Phase2-1
「先生、急患です」
「21歳男性 部屋で心肺停止状態なのを管理人が発見。外傷等はありません」
「またか…」
「警察の話では完全な密室状態。特に交友関係でもめていたといった事実はないそうです。近くに凶器もなく、携帯電話が落ちていたくらいだそうです」
「また…『SBS(眠り姫症候群)』なのか…」
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どれ位寝ていたのだろうか。
もうこのまま死んでしまえれば楽になれるのかもしれないのに
「お腹…空いた…な」
お腹は空くんだろう。
この家に唯一ある時計の代わりになる携帯電話に手を伸ばし開くと、時刻は18時を回っていた。
朝あんなことがあってから部屋に帰り、いつの間にか寝てしまったんだろう。
全く動いていないのだからお腹なんて空かなくてもいいのに、決まった時間に提供される『団らんの時間』が規則正しいせいか、規則正しくお腹も空くようになっているようだ。
そう考えてふと、規則正しく声をかけてくるはずの主の声が聞こえてこなかったことに疑問が浮かぶ。
(どうしたんだろう…いつもなら寝ていても必ず起こしてくるのに)
それなのに夕食はおろか昼食すら声をかけてこないとは。
(でかけているのかな…)
ドアのノブが回ることでかぶりをふる。
(ここを開けっ放しででかけることはないな)
過去に内緒で夜中のコンビニに出かけたことがあった。それがばれて以降、家を不在にする時は私のいる部屋に外側から鍵をかけるようになった。
父親はその常軌を逸した妻に声をかけたが、すでに常軌から外れてしまった人にそんな常識は通じるわけもなく、わが子を憐れむような視線を投げかけるだけで終わってしまった。
(…やめよう。今の状態を再認識しても意味がない)
長時間寝ていたことですっかり固まってしまった体をよろよろと動かしながら様子を伺うが、下階からいつも聞こえてくるはずの美しいソプラノも、何かを調理するような音も、軽やかなステップを踏んでいるような足音も、何も聞こえてこない。
そろそろと1階へつながる階段を下りていくが、途中の廊下にも明かりはついていない。どういうこと?
主を失ったリビングは朝より一層静まり返っており、時計の音すらない空間はひどく広く、心細く感じる。
街灯の明かりを頼りにリビングの電気をつけると、やっぱりそこには人の気配も姿もなかった。
「か…かあさん…?」
頼りなく放った自分の声はリビングに溶けて消えていく。
「母さん…?母さん?」
何度呼びかけても返事をしてくれる人はやはり、いない。
「かあ…ママ…?」
そう呼んだら怒られるのはわかっている。けれど何度も呼んでも、そう呼んでも返事はない。
(仕事…まさか…)
少しでも今の状況を把握したくて、あたりを見回すが、買い物にいったような痕跡も、クローゼットを開けて仕事にいった痕跡もない。玄関を見るが、減った靴も見当たらない。
(どういうこと?)
「ママ!?ママ!どこにいるの?」
大きめの声を出して相手を探すが、それより大きい空間が私の言葉ごと飲み込んでいくかのように反芻もせず掻き消していく。
表現のしようもない不安。
今までこんなことなかった。“あのとき”だって帰ってきたら母親が泣き崩れていて、そばには父親がいて、それから母親がこの家を長時間離れるようなことはなかったはずなのに。
いつ“帰ってきても”いいように。
わけがわからなくて自分の髪の毛をぎゅっとつかんでいると、玄関先からバタバタと誰かの足音が聞こえてきた。
「『ユズル』!!」
不協和音のような金属音が響き、ドアが開けられると同時に勢いよく名前を呼びながら中に入ってくる足音に、思わず私は声をあげた。
「パパっ!!」
「ユズル、ママはどうした!?」
「わからない。起きたらいなくなってた。靴もある。ドアも鍵かかってなかった…っ!パパ、ママはどこにいったの!?」
「私もわからない。ただママからメールがきて…」
「メール…?」
息を整えながら父親がメール画面を開く。
そこには今日の昼前、母親からメールが1通届いていたことを証明する画面が映し出されていた。
11:03
FROM:八重子さん
TITTLE:無題
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本文: 匡を迎えに行ってくる。
「仕事があって携帯電話の確認を遅れてしまったが、今まで用があれば電話をしてくるのになんでメールなんて…しかも『匡』を『迎えに行く』なんて…」
「“見つかった”の?」
「そんな報告聞いていない…。いったいどこに…」
ますます混乱してきた。
無意識に両手が髪にのびる。
「ユズル。パパはこれから警察にいってくるからお前はここにいなさい」
「私も行く!」
「だめだ。もしママが帰ってきた時にお前がいないんじゃ余計にこじれる。わかるね」
「でも…」
不安な気持ちが伝わったのだろうか、父親は同じように不安に瞳を揺らしたが、そろそろとのばされた手が私に触れることはなかった。
「…いいね。家にあるものを適当に食べて今日は寝なさい。パパは警察に行ってから一度仕事場に戻るから。鍵をかけておくんだよ」
「パ…うん…」
うつむいてそう返事をすると、父親はちらりと私を見ると、慌ただしく玄関から飛び出していった。
遠くで車が走り去っていく音が聞こえ終わると、また静寂が家全体を包む。
それを玄関先でじっと聞いていたが、完全に音が聞こえなくなると、ゆっくりと鍵を閉めた。
(誰も閉じ込める人はいなくなったのに、自分で鍵をしめるなんて)
なんて滑稽なんだろう。そう考えると溜息にも似た苦笑がこぼれる。
「もう…寝よう…」