Phase6-3
交互に何回か繰り返し、ばらつきのあった山伏に対し、ほとんど真ん中に収めた周さんに対し、山伏が「参った」と声をあげるのにはそれほど時間はかからなかった。
他の3人もその様子を見て「お見事」と称賛の声をあげていたけど、明らかに勝敗がわかる頃になると、私の頭の中はもはや周さんの綺麗なフォームも、矢の行方も、周りの称賛もほとんど入ってこなくなっていた。
(どうしよう…どれにしよう…)
名前だけ知っているというレベルで囲碁を選ぶわけにもいかないし、かといって遊び方すらわからないものを選ぶのには相当のリスクがある。
周さんの勝ちが明白になってきたとは言っても、だから私が負けてもいいという理由にはならない。
(深く考えなくてもいいって言ってくれたけど…)
残念ながら私はそれを開き直って考えられるほど頭と心の切り替えが上手な方でもない。
「ではあなた様は何を?」
言われてとうとう私の出番になってしまったことに気が付いたが、それでもまだ決まってもいない私の顔は緊張で奇妙なものになっていたのだろう。
若い僧がそれを見てわずかに頬を緩めた。その姿を見て反射的に言葉が出る。
「あ、あの人と!私あの人とで…いいです!」
「私と…“薫物”ですね」
うなずくしかなかった。
薫物合
香の調合の仕方によって、比較して優劣を競うもので、奈良時代には主に宗教儀式に用いられた香であったが、平安時代になると貴族たちが家伝の秘法に従って練香を作り、これを披露し合う「薫物合わせ」へと進化した。
薫物には沈香・丁子香・薫陸・貝香・白檀・麝香・安息香・鬱金・甘松・かっ香・柏木等を加えて香を作るが、調合次第でいろいろな薫香が出来たので、その家の秘伝の調合方法があり、何通りもの配合方法が考えられるものであった。
「では、始め」
老いた僧の始まりの合図で、若い僧は陶磁器の香炉のようなものの中に灰を敷き詰めた。
私の手元にも同じものが揃えられていて、香炉と灰のようなものの他に、すり鉢と色々な匂いのする木や花の一部のようなものと蜂蜜や純米酒、木炭のようなものまで置かれている。
何から始めていいのかわからず、とりあえず目の前の人に倣って陶磁器に灰を敷き詰める。
そうしているうちに若い僧は手慣れた手つきで、いくつもある匂いのする材料をすり鉢に入れすり始めている。
匂いの元はすり鉢ですられることで匂いが一層強く引き立ち、それが様々な種類の匂いがブレンドされることで複雑で何とも形容しがたい香りが漂いだす。
(あ…どれをどれだけ入れているのか見られなかった)
そこだけは見よう見まねでしなければいけない。
自然と顔がこわばるような緊張感を感じながら、とりあえず今手元にあるものがどんな匂いをするのか確かめないと適当にも混ぜようもないので、その中の1つを手に取り鼻元に近づけてみる。
(わ…ほのかだけどいい匂いがする。これは…伽羅…?)
母親がよく好きで使っていた扇子、あれと同じ匂いがする。
確かあれは匂いがすごくいい木…伽羅というもので使われていたと教えてもらったことがあった。
(…ママ…)
母親はいつもいい匂いがした。香水のような匂いも勿論あったけど、それだけじゃなく普段から使うようなものにもそういった細かい美しさがちりばめられていた。
(これも…ママの匂いがする…)
そう考えると手元にあった訳の分からないものに突然色彩と匂いが広がっていく。
そのどれもが昔母親が好きだった、私が好きだった母親の面影からくるもので、つんと鼻が痛くなるけど、それらを少しずつ足していくと、私の記憶の中に埋もれていた美しい人の横顔も少しずつ明確なものになっていく。
ぽたりと滴がすり鉢に落ちて、そこで初めて自分が泣いていたことに気が付く。
思い出の中の母親は、私が一生懸命思い出して再現しようとしたものよりも遥かに綺麗で輝いていたものだったけど、その片鱗がここにあると思えるのが苦しくて、切ない気持ちになる。
これ以上胸が苦しくなるのはつらかったから、誤魔化すように下を向いて必死になって中に入れたものを細かくすりつぶすけど、つぶす度匂いが強くなってきて、余計に胸がいっぱいになる。
私をちゃんと見て名前を呼んでくれることは数える位しかなかった。
それでも時々うれしそうに笑う顔は見ていてとてもうれしかった。
「ママ…」
例え相手が私じゃなくて匡を大好きでも、私は大好きだった。だから匡が帰ってくるまで匡の代わりになろうと決心した時も、心はそれほど痛まなかった。
だんだんと濁りが溜まっていく心を重たいと思いながらも、それでも懸命に耐えてきた。
大好きな母親と、大好きな匡のために、私が出来ることはそれしか見つからなかった。
涙をこらえながら作法に倣うように蜂蜜と酒、木炭を混ぜて練り合わせる。
涙を誤魔化すことはきっと出来なかったと思う。けれど周さんは何も言わなかった。
その気遣いがありがたくもあったし、ちょっとだけ辛くもある。
若い僧が老僧にその練ったものを差し出したので、涙を飲み込み同じように差し出すと、不思議な箱にそれぞれ入れられた。
息を吹きかけて小さなお経のようなものをあげると、その箱が開けられる。
中にはさっきまで生乾きだったものがすっかり固まっていて、それ自体ではほとんど匂いはしなくなっている。
「では順に披露とする」
その声に若い僧が作った香を香炉に入れ、下から炭団を入れ火をつけると、温かくなった炭の熱が間接的に香を熱し、あたりにふわりと匂いが漂ってくる。
それをゆっくりと仰ぐようにして嗅いだ老人が
「ふむ、荷葉の香か。清けし(清々しい)ものよ」
と一言。
確かに清々しいという言葉の通り、ハスの花に似たどことなく夏らしい匂いがする。
香炉が周さんまで周り、同じように嗅ぐと、わずかにうなずいた。
「続いて」
その声で香炉が下げられるとどこからともなく風がふき、部屋を漂っていた夏らしい香りとともに香炉が消える。
残された私の香炉にはいつの間にか炭団が用意されていて、ぼんやりとした熱を持ち始めていた。
「これは…」
部屋を漂い始めた匂いは、おそらく季節的なものだと例えることも、何かの匂いを模したものと言えるものでもない。
さっきの人が作ってくれたようにきちんと花だと例えられるものでもない。
私がただ母親を想って作ったものは、例えられるものが何もない。
ただ私の中の母親の横顔、言うならばそうなのかもしれない。
私には正面を向いてくれなかった、母親そのもの。
そんな複雑な想いを込めた匂いがふわりと辺りに広がる。
またこみあげてくる思いに必死になって耐えていると、漂う香りに口を閉ざしていた人達の中から中性的な高いテノールの声の持ち主が口を開いた。
「私は…いいと思う」
そう言って香炉を持つと、ゆっくりと仰ぐ。
その香りをゆっくりと深呼吸するように吸い込むと、目があった私に小さくうなずいてくれた。
「香りに纏まりがなく、おおよそ薫物と呼ぶには及ばず」
「いかにも」
私が意図せず含めてしまった涙の想いまで汲み取ってしまったかのように、それぞれが難しい顔をして難しい言葉を言っているけど、口から出てくるものがどれも否定的であるのはわかる。
(やっぱりダメだった…)
電子音が短く鳴った気がする。わかっているものだったけれど、それでもその結果を見るのが怖い。
「これは薫物に非ず」
「あ…」
決定的な言葉を口に出されて思わず言葉にもならない思いが口をつく。
まるでそれは私の中にあるものも否定されているような、錆びついた感情を運んできたかのようだった。
(ママ…)
やっぱりあなたを想う私は、ただの独りよがりだった。そう言われているようだった。
「勝者はこちら……しかし」
老人は勝ちを宣言すると、間を置いてゆっくりと目を開く。
そしてもう1度目をつぶると、私の香が入ったものを深く吸い込む。
「纏まりがない、おおよそ薫物とは言えぬ…しかし何故だろう。艶やかな香の中にも優しい残り香が…」
「…をかしいもの(風情があるもの)だ…」
老人が染み入るようにつぶやくと、私と同じように香を作った若い僧を含めた3人が同じようにうなずいた。
若い僧が私に向かってゆっくりとほほ笑む。
「あなた様の香は初めて嗅ぐものでした。香を知るものにすれば調合に荒さは確かにありましたが…それを補って余りある情感がそこには感じられた。
まるで憧れと知り、手が届かないものを想って作られた…そう、月の住民に対する憧憬であったかのように…。
私にはとてもそれが愛ずるものでありました」
「え…」
そう言って恭しく頭を下げると、同じように3人が頭を下げた。
「我々は人であり月に憧れは抱かずにはいられない」
「いかにも」
「あらわしがたい気持ち…それを香に込めたあなたにこれを」
そう言って出されたのは、手を広げて両手に何とか収まる程の大きさの酒の徳利だった。
「これは神便鬼毒と呼ばれるもので、神の方便・鬼の毒酒と呼ばれるもの。この酒を鬼が飲めば、自由に空を飛ぶ力を失い、斬ることは容易いでしょう。
逆にあなた様方が飲めば、薬となる霊薬です。お持ちください」
短い電子音がすると同時にパスの表示が変化し、46までカウントされていた数字に1つ数字が足された。
QUEST:神便鬼毒を手に入れろ(47/100)CLEARED
MISSION1:小弓 CLEARED
MISSION2:薫物 CLEARED




