで集まって、お互い元に戻る。どう?」

 シィは意識を集中させる。ノエシスの言葉と従者の反応、そのいずれにも嘘は感じられなかった。

「質問があるんだけど」

「良いわよ」

「それ、私に得があるの?」

「そうね。美味しいご飯が食べられるわ。無料で」

「それは!」

 シィの心が大きく揺らぐ。最近は節約を心がけていたせいで、良い食事は摂れていない。

「んー、でもなー」

「もちろん無料とは言わないわ」

 ノエシスは懐から財布を取り出してその口を開ける。その中からじゃらりと、金貨がぴかぴかと光りながら自己主張する。

「交渉成立ね!」

「そうこなくっちゃ」

 シィは何の迷いもなくノエシスに手を伸ばす。ノエシスがその手を取った時、シィはヴェントを使って彼女の胸中を概ね知ることができた。やはり、悪人でもなく、嘘も言っていなかった。

「そうと決まれば、服を交換しましょう」

「そうね」

 シィとノエシスは、クルィーザキ家の紋章が刻まれた馬車に乗り込む。その座席はシィがこれまで感じたことの無い柔らかさだった。シィはその柔らかさを堪能しつつ、ノエシスの衣服を受け取る。そこからは、不思議なことに花の香りがした。

「何これ、良い匂い! ……あ、ごめんね。しばらく水浴びをしてないから、私の服、少し臭うかもしれないけど」

「だ、大丈夫よ」

 ノエシスは頬をやや引き攣らせて笑う。

「あなたのお連れの、シュウトさん? どんなお方?」

「シュウトよ。『さん』なんて付けなくて良いよ。ガサツで我儘な人間だから、気を付けて。黙って付いて行けば特に問題ないわ」

 シィがふと外を見ると、すぐ近くに巨鳥が寄り添っていた。その目はきょろきょろとシィとノエシスを見比べていた。

「ガーちゃんも連れて行って良い?」

「良いわよ。(エキュース)たちと一緒に繋いでおけば……。でも、大丈夫なの? シュウトに怪しまれないかしら」

「大丈夫大丈夫。シュウトはガーちゃんのこと気にも留めてないから」

 二人は衣服の交換を終えると、改めてお互いを見つめ合う。

「……髪でばれそうね。道中でどこかのお店に立ち寄って、結ってもらって」

「えっ、良いの?」

「当然よ」

 ノエシスはそう言いながら、装飾品を次々と外してシィに付けていく。

「お待ち下さい、ノエシス様」

 従者の一人がノエシスに近寄る。

「いくつかはノエシス様がお持ちになって下さい。いざとなれば、交渉材料にもなりましょう」

「……あまり有効な手段とは言えないですけど、良いでしょう」

「それと、これを」

 そう言って、従者は自らの指輪をノエシスに手渡す。

「これは何?」

「いざとなれば、私の電撃のヴェントでその指輪を探します。肌身離さずお持ち下さい」

「わかったわ。何か特別な指輪なの?」

「いえ、ただの蛍光石(ルシナイト)です。私なら、微弱な電位を察知することができます」

「あなた、そんなことができたのね」

「むしろ、これぐらいしかできない弱いヴェントなんですがね……。本当は、ノエシス様を遠くからご支援したいところですが」

「それは駄目。あなたたちはシィを助けなさい。危険なことは無いと思うけど」

「そう仰ると思いました」

 従者は溜息をつく。それを尻目に、ノエシスはシィを見る。

「じゃあ、頼むわね」

「任せて!」

 シィの力強い言葉に、ノエシスは満足げに頷き、馬車を降りる。

「ご武運を」

「えぇ」

 従者の言葉に、ノエシスは一度だけくるりと(ひるがえ)って不敵に笑った。






to be continued...


 †




「御子息にヴェントが顕現されたようで」

「これでクルィーザキ家も安泰ですな」

 そこには、シィの想像を絶する世界が広がっていた。

「ここの所騒がれていた『崩壊』のヴェント使いも姿を消したようで」

「やはりクルィーザキ家の威光に民草のヴェントでは太刀打ちできまい」

 豪華絢爛な装飾が、燃えるように光を反射していた。金襴緞子で身を纏う者たちは、硝子の容器を手にしてにこやかに談笑する。

「魔女の時もそうでしたな。ただの狂人にできることなど(たか)が知れてますよ」

「狂人と言えば、港湾の街では魔草を使う(やから)が増えたようで」

「忌々しい。ラスタバルカ大陸はいつも我々の妨害ばかり」

「英雄戦争の時代からずっと……初代様の御慈悲で生き延びた大陸が」

(まこと)に。何かしようとするなり、またエクレズィアスティズ大陸の学閥が口煩いこと」

「本の虫如きが政治に口を出すなど」

 見たことの無いほどの厚い肉、瑞々(みずみず)しい葉菜(ようさい)、透徹の水。そのすべてが一流を超えた産物であることは明らかであった。

「やはりヴェント使いが主導とならなければ」

「それが最近、ブラファルドマレイル大陸では非ヴェント使いの軍拡派が台頭しているらしい」

「何と滑稽な」

 政治、文化、経済。今まで遥か彼方にいた存在が、正にシィの目の前に立ちはだかっていた。彼女のいる場所こそが、ラガン大陸の中心なのだと否応なく理解させられた。

「それがそうは言ってられませんぞ」

「左様。どうもレグネヴァール財閥が一枚噛んでいるようで」

「あんな浮き沈みの激しい財閥が介入した所で、一体何になるというのだ」

「然り。あそこは何度も凋落の危機に瀕していますからね。ブラファルドマレイル大陸もいよいよ落ち目ですかな」


「────ねぇ、頭の良いのノエシスならわかるでしょう?」


「ただの鉄の塊を弄り回して、我々と肩を並べようとなど、無礼千万。いずれテルネット大陸の二の舞でしょう」

「そうでしょうな。テルネット大陸の為体(ていたらく)ときたら……。グラディオス大陸の方がまだましでしょう」


「……ノエシス?」


「隣国の失敗から学ばないとは。為政者が無能だと民草も哀れですな」

「その通り。やはりここは我々ラガン大陸の者が世界を主導していかなければ」


「ノエシス!」

「うぇ!?」

 唐突に自身に向けられた怒声に、シィは肩を縮ませる。そして、今の自分が『ノエシス・クルィーザキ』であることをようやく思い出す。

「ノエシス、何を呆けているのですか!」

「ご、ごめんなさい、お母様。何のお話でしょうか」

 今の自分にできる精一杯の言葉遣いと態度は、その場には酷く不釣り合いだと感じた。

「リューイ叔母様があなたにお声をかけてくださっているのですよ」

「……申し訳ありません。何でしょうか、叔母様」

「まぁまぁ、そんなにお慌てにならないでノイゼスさん。ノエシスも長旅で疲れているのよ」

 その妙齢の女性は、にこにこと優しげにノエシス──シィに笑いかけた。

「何せ、クルィーザキ領の西端からわざわざ中央まで馬車で来ているんですもの」

 笑みで細く伸びた目は、シィがヴェントで確かめるまでもなく、彼女を捉えて見下していた。シィは、素知らぬ顔で微笑みで誤魔化す。本当はもっと西の僻地──おまけにヴェント使いは迫害されている──から来たなどとは、口が裂けても言えない。しかし正直な所、今の彼女には遠回しな皮肉に付き合っている余裕は無かった。

「西側は昔から、ラスタバルカ大陸やグラディオス大陸から下賤な者たちが流れ着く物騒な土地ですからね。日々の生活も大変でしょうね」

 クルィーザキ領の貴族の間では『知識』として普遍的に共有されている『歴史』や『文化』というものに、シィは初見でただただ圧倒されていた。何故、生まれ故郷で彼女と亡き母は迫害されていたのか。この場にあるすべての物体に、その理由が刻み込まれていた。

 異国から現れるヴェント使いと、それに相対するためにクルィーザキ領から来たるヴェント使い。その災禍に巻き込まれ続けたのが、西側の地なのだ。そのような俯瞰的な視点は、ヴェントを使っても知ることはできなかった。何故なら、誰も知らなかったし、記録されていなかったからだ。

 しかし、そのようなことを知ることも無く、見聞きしていないのにも関わらず、ヴェント使いに対する嫌悪は箴言や曖昧な実感として人の心に残っていた。

「どうかしら? あなたは中央に来る機会なんてそう無いでしょうから、帰り際にでもゆっくり見学していけば良いわ」

「……そうですね。是非ともそうさせていただきます」

 シィは密かにヴェントを使い、懸命に彼女の心の内に耳を傾ける。クルィーザキ領ではいくら貴族であっても、護衛のヴェント使いを同伴させずに動き回ることは危険らしい。

「それで、リューイ叔母様。先程までの話ですが……」

「あぁ、そうでしたね。ちょうどノエシスに()こうと思っていたのです。1000年前の、六大英雄戦争のことについて」

 リューイ・クルィーザキは、シィを──ノエシスを品定めするかのように目を細める。

「我々の祖先である『絶界王』初代ジン・クルィーザキ様は当然誰もが知っていると思うのですが、その他の大陸の王についてはあまり造詣が深くなくてね。お勉強熱心なノエシスなら、もちろん御存知ですよね?」

「えぇ。エクレズィアスティズ大陸の『戯魂王』、テルネット大陸の『侵心王』、ブラファルドマレイル大陸の『剽窃王』、グラディオス大陸の『遐迩王』、そして、ラスタバルカ大陸の『断割王』ですね。いずれも強力なヴェント使いであったと言われています」

 シィはこの場にある物に刻まれた知識を総動員して、情報をつらつらと述べる。普段は『雑音』が多く耳を傾けもしない『人』に対してもシィはヴェントを及ばせる。生物から目的の情報を集めるのはシィにとって至難の業であったが、幸運なことに、最も詳しく体系的に理解しているリューイ・クルィーザキが目の前にいた。

「あぁ、そうそう。そんな称号だったわね。それで、どんなヴェントだったかしら?」

「……さぁ、想像もつきません(・・・・・・・・)

 シィは生まれて初めて、自身のヴェントを呪った。

「初代ジン様は、世界を創造するヴェントであったと伺っていますが……」

「あらあら。やっぱり本に書いてある文字を追うだけでは、ヴェントに思いを馳せることもできないのね」

 その言葉を言いたいがためだけに、目の前の女性はシィに語りかけている。それは十分過ぎるほど理解していた。しかし今のシィは、六大英雄のヴェントを答えることができる──答えられるようになってしまった。ただ、それが超が付くほどの国家機密でさえなければ。

「いくら頭が良くてもね。やっぱりヴェントを使えないと今の世の中を生きるのは難しいわよね」

「えぇ、本当に」

「リューイ様の仰る通りですよ」

 周囲の者たちも、口々に彼女の言葉に同意する。しかし彼らの腹の内は戦々恐々であった。リューイ・クルィーザキなどの特権階級を除き、六大英雄のヴェントなど誰も知らないのだ。そもそも、いくらヴェント使いであっても、他人がどのようなヴェントを持っているかなど、想像することは不可能である。

「……至らぬ身の上で、申し訳ありません」

 否、より厳密には、自分自身ですら己のヴェントの本質を掴めていない場合も多分に有り得る──初代ジン・クルィーザキのように。こればかりは、思念を読み取るヴェントであっても無力である。

「……ノエシス、あなた今日はいつもより大人しいわね」

「そ、そうでございますですか?」

 急に、リューイ・クルィーザキは声を落としてシィに語りかける。その急激な変化に、シィは動揺する。

「いつもならもっと、よくわからない話をぺらぺらと勝手に喋るのに」

「ん、んんっ。ちょっと体の調子が悪くて」

「そう。お大事に」

 シィは咳込むふりをする。リューイ・クルィーザキは、挑発に対する反応が薄いシィ相手では、鬱憤が晴れない様子であった。彼女は一瞬だけ怪訝な顔をするが、すぐにノエシス(・・・・)への興味を失い、他の人たちと話を始める。シィはこっそりと溜息をつく。

「……頭が良いなら先にそう言っておいてよ、ノエシス」

「あら、何か言った? ノエシス」

「いいえ、何も」

 シィは再びにこやかに笑って誤魔化す。そろそろ彼女の表情筋は限界を迎えていた。




to be continued...



 †




「ねぇ、シュウトさん」

 ノエシスは、恐る恐る目の前の男に訊ねる。

「何だ?」

「どこに向かっているの?」

「どこにも」

 その男は、ただ黙って背中を見せるばかり。ノエシスには、彼の横に並び立つ勇気はまだ無かった。

「どこにも?」

「お前は黙って付いて来れば良い」

「そうは言っても……」

 ノエシスは、文句を言い返そうとして、止めた。それよりも、今の彼女は周囲に気を配りたかった。クルィーザキ領の中央には、年に数回来ているが、今までは馬車で通れる道しか通ってこなかった。

 道にはゴミが散乱し、得体の知れない汚れがこびり付いている。路地全体が薄暗く、人の表情もまた翳っている。何より、この通りにいる人間のほとんどが、シュウトに目を向けていた。

「……来たか」

 シュウトがぽつりと呟く。ノエシスはちらりとシュウトを覗き見ようとするが、それよりも先に彼らの前に立ち塞がる男たちが目につく。

「よぉ。見慣れない顔だな。旅人か?」

「その齢で子連れか。やるじゃん」

 意地の悪い笑みを浮かべて、男たちはノエシスを見下ろす。その顔は、彼女の周りの大人たちに似ていたが、根本的に違うものだと直感した。

「……なぁ」

 シュウトは意にも介さず、彼らを睨み付ける。シュウトの方がやや背が低く、そして圧倒的に痩せていた。しかしその気迫だけは、彼らを大きく上回っていた。

「この辺りで情報を扱っている奴はいるか?」

「情報?」

「なぁ、知っているか?」

「さぁな。思い出せない」

 男たちは小さく笑いながら、お互いに目を見合わせる。

「それよりも、お前、この道を通るのに許可は取っているのか?」

「許可だと?」

「あぁ。まさか取ってないのか?」

「……嘘よ」

 ノエシスは思わず声に出してしまう。

「あぁ?」

「何だ、このガキ」

「クルィーザキ領ならびにラガン大陸は、交通網の自由化で経済活動を成り立たせているのよ。そのおかげで今でも人口流動量は、六大陸の中でも最大。こんな愚かなことは止めなさい」

 ノエシスはしっかりとシュウトの陰に隠れながら、男たちに命令する。声だけはまったく物怖じしておらず、男たちを殴りつけるように言う。

「おい、口の利き方には気を付けた方が良いぜ」

「どうやら、保護者の教育がなってないようだな」

「……フッ」

 シュウトが、静かに笑った。

「すまねぇ。こいつは世間知らずな所があってな」

「おいおい、知らなかったで許されると思っているのか?」

「そんなことより」

 シュウトは語気を荒げる男たちを無視する。

「その許可ってのは、どうやって貰うんだ?」

「……金貨1枚だ。1人につき」

「お前らに渡すのか?」

「そうだ」

 シュウトは懐に手を入れ、財布を取り出す。

「え? ちょっとシュウトさん」

「良いから黙ってろ世間知らず」

 シュウトは金貨を2枚取り出して差し出す。先頭にいた男がにやにやと笑いながら手を差し出す。

「……ところで、」

 金貨がシュウトの手から離れる直前、シュウトはふいに顔を上げる。

「あいつからは取らなくて良いのか?」

 シュウトは空いた方の手で男たちの奥を指差す。男たちは一斉にそちらの方角を見る。だが、そこには鼠一匹見当たらない。

「おい、誰もいな──」

 先頭の男が言い終わる前に、彼の体は真横に吹き飛ばされる。

「なっ!?」

「駄賃だ。受け取りな」

 男たちが振り向き始めたその瞬間に、シュウトはすでにそれ(・・)を掴んでいた。ノエシスが制止する間もなく、シュウトは背負った巨斧を目の前の男たちに振り下ろす。

「てめぇ!」

「何やったかわかってんのか!」

 吹き飛ばされた男は、近くの壁に激突すると、呻き声とともに(うずくま)る。

「……わっかんねぇな。バカだからよ」

 シュウトは嘲るように笑う。その目は、目の前の男たちではなく、自らの巨斧──を掴む指──に嵌められた指輪しか捉えていなかった。

「行くぜ……ルッツ」

 ノエシスは、確かにその言葉を耳にした。シュウトの言葉に応えるが如く、巨斧に張られた6本の弦が鈍く振動する。

「こいつ、ヴェント使いか!?」

「怯むな!」

 機先を制された男たちは動揺を露わにするも、彼らの中央にいた一人が一喝する。

「たかが一人だ! 全員で行け!」

 そう言うと、彼は身に炎を纏う。その隣の男も、全身が岩石化して体が膨張していく。

「……二人か」

「殺せ!」

 ヴェント使いでない者たちは、鈍器や刃物を取り出してシュウトに襲い掛かる。しかし、それらはすべてシュウトの前には無力だった。

「何だ!?」

「こいつのヴェントか……!?」

 男たちがいくら殴ろうと、刺そうと、シュウトの体には一切届かない。その服に、汚れの一つすらつけられない。当たった感触はあるのに、それ以上先には進めない。しかし、シュウトの巨斧による痛烈な殴打は、軽々と彼らの体を弾き飛ばす。その体躯からは考えられない、常軌を逸した力だった。

「あれが、シュウトさんのヴェント?」

 ノエシスは初めて見るヴェントに息を呑む。彼女は今まで、クルィーザキ家の親族たちが持つ強力なヴェントを多く見てきた。しかし、シュウトのヴェントはそれらのどれとも類似していなかった。

「なめやがって!」

 ヴェント使いの男は、身に纏った炎をシュウトへと飛ばす。それに対し、シュウトは防御の姿勢すら取らなかった。

「バカなッ!?」

(ぬる)い」

 シュウトは一切の防御を捨て、巨斧を大上段に構えて走り出す。炎は間違いなくシュウトの体を直撃しているのだが、彼は熱がる素振りを全く見せていない。彼の体にも、身に着けるものすべてにさえ、引火していない。

「オラァ!」

 あっという間にシュウトは男の間合いに入る。炎のヴェント使いは咄嗟に腕を前に組んで防御を試みるが、他の者たちと同様に吹き飛ばされる。

「旅人風情が!」

 体が岩石化したヴェント使いが、その右腕をシュウトに振りかぶる。その太い腕自体が既にシュウトの体躯ほどもあったが、シュウトはちらりとそれを一瞥するだけだった。強烈な衝突音と風圧が一体を駆け抜ける。ノエシスはその威力に思わず目を(つむ)る。土埃が舞い、尚も彼女の視界は遮られるが、一向にシュウトの心配はしていなかった。

「……! 『干渉』すら起きないのか!?」

 男の悲痛な呟きも、ノエシスにとっては予想通りであった。彼らのヴェント使いは、クルィーザキ家の血統と比べると(まさ)しく下の下。一方のシュウトは、自分以外の物質にすらヴェントを賜与(・・)することすらできている。まるで格が違う。

「どうやら、俺の方が(かて)ぇようだな」

 シュウトはただ仁王立ちしていた。その額で、彼の体ほどある剛腕を受け止めていた。その拳には(ひび)が入り、血が滴り落ちる。その血は、シュウトの体の表面(・・)を伝い、一滴も服の繊維に染み込むことなく地面へと流れる。ノエシスはその特異なヴェントに、目を奪われていた。

「──まだだァ!」

 吹き飛ばされたいた、炎を身に纏ったヴェント使いがふらふらと立ち上がる。彼の指には、一本の煙草。

「ラスタバルカ大陸からの特注品だ」

「おい()せ!」

「うるせぇ!」

 男は煙草を銜え、指に灯った火を近付ける。彼は一度、覚悟を決めるように全ての息を吐き切った後、次ぐ一息で煙草を灰と煙に変える。

「どうなっても知らねぇぞ」

 そう言って、岩石化した男はシュウトをも無視して後ずさる。彼の体が見る間に縮み、元の人の姿に戻っていく。

「降参かい?」

「お前らみたいな奴らには付き合ってられん!」

 彼は周囲にいる意識のある者たちに目配せをする。しかし、それよりも先に炎を纏うヴェント使いの体に異変が起こる。

「──さぁ、勝負だ」

 男の周囲に漂っていた炎が、彼の体に燃え移る。しかし彼の体は焼けるどころか、ぎらぎらと燃え上がる。骨の芯まで火が達し、彼の体そのものが炎に変わる。

「まさか、魔草?」

「知ってるのか?」

「そんな! こんな中央にまで……。叔父様たちはまだ大丈夫って」

「どうやらお前の家族は揃いも揃って節穴のようだな」

 男の体は輪郭を失くし、もはやその向こう側が透けて見え始めていた。辛うじて人型を保ってはいるものの、それはむしろ火柱と言った方が相応しい代物であった。しかし唯一、その中央でドクドクと脈打つ何かが、生物としての名残を彼らに感じさせた。

「何、あれ。ただの魔草じゃない」

「どうやら、相当な上物を使ったようだな」

「ハハハッ! さすが本場の一級品は違うぜ」

 顔だったところから、口らしきものが動き、やや不明瞭な声が発せられる。彼が一声発するたびに、体の内部が色を変えて燃え盛る。それと同時に、火柱と化した男の四肢が爆炎と共に燃え上がり、彼の体が宙を浮かぶ。

「飛んだ!?」

「行くぜ」

 彼は自分自身を推進力として、シュウトに襲い掛かる。彼が巨斧を構えるよりも速く、(まさ)しく爆発的な速度でシュウトに接敵する。

「ッ!?」

 その速度に、思わずシュウトは目を限界まで細め、巨斧を盾にしてしまう。しかし、炎の塊は巨斧にぶつかると形を保てずに、周囲に弾け散る。

「……これでも干渉しねぇのか」

 炎はすぐに再集合し、上空で元の人らしき形に戻る。しかし、その声は先程とはうって変わり、余裕を取り戻していた。

「おっと? 少し怖がらせてしまったようだな?」

「……引き摺り下ろしてやる! この花火野郎!」

 シュウトは助走して跳び上がると、火柱へ巨斧で殴り掛かる。その一撃は火柱を寸断こそすれど、しかしシュウトが地に降り立つ頃にはもう、人型に戻っていた。

「お前の攻撃も俺には効かないらしいな。お互い干渉は無しってことだ」

「だったら!」

 シュウトは再び跳び上がり、今度は、拳で殴り掛かる。しかし、やはり彼の体は火柱の中を(むな)しく通り過ぎるだけであった。

「これも駄目か」

「もう打つ手無しかい?」

「ハッ。えらく余裕じゃねぇか」

 シュウトは巨斧を握りしめ、上空の火柱を睨み付ける。

「いつまで()つかな、魔草の力は」

「確かに、長期戦になったら俺が不利だ。だから、今度はこっちの番だぜ」

 男の体は人型を失い、シュウトを取り囲む。

「シュウト、逃げて!」

 ノエシスは男の狙いに気付き、叫ぶ。しかし、シュウトが反応するよりも早く、炎の渦が彼を中心として形成される。

「このまま蒸し殺してやる!」

 じりじりと周囲の温度が上がり、シュウトはすぐに汗をかき始める。シュウトは巨斧を振り回しながら移動するが、炎の渦も負けじとシュウトに追随する。

「ハハハッ、暑いか! 干渉しないのが(あだ)になったな!」

「……やるじゃねぇか」

 炎を一時的に掻き消すことはできても、すぐにシュウトの周りを覆ってしまう。朦朧とする意識の中で、シュウトは、巨斧を納めた。

「だったら、根競(こんくら)べだ」

 シュウトは地面に胡坐(あぐら)をかいて座り込んでしまう。

「止まっちゃ駄目! シュウト!」

(うるさ)いぞ小娘! この男を殺したら次はお前だ!」

 ノエシスはびくりと肩を震わせる。座り込んでしまったシュウトを、炎がほとんど密着するように閉じ込めてしまう。その炎の塊が道を塞いでくれているお陰で、他の男たちはノエシスに近付くことができなかったが、それが一時的なものであることはノエシスにはよくわかっていた。

「シュウト……」

 ノエシスはただじっと、炎の塊を見つめていた。






to be continued...



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