Phase8-1
鉄の柵と門が見えるようになってきた頃、坂の上はにわかに人と獣の咆哮が聞こえてきた。
さっきの警告音が正しければ、すでに1組以上のプレイヤーがこの場所についている。
それから何人かのプレイヤー達がここを訪れていてもなんの不思議もない。
「私達も急ごう」
周さんに続いて坂を上る。
上る度音はだんだんと大きくなり、熱気のようなものがだんだんと近くなっていく。
道端にはその熱気の余波なのか、さっき遭遇した小鬼のようなものの他に、何人かのプレイヤーが倒れている姿も見える。
それはしばらく見ているとふっと消えるものから、ずっとその場に倒れているものと違いはあったが、どの人も声をかけても返事をくれそうにないのだけは共通だった。
「旅…の…」
その倒れている人の群れの中、かすかに声が聞こえる。
その人はこの世界のNPCなのか、それとも斗真くんが教えてくれたなりきりの恰好をした人なのかはわからなかったけど、倒れている人達の群れの中で、唯一とも言っていい、意識のある人だった。
駆け寄ろうとして、さっきの言葉を思い出す。
『思ったより出遅れているな…』
(どうしよう…)
周さんに声をかけようとしたが、この倒れている男性の声には気が付かなかったのだろうか、歩を緩める様子はなく先を進んでいく。
(ここでまた時間がかかっちゃったら…)
少し前に反省したばかりじゃないか。そう自分を叱る気持ちはあるくせに、足は動こうとしない。
「旅の方…」
息も絶え絶えと言った様子で甲冑姿の男性は、苦しそうな表情で私を見る。
縫いとめられたように動けない。
「私の…妻を…助け…」
男性は見ると顔のあちこちに傷が出来ている。地面もじっとりとしているから、おそらく甲冑の下も血で汚れているんだろう。
それでも動かない両足を引きずるようにして前を進もうとしていたため、とっさに体を支える。
支えてそこで初めて、その人が異様に熱を持っているのを知った。
「頼む…妻を…」
咳き込むと同時に地面に血の花が咲く。
私では支えるので精いっぱいで、回復してあげられるスキルもない。
疲労回復にいいと、勧められて買ったエナジードリンクのようなものはあるけど、今のこの人ではそれで助かるような状態でもないだろう。
かろうじて自分の唾液を飲み込む仕草は見えるけど、何かを食べるということも不可能そうだ。
(なにか水みたいなものでも…)
せめてもと思って思い立った考えに、1つの結論が導き出されたが、それを果たして私が選んでいいものなのか、浮かんできた考えに今度は躊躇いが生まれる。
(でも…言っていた)
『逆にあなた様方が飲めば、薬となる霊薬です』
どうして私なんかに預けてしまったのだろうか。
周さんのの荷物がスキルで埋め尽くされていて、捨てられそうなものがなかったから?
私の保管数に空きがあったから?
「…っ」
震える手でパスを動かす。
とぷりと揺れたその陶器は想像以上に重く、それが両手にのしかかった瞬間、目の前の男性の頭からこぼれるように流れ落ちる。
慌ててそれを持ち直そうとするけど、重さには逆らえずどぶどぶと流れ出ていくのは止まらない。
その流れでたアルコールのむっとする匂いに気が付いて、前を歩いていた周さんが振り返り、私の様子を見て慌てて近づいてくる。
後ろから両手を支えられるようにして徳利を支えられて、そこでようやく中身の流出が止まった。
目の前には大量に流れ出た酒が男性の顔だけでなく、衣装や地面を濡らし、辺りには甘ったるい匂いが立ち込める。
相変わらず目の前の男性はぐったりとしているし、私を後ろから支えるようにしている周さんの方は軽く溜息をついている。
その吐息だけで何をしているのかと咎められているような気持ちになる。
「あ…あの…」
私の奇行を見て言葉を失っている周さんに、何とか事の次第を説明しようとするが、うまく言葉に出来ない。
(これを鬼に飲ませないといけなかったのに…)
なみなみと入っていた徳利の中身はその半分が地面に吸われている。
それでも手元に残った量はそれなりにあったが、本で読んだようだ大きさの鬼にとってみたら、もてなしの1杯程度にしかならないかもしれない。
「あの…私…」
そうわかっていても同じ場面に遭遇していたら、やっぱり私は同じ過ちを繰り返すのかもしれない。
それが無駄だとわかっていても、それがまるっきり無駄だとわかるまではバカみたいに言葉を信じてしまうのだろう。
それが周りの人間の迷惑になるとわかっていても、やってしまった後バカみたいに謝るしか出来ないんだろう。
目の前の人物の呼吸が少しずつ普通の状態になっていくのを見ているのをみながらぼんやりとそう思う。
「旅の方…ありがとうございます…」
言葉に力が少し戻り、はっきりとした目が私に向けられる。
「あの…」
「私はあなたの温情に応えられるものがありません…ですから我が家に伝わるこの家宝をお使いください…これで我が妻を…助けてください…」
男性はそう言って頭にかぶっていた兜を目の前に差し出す。
震える手でそれを受け取ると、男性は嬉しそうににっこりと笑った。
「ありがとう…」
男性はそういうとのろのろと立ち上がり、また坂を上っていく。
声をかけようとするが、前しか見ていない男性の後ろ姿を見ていると、声をかけることがいけない事のように感じて声が出てこない。
何となく言葉をかけられないでいるうちに完全にその姿が視界から消え、その場にはアルコールの匂いとカード化された兜が残された。
(私は間違えちゃったの?)
本当ならあんなに大けがをしているのだから止めなくてはいけないはずなのに。言葉もかけられずに座り込んでいる。
どんどん水分を吸いこんでいく地面を、後悔の念を持ちながらも何もすることが出来ない。




