白昼の流星
十一月二十四日。
クリスマスイブの丁度一ヶ月前。
隣に寝転ぶ私(佐塚穂波)の彼氏、三科慶が呟いた。
「今日は久々の休みだし、久しぶりにふたりでゆっくり散歩でもするか。せっかくのいい天気だし」
「それは名案だね。私もそうしたいな」
「そうと決まれば準備して行こうか」
慶は優しげでどこかずるそうな顔をしていて、小柄な私より遥かに大きい。そんな私たちがつきあう事になったのは、お互い散歩が好き、ということがきっかけだった。私達は休日によく散歩にいく。この前は「歩いてどこまで行けるかな?」という私の軽率な発言のせいで一日で五十キロ程歩いた。帰宅後、ふたりとも疲れはて会話すら交わせない状況だったが、あれはあれで楽しかった。私達の散歩に決まったルートは無く、いつも別の道を歩く。散歩というよりは放浪、もしくは流浪に近いのかもしれない。
数分で準備を終えた私達は外へ出る。
冬の冷たい空気が服から出た肌を冷やす。
「あー、さむ。やっぱ冬は苦手だな」
「歩けば暖まるよ。さ、行こ?」
私達はオンボロアパートを出発し、散歩へ出掛けた。
歩きながら空を見上げると青く澄んだ空が広がり、所々にある小さな雲が空の青さを余計に引き立てている。
「穂波、駅の方へ行ってみようか」
私が空を眺めながら歩いていると慶が最初の目的地を決めた。
「駅? いいんじゃない? もう少しでクリスマスだしいろいろ目新しい物が出てるかもしれないね。……って、駅逆方向じゃん」
「まぁまぁ、そういう事もあるよ」
慶が笑いながら言い、来た道を引き返していく。
そして、再びオンボロアパートへと戻り、駅へと出発する。
「ねぇねぇ」
「なに?」
「まだ先の話なんだけどさ」
「結婚の話?」
「違うよ。慶くんは今日の夕飯何がいい?」
「夕飯かー………コロッケ」
「コロッケ?」
「うん。それかカボチャコロッケ」
「ほとんど一緒じゃん。わかった、帰りにスーパーよって帰ろ?」
「おっけ」
商店街を通り抜け駅のロータリーへとのんびり歩く。商店街は主婦達で賑わっていた。平日ということもあり、学生達の姿はあまりない。時々サボっているであろう学生の姿が見えるだけ。
「最近、お客さん入ってる? ちなみに、今はどんなイベントやってるの?」
「お客さんの入り具合はそれなりかな。最近はカップルが多いよ。クリスマス前に急いで見つけた恋人って感じの人が大半だけどね」
慶が笑いながら言い放つ。
「イベントねぇ……いつも通りヒーリングと、後はあれだ。冬の星座と神話」
「え、それ行きたい」
「じゃあ、今度おいで」
慶はプラネタリウムでガイドをして働いている。幼い頃からの夢だったらしい。
「あー、でも慶くんの声をプラネタリウムの中で聞くと寝る」
「なんでさ」
慶が笑いながら聞く。
「好きな人の声だと癒されて眠くなる」
「そっか。でも寝ちゃうのはもったいない気がする」
「うん。だから、今度旅行に行こう。星の綺麗に見えるところ。長野とか山梨とか。そこで夜外でガイドさんやってよ」
「いいよ。行こうか」
「やった」
「穂波の方こそ、執筆は進んでるの?」
「うーん、それが微妙なんだよね……書けてはいるんだけどね? なんかしっくり来ないっていうか、違和感があるというかそんな感じ」
「そっかー。じゃあ、夕飯の後に俺に読ませてよ。たまには読者の意見も必要でしょ?」
「え、やだ。読ませない」
「やだって……」
「あれ? ねぇ、こんな道あったっけ?」
「え?」
駅へと向かう道の途中、細い路地を見つけた。自転車が一台通ることができるくらいの細い道だった。
「ほんとだ。こんなところあったんだね」
「行ってみようか」
「うん」
私達は駅へと向かうのをやめ、細い路地へと入っていった。
路地は薄暗く、じめじめしていた。所々に入り込む日差しが眩しく目がちかちかする。
「なんだか、少し不気味な道だね」
「そうだね。でも、俺はこの道結構好きかも。なんだか、すごい所に繋がってそうな気がするし」
「探検でもしてる気分?」
「うん。俺は生まれながらの探検家だからね。好奇心旺盛なんだよ」
と言いながら慶が笑う。
百メートルほど進むと、道の終わりが見えてきた。
「あ、もうすぐこの道終わるみたいだね」
「さて、どんなところにでるのやら……」
私も彼も少しだけ早足になる。この道の先に何があるのだろうと考えると足を速めずにはいられなかった。それは彼も同じようだ。
好奇心に胸を躍らせ、道を抜けるとそこは冬の日差しが静かに降り注ぐ河原だった。
「なんだ、ここに出るのか」
少し残念そうな慶の声。明らかに落胆している顔だった。
「そんなに残念そうな顔しなくてもいいじゃない」
「だって、普通に河原に出るとかつまらな過ぎでしょ!」
「普通はそんなもんでしょ。さすがに異次元とか、楽園には繋がってないって。むしろ、変なところに繋がってなくてよかったじゃない」
「そりゃそうだけどさー……」
「さ、登ろ?」
土手へあがると、目の前に川が現れる。太陽の光が反射し、水面が鏡のように光っている。数秒間、私の瞳はその光景に釘付けになっていた。たった数秒だった。しかし、その数秒が数分に感じられる程、私の瞳はその光景に、その景色に魅了されていた。
「……み……穂波」
「え? 何?」
慶に声をかけられふと我に返る。そして彼の姿を捜す。
「こっちこっち」
土手を少しくだった所で慶が座り込みこっちを向いて手招きしている。
「今行く! ちょっと待って」
慶のいる位置までくだり始める。
「うわっ!!」
足を滑らせ尻餅をつく。
「いててて……」
「大丈夫?」
慶が笑いを堪えながら聞いてくる。
「痛い……」
「穂波はどんくさいな」
「うるさい」
私は転ばぬようにゆっくりと慶のもとまで降りる。
「ここに座って」
「う、うん」
慶の横へと腰を下ろす。すると、慶は草の上に寝転がった。
「穂波もこうしてごらん」
言われるがままに私も寝転がる。気温が低いせいで肌に触れる草がとても冷たい。そのうえ首筋がちくちくする。
「首がちくちくするー」
「我慢我慢。こーやって寝転がってると日差しが暖かくて心地よくない?」
「まぁ、確かにそうだね。でも、さすがに冬は寒くない?」
「ちょっとね。でも、気持ちいいからいいじゃん」
慶はそう言うと目を閉じた。
私もそれに習い目を閉じる。
風の音、草の揺れる音、遠くに聞こえる街の喧噪。自分の住んでいる町なのにいつもとは全く違う雰囲気を醸し出している。まるで別世界だ。あの道は本当に異次元に繋がっていて、ここは異次元なんだと錯覚してしまいそうな程に静かで人もいない。
「あ、流れ星」
不意に慶が呟く。
「え? 流れ星?」
「うん。今流れた」
「日中なのに?」
「日中なのに」
「嘘でしょ?」
「本当だよ。穂波が知らないのも無理ないと思うけど、流れ星は昼でも流れてるんだよ。目を凝らさないと見えないけどね。ほんとに集中して見ないと見えないくらい幽かにしか見えないんだけどね。確かこれくらいの時間がピークだったはず。……えーと、何座流星群だったかな……」
白昼の流星。そんなものがあるなんて考えた事がなかった。
見えなくても誰かの願いを叶えようと流れる星。なんだか、少し切ないような感じがする。
「何座でも良いや。穂波も目を凝らしてよく見てごらん」
「うん。そうする」
私はトルコ石のように真っ青な空に目を凝らす。瞬きも忘れ、ただ、ただ、じっと空を見つめる。
どのくらいたっただろうか。真っ青な空に流星が長い光の糸を曳いてななめに堕ちていった。
「ほんとだ。見えた……」
「ね? 見えたでしょ?」
「うん。とっても綺麗」
ひとつ流れると、支えきれなくなって窓の表面をすべり落ちる雨粒のように、あちらこちらでスルスルと星なだれ堕ち始めた。
「昼でも流れ星が見えるのは、燃え尽きる直前の一瞬だけ強く光るからなんだよ」
「そうなんだ……知らなかった」
「さてと、珍しいものも見れたし、そろそろ帰る?」
「もうちょっとだけ見たいな。見ててもいい?」
「わかった。じゃあ、穂波は少しここで待ってて」
慶は立ち上がりどこかへ行ってしまった。
私は言われた通りにその場を離れずひとり空を見ていた。
「お願いごと……してみようかな……」
胸の前で指を絡ませ天を流れる星に願いを伝える。
――ずっと……
「なーにしてんの?」
背後から声をかけられる。
振り返ると、そこには両手に缶コーヒーを持った慶が立っていた。
「な、何でもない……」
「もしかして、お願い事してた?」
慶がにやにやしながら聞いてくる。
「だったらなによ……」
「かわいいなー」
「慶君、そろそろ行こうか」
「ん、そうしようか」
身体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。
そして、ふたり肩を並べて来た道の方へ引き返す。
「ねえ、穂波」
「ん? なに?」
「……やっぱり、コロッケじゃなくて、メンチカツが良い」
「はいはい、具材かって帰ろ」
振り返り、空を見上げる。
――ずっと、二人一緒にいさせてください。この先、ずっと、ずっと……。
六興 九十九です。
今回のお話は、とあるカップルの日常の1ページです。
静かで教養のある小説家の穂波と、マイペースなプラネタリウムの職員である慶。
仲のいいカップルの行く末は……
またそのうち書くかもしれません。
それでは、また次話でお会いしましょう。