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4-1 憎しみは秋風とともに

 

「セレイガさん、もしかして、私に逆らえないんですかー?」



 立川は思わず妙なことを言ってしまった。馬に跪けって、何のプレイだ、どこの女王様だ。

 しかしそう言った時のセレイガの動作は、行動は、どうも妙だった。立川は唇から笑いが零れるのが耐えられなかった。


「そう言えばセレイガさんって、今日も私が頼んだこととか、私の提案、何も断ってなかったですよね」

 妙に聞き訳が良いと思ったのだ。

 しかも頻繁に、彼のこめかみのガラス板はちかちか光る。普段の授業中はそこまで鬱陶しく光っていなかったのに。確かあれは、立川が話しかける度に光っていたのではないか。


「へえー」


「俺のユニコーンは、君だ」

 セレイガは真っ直ぐな瞳で立川を見つめる。


 神秘的な茶色い瞳、整った顔立ち。こめかみに埋め込まれた花のような宝石も相まって、立川よりよほど大柄なのに、彼は人形のように見える。これまで立川は彼が何を考えているのかよく分からなかった。しかしやっと今、わずかに見えた気がする。


 彼は秘密を抱えていたのだ。魔力を失ったことが、大して堪えているように見えなかったのも頷ける。彼はそれより重要なことを隠していたのだ。立川をユニコーンなのだと言いながら、これまで決して立川に気付かれないように隠して来た。

 散々彼の都合で立川に迷惑をかけていながら、録に情報も渡しては来ない。


 セレイガは果たして、彼女に対して罪悪感を抱いているのだろうか。

 どれほど彼が迷惑をかけたと思っているのだろうか、悪いと思っているのだろうか、自分も魔力を失ったからお互い様だとでも思っているのだろうか。それとも、

 憎んでいるからいい気味だとでも思っているのだろうか。


「それじゃあ、私に跪いて下さい」


 なんて馬鹿なことを言っているのだろう。我ながら立川は自分に呆れていた。しかしセレイガの真っ直ぐな瞳を見ていると、残酷なことをしてやりたいと思ってしまうのだ。


 パテリュク王朝の人間が立川に迷惑をかけていると言いながら、セレイガはいつも他人事のように澄ましている。

 全部おまえのせいだと言うのに!


 真っ直ぐに立川を見て、耳に快い正論ばかり言うくせに、立川の為に何もしたことが無い。正論が立川の人生に役に立ったことは、これまで一度も無いのだ。


 全てセレイガのせいなのに、散々立川に迷惑をかけたくせに、いつだって自分は巻き込まれた被害者面をしている。

「とっとと私に跪きなさい!」


 セレイガは優雅な動作で近付いて、片膝を立ててすっと立川の目の前で跪いた。その仕草すら様になる。お姫様に跪く王子様のようだ。様になり過ぎて、少しも気が晴れない。

「俺のユニコーンは君だ。君の望みは全て叶えよう」


「へぇー。私に何かしてくれたことなんて、ありましたっけー」


 恨み言を言っているようで恥ずかしくて、立川は彼から目を逸らした。


 でも本当に今更だ。今更そんなことを言われたところで、立川はセレイガに求めるものなど何一つ無い。

 ただもっと、酷いことを命じたくなるだけだ。


「私の靴を……」


 舐めろ、とでも言おうとして、途中で止めた。セレイガの背後の白馬と目があった気がしたのだ。



 黒い角の生えたユニコーン。


 ここでユニコーンが現れるなんて、出来過ぎだ。立川とセレイガの前に本当にユニコーンが現れるなんて、あまりに出来過ぎだった。学園が裏で糸を引いていると考えた方がいい。タイミング良く二人のすぐ隣にやって来て、今になっても離れて行かない。学園に飼われている動物は妙に賢い動物が多いし、おそらく人間の言葉が分かる生き物も居る。


 このユニコーンは学園に指示されてここに居る。今回のイベントを学園が企画したという予想は、正しかったと思っていいだろう。単純に立川たちが別の世界にやって来たことを心配してのことならば、教師が直接二人を探しに来ればいいのだ。だが、これで二人の安全は確保されただろう。


 このユニコーンは立川たちの会話を聞いている。その体に盗聴器か魔法が仕掛けられていて、教師が聞いている可能性だってある。おかしなことは話さない方が良い。ましてや非人道的で屈辱的な命令を聞かれるのは困る。恥ずかしいだけでなく、学園の処分をくらうかもしれない。

 立川は自分を、いつだって被害者だと思っているし、今後も完全なる被害者のポジションに置いておきたい。


 なのに、

「ひゃあ」


 セレイガは立川の片足を、掴んで持ち上げた。


 立川は慌てて片足でバランスを取る。セレイガは地面に付けた片膝の上に、掴んだ立川の片足をのせた。そして彼自身の上着で、立川の足を拭った。


 立川は靴を舐めろと言いたかった。足を拭けなんて言っていない。

 靴だって、そこらに脱いであるものを舐めるなり洗うなりすればいいのに。さすがに、自分が履いている靴を舐めさせるのは、立川自身が気持ち悪くて嫌だ。


 セレイガの体操服の上着は、体操服とは思えない派手で高価そうな衣服だ。

 銀色の生地に、金や緑の細い糸で繊細そうな刺繍がしてある。かけ橋学園の体操服は制服と違い何を着ても自由なので、家庭の経済力の差が如実に出る。立川は中学の時から着ているジャージだ。

 その銀の布地が、茶色い土で薄汚れていく。



「な、何をしてるんですか、セレイガさん」


 セレイガは、立川が脱いで隣の運動靴に丸めて突っ込んでおいた靴下を取り出すと、丁寧に広げる。


 立川の足首を壊れ物のようにそっと持ち上げた。

「君には分からない。こんなこと、屈辱でも恥でもない。俺には、喜びでしかない」


 もたつきながら、立川の足に靴下を履かせていく。

 セレイガのこめかみの聖痕は、ちかちかと輝いている。


 彼の瞳は深く澄んでいるけれど、その奥底で何かがきらめいている。そのきらめきが立川には、喜びには見えない。セレイガの心の奥底に隠された感情が、立川には喜びには思えない。

 もっと粘度の高い、醜い感情。


「君の許しが無ければ、君に触れることすらできない。君はいつでも、俺を拒絶している。それだけは俺にも分かった。靴にすら、口付けることを許されなかった」

「そんなこと、したかったって本気で言うんですか」


 立川には、セレイガは彼女を憎んでいるように見える。冷静を装いながら、憎んでいるようにしか見えない。


 セレイガは形を整えた運動靴を捧げるように持つ。立川はそこに、そっと足を入れた。

 彼は立川の足が入っている運動靴を、更に少し持ち上げた。何をするのかと見ていると、そこに顔を近づけ、つま先にキスをしようとした。


「……ちょっと!」


 立川は思わず叫んで、咄嗟に彼の顔を運動靴で蹴り上げた。


 ぐらりと体のバランスが崩れ、後ろに倒れそうになった。

 素早くセレイガは立ち上がって彼女の体を支え、そっと地面に座らせた。その時、どう動いたのか、既に彼女の尻の下には、セレイガの高級そうな上着が敷かれていた。


 彼はまた立川のすぐ前に片膝を付いて、まだ裸足の方の足をそっと掴んだ。


「まだやるんですかー」

 立川は呆れて言った。


 セレイガは肌着を脱いで、立川のその足に当てる。どうせだったらタオルくらい持ってきて欲しい。荷物にたくさん入っているのだから。


「俺は君の事なんて、何とも思っていない」

 セレイガは立川の足を拭きながら言った。その聖痕は、歌うように不規則に光ったり光らなかったりする。


「なのに、君に顔を蹴られても嬉しい。足を洗うのだって誇らしい。俺は君の事なんて何とも思っていないのに、君に命じられたい、そう思う自分が存在する」


 立川は、目を見開いた。


 それは。



「誓約は、誓約とは、呪いだ。故郷の誰も知らないことだ。俺も実行するまで知らなかった。誓約とは、呪いなんだ」


「私のせいじゃありません」

 立川は固い声で言った。


「分かっている。散々考えたことだ。俺が勝手に行ったことだ。誓約とは呪いで、誓いなんだ。君に服従し、君に逆らわず、君の望みをかなえ、全ての魔力を捧げる。俺が決めて、俺が誓った、本気でそうしようと思った。そう誓ったのだから、断られようが全てを捧げるのは当然のこと」

 セレイガの瞳の奥底がきらめく。


 彼の心の奥の、燃えるような感情。


「あの日から、毎日少しずつ、俺は俺でなくなって行った。考えるはずの無いことを考える。君に服従することだけを望む自分が居る。そういう存在が、全く俺で無い存在が、この体の中に生まれたんだ。それは、怖かった。生まれて初めて、恐ろしいと思ったんだ、自分が自分でなくなって行くことが。魔力を失ったことなんて、それに比べれば少しも気にならなかった」


「私が憎いんでしょう」

「あの時期の俺は、そう思ったこともある。俺が勝手に行ったことだ。俺が悪いのは分かっている、それでも、君を恨んだこともある」

 傷付き易い高価な宝石を撫でるように、少し力を入れれば壊れる小さな装飾細工の手入れをするように、優しく立川の足に靴下を履かせて行く。


「……いや、今も。結局……」


「憎んでいるんですね、私のこと。王子様ですから、セレイガさんは。私になんか、絶対従いたくなかったんですよね。私のことなんか、守りたくなかったんですよねー」


「君が、憎い」

 セレイガは立川の足をそっと撫でた。


「君が、憎い。俺が何をしても、何もしなくても無関心な、君が憎かった。誓約を拒絶したくせに、俺を捉えて離さない。君が命令してくれれば、何でもした。求めてくれれば、必ず助けたのに」


 誓約を断った立川を憎んだから、少しも守ろうとしなかったのだ。立川が本当に怖くて助けて欲しかった時に。パテリュク王朝の人間に責められた時も、誘拐された時も、殺されかけた時だって。


 立川は心から待っていたのに。


「君が憎い。少しも俺を望んでくれない君が。俺の心は君でいっぱいなのに、君の心には俺はほとんど存在しない。当然だ。出会ったばかりで、ろくに話したことも無いのに、ただのクラスメートなのに。俺の方がおかしい」

 薄汚れた運動靴を、お姫様のガラスの靴のように差し出して、立川に履かせた。


「俺の方がおかしい。これは呪いだ。だがもう諦めた」

 立川の両足が完成した。


 セレイガは姿勢を正し、片膝を立てて両手を額の高さまで上げる。パテリュク王朝の、最も高貴な人に対して行う礼を、優雅に行った。


「君は俺の、ユニコーンなのだから」


 優雅すぎて、立川はむしろ苛立った。

 彼女はにっこりと微笑んだ。




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