2.寄り道
野を越え丘を越え山を越え、人形は真っ直ぐ都を目指します。
魔女の贈り物のお陰で、旅路はとても順調でした。
木靴には魔法がかかっていたので、いくら歩いても少しも疲れる事がありません。
パンとミルクもまた特別で、ちょっぴりだけ食べ残しておけば、次にお日様が昇る頃にはすっかり元の通りになっているのでした。
そうしてずんずん進むうち、人形は小さな村に差し掛かります。
村の井戸端では大人たちが額を寄せ合い、うんうんと困り果てる様子でした。
「一体何があったんですか?」
少年の人形が尋ねると、彼らは口々に答えます。
「この先の道に悪い鬼が棲みついて、通る者を片端から丸呑みにしてしまうのだ」
「鬼はとても力が強い。鉄棒を飴細工のように折り曲げてしまう。都の兵士だって敵わないに違いない」
「だから旅の人、ここから先へは行くのは無理だ。鬼がいなくなるまで、誰もあの道は通れまいよ」
話を聞き終えると人形は、わかりましたと頷きました。
友達からは、困っている人へは手を伸べるようにと教わっています。
「任せておいてください。僕がきっと、鬼を追い払ってみせましょう」
村人たちは慌てて引き止めましたが、少年の人形の決心は固く、また足は速く、翻す事はできませんでした。
そうして少年の人形がどんどんと行くと、果たして鬼が行く手を遮りました。
全身毛むくじゃらで下の唇からは鋭い牙がぬっと突き出しています。角は四本もありました。
鬼が鉤爪の生えた太い腕でつかみかかってきたので、少年の人形は革袋から刀を取り出しました。抜き放たれた刃は鋭くて、太陽の光を受けてぎらぎら、ぎらぎらと輝きます。
鬼はそれだけで震え上がって、二度と戻って来れないくらい遠い山の向こうへと逃げていきました。
少年を案じて後をついてきた村の人たちは、それを見て大喜びをしました。
「どうかこの村に留まって、ここで暮らしてくれませんか。あなたのような立派な人が居れば、何があっても安心です」
人形だった少年は少し考えてから、いいえ、と答えました。がっかりさせてしまうのは悲しい事ですが、それではあの優しい友達を置いて旅立った意味がありません。
「ごめんなさい。僕はもう少し、世界を見て回りたいと思うんです」
村の人たちは別れを惜しみつつも、快く少年を送り出してくれました。
*
山を越え川をまたぎ森を抜け、都を目指して人形の少年は旅を続け、とうとう海に着きました。これを渡れば都まではもうすぐです。
けれど船を求めようにも、その浜辺の町は死んだように静まり返っておりました。
夜だというのにどの家の窓にも光はなく、咳きひとつ聞こえません。
「これはどうした事だろう」
不思議に思った少年は、酒場の扉を叩きます。
一軒だけ明かりの灯っていたそこでは、町の人々が額を寄せ合い嘆きあっているところでした。
「一体何があったんですか?」
人形の少年が尋ねると、彼らは口々に答えました。
「ここの海に恐ろしい鮫が棲みついて、通りがかる船を皆沈めてしまうのだ」
「鮫はとても大きくて、どんな船でもひと呑みにしてしまう。都の軍隊だって敵わないに違いない」
「だから旅の人、ここからは船に乗るのは無理だ。鮫がいなくなるまで、誰もこの海を渡れまいよ」
話を聞き終えると少年は、わかりましたと頷きました。
友達からは、苦しむ人へは手を伸べるようにと教わっています。
「任せておいてください。僕がきっと、その鮫を追い払ってみせましょう」
町人たちは慌てて引き止めましたが、少年の人形の決心は固く、また足は速く、翻す事はできませんでした。
そうして一艘の小舟を借り受け海へ出ると、果たして鮫が波を割って現れました。
体は小山ほどもありました。全身にびっしりと苔むして、どれくらい長く生きてきたのかも知れません。とても大きく開いた口は、なんだって飲み込んでしまいそうでした。
鮫が牙を噛み鳴らしながら襲ってきたので、人形の少年は革袋から槍を取り出しました。振りかざされた穂先は鋭くて、月の光を受けてきらきら、きらきらと輝きます。
鮫はそれだけで竦み上がって、二度と帰って来れないくらい遠い海の向こうへと逃げていきました。
船着場から恐る恐る窺っていた町の人たちは、それを見て歓声を上げました。
「どうかこの町にとどまって、ここを治めてくれませんか。あなたのような立派な騎士が守ってくれれば、何があっても安心です」
少年はまたしても、いいえ、と答えました。期待を裏切るのは申し訳ない事ですが、それではあの大好きな友達を置いて旅立った意味がありません。
「ごめんなさい。僕は都を見てみたいんです」
「なるほど、それなら仕方ない。あそこはとても素晴らしい」
町の人たちは納得して、都行きのとびきりの船を仕立ててくれました。
皆が口々に褒める都への期待は高まって、少年は胸を膨らませます。
*
ところがいざ訪れてみると、都の人々はこぞって涙にくれていました。
「一体何があったんですか?」
少年が尋ねると、彼らは口々に答えました。
「立派な我らの王様が、北の山の悪い竜を退治しようとしたのだ」
「王様の兵隊と王様の馬が総出で戦ったのに、竜には叶わなかったのだ」
「竜の怒りを鎮めるには生贄を差し出す他にないというのだ」
そうして白亜の王宮を指しました。
「この話を知った姫君が、自分が生贄になると名乗りを上げたのだよ」
「だから宮殿では今、姫君が皆にお別れの挨拶をしているのだよ」
「なんといたわしい。あの方は無残に食べられてしまうのに違いないよ」
話を聞き終えて少年は、かんかんに怒りました。
魔女には竜は優れたものだと教わっていたので、裏切られたような心持ちにさえなりました。
「任せてください。僕がきっと、悪い竜を追い払ってみせましょう」
その足で王宮に駆けつけて、少年は王様とお姫様に言いました。
突然現れた彼を訝しみながら、それほど言ってくれるならと王様は首肯しました。
お姫様は少年の顔をじっと見つめ、感謝を込めて深く深くお辞儀をしました。
王宮を出ると少年は、竜の棲家を目指してずんずんと行きました。魔法の木靴のおかげで、険しい山路だって気になりません。
そうしてもうもうと煙を吹き出す広くて大きな洞窟の奥で、竜が静かに身を横たえているのを見つけました。
エメラルドの鱗をまとった竜は優美に首をもたげました。
青く澄んだサファイアの瞳が、高いところからじっと少年を射抜きました。
一瞬、心が竦みます。
けれどこれが都の人たちを悲しませる悪い竜なのだと、少年は勇気を奮い立たせました。革袋から刀と槍を抜き出して、物も言わずに打ちかかります。
竜は四つの足で大地を踏みしめ立ち上がり、雄大な翼を広げました。猛々しく一声吼えると、迎え撃つ構えを見せました。
そうして、とてもとても激しい戦いが始まりました。
少年の刀はまっぷたつに折れ、槍は半分から曲がってしまいました。
竜の美しい鱗には無事なものがひとつもなくなり、鏡のようだった爪も牙も、目を覆うほどに磨り減りました。
それでも決着がつかないまま、何も食べず眠らずに三日三晩を戦って、四日目の朝。とうとう少年は竜に負けを認めさせる事ができました。
「なるほど、強いわけだ」
竜は長い首を岩肌に這わせたまま、じっくりと少年を見上げて言いました。
「お前は祈りに守られている」
「ええ。都の皆が、僕が勝つのを祈ってくれていたはずです」
少年が頷くと、けれど竜はゆっくり頭を振りました。
「いいや、いいや。お前の無事を祈るのは、お前を無私に愛するのはひとりだけ。ただひとりだけだよ」
寂しく言って、その青い瞳を閉じました。
「俺はお前の言いつけ通り、この山を遠く離れよう。もう決して人とは関わらぬと約束しよう」
そうして翼を広げると、二度と会えないくらい高い空へと飛び去っていってしまいました。
人形だった少年は、その姿が青色に溶けるまで見送りました。
何故だか、胸に穴が開いてしまったような気がしました。