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4-3

 


 彼女は、風のように微笑んでいる。

 柔らかく一見優しく見えるけれど、薄情で、時に激しく吹き荒れ、時に冷たい。けれどその激しさは、決して長くは続かない。


 彼女は、風のように微笑む。


 一時は怒り狂っても、すぐに憎しみや怒りのような重い感情は放り捨ててしまう。薄情な風。


 彼女はまだ、セレイガの言葉の意味をほとんど理解できていないだろう。セレイガの心の奥の重苦しく泥のように堆積した感情を、甘く見ている。


 愛にも憎しみにも、快楽にも狂気にも、怒りにも悲しみにも似たこの感情。

 非常に高温だが粘度の高い、溶岩のような思い。


 誓約は呪いだ。しかしセレイガはその呪いを解く気にはならない。呪いを解く気にならない所が、この呪いの恐ろしいところだと言えるだろう。



 ブルルルル――。


 はっと顔を上げると、角の生えた白馬がぶるりと鼻を鳴らしていた。


「この馬! セレイガさん、今の話、この馬に聞かれてましたよ、絶対」

 立川もはっとして、それからぷんと頬を膨らましてわざとらしく怒って見せた。


「馬に?」



 セレイガは彼女と出会ってから、戦い続けて来た。己の中の己と、自分の中の見知らぬ感情とだ。彼女に誓約したその瞬間から、それはセレイガの中に生まれていた。


 誓約してすぐの頃は、生まれたばかりの小さな感情を、簡単に気のせいだと振り切ることができた。魔力を失ったことに衝撃を感じていたし、学園生活が始まって動揺していたから、気が紛れていたと言い換えても良い。

 しかし徐々に生活が落ち着いてきた頃、セレイガは気付いた。彼の心の中に、何か別の生き物が住み着いていることに。



「このユニコーンですよ。この馬、今しまったって顔をしたんです。ただの動物かと思ったら、かなり利口な動物ですよー。人間の言葉が分かるんじゃないですかね」

「学園が用意したイベントの話か?」



 彼の心の中の生き物は、立川に対してセレイガが反抗することを禁じた。彼女が側に居ると、彼女に話しかけられると、ざわざわと反応した。彼女に命令されたい、彼女に従いたいと、喚くのだった。やがてその生き物は、関係の無いときに目覚めるようになった。授業中に突然、彼女に触れる人間を殺したいと考えたり、彼女の名前を呼んだセレイガの従僕を無意識のうちに殴っていたこともあった。


 それをなんと呼ぶか、セレイガには分からなかった。執着心か、忠誠心なのか、愛なのか独占欲なのか。ただセレイガはそれを呪いと呼んだ。それは彼の心の中に棲み付いて、育っていった。


「私達がコースを外れてこの世界に来ちゃったから、特別な監視が付いたんだと思いますー」

「この馬は、つまり何だ?」


 セレイガにはどうも、立川の言う学園の思惑というものが理解できない。立川が何に気付き、何を説明しているのかも分からない。

 実家が陰謀渦巻く王宮とはいえ、パテリュク王朝には単純な人間が多い。陰謀ですら直接的で、暗殺だって魔法で一発、剣で一撃だ。セレイガは自分を、パテリュク王朝に居たころは思慮深いほうだと思っていたが、学園に通うようになってどうも違うらしいと気付いた。


「私たちの監視兼ボディーガードです。このまま戦うのか、セレイガさんの言うユニコーンならば人間に変身出来るんですよね、人間として戦うのかもしれませんよー」

「どうして隠れてボディガードをする必要があるんだ。それに俺達を監視する必要が、どこに」


 立川はちょっと目を見開いてから、うふふふっ、と笑った。

「本当に、どうして隠れる必要があるんでしょう。私たちのプライバシーを暴こうとしているんですかー? 隠れるなんて、学園に疚しいところがあるんだとしか思えませんー」


 立川はそっと馬に近付き、掌で優しく馬の太い首を撫でた。その柔らかな手つきに、セレイガはかっと頭に血が上り、聖痕が強く輝いた。



 セレイガが、立川への呪いじみた感情を半ば諦めたのは、この夏の長期休みのことだった。誓約とは結局一体なんなのか、セレイガはこの夏、その謎を解き明かそうとしていた。


 暑い夏だった。汗まみれになりながら、パテリュク王朝の書庫の古文書を捲った。祖国も学園と同じく夏で、学園のように進んだ空調システムは無く、堪らなく暑い夏だった。


 今になって思えば、あの時セレイガはかなり可笑しかった。

 誓約を結んでから、初めて立川と長期間会うことが出来なくなった。自分の心の中に寄生する呪いの囁きに打ち勝つためには好都合だと思っていたが、反対だった。


 立川に会えなくて、会いたくて、会いたくなくて、気が狂いそうになって。彼女のことだけ考えていた。


 それはセレイガ自身の感情ではなかった。こんな自分は自分で無いと、セレイガは自分の感情と戦いながら、恐れ戦いていた。自分でなくなっていく恐怖にセレイガは多分、立川を憎んだ。


 憎んで、呪って、セレイガ自身で思って、そして気付く。立川への感情は、その執着心と憎しみと、仄かな好意と呪いを巻き込んで、間違いなくセレイガ自身の体に染み込んでしまったことに。


 諦めて、そして立川を見詰めた時、また愕然とした。

 立川は、セレイガの重苦しいこの感情など、欠片も知らずに、風のように微笑んでいたから。



「ちょ、ちょっと、どうかしたんですか? 今、何に反応したんですか? 敵?」

「いや、何も無い。すまない。その馬は人間になるかもしれないのか? だとしたら不快だと少し思ったんだが」


 馬の首を撫でた彼女の掌が、見知らぬ男の首を撫でているかと思うと殺意が湧いた。知っている男ならばいいという話でもないが。全く、近頃のセレイガの聖痕は、本当に獣の尾のようだ。上手く制御できていない。幸いにも立川は馬から手をのけた。


「この馬が人間になったら、それこそセレイガさんたちの言う伝説のユニコーンそのものだと思うんですけどねー」


 セレイガなりに誓約が何なのかの推測は付いた。

 誓約とは呪いであり、人質であり、同盟の誓いだったのだと、セレイガは思っている。


 大昔、パテリュク王朝が部族単位で分かれていた頃、同盟の為に他部族の娘を人質として貰い受けた時、一族最強の男が彼女に誓約した。彼女を幸せにすることを、人質だからと言って傷付けないことを、何からも守ることを。誓いを破れば、一族最強の男が魔力を失う。そういう呪いで、同盟の誓いであった。誓約によって手に入る力とは、相手の部族との同盟関係のことだ。


 ユニコーンに誓ったところで、その人間が個人的に強くなるわけではなかった。


 誓約とは、呪いで誓いだ。ユニコーンの前でただ、自ら誓い、自らを呪う。そして自分自身に働きかけるものであるために、立川の側が断る手段はなく、さらに何人でも立川に対して誓約することができる。


 セレイガ以外に、何人でも。


 現在、この事実を知っているのはセレイガただ一人だ。



「まあ確かに、お互いに恥ずかしいところを見られましたよねー。私も泣いたりセレイガさんに八つ当たりしてたのを見られたのは、……ちょっと許せませんー。セレイガさんも色々してましたからね」

 立川は照れたように小さく笑った。


 セレイガとしては、立川に跪いたことも、靴下を履かせたことも、物を投げられたことも、見られてなんら恥じるところではない。やれと言われたならば、教室でそれらを行うことも、満更でもない。立川の素足を他者に見せたことは不愉快だが、立川は体育の授業などで特に気にせず素足になるので、今更である。


 立川は馬に向き直ると、にっこり笑いかけた。


「それで、あなたや先生達は私達に、何も伝えることは無いんですねー。『宝探し』を棄権するように勧めることも、覗き見ていたことを謝罪することも、私達を危険にさらしたことを謝罪するつもりも無いんですね。いいですよー。後でまとめて頂きまーす」

 立川は夢見るように美しく笑っている。


 セレイガには彼女が馬に話しかける意図がよくは分からない。ただ彼女は、微笑みながら堂々と、学園に向かって宣言しているのだ。


「私はさっき、理性を失っていましたが、これは私がストレスのせいで情緒不安定だからです。命の危機にさらされたためと、これまでにサルシュさんを含む周囲の人々の言動に傷付けられてきたために、私の精神はこのような状況となりました。私の心の健康と命の安全のためにも、私達はサルシュさんに反撃せずにはいられませんー」

 彼女は馬に向かって宣言している。言っていることは分かるが、何故それを馬に向かって宣言するのかは分からない。ただおそらくは彼女は、彼女の正義を述べている。


 堂々と微笑みながら宣言する彼女は、古の女神のように美しい。


「私達は、自分達の正当性を信じて、サルシュさんたちに攻撃を仕掛けます。この行動に問題があるのなら、速やかに連絡を下さい。無い場合は、先生方が認めたものとみなします。後から私たちの行動を問題にして、サルシュさんへの処罰が軽くなるようなことは納得できませんからー」


 立川は言い切ると、くるりと振り返って目を細めた。




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